Cp.1-2 Sunlight White(2)

 話は、昨夜の夢の中に遡る。

「ここは……?」

 群青の闇色の水鏡の中、白銀の月明かりの下、拓矢は零すように口にしていた。

 淡い光を纏う瑠水が青い夜の闇の奥、彼我の向こう側からそれに答える。

「ここは、私の精神の表象の世界である幻想界アニマリア……私の魂の中です」

 彼女の声はそんなに大きくないのに、その言葉は確かに拓矢の意識に届いていた。

「ここは、私とあなたの二人だけの世界。私の心の一番奥、誰も邪魔の入らない、私達二人きりの、夢の中の世界」

 瑠水は瞳を緩ませて陶然とした口調で言うと、次いで律とした笑みを浮かべた。

「先程は不躾な真似をしましたが、あなたの魂は私の存在を受け入れてくれました。その上で改めて、この先についてあなたに伝えるべきことを、今ここでお話しします」

 そう告げた瑠水の胸の中心に、青い光の灯火が見える。その光は小さく律動していて、拓矢は自らの内にも同じ光が宿り、同じリズムで脈動しているのを感じていた。

 拓矢は、白銀の月の光と密やかな水の香りのする夜風を浴びる楽園のような心地よさに陶然としながら、瑠水の方を向いて、心を正した。

 そうして彼も言葉を紡ぐ。彼女に言葉よ届け、と念じるようにして。

「伝えるべきこと?」

 瑠水はその言葉に、表情を律と正した。

「先程お話しした、《使命》の詳細――これからの私達の、具体的な行動方針です」

 月明かりに青い輪郭を照らされるその姿は、拓矢の心に一層幽玄に映った。

 碧い瞳を真っ直ぐに拓矢に据え、瑠水は口を開き、話すべき言葉を紡ぎ始めた。

「先にお話ししたように、私達の目的は、幻想界の二神ルクスとイリスによる存在の呪縛を脱却することです。そのためには、私達――主に私達イリアの存在そんざい齟齬そごの問題を何とかしなければなりません」

 そう始まった瑠水の説明に、拓矢も事情を明らかにするべく話に加わる。

「問題っていうのは、君の中にイリスがいて、君とイリスの間で存在の分裂が起きてしまう、っていうことだったっけ」

「はい。そしてイリスを完全な形で取り戻そうとするルクスがイリスの復元のために私達八色のイリアを一体に統合することを目論み、それを持ちかけられているイクサ達がどのように動くか、というのが現在の状況です」

 瑠水の説明に拓矢は現状を把握し、その上で考え始める。

 瑠水とイリスの存在の癒着。自我分裂の危機。統合のための戦い。

 彼女の望む解決のために考えられる状況と案はいくつかある。拓矢はそれを実際に瑠水と検討してみることにした。

「たとえば、君からイリスを分離するとかは、できないのかな?」

 順当に考えれば第一案はそうなる。イリスと一体になっていることでイリアとの分裂が起きることが問題になっているなら、イリアからイリスを分離してしまえばいい。そうすればルクスもイリスを取り戻すためにイリアを統合する意味がなくなるし、結果としてイリアはイリスからもルクスからも逃れられることになるはずだった。

 ただし、そうだとして問題はいかにしてイリスをイリアから分離できるのかだ。仮にイリアとイリスの存在がミルクティーのような混ざり合い方をしているものだったとしたら、それらを分離することはできるのか。

「可能ならばそれが最も望ましいでしょう。それに加えて分離するイリスを完全体に戻すことができれば、ルクスの望みも私達の望みも同時に叶います。ですが、問題はいかに私達を分離するのかです」

 拓矢のその予想は大体当たっていたようで、瑠水は困難だが否定しきれないような難しい顔をした。

「イリアとイリスの存在は二体が合一したものではなく、元から完全に同一で、私達イリアの人格がイリスの分裂体の人格になり代わっただけなのです。逆に言えば、イリスの分裂体に現れた人格が私になったとはいえ、元を正せば分裂したとはいえイリスはイリスです。つまり私はイリスであるとも言うことができるのです」

 瑠水のその説明を、イメージがついていた拓矢は即時に理解した。

「つまり、切っても切れるものじゃないってことだね」

「ええ。ルクスが統合によりイリスを取り戻せると確信しているのは、統合されることにより私達イリアがイリスという本体に戻るということを知っているからです。対して、イリアとイクサの繋がりは後に二体が合一して築かれたものですから、二に分けることが可能です。統合を終えて完全体となったイリア=イリスを、イクサとの繋がりを解いて回収すれば、イリスはルクスのものとなります」

「それが、あの神様の――ルクスの望んでいるシナリオってことか」

 話の筋を理解した拓矢は胸の悪い気分になる。単に独り勝ちをされるのが嫌というのではなく、そのシナリオの遂行は瑠水も含めイリアが統合し合う、つまり最後の一人になるまで喰らい合い、必ず敗北者が出るということだ。そんな血みどろの争いの果てに平穏な心の幸せがあるとは思えなかった。

 確認するように、拓矢は瑠水に訊いた。

「瑠水。君は、その統合を望んでいる?」

 その問いに、瑠水は悩むような表情を見せた。その理由は、彼女の口から語られた。

「ルクスの思惑通りの統合を望んでいるわけではありません。仮に統合が成功したとして、その時は私の人格もイリスに呑まれて消えてしまうでしょう。それでは私はあなたと共に生きることができません。そういう意味で、統合は私の目的には適いませんから」

 そこまで言って、瑠水は難しい判断をする時のような、渋い顔をした。

「ですが、他の手段が見つからない場合、統合に臨むのが有力な手段であるというのもまた、あるのです」

「……どういうこと?」

 一見矛盾した話に意味を掴みかねる拓矢の疑問に答えるように、瑠水は説明を重ねた。

「先に話したように、ルクスは統合が済んだ後、私達最後のイリアとイクサを切り離し、イリスとなったイリアを回収しようとするはずです。ですが、最後の一人まで残った時点で、まだそのイリアにはイリアとしての自我が残されているはずです。そして当然イクサは生きています。つまり、最後の干渉の際に、私達イリアとイクサは、ルクスとイリスに抵抗することができるはずなのです」

 瑠水のその説明を拓矢は反芻し、理解した途端、驚愕を覚えた。

 彼女の提示している策とは、つまり。

「ルクスの狙ってる最後の統合の瞬間に、ルクスとイリスを……倒すってこと?」

 拓矢の言葉に、瑠水は真っ直ぐな青い目を向け、重深く頷いた。

「ルクスとイリスを屈服させ、完全に黙らせるか、さもなくば逆に私達の中に取り込んで、私達自身に還元してしまうかです。そうすればルクスもイリスももはや干渉することはできません。これが現状を踏まえた上での最も単純な策でしょう。おそらく私の知る何人かの好戦的なイリアはこの方針で行動してくるはずです」

 瑠水の真剣な説明に、拓矢は、開いた口が塞がらない思いになる。

 それは、神を喰らうというのと同じことを言っていた。そんなことが可能なのかという思いも湧くが、ルクスとイリス、そしてイリアとイクサの存在の仕組みを考えればあり得ない話ではない。むしろ具体的な分、だいぶ現実的な案だとすら思えてくる。

 だが、そこにもやはり問題はある。拓矢は再度瑠水に確かめるように訊いてみた。

「でも、それはさっきの統合を完遂させることが前提になるよね?」

 今の案は、統合が完遂され自分達が最後まで生き残った末に、ルクスが干渉してくるチャンスを前提としている。となれば、やはり他の彩姫イリア命士イクサとの戦いは避けられないだろう。最後のルクスとの戦い以前に、まず考えなければならないのはそこである。

 拓矢がさっきから気になっているのは、こういうことだった。

 瑠水は、自らのために他の彩姫と戦い、存在を喰らうのを是とするのか。

 この基準次第で、動き方は変わってくる。瑠水がそれを是とするのなら統合のために戦いに挑んでいくことになるし、否とするなら別のやり方を探すしかない。

 ちなみに拓矢は統合に関しては否だった。瑠水に殺し合いなんてしてほしくない。それがたとえ自分にとっていかな大事な意味を持っているとしても、それだったら別の方法を探そう、と拓矢は言うつもりでいた。そして何となく、瑠水も同じ思いであるような気がしていた。

 瑠水は拓矢のそんな内心を読み取ったのか、正直な気持ちを話し始めた。

「私の最終的な目的は、あなたと存在を共にすることです。私の存在の問題を解決したいのもそのためです。そのためならば、私はいかなる困難にも屈しないつもりでいます」

 そう語る瑠水の瞳は、しかし暗い、澄み切らない色をしていた。

 その瞳に映る彼女の心の色を感じた時、拓矢は確信を得た。瑠水も、戦いを望んではいない。彼女の気持ちは本物なのだろうが、その瞳には迷いの色が濃く見えた。つまり本意ではないのだ。

「でも、やっぱり…君は戦うことを望んではいないんだね?」

 拓矢の指摘に瑠水は顔を上げ、ややあってこくりと弱く頷いた。

「戦う意志がないわけではありません。あなたと共にいるためならば、私はあなたを守るために戦うつもりでいます」

 そこまで言うと、瑠水は辛そうに目を伏せた。そこには明らかな忌避感が見て取れた。

「ですが、できることならば魂を分けたイリア達と戦いたくはありません。彼女達は、私の姉妹のようなものです。それに何より……そんな魂の喰らい合いの果てに存在の安定を得られたとしても、私は心休まる気がしないのです」

「そっか。よかった。僕と同じだ」

「え?」

 顔を上げた瑠水に、拓矢は言った。

「僕もそう思ってた。いくら最後に一体になれるって言ったって、それじゃあそもそも君の心を安らかにさせるっていう目的が叶わない。だったらやっぱりこの方向はナシだ。別の方法を探そう。いくら考えられる方法だからって、望まない結果になるのなら意味がない」

「拓矢……」

 虚を衝かれた瑠水に、拓矢は彼女の心の闇をすすぐように、精一杯に笑んでみせた。

「僕も、君には安らかでいてほしいんだ。君が置かれてる状況がわかった時、とても心が休まらないと思ったし……もう巻き込まれてる以上、できることでよければ力を貸すよ。僕も自分の周りを守りたいし…できることなら、君も守りたいから」

「拓矢……ありがとうございます」

 瑠水が青い瞳を潤ませてお礼を言ってくる。月下の瑠璃玉のように綺麗だ、と拓矢はその瞳の煌きを見て思った。

 お互いの意思疎通と方針がとりあえず一つ定まった所で、話は続く。

「さて、とりあえず方針が決まったのはいいけど……どうしようか」

 実の所、具体的な方策はまだ一つも定まっていない。案は出るには出たが、確実性と実行のためにはまだまだ詰めが必要だろう。正直、一夜で解答が出せる問題とも思えない。

 と、瑠水が新しい話を切り出してきた。

「拓矢。一つ提案があるのですが」

「ん……何?」

 拓矢の言葉に応える瑠水の眼差しは、真っ直ぐに前に向かう意志を宿していた。

「既に他のイリア達は方針を定めて動き出しているでしょう。中には先程話したような理屈を是として、統合のための戦いを仕掛けてくるイリア=イクサもいるかもしれません。私達の解決策についての検討ももちろん必要ですが、それと同時にそうした相手への対抗策も用意しておく必要があります。でなければ、それこそなす術もなく私達が彼らに喰われてしまいます」

「対抗策、か……」

 拓矢は瑠水の提示してくれた状況を理解する。状況も必要性もわかるが、この流れで対抗策となると、考えられるのはどうしてもそれらしいものしかない。

 それを見取りつつ、瑠水は拓矢の不安を和らげ、自信を持たせるように微笑んだ。

「敵を倒し喰らうためではなく、私達の身を守り、果たすべきことを果たせるために、戦う術を身につけましょう。これから私の――彩姫イリアの力の使い方をお教えします。私はあなたを守るために、あなたはあなたを守るために。そしてお互い、大切なものを守り通すために」

 瑠水はそう言って、拓矢に手を差し伸べた。戦いに臨むために命士に差し出される白く細いその腕は、さながら英雄の手に取られるのを待つ王妃の剣の柄のようだった。

「拓矢。私と一緒に、戦ってくれますか」

「……うん、いいよ。逃げるわけにも、いかないよね」

 拓矢は決意を確かめるように一言呟き、差し出された瑠水の手を取った。

 瞬間、瑠水の体が無数の青い光の糸となって解け、拓矢の体を包み込んだ。


 ――というように、拓矢は夢の中で瑠水から今後の方針の解説と、彼女の持つ力の使い方の教えを受けた。

 他のイリア=イクサがどのような方針を取ってどのように動いてくるのか、気にはなるが今の所は察知のしようがない。気には留めておくとして、とりあえずは今である。

(まだ何もわからないけど……とりあえず警戒だけはしておこうってことか)

 拓矢の中では守りたいものは明確だったし、そのためにどう動けば良いかについても、わりと整理がついていた。

 どんな状況でも守るべきものは変わらないし、そのためにやるべきこともそう複雑ではない。

 具体的な動き方も含め、まだ不明な部分も多く不安もあるにはあったが、今は今やれることをやろう。何かあればその時はその時だ。

 気楽に考えると、凝り固まった頭もいくらか楽になるようだった。

 何より、隣にいる瑠水の存在が、その心に新鮮な活を与えていた。

(瑠水と一緒にいられるためなら、それくらい)

 そう考えをまとめると、拓矢は思考を一旦措き、足を急がせた。

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