第29話 浮世離れの料理

「それでは、あく抜きの方法は今教えた通りですので早速調理を初めてください」

 家庭科の担当教員はミランサという優しげな中年の女性だった。

 授業の冒頭に今回の実習のメインテーマである山菜のあく抜きについての簡単な講義が行われたあとで、生徒たちは思い思いに実習にとりかかった。

 コンロが二つ備え付けられた四人がけのテーブルを、カソル、ハル、ナノ、エルレイからなる四人組で囲む。そこからさらに二人組に分かれ、一組ずつでコンロを分け合って料理するというのが調理実習の流れだ。時間の都合もありメニューは簡単なポトフ。

「沸騰したお湯に塩をひとつまみ……」

 ハルが鍋の方の準備を終えたところで、事前に下処理を施した山菜をカソルが鍋に投入する。それを見たハルがタイマーを三分にセットする。

「じゃあ他の材料切りましょうか」

 いつになく真剣な表情で包丁を持つハル。森の中で小型の魔獣に向かっていくときももう少しリラックスしていたような気がする。昨日図書館に行く前の話を聞いている限りだと料理の経験はないに等しいらしいが、なぜこんなに気負っているのだろうか。

「オッケー」

 カソルはうなずいてじゃがいもとピーラーを手にとって皮を剥き始める。

 向かいではナノとエルレイが組んで調理にあたっていた。ナノは包丁を使って手際よくにんじんの皮を剥いている。一方のエルレイはそれをふんぞり返ってながめていた。

「エルレイくんもちゃんとやってよ」

「ふん、俺のような人間が料理などという下働きで手を汚す必要はない」

 エルレイが「下働き」と言った瞬間、ナノの眉がぴくりと動いた。

「刺されたいの?」

「……視線が包丁より鋭いぞ、フリアス」

 やや身をすくめたエルレイはカソルと同様にじゃがいもを手に取った。ナノはふん、と鼻を鳴らして再びにんじんに意識を向ける。

「ねえ、ナノ。はかりってないのかしら」

 そんなナノにハルが尋ねる。ナノは顔を上げて首を傾げた。

「え? なんか計量が必要なものあったっけ」

「なかなか均等に切れなくて……」

 ハルはそう言いながら手元のにんじんのかけらに定規を当てていた。

「測りながら切ってたの!? 気にしすぎだよ!」

「でも均等にしないと味にばらつきが出ちゃわない?」

「そのくらいじゃほとんど変わらないから大丈夫だよ」

 ナノは笑いながら軽く手を振って言うのを、ハルは至って真剣な様子で聞いていた。

「そういうものなのね。じゃあこんな感じでいっか」

 それを聞いたカソルは手に持ったじゃがいもをナノに見せた。

「じゃあこれでもいい?」

 カソルの手においてあったのは、少しでこぼこした白い球体だった。

「それ皮剥いただけだよね!? いや、確かに切らなきゃ味の偏りも何もないけどそれめちゃくちゃ食べにくくないかな!?」

「手で持つにはこれくらいの大きさがあった方が……」

「あああ、カソルくんの食事スタイル忘れてた! 確かに意外と合理的かもしれない!」

 りんごでもかじるようにじゃがいもにかぶりつくふりをするカソルに、ナノは眉間のあたりを指でつまんで懊悩した。

「でもせっかくの調理実習だから切ってみるのもいいんじゃないかと思うよ?」

 ナノは苦笑して頬をかきつつ諭すように言う。

「それもそうだね」

「あ、あと芽はちゃんととらないとだめだよ?」

「目? じゃがいもに目があるの?」

 カソルは手の上のじゃがいもをなめなわすようにながめる。

「うん、そのボコってへこんでるところ」

「へえ、土の中にできるのに目があるんだ。しかもこんなに」

「うん? 地中だから芽が出るんじゃない?」

「出る? 目が飛び出すの? 結構ホラーだね」

「飛び出すってほどの勢いはないと思うけど……」

「でも土の中じゃ目があっても何も見えなくない?」

 カソルがそう言った瞬間、ナノの動きが止まった。三度まばたきする間無言で考え込んだあと、何かに思い至ったように目を見開いた。

「目じゃないよ!? 芽だよ!?」

「…………?」

 カソルが無言で混乱の眼差しを向けると、ナノは自分の突っ込みの不備に気がつき慌てて言い直す。

「あ、ごめん。ものを見るための目じゃなくて植物の芽って意味ね」

「……ああ、芽ね。なるほど、なんかおかしいと思った」

「うん、私も話が噛み合わないなって思ってたけど……。それが全部目だって想像したらあんまりじゃがいも食べたくなくなってきちゃった」

 普通に考えればわかりそうなものだが、なまじ料理に関して門外漢の自覚が強いだけに疑ってみるというプロセスが欠けてしまったようだ。

「あ痛っ」

 とそんな不毛なやり取りをしている隣で、ハルが小さな悲鳴を上げた。

 見ればまな板の上に小さな血溜まりができていた。ハルは切ったと思われる左手の人差し指を右手で握るように押さえている。血の量からしてかなり深めに切ったと見える。

「だ、大丈夫!?」

 それを見たナノが大慌てでテーブルを回り込んで駆け寄った。ハルは笑顔でうなずく。

「大丈夫、もう治ったから」

「それならよかっ……って、治った?」

 安堵に胸をなでおろしたのもつかの間、すぐにハルの言葉への疑問で眉を寄せた。ハルは傷一つない指の腹をナノの顔の前に差し出す。

「うん。ほら、聖法で」

「そんな気軽に使っていいんだ、聖法!」

 心配の反動もあってか、半ばずっこけて驚きを露わにするナノ。

「怪我は緊急時に備えてすぐ治すようにしてるの。ささいな傷で気が散ったりすることってあると思うし」

「う、うん……言われてみれば納得だけどなんか、うん、こんな日常的な場面で聖法使うところ見るとは思わなかったから、不思議な感じというか……」

 まだ目の前で起きたことを受け止めきれていない様子のナノは、そう言って腕を組み低く唸った。

 それにしても調理実習中に聖法を使ったのは、ハルが王国史上初なのではないだろうか。

「でもこのにんじんは使えないわね」

 ハルがまな板の上で薄く血に浸されたにんじんに目をやって肩を落とす。

「え、なんで?」

 カソルは驚いて尋ねる。その反応に今度はハルが目を丸くした。

「いや、だって人の血が染みたにんじんなんて汚くて嫌でしょ?」

「僕は別に気にしないけど。ハルのなら汚いなんて思わないし」

「えっ……そ、そう?」

 なぜか顔を赤らめてうつむき、ちらちらとカソルの様子を窺うに視線をやるハル。カソルは不思議に思いながらも続ける。

「山の中じゃ動物魔獣の血がついたままの手で食事とか普通だったから」

「比較対象は魔獣ですか、そうですか!」

 ハルは頬に差した朱を一瞬で引かせて鋭い怒りの声を上げる。カソルはますますわけがわからなくなり首を傾けるしかなかった。

「なんか悪いこと言った?」

「悪いのは私のバカになった頭だから気にしないで!」

 気にしないでと怒鳴られて気にせずにいるというのもなかなか難しいものだが、ともかくこれ以上つついて苛立ちを煽っても仕方ない。黙って作業に戻ろう。

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