第27話 山菜採集実習

六月七日(水)


 快晴の朝。カソルは寮の食堂でベーコンを右手でぶらさげ口に運んでいた。

「手ベタベタしない?」

 ハルがジャムの塗られたトーストをかじりながら何の気なしに言う。

「そりゃするけど、洗えばいいだけだし」

 言いながらドレッシングのかかったサラダも手づかみで食べる。

「そっちの方がいいって言うんならいいんだけど……できたら食器も使えるようになってほしいわ。一応付き人っていう体なんだし」

「考えとくよ」

 それはそれで一つの街に住む人間の文化だと言えるだろう。そういう意味では、細かいマナーなんかはいいとしてもとりあえず実践してみるのも面白いかもしれない。

「ところでこれ、何かわかる?」

 ハルがプレートの一角に据えられた、一口サイズにカットされた果物のようなものを指して言った。カソルは顔を近づけて検分してみる。

「おお、珍しいね」

「知ってるの?」

「うん、こっちでなんて呼ばれてるかは知らないけど栄養価の高い果物だよ。これ一つ食べれば一日何も食べないでも十分活動できる」

「へえ。それならなんで普及しないのかしら」

不思議そうにフォークで果物をつつくハル。問われたカソルはそれを口にしたときのことを思い返して顔をしかめた。

「苦いんだよね、それ。死ぬほど」

「……そんなに?」

 それを見たハルが少し怖気づくように聞き返す。

「まあ食べてみるといいよ」

 言われたハルは恐る恐る果物にフォークを刺し、口元に持っていく。そして意を決したように口の中に入れると、途端に青くなった。

「うっ……」

 えずきながらもなんとか咀嚼しコップの中の水で喉の奥に流し込む。

「なにこれぇ……」

 やや涙目になりつつ、べーっと舌を出した。

「ね?」

「チャレンジャー定食って書いてあったけど、そういうことだったのね。こんなの人の食べ物じゃないわ……」

 そう言って口直しするようにソーセージを頬張るハル。

「他の動物が食べてるのも見たことないけどね」

「チャレンジっていうか罰ゲームね……」


 十分後、ハルのプレートの上には例の果物だけが残っていた。

「どうするの?」

「そりゃ……食べるしかないじゃない」

「残したら?」

 ハルは勢いよく首を横に振った。

「そんなのだめよ。みっともない」

 カソルは手についていたパンのかすをプレートの上で払い落としながら苦笑した。

「さすが、理想の追求には手を抜かないね」

「理想っていうか……なんか食べなきゃ負けたみたいで癪なのよ」

「まさにチャレンジャー定食」

「まったくね。手強いチャンピオンだわ」

 ため息をつきながらフォークを手に取った。ごくりと喉を鳴らして深呼吸する。しかしそのまま果物を見つめたまま動かない。

 やがて果物から視線を外したかと思うと、結局上げた手を下ろしてしまった。

「……魔術でどうにかなったりしないかしら」

「さあ? 僕はやったことないけど。試してみたら?」

 ハルがポケットから杖を取り出す。意を決したように大きくうなずくと杖の先を果物に向けて目を閉じ、呼吸を整える。

「……よし」

 くわっと目を開き、手首を使って素早く杖を振る――が、果物やその周辺で何かが起きた気配はない。ハルは黙ってもう一度杖を振る。さらにもう一度、もう一度、もう一度、と繰り返すこと七度。いずれも目に見えるような変化は起きなかった。

「魔術が発動したときにまったく光を発しないってこともあるの?」

「いや、少なくとも僕は知らないね」

「じゃあだめかぁ。しょうがない。おとなしく苦味に耐えましょう」

 生気を失った目で機械のようにフォークを持った手を伸ばす。プレートの手前の虚空に焦点を合わせ、不気味なほど静かに果物を口の中に押し込む。

「……ん?」

 フォークを抜いて口を閉じた瞬間、ハルの目に光が戻る。

「苦くない……っていうか味がしない?」

 不思議そうにもう一切れ口の中に運ぶ。

「あ、少しだけ苦いかも? でも変な感じ。果汁が水みたい」

「成功はしなかったけどまったくの失敗でもないってことなのかな?」

「そうかも。とにかくこれなら余裕で食べられるわ」

 ほっとしたようにスムーズに手を動かしていくハル。果物はすぐにプレートの上から姿を消した。ハルは満足げにうなずいてフォークを置いた。

「ごちそうさま」

「ちなみに魔術使って勝つのはハル的にありなの?」

「もちろんよ。魔獣と戦うときだって魔術の手を借りるんだもの。赤子の手をひねるのに魔術を使うのはどうかと思うけど、今回の相手は手ごわかったから」

 苦味を思い出してか、そう言って口をへの字に曲げた。

「まあ、確かに……。あれを食べきるよりは中型討伐のほうが楽かも」

「でしょ? 使える手段を油断なく、躊躇なく使えるのが本当の強者よ」

 大仰に二度うなずいて席を立つ。カソルもそれに続いた。

 しかし、果物には何も起きた様子がなかったのに味が変化したのはどういうことだろう。


 二時限目。普段なら教室の中で座っている授業中に当たるこの時間、カソルたちのクラスは採集実習で森の中に立っていた。森までの移動時間なども考慮し、採集実習は二時限目と三時限目の二時間を使って行われる。

 生徒たちは森の中の、一部の木々が伐採されてできた小さなスペースに集まってクルランに視線を向けていた。

「はい、それでは先生の足元に注目してください。後ろの方の人は見えなかったらあとで確認しに来てくださいね。これが今日みなさんが探す山菜です」

 クルランはそう言って地面を指差した。そこに生えていたのはどこからどう見ても単なる雑草。一五センチほどの丈の茎に葉が何枚かついているだけだった。食べられないこともないだろうが、山菜と呼ぶにはあまりにも食べがいも滋味もなさそうな植物だった。

「まあ特徴らしい特徴がないので見てもしょうがないかもしれませんが……。これに暴露魔術をかけると」

 クルランが山菜に向けた右手の人差指をくいっと動かした。その途端細長い草はぜんまいに似た山菜の新芽に変わった。

「このように、おいしそうな山菜に変わります。こうした擬態は新芽の時期に限られていて、植物が身を守るために身に付けたものだと考えられています」

 クルランは懐から擬態した状態の山菜を取り出して掲げた。

「それでは早速実習を始めましょう。皆さんが探すのはこの草です。各自、集合時間まで自由に採集に挑戦してみてください。暴露魔術の使い方は以前に実習した通りですが、先生はここで待機してますのでうまくいかないときは相談に来てください」

 生徒たちは思い思いに返事をして散っていく。先生のもとに近寄って擬態した山菜をよく観察する者、早速しゃがみこんで探す者、どこからどう見ても遊び始めようとしてる者など様々だった。

「私たちも行きましょう」

「うん」

 そうして、山菜採りの魔術実習が始まった。


 実習が始まってから二十分ほどが経った。

 カソルは数歩先の雑草に目を留めると暴露魔術をかけた。すると雑草はすぐにかすかな光を放ち始め、それが収まると目当ての山菜が姿を現す。

「なんでそんなにすぐ見つけられるのよ……」

 そういうハルの提げる編みかごに入っている山菜の数はカソルのそれの三分の一ほどだった。しかもそのうちの半分ほどはカソルが見つけて教えたものだった。

「僕は慣れてるから」

 この付近の山や森に自生している植物はだいたい見分けがつく。この山菜も擬態しているときの葉の形さえ覚えられれば誰でもすぐ見つけられるが、クルランの言う通りこれといった特徴があるわけでもないので慣れない人間にはなかなか難しい。

「まあそうよね。こればっかりはあんたと張り合ってもしょうがないか」

 ハルは盛大にため息をついてからまた周囲に視線を巡らせ始める。

「あ、カソルくん、ハルちゃん」

 そんなとき、木陰から姿を現したナノに出くわした。

「おお、ナノもかなり採ってるね」

「えへへ。ときどき料理に使うから」

 ナノのかごに入った山菜はカソルよりも少し少ない程度だった。ナノの方は逆にカソルのかごの中を見て目を丸くする。

「むう……。今日はいいところ見せられるかなって思ったんだけど」

「お互いにほとんど見落としがないとすると、あとは行った場所にどれくらい生えてるかっていう運の勝負になるね」

「運も実力のうちってやつだね」

 そう言って楽しげに笑う。

 気づくと隣に立っていたハルの姿が消えていた。カソルが後ろを振り向いてみると、背中を向けた状態でしゃがみこんでいるハルの姿があった。

「見つかった?」

 カソルが尋ねると同時、ハルは右手に持った杖を振る。そしてため息をつきながら首を横に振った。

「いいえ」

 ハルの返事は妙に不機嫌そうだった。

「どうかした?」

「二人のお邪魔かなって、劣等感でいたたまれなくなっただけよ」

 露骨にすねたような口調で言うハル。カソルは苦笑して肩をすくめた。

「植物の鑑別なんて普段は役にも立たないって」

「そうかもね」

 ハルは意味もなく地面から雑草をむしり取って投げ捨てた。カソルはハルの言いたいことがよくわからず首を傾けた。

「じゃあどうしてそんなにご機嫌斜めなの?」

「私にもよくわかんないの。……いや、わかってるけど受け入れがたいというか」

 ハルの煮え切らない態度にますます困惑を深めるカソル。どう答えていいものやら悩んだまま、ハルの丸まった背中を見つめ続ける。

「え、えっと、私が何か余計なこと言ったとか?」

 ナノがおっかなびっくりといった様子で割って入る。

 ハルはすぐに首を振って小さく息を吐きだすとすっくと立ち上がった。

「ナノのせいなんかじゃないから気にしなくて大丈夫よ。最近なんかどうにも調子がおかしいのよ。ホームシックかしらね」

 ハルは冗談めかして言って笑う。ナノもそれに安心したように微笑んだ。

「あ」

 と、そこであるものを目に留めたカソルが短く声を上げた。

「何?」

「ユメミタケだ」

 答えて木の根元に歩み寄っていく。カソルはそこに生えていた小ぶりなキノコをしゃがみこんで摘み、立ち上がるとハルとナノに見えるように差し出した。

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