第2話
土曜日。社用車で会社に戻ったみさきはタイムカードを切って自転車に乗り、自宅とは別方向にある駅に向かった。ここから上り電車に乗って一駅で降りたところ、小さな商店街の片隅に「
いつもの餃子三人前と生ビール大を楽しみにしているのはもちろんだが、彼女が姿を現してくれないかなと願っていた。学校では一度遭遇したきりでその後顔を合わせていないが、やっぱり先週のことはちゃんと謝っておかないといけない。
午後六時ジャストに出入り口の前にたどり着くと、昼間のリプレイかと思うぐらいのばったり具合でお目当ての人物に出くわした。
「あっ! そっ、その」
相手は立ちすくんでしまった。何もそんなにビビらなくても、とみさきは苦笑いする。
「ちょうど良かった。シラフのうちにあんたに言わなきゃいけないことがある」
「な、何でしょう」
「先週はごめんなさい。酔っ払っていたとはいえ失礼なことをしでかして」
みさきは不祥事を起こした企業の経営者の謝罪会見のように深々と頭を下げた。
「ああっ、そんなことしていただかなくても……私の方こそ先程は失礼しました。そしてこの前のお昼のことも申し訳ありませんでした。あの時は不躾な態度を取ってしまって」
さすがお嬢様学校の生徒らしく、相手も丁寧な所作で頭を下げた。
「おわびに奢るよ」
「え、そんなの悪いですよ」
「ダメ。私の気が済まないから。ほら入って入って」
みさき達が連れ立って入店すると、新入り店員が「いらっしゃいませ」と言いつつ驚いたような目で見てきた。
「えーと、お二人様でよろしいしょうか?」
「お二人様だよ」
みさきは二本指を立てた。
「カウンターとテーブル、どちらにしますか?」
「テーブルで。禁煙席ね」
みさき達は禁煙席に案内された。いつもはカウンターにしか座らないので新鮮な気分である。暇潰しに見るテレビがよく見えない位置だが、今日に限れば問題はない。
みさきは立てかけてあったメニューを取って相手に見せた。
「あたしはいつものを頼むけど、あんたは好きなものをいくらでも頼んでいいよ。金のことは心配すんな」
店員がやってきた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「生ビール大と餃子三人前で。ビールは餃子と一緒にね。あんたは?」
「えーと、豚骨醤油ラーメンのネギ大盛りと唐揚げの大と回鍋肉と天津飯をお願いします」
「ブッ!」
みさきは口にした水を吹き出しそうになった。
「すみません、頼みすぎましたか?」
「いや、金のことは良いんだけどさ……食えんのそんなに?」
「はい。家ではいつもこれぐらい食べているんですよ」
「ええー……」
店員は苦笑いを浮かべながら注文を確認すると、厨房に向かっていった。
「そうだ。あんたの名前なんだったっけ」
「
「レオナ……思い出した! 確か『レオ』って完食証明書に書いてたよね」
「ええ。学校ではそう呼ばれているんです」
「私は桑野みさき。桑の木の『桑』に野原の『野』でみさきはひらがな。みさきでいいよ。みんなそう呼んでるから」
「じゃあ私も玲於奈でいいです」
しばらくすると、注文した品物が次々と運ばれてきた。
「じゃ玲於奈、食べようか」
みさきはいつものようにビールを二口ほど飲んで餃子にかぶりついた。
「ああ、たまんねえ~」
それを聞いた玲於奈がクスクスと笑いだした。
「中年のおじさまみたいですね」
「ああ、そのお上品な呼び方はやっぱ聖泉の子だねー。ま、おじさまなんてガラじゃないおっさんどもに囲まれて仕事してるからあたしもおっさん化しちゃったんだよ。ちなみにあたし、これでもまだ今年で二十三だからね」
「ええっ?」
「その驚きようだと、高めに見積もってたなー?」
「す、すみません」
「良いの良いの。上に見られるってことは貫禄があるってことだから。あ、餃子一個食べる? ここのは肉汁がたっぷりで美味しいんだよ」
「はい、じゃあお言葉に甘えて」
玲於奈は餃子を一つ摘んで口に入れた。一噛みすると濃厚な肉汁がどっと溢れ出て舌を刺激した。思わず目が丸くなる。
「凄いですね!」
全部飲みこんでからそう感想を述べた。
「だろ? で、これがまたビールに合うんだわ。あんたはまだ未成年だからわからんだろうけど」
「あと三年待たなきゃダメですね」
「ということは十七、高校二年生か。良いね~若いって」
六つ下とはいえ、未成年という肩書きがあるのと無いのとでは天と地ぐらいの開きがあるように思うみさきだった。
一方で、玲於奈はというと最初の方はみさきに少し怯えていたものの、会話を重ねるたびに少しずつ緊張がほぐれていき、悪い人ではないと思うようになっていった。
学校の話題にシフトすると、聖泉はカトリックの学校だから校則が厳しくスマートフォンが持ち込めないとか、お祈りの時間が眠たくて仕方がないとか、生活指導のシスターが怖いといったことを玲於奈は明け透けに話した。公立の高校に通っていたみさきとっては別次元のように感じられたが、場は盛り上がった。
みさきは玲於奈の個人的な内容に踏み込んでいった。
「玲於奈ってさ、モテてるでしょ? 学校で」
「モテてる……まあ確かにそう言われればそうですけど」
玲於奈は急に伏し目がちになった。
「どした?」
「みさきさんは私のこと、どう思います?」
「ん? どうって、細いのによく食べる子だなあ、と」
「そこは置いておくとして、見た目の印象だけでどう思いますか?」
「そうだね……」
みさきはパッと思いつくだけ答えてみた。ボーイッシュな外見だから何かしら運動部に属していそう。活発的で外で遊ぶのが好きそう。お上品だから良いところの家系に生まれてそう、などなど。全く非の打ち所がない女子生徒像が出来上がった。
「でしょうね。実際は全部間違いですけど」
「?」
玲於奈は正しい答えを告げた。運動はむしろ嫌いな方で環境委員会に入っていて花壇の花の世話をするのが好きなこと。普段は家にこもって読書をするのが好きなこと。実家は確かに金持ちとはいえITバブル期に通信機器販売に手を出して一財産築いた成金にすぎないということ。
「でも、周りは私の見た目だけで人物像を勝手に作り上げて、その人物像に惹かれているだけなんです。私が運動部じゃなくて環境委員会に入ったのもどういうわけか『スポーツをやっていたのに怪我をして断念したからやむなく』ということになってるし、その他はだいたいみさきさんが抱いたイメージそのままの人物像にあてはめられているんです。それが正直嫌で……」
「違うんだよ、って言ってあげりゃいいのに」
「ええ。それらを否定して素の自分を見せられたらどれだけ楽かと思いますけど、かと言ってみんなの今まで抱いてきたイメージを壊して幻滅させて嫌われるのも怖くて……」
みさきの口から自分を偽らず正直に生きたら良いじゃん、というアドバイスが出かかったが、ビールを飲み込んで塞いだ。言うのは簡単だが、アドバイスを実行に移して本当に嫌われでもしたらまずいかもしれない、と思いとどまったからである。
玲於奈の箸は動いているものの、話をする時だけはピタッと止まる。口にモノを入れたまましゃべるな、とよく躾けられているのだろう。
「まあ学校でいろいろ抱えていても、食べることでストレス発散してきました。でも、最近はちょっとストレスが溜まりすぎて家での食事でも発散できなくなって、その時にこの店と『テラチャーハン』の存在を知ったんです。あれを食べた時は本当に胸がスッとしました。他のメニューも美味しそうだったのでまた食べに行きたいと思って行ったら、またみさきさんにばったり会った、というわけです」
「あんた、気をつけないと摂食障害になるよ?」
「大丈夫です。さっきも言ったように普段は家でもこれぐらい食べてますから。私、結構燃費が悪いんですよ」
玲於奈は自嘲した。一体テーブルに置かれた料理のカロリーを合計するとどれぐらいになるのだろうかと、みさきは計算する気すら起きなかった。これだけ食べても細い体型を維持できているのは素直に羨ましい。
「でも、学校だとそうはいきませんから」
玲於奈は大きなため息をついた。
「うちの学校、学食で出される料理の量がかなり少ないんです。何度おかわりしたいと思ったかわかりませんが、みんなの目線がありますから……味は良いんですけどね」
「まあ、どこの学校の学食でも玲於奈が満足する量は出してくれないと思うよ?」
「でしょうね……だから朝は一時間かけてたっぷり食べるんですけど、それでも昼頃にはお腹が空いてしまって。放課後になるともう空腹になってしまいます」
この点については、みさきは肉体労働者の立場から一番共感を覚えた。
とにかく、玲於奈は体質と性格のせいで肉体的と精神的の両方に渡って悩みを抱えているのがわかった。しかしどっちも簡単に治せと言って治る性質ではなく、解決には時間がかかるかもしれない。
しかし捌け口を作ってあげるぐらいなら今すぐ自分にでもできる。みさきはそう考えた。
「校則で持ち込み禁止つっても携帯かスマホそのものは持ってるよね」
「はい、もちろん」
「LINEはやってる?」
「はい」
「じゃあさ、連絡先を交換しよっか。学校で言えない愚痴なら聞いてあげるからさ」
「いいんですか?」
「もう一緒に飯食った仲じゃん」
玲於奈は一瞬ためらったものの、ニコッと笑って「わかりました」と言った。
「仕事はいつも五時上がりだからそれ以降ならいつでも連絡してきて」
みさきはスマートフォンを取り出したが、
「ちょっと待ってください。まず料理を頂きましょう」
「あ、そうだね」
食事中にスマートフォンを弄るのはお行儀の悪い行為である。
一時間もすると全ての料理は綺麗サッパリなくなっていた。みさきはだいぶ酔っ払っていたが、それもそのはず、大ジョッキ四杯も飲み干したからだった。相手の食べっぷりを見て話をするとついつい手が出てしまった。
礼を言ってからお互いに別方向の電車に乗って帰宅となったが、普通電車でたった一駅戻るだけのみさきに対して、玲於奈の実家の最寄り駅は特別快速で二十分かかるところにあり、少々遠い。ただし酔って千鳥足になっているみさきの方が無事に帰れる可能性が若干低い。それにも関わらず、みさきは相手の心配をしていた。
みさきの住んでいるアパートは駅から徒歩で十分程度かかる。もちろん自転車に乗ればもっと早く着くが、飲酒運転になってしまうので押して歩く。酔っていてもさすがに法律を破るような真似はしなかった。
八月の夜は蒸し暑く、酒が入っているのもあって否応無しに汗だくになる。通りかかったコンビニで酔い覚ましと水分補給のために清涼飲料水を買って、飲みながらゆっくりと歩いた。
アパートまであと五分というところでLINEの着信音が鳴った。画面を見ると、玲於奈がお礼のメッセージを送ってきていた。そこには絵文字がふんだんに使われていて、最後はハートマークで締めくくられていた。
「うわ何この子、めっちゃ可愛いんだけど!」
まるで子猫を見たかのような悶え方だった。見た目と話し方からしては絵文字を使うようなイメージは無かったのだが、やっぱり女の子なんだなあと思うと急に愛おしく感じるようになった。
この日の夜は、クーラーを二十四度設定にしてもなかなか寝つけなかった。
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