Demolish!!

藤田大腸

第1話

 毎週土曜日の午後六時になると、決まって中華料理店「夜来香イエライシャン」に姿を見せる女性客がいる。L字型のカウンターの、テレビが備え付けてある側の端から三番目が指定席となっていた。


「いらっしゃいませ。お一人様ですね。カウンターの方へどうぞ」


 アルバイトの店員が水を持ってくると、女性客は愛想よく声をかけた。


「見かけない顔だけど、新しく入った子?」

「あ、はい。三日前に入ったばかりです」

「じゃあ『いつもの』と言っても通じないね。生ビール大と餃子三人前持ってきてくれる?」

「は、はい」


 店員が少々うろたえた様子を見せたのは仕事に不慣れだからというわけではなく、女性らしからぬ注文内容だったからだ。


「ご注文を繰り返します。生ビール大ひとつと餃子三人前ですね?」


 店員の視線は女性客の顔ではなく、服装に向いていた。工事現場の作業員が着ているような、上下ともにねずみ色の作業服。シワシワになっていてどす黒い汚れがところどころに付着している。


「うん。あ、ビールは餃子と一緒に出してね」

「かしこまりました」


 店員は女性客の顔に視線を戻した。肌は日焼けして健康的に見えるが、ポニーテールの髪はボサボサになっている。目鼻立ちは整っている方だから勿体無いな、と店員は思った。

 テレビでは有料衛星放送の野球中継が流れている。女性客はどこのチームのファンというわけではないが餃子とビールが来るまでの暇潰しにはなる。やがて餃子とビールが来ると、観戦を切り上げて早速手をつけた。

 ビールを二口ほど飲んでから餃子にかぶりつくときが、週六日の肉体労働を終えた桑野みさきの至福の時間の始まりである。


「ああ、たまんねえ~」


 みさきは毎回、この独り言を漏らしていた。

 酔いが回ってくる頃になると客足も増えていく。カウンターは一人客を中心にほぼ埋まっているが、みさきの両隣はまだ空いている。


「いらっしゃいませ。お一人様ですね。カウンターの方へどうぞ」


 今しがた入ってきた客はみさきの右隣に座った。

 みさきがちらりと横目で見たところ、身長は自分と同じかやや高いぐらいで、髪は短く男物のシャツにジーンズという格好だが、顔だけ見ても男性か女性か判別できなかった。しかしどちらであろうとも美形と持て囃される部類に入る顔立ちの良さである。それでもあどけなさが残っているから年は自分と同じぐらいか、もしくは下と見積もった。


「ご注文はお決まりでしょうか」


 一呼吸置いて、若い客は告げた。その声色もまた中性的だった。


「テラチャーハンをお願いします」


 店員も、傍で聞いていたみさきも思わず目を丸くした。


「お客様、失礼ですがどんなメニューがご存知でしょうか?」

「はい。ここに来る前にネットで調べてきました」


 みさきは酔いの勢いを借りて口を挟んだ。


「あんた、悪いこと言わないからやめときなって。四キロものチャーハンがてんこ盛りで来るんだよ? 一時間以内で食べられなかったら一万円の罰金だよ? あんた払えんの?」


「でも食べ切れたら無料ですよね」

「まあそこまで言うんだったら仕方ないけど、どうなっても知らないよ?」


 一度痛い目に遭うのも良い社会勉強だろうと思い、無理に引き止めはしなかった。


「ご注文を繰り返します。テラチャーハンお一つ、本当によろしいですね?」

「はい」

「あ、新入りさん。ついでに生ビール大をもう一つ持ってきて」

「かしこまりました」


 ビールはすぐに来た。それをチビリチビリと飲りつつ、みさきは観察する。若い客はじっとカウンターの向こうの厨房を見据えたままピンと正した姿勢で座って待っている。テレビや雑誌には目もくれない。

 今更食べ切れるかどうか心配になってきたんじゃないだろうな、とみさきはちびりちびりとビールを口に運びながら思った。世間知らずの美形が轟沈するさまを見るのも良い肴になるかな、と意地悪な考えも頭に浮かぶ。

 それはついにやってきた。


「お待たせしました、テラチャーハンです」


 ずどんっ、と重量感のある音を奏でてカウンターに載せられた皿にはチャーハンで出来た巨大な山が鎮座していた。湯気を放つそれは「食べられるものなら食べてみろ」と言わんばかりの威圧感を放っており、添えられたレンゲが子供用のミニサイズに見えてしまう。

 これぞ創業五十年を誇る「夜来香」名物テラチャーハン。まさに「ギガ」の上をいく「テラ」の単位を冠するにふさわしいチャーハンである。


「それでは、只今よりカウントを開始いたします。一時間以内に食べきってください、どうぞ」


 店員がストップウォッチを押す。若い客は「いただきます」と丁寧に手を合わせた後、レンゲで山頂の部分から削り取りにかかった。

 この店のチャーハンはなかなかの美味と評判である。しかしいくら美味とはいえ同じものを延々と食べ続けるのは精神的に堪えるし、何より胃袋の容量という物理的な制約を乗り切らなければならない。ちなみに制限時間内であっても途中でトイレに行くとその時点で即罰金一万円確定である。


「さーて、どこまで持つかなっと」


 みさきはもう一杯生ビール大を注文した。いつも二杯で留めるのだが今日は目の前に良い肴がある。半分まで食べられたら上等だろうと予想していた。

 ところが若い客のペースは一向に落ちなかった。確か十分で完食したのが最速記録だったと思うが、その時は食べるというよりただひたすらに飲み込んでいた、とみさきは人づてに聞いたことがある。

 若い客の場合は手の動きは速い方ではなく、しっかり噛んで食べている。それでも三十分経過したところで、山は半分以上がなくなっていた。

 若い客の額にはうっすらと汗が滲んでいるが、表情は一切崩さずレンゲを動かす手は止まらない。

 みさきのジョッキはとっくに空になっていたが、追加注文するのも忘れて若い客の食べっぷりに見入っていた。最初と違って、もうここまで来たのなら無事完食して欲しいという願いの方が強くなっていた。

 そしてきっかりラスト十分ジャストで、テラチャーハンの全てが若い客の胃袋に収まった。


「ごちそうさまでした」


 丁寧に手を合わせると、店員が叫んだ。


「完食おめでとうございます!」


 厨房の方からボワーン、ボワーンと銅鑼の音が鳴った。テラチャーハンを完食した時に鳴らされる銅鑼である。みさきは生で聞いたのが初めてだったので大音量に驚いたが、それ以上に驚いたのはこの若い客の胃袋に他ならない。


「あんた、見た目によらずよく食べるんだねえ……凄い!!」

「いやあ、そんな……でも美味しかったです」


 若い客は照れ笑いを浮かべた。


「ではこちらが完食証明書になります。一年間であればいつでもこれを提示頂ければどのメニューもおかわり無料になります。名前をここの欄に記入してください。あだ名でも結構ですよ」


 若い客は店員からサインペンを渡されて、しばらく考えた後、「レオ」と書いた。その様子をみさきは堂々と覗き込む。


「ふーん、『レオ』って言うんだ。覚えとこ」

「あ、あはは、どうも……」

「レオ」の顔は酔っ払っているみさきと同じぐらい赤かった。

「記念写真はどうされますか?」

「あー……それは遠慮しておきます」

「何で? 良い顔してんのに勿体無い」

「だって、恥ずかしいですから……」


 四キロ分食べておいて今更恥ずかしいも何も無いだろう、とみさきはツッコミたくなった。


「じゃあさ、あたしと一緒に写ってよ。写真はあたしが持って帰るから」

「えっ、何で?」

「何でって、食べっぷりが気に入ったからだよ。ねえ新入りさん、写真は別にあたしが持って帰って構わないよね?」

「あ、はい。そちらのお客様がよろしければ……」


 酔客の言うことを聞かなければ面倒くさいと思ったのだろうか、「レオ」はわかりましたとだけ言って一緒に写ることに決めた。


「それじゃ、お皿をこちらに向けてにっこり笑ってください」


 歯をむき出しにして豪快に笑うみさきと、空になった皿を持つひきつった笑顔の「レオ」の見事なコントラストがデジタルカメラに収まったのだった。



 *



 気がついた時には自室のベッドの上だった。

「うっ、頭が痛てえー……」


 みさきの頭からは昨晩の記憶がほとんど欠落していた。お世辞にも綺麗とはいえない部屋にはチューハイの空き缶があちこちに転がっている。それも度数9%500mlのものが。

 クーラーは効いていたが窓から入り込む日差しがやけに強い。まさかと思って目覚まし時計を見るとすでに午後一時を回っていた。


「うわ、もうこんな時間かよっ!」


 貴重な休みの日なのに時間を無駄にしたのを知って頭痛がさらに酷くなった。


「何でこんなに飲んだんだろ……」


 ふと壁を見ると、一枚の写真が貼り付けてあった。空の皿を持つ美形に寄り添うようにして、歯をむき出しにして笑っている自分の赤ら顔が映っている。美形は一応は笑っているが、無理やり撮らされた感があからさまに出ている。


「うわあ……」


 みさきは昨晩の出来事を思い出してしまった。美形のテラチャーハン完食を見届けて自分まで妙に嬉しくなって、記念写真を撮らせて持ち帰って、そのテンションで帰りにコンビニで酒を大量に買ってきて飲んで……。


「あの子の名前、何だったっけな……」


 覚えとこ、と言っていた癖に肝心なところだけ忘れたままで、ついに思い出せなかった。しかし今度会うことがあったら謝っておこうと思うみさきだった。



 *



 聖泉女学院せいせんじょがくいんという女子校がある。県内では名が知られたお嬢様学校で、創立百年をゆうに超える歴史を誇っている。洋館のような外観の校舎は見るものを魅了して止まないが、細かいところで改修を重ねてきているからこそ美しさを保ち続けてきた。

 そして今年、学院は懸案事項の解消に取り組むことになった。それは老朽化したプールの建て替え工事である。校舎のように外から目立つところだけ優先的に改修を施して、プールは目立たない所にあったために後回しになっていたが、さすがに生徒だけでなく保護者からもクレームがつくようになってからは無視するわけにいかなくなった。

 夏休み始めから解体工事が始まって、来年のプール開きまでに屋内温水プールに建て替える予定である。

 プールの中にはすでに二台の油圧ショベルが入り込んでいて作業に取り掛かっていた。そのうちの一台を操っているのがみさきである。

 油圧ショベルのアームが下ろされ、その先端部に付けられた圧砕機と呼ばれるカニのハサミ状のアタッチメントが老朽化したプールのふちを挟み込んだ。


「おりゃっ、と」


 手前に引き剥がすようにしてアームを動かすと、バキバキという破砕音が響き渡った。

 みさきはヘルメットに作業着という格好で、運転席の中で夏の日差しに蒸され汗だくになりながらも、気合のこもった表情で二本のレバーを巧みに操る。

 みさきの勤めている会社は解体工事を主な事業としており、今回の聖泉女学院のプール建て替え工事の解体を請負っていた。


「おりゃおりゃっ、と」


 みさきは暑さに負けじと声を出しながら、破片をさらに細かく握り潰していく。「何かをぶち壊す」ことで得られる爽快感は彼女の仕事のやりがいの一つである。

 職長の姿が目に入った。箸でモノを食べる仕草をしている。昼休憩の時間という意味のサインである。

 みさきは油圧ショベルのエンジンを切って運転席から出た。微風が吹いているだけ、外に出た方が若干マシだった。ヘルメットを脱ぐと、ごくわずかながら涼しさを感じ取れた。

 肉体労働者にとって食事は必要不可欠である。他愛もない話をしながら、職人たちは大盛り弁当を平らげていく。男たちはみな三十代以上で二十三歳のみさきは最年少、かつ唯一の女性だが会話にすんなりと入りこんでいた。


「今週は過去最高級の暑さになるらしいっすね」

「ああ。お前もヤバイと思ったら無理せず休めよ。つい先日もあっちの国道の工事現場で若いのが熱中症で死んだって聞いたぜ」

「うええ、気をつけます」


 みさきは水筒のお茶を飲み干した。


「ところでみさきよ、お前この女子校をどう思う? 女の視点から聞かせてくれや」

「そうっすね……デカイしキレイだし、何より生徒はお金持ちのお嬢様ばっかでしょ? あたしの肌にゃ合わないかもしんないっすね」

「そのお嬢様のために屋内温水プールに変えちまうってんだから贅沢だよなあ」


 職長は校舎を見てため息を漏らした。海外の有名建築家が設計したらしいが、どれぐらいの施工費をかけたのか想像すらつかない。


「よし、頑張って稼いで俺の娘もここに入れるぞ」

「その前に競馬をやめましょ?」

「ばーか、競馬で大穴をぶち当てて稼ぐんだよ!」

「でもどうせ全部飲みに使うんでしょ」


 どっと笑い声が起きた。できもしないことはかえって笑い話のタネになる。


「何か飲み物を買ってきましょうか?」

「おう、頼むわ」


 みさきは職人たちから百円玉を受け取ると、食堂横にある自販機に向かった。ここの自販機では百円で缶飲料が一本買えるが、炭酸飲料の類が一切置かれていないのがみさきにとって少し不満だった。生徒の健康面を気遣ってことだろうが。

 人数分のアイスコーヒーを抱えて戻ろうとするみさきの耳に女子の声が届いた。夏休みに入っているとはいえ、部活等で登校している生徒は何人かいる。

 曲がり角を曲がったところで生徒の集団に出くわした。その先頭にいた生徒とみさきが目が合った瞬間、お互いに面食らった。

 ちょうど先週の土曜日、中華料理店「夜来香」で顔を合わせていたからである。

 あの時性別がわからなかった若い客は、夏物の白いセーラー服に膝下まであるプリーツスカートに身を包んでいた。


「あ、偶然だねえ。あたしのことおぼ――」


 みさきが声をかけたが、それを打ち消すように相手は「ご、ごきげんよう!」と大声で挨拶し、早足で通り過ぎていってしまった


「ちょっと!」


 みさきは追いかけようとしたが、手荷物が邪魔をして叶わなかった。他の生徒たちは「どうなさったの?」とか「お待ちになって!」とか、お上品な言葉を使い慌てて後を追っていった。


「何なんだ、ありゃ」


 みさきは首をかしげた。友達とかクラスメートという関係では説明がつかない奇妙さが伺えたからである。

 しばし考えてみたところ、しっくりくる言葉が見つかった。


「アイドルの取り巻き」


 あんな中性的で美形の顔立ちだったら、同性からも偶像視されても仕方がない。ましてやここは男子のだの字も見当たらない学校だから、余計に彼女の方にそういった目が向けられやすい環境にある。

 自分もこの学校に通ってたら、あの子を追っかけてキャーキャー言ってたのだろうか。

 聖泉女学院の制服を来て学校生活を送っている自分を想像しようとしたものの、あまりにも現実とかけ離れすぎていたためにうまくいかなかった。それよりも早く休憩場に戻らなければならない。せっかくの冷たい飲み物が温くなったら、職長たちにどやされてしまう。

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