Cp.1-2 Sunlight White(4)

「拓矢、今日は何だか変じゃない?」

「えっ?」

 その日の帰り道、校門を出て大橋へと続く通りを歩き出すなり由果那にそう言われて、拓矢は思わず面食らった。

 太陽はゆっくりと傾き始めていて、明るい空が炎のような橙色に染まり始めていた。

「上の空具合が、いつもよりひどい!」

「うっ……そ、そう?」

 ビシリと指摘され、拓矢は怯んだ。奈美がその後ろで心配そうな目をしてこちらを見ている。

「話しかけてもボーっとしてるしさ。あんたはいっつもその気はあるけど、今日は特によ。何かあったの?」

「え、ええと……」

 詰問するような由果那の言葉に、拓矢は返事に困る。何かあったのかと言われれば、表面的には何もなく、しかし内面的にはありすぎるほどにあった。

 すなわち、瑠水のことで頭の中が――意識の集中が一杯だったのだ。

 彼女は拓矢の心的負担を軽くするためにその姿を隠したが、存在自体はずっと拓矢の中にあり、心の中で拓矢に色々と話をしていたのである。拓矢はその声に同じく念話レコンで返していたため、現実から見れば気もそぞろになっていて当然だった。気を遣ってくれた瑠水には悪いがこの方法は正直大変だったので、瑠水も幸紀達と同じように普通に会話ができればいいのにと拓矢は思った。

(でも…そのためには…)

 そのためには、幸紀達にも瑠水の存在を理解してもらわなければならない。

 しかしそれは、気恥ずかしいとかいう以前に、果たして本当に理解してもらえるだろうかという不安があった。彼らなら、自分の話をとりあえずは聞き、たいていは受け容れてくれるだろうとは思う。しかし、今回ばかりは常軌を逸している。果たしてこの感覚と存在の事情をわかってもらえるだろうか。

『瑠水……どうしよう』

『私は知られて構いません。あなたを理解できる人ならば、きっと通じ合えるはずです』

 心の声で問いかけると、言葉にしていない含意まで汲んで瑠水は答えた。

『ただし、私が見えるかどうかは、私の存在の表出の度合と、その人が信じるか次第ですが』

 拓矢はそれを聞いた上で考えた。いきなりこの難しい状態を説明するのはさすがに難しい。まずはおおよそどういう状況なのかを前置きにした方が、説明しやすいのではないか。

「あー、その……何ていうか」

 口を開いた拓矢に三人の意識が集中する。彼女との関係を表現するのに最も適切な表現を頭の中で探す。そして、迷った挙句に選んだ言葉が、次のようなものだった。

「その……僕、彼女…が、できたんだ」

「――――」「……は?」「…………」

 橙に燃える夕陽を浴びて煌く御波川の流れと交差し、川沿いの堤防通りを左右に分ける大橋通りの上。

 ピタリ、と。一瞬、それを聞いた三人の思考が空白になり、足が止まった。

(あ…………)

 一瞬遅れて、また自覚のないことを何かやってしまったか、と拓矢は感じた。

 瑠水の存在を詳しく説明する前置きのそれは確かにそれより他にないであろう事実だったのだが、それがこの三人に与えた衝撃は計り知れなかった。言葉とは実に難しい。

「――‼」

 奈美が、心臓を貫かれるようなあまりの唐突な衝撃に胸を震わせ、息を呑んだ。

「はあぁ⁉ 彼女⁉ 嘘でしょ⁉ 誰? いつ? どこで⁉ 聞いてないわよ‼」

 由果那は仰天とばかりに驚きを顔に出し、畳みかけるように拓矢に質問を浴びせる。

「落ち着けよ、由果那。とりあえず拓矢の話を最後まで聞かないか」

 そして、それを制した幸紀はどういうわけか不思議なほど落ち着いていた。

 彼は相変わらず少し細めた視線を拓矢に――いや、拓矢の方に向けていた。まるで、拓矢のいる空間に、その虚空に誰かがいるのを見ているかのように。

(ユキ……?)

 拓矢は幸紀のその様子に驚きを禁じ得なかった。何も話していないはずなのに、まさか彼には瑠水が見えているとでもいうのか。

 その心内の問いには、瑠水は無言だった。彼女も、幸紀の方を警戒するようにじっと見つめ返していた。

 そんな中、三人が各々の感情を映した目を拓矢に向け、拓矢の語る真相を待つ。

「あ……あー、その、えっと……何て言ったらいいのか……」

 しかし拓矢は言ってはみたものの、そこから本筋に繋げることができなかった。目を泳がせ言葉を出しかねていると、

「あんたねえ……っ‼ 変な冗談はほどほどにしなさいよっ!」

 それを冗談と取ったのか、なぜか業を煮やした由果那が拓矢に掴みかかった。その顔はどこかもどかしい怒りと、悔しさの混ざったような表情をしていた。

「い、いや、それは……」

「言い訳すんな! いくらなんでも、ここまで鈍いなんて思わなかった!」

「え?」

 鈍い?

 拓矢の意識が、不意にその言葉に引っかかりを覚えた。

 この文脈でそのフレーズが意味するもの。そして、考えられる状況。もしくはその相手。

「拓矢、あんたはホントに気付いてなかったわけ⁉ 奈美があんたのこと――」

「由果那ちゃん!」

 涙する勢いで激昂する由果那の境界突破を、寸でのところで奈美の叫ぶ声が止めた。

 由果那と拓矢は驚いて奈美を見る。

 奈美は、拓矢を泣きそうな目をして見ていた。

 拓矢も、奈美を驚きの顔をして見つめていた。

 この状況。由果那の臭わせた言葉。そして奈美のその表情。それらが意味するもの。

 つまり――そういうこと。

 見つめ合う二人。奈美の顔が見る見るうちに赤くなり、目に涙が滲んでいく。

 時、すでに遅し。

 やがて、奈美は不意に顔を伏せると、逃げ出すように夕暮れ色の堤防を走り出した。

「あ……」

 拓矢は追いかけようとしたが、胸の内が瑠水のことと奈美のこと、さらにその他の色々な思いが絡まり合って、足を動かすことができなかった。

「やれやれ……」

 その様子を見ていた幸紀は、参ったとばかりにため息を小さく一つ吐いた。

 拓矢は、走り去っていく奈美の背中を、呆けたように見送っていた。

 胸が、薄い水が滲むように痛んだ。

「拓矢、あんたちょっとウチに来なさい」

「え? あ……なに?」

「説・教・よ‼」

 不動明王もかくやといった憤怒の形相で、由果那は怒気も露わに宣告した。

「逃げたら許さないから」

 そして何が何だか追いつけないでいる拓矢を置き去りにする勢いで、ずかずかと大股で歩いて行った。

 嵐の後に残された拓矢を、幸紀が肩を叩いてフォローする。

「まあ、なんだ。後でその彼女の話、男同士でじっくり聞かせてくれよ」

「ユキ……?」

 その、いやに状況を俯瞰したような物言いに、拓矢は疑問を覚えた。

 幸紀は薄く笑みを浮かべ、小声で言った。

「話せるの……まだ、全部じゃないんだろ?」

「……‼」

 まるで、隠している何かを見通すように。

 瑠水が心を強張らせたのを感じた。それと同時に拓矢の胸にも一抹の不安が過ぎった。今はまだ、その時ではない。そう、瑠水でもない自身の心が言っているように感じていた。

「……うん。ごめん、今はまだ、話せない」

 拓矢には、そう答えることしかできなかった。

 幸紀は別段落胆や失望をしたような表情は見せず、ふっと小さく息を吐いて、言った。

「わかったよ。話せるようになったら話してくれ。あと、あんまり一人で溜め込むなよ。お前が一人で溜め込むと、俺もあいつらも皆心配になるからな。潰れる前に、ちゃんと頼れよ」

 そして、そう言って拓矢の意思を汲み、軽く肩を叩いた。その心遣いに、拓矢は痛んだ心に温かい水が沁みるように、安堵と申し訳なさにじわりと胸が滲むのを感じた。

「うん……ごめん。ありがとう、ユキ」

「気にすんなって。ほら、行こうぜ。ついてってやるよ」

「あ……うん」

 朗らかな態度に戻って先を歩き出した幸紀の背を追いながら、拓矢は瑠水と念話で話していた。

「瑠水、やっぱり」

『ええ。どうやら彼は私の存在に感づいているようです。姿を表出させている時ならまだしも、隠れている私に気付くなんて……彼は幻想界アニマリアの感覚に近いものを持っているのでしょうか』

「幻想界の、感覚……」

 その言葉を聴いた時、拓矢には思い当たることがあった。

 そしてそのことに気付いたと同時に、彼なら瑠水を理解してくれるかもしれないと思った。

 拓矢は揺れていた心が何とか平静を取り戻してくるのを感じながら、小走りで幸紀と由果那の後を追った。


 その後、拓矢は由果那の家でたっぷり1時間程、由果那の説教を浴びせられる羽目になった。

 出逢った頃から奈美がずっと拓矢に想いを寄せていたこと。けれど言い出せなかったこと。それでも彼女なりに頑張ってきたこと。それに拓矢が気付かなかったことへの非難。果ては由果那が奈美にこっそり相談を持ちかけていたことや、その時の奈美の悩める心やそれを聞いていた由果那のもどかしさにまで至り、挙句の果てに、

「それを差し置いていきなり彼女たぁ何事じゃ―――――――い‼」

 と一喝され、由果那の憤激が治まるまでさんざん責められた。さらにその彼女のことについては話せないという拓矢の事情が火に油を注ぎ、拓矢は火炙りにされるような気分を味わった。幸紀が傍にいてくれたのがせめてもの救いだった。

 拓矢はその説教の雨を受けながら、奈美のことを考えていた。

 幼い頃からずっと一緒にいて、自分を助けてきてくれた、心を許せる大切な仲間。そう思っていた。否、そうとしか思っていなかった。あまりに身近で親しすぎて、まるで家族のようで、特別な感情を持つ相手として考えてこなかった。自分がそんなだったから、彼女がそんな想いを抱いていることにも気付けなかった。彼女は、彼女のことをずっと見守ってきた由果那がこんなに怒るほどに、真剣だったというのに。

 無自覚とはいえ、いや、無自覚ゆえに、悪いことをした、と拓矢は心底反省した。今度会ったら、何と言えばいいのだろうか。

 そして拓矢はその裏で、先程の幸紀が見せた態度も気になっていた。瑠水の話からしても、彼はどうやら瑠水の存在に勘付いているようだった。そのことは今後確かめようとしていた。


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