第26話 未知の感情
「あ、ありがとうフレイン」
ナノが立ち上がって紙束を受け取り、座卓の上に置く。これを好機と見たカソルは強引にフレインを巻き込んでごまかすことにした。
「そういえばフレインも大活躍だったよね。おかげでみんな助かったなー」
やたらと大仰なカソルの態度と、ハルの我関せずの態度からだいたいの展開を察したようでフレインは眉間にしわを寄せた。
「え、そうなの? あんまり話したがらないのはなんかドジ踏んじゃったからかと思ってたんだけど」
「ドジなんて踏んでませんよ。でも仕事も人並みにしかしてません。……まったく、助けられたのはこっちだってのに」
ぼそっと悪態をついたフレインだったが、残念ながらそれはナノの耳に届いてしまったようだった。
「助けられた? やっぱり何かあったの?」
フレインは自分の軽率さにうんざりするように目を伏せると小さくため息をついた。そしてナノの「やっぱり」という言葉を聞き漏らさなかったようで、自分がくるまでに一体どんな話をしたのかと責めるようにカソルを見つめた。
「いや、まあ、なんでもないんですよ。あはは」
「なんでもないってことないでしょ?」
自家の使用人相手ということもあってか、カソルに尋ねるときよりも幾分強気に詰め寄るナノ。フレインはうろたえて目を泳がせる。
「なんというか、邪竜のやつがちょっと寝返り打ちましてね、潰されそうになったところを二人に引っ張ってもらったっていう感じでして」
「夢遊病とか寝返りとか……その邪竜本当に寝てたか怪しすぎるよ……」
ナノはまるで状況が想像できないといった風にゆるゆると首を振る。フレインはフレインで夢遊病とはなんの話だとでも言いたげに頬を引きつらせていた。
「本当は寝たふりだった、とかない? それでやりすごそうとしてたとか」
「そんな修学旅行の学生みたいな……」
ハルが苦笑して突っ込みを入れる。そこでフレインが割り込むように声を張り上げた。
「そ、それより! 神隠しの資料はいいんですか? お嬢様」
机の上を指差してまたも無理やり話題を転換しようとする。
「そうそう、なんか私も気になってきちゃったしなー」
ハルも白々しい調子で乗っかり、フレインに加勢する。
「あ、そうだよね。そのために来たんだもんね」
素直なナノはそれを難じることなく方針の転換を受け入れた。
なんとか事態が収集できたことにカソルは安堵の息をついた。ナノの純粋な好奇心に追い詰められ、同時に人の都合を優先する人の良さに救われた格好だ。
そんなナノに、急に真面目な顔つきになったフレインが言う。
「その資料の閲覧なんですが……私も同席してもよろしいですか?」
「え、私はいいけど」
ナノはカソルとハルに視線でフレインの申し出に対する意見を求める。
「構わないよ」
「私はなんでも」
返答を受け取ったナノはそれを受け渡すようにフレインを振り返る。
「だって。でも珍しいね。お兄様の方はいいの?」
「はい、むしろ邪魔だからたまにはどこか行けと。その資料の内容で、どうしても少し気になることがありましたので」
「気になること?」
「見ていただければすぐにわかるかと」
それから約一時間、四人で資料を読み込んだ。
資料は一七年前の魔術師の少年の失踪事件に際して過去の「神隠し」との関連を検証するためにまとめられたものらしいが、一六二年前に起きたというの「神隠し」の情報が少なすぎて判断のしようがないという結論でまとめられていた。
「これがその行方不明者の同行者が目撃したっていう『神様』の絵ね」
ハルが指した紙に描かれていたのは白い猿のような動物の図像。少ない当時の資料の中でも重要な手がかりだ。手足は人より長く、体は白い毛に覆われている。注釈として体長が一六五センチ前後であったこと、四足で歩いていたことなどが記述されている。
「百年前の女の人はみんな帰ってきてたんだ」
「でも行方不明になった日からの記憶がごっそりなくなっている、と……」
カソルとナノがそれぞれ同じ資料の別の文を指でなぞりながら言う。
女性たちのほとんどは、姿をくらます前に何か悩みが抱えているような様子はなかったという。少なくとも、夜逃げや失踪につながるようなトラブルは誰にもなかった。それだけに、なんらかの超自然的な力が働いたという見方が有力視されたらしい。
「でも一七年前の人は未だに行方不明のまま、ね」
「神隠しとは関係ない……のかな」
逆に一七年前に失踪した少年は、いろいろと問題を抱えていたようだ。魔術師としては非常に優秀ながら魔獣を信奉する特異思想の持ち主で、魔獣の生命の尊重を叫んでいたという。当然周囲には疎む人間も多く、事件に巻き込まれた可能性も十分にあるという。
「だが、問題はそいつの写真だ」
今まで黙っていたフレインが重い口を開いた。ハルもうなずいて、穴が空きそうなほどにその写真を凝視する。
「……カソルに似てるわよね」
「それだ。俺が気になったのも」
カソルも写真の中の目付きの悪い人物とにらめっこしてみるが、自分自身の顔というものをはっきりと認識したことがないのでよくわからなかった。何しろ、街に出て初めて実物の鏡というものに向き合ったのだ。
「そんなに似てる? 髪の色とかぜんぜん違くない?」
カソルの髪は白。対して写真の少年は烏の濡れ羽のように真っ黒だった。
「ええ、まあこっちの人の方が外れてるねじの数は多そうだけど」
「なんか今、僕もちょっと頭のねじ外れてるみたいな言い方しなかった?」
「気のせいよ」
「ならいいんだけど」
カソルは釈然としないながらもそれ以上は何も言わずまた写真に目を落とす。この少年と自分の間に、何か関係があるのだろうか。
「実はこの人が僕だとか?」
「そしたらあんたもうおじさんでしょうが」
「失敬な。三十半ばはまだおっさんではない」
ハルの発言に過敏に反応したのはフレインだった。
「それはおいといて、とにかく同一人物はあり得ないわ」
「じゃあこの人は一体なんなの?」
「まあ、他人の空似の可能性もあるし……」
手がかりに乏しすぎるために推理のしようもない。全員が押し黙り、静かな部屋の中を時計の針が刻む音だけが等間隔に響いていた。
「この辺で休憩にしよっか。私お茶淹れてくるね」
「お嬢様、私が」
「いいの。自分で淹れたいから」
腰を上げようとしたフレインをたしなめてカソルとハルの方を向く。
「庭で自家栽培してる茶葉があってね、今年は結構いい出来なんだ」
「それじゃあお願いするわ。ありがとう」
「楽しみだね」
カソルが言うと、ナノは嬉しそうに微笑んで小走りで部屋を出ていった。
それを見届けたフレインは、かすかに笑みを浮かべていた。
「どうかした?」
カソルが問うと、フレインは恥ずかしいところを見られたというように顔をしかめて咳払いをした。
「いや、まあ、なんというか」
言いよどむフレインをハルが半眼で見据える。
「ナノに何か不純な感情でも抱いてるんですか?」
「違う! 断じて違う! 俺はむしろ年増好きだ!」
唐突なカミングアウトに静まり返った部屋の中は、体感温度が五度くらい下がっていた。
「カスベルさんには気をつけるよう、ナノのお母さんに言っておくべきかしら」
「それだけはやめてくれ。本当に。洒落にならないから」
「ふふ、冗談ですよ」
愉快そうに口元を押さえるハル。フレインは安堵の息をつくとともに、恨めしそうにハルをにらんだ。
「俺はただ、お嬢様が楽しそうなのを見て嬉しくなったってだけだ」
ぶっきらぼうに、しかし確かな優しさを感じさせる口調でフレインは言った。
「聖法官の家もそうかもしれないがな、この国じゃ名家っていうのはどこも跡継ぎじゃない子供を多少なりとも軽んじるもんだ。それはこの家の場合も例外じゃない」
「さっきナノがお兄様って言ってましたね」
ハルが思い出して指摘する。
「そう。お嬢様は後継ぎじゃない。俺も基本的にはそのお兄様についてるのが仕事だ。旦那様も奥様も忙しい。お嬢様は昔から何かと一人で過ごすことが多かった」
そこまで言ってフレインは過去を思い返すように少し遠い目をした。
「俺がこの家に拾ってもらったのはお嬢様のおかげなんだ。路上生活をしていた俺に情けをかけてくれた。それからまあいろいろあったが、とにかくそれがきっかけだった」
「恩人なんだ」
カソルが言うと、フレインはしみじみとうなずいた。
「そうですね。俺が直接何か返せる機会は少ないですが、お嬢様が幸せなら俺も嬉しい。でもお嬢様はそういう家庭の事情もあったし、家柄のせいで同級生からも文字通り敬遠されてたみたいでしてね。愚痴をこぼしたりこそしませんが、お世辞にも楽しそうとは言えなかった」
「気持ちは少しわかります。私も一日の出来事を思い返してみると自分を褒めてくれた大人に返す謙遜の言葉以外何も話していなかった、なんてざらでしたから」
自嘲気味に語るハルに、フレインは目を伏せて腕を組んだ。
「お嬢様はあれで多分結構な寂しがりだからな。お嬢様にとっては誰かとつながる、親しくなるってことが普通の人間にとってのそれよりずっと得難くて、貴重で、大切なものなんだ。だから……」
そこで少し言いよどんでから思い切ったように続ける。
「だからまあ……俺がこんなこと言うのもおこがましい話だがな。お節介がうっとうしく感じるかもしれないが、できるだけ付き合ってやってほしいっていう俺からの頼みだ」
照れくさそうなフレインは、わざとらしい無愛想な表情を作りながらそう言った。
その姿がなんだか無性におかしくて、カソルとハルは同時に吹き出した。
「言われなくても」
「そのつもりよ」
ナノもハルに負けず劣らず興味深い人間性をしている。自己犠牲、奉仕の精神、そういう人間以外の生物にはない性質を、十分すぎるほどにナノは持っている。頼まれるまでもなくその動向を近くで見守ってみたいと思っている。
ただ、今はそういう興味や好奇心に基づく感情を別にしても同じような結論に至るような気がしている。それはハルに対しても同じで、もしかするとエルレイについても同じことが言えるかもしれない。
その気持ちの正体がなんなのか。それはまだよくわからない。まさか面白い人間を探しに来た学院で、自分の中に未知の感情を見出すことになるとは思ってもみなかった。
「ごめーん、ちょっと開けてくれるー?」
ドア越しにナノの声が聞こえ、カソルが反応して立ち上がった。
ノブを回してドアを開けると、四人分のカップを乗せた木製のプレートに両手を塞がれたナノが慎重な足取りで部屋に入ってきた。
「あ、カソルくんありがとう」
「うん。いい匂いだね」
「でしょ? お代わりもあるから遠慮なく飲んでね」
その言葉の通り、カソルとハルは遠慮も作法もなくナノの入れたお茶を胃の中がたぷたぷになるまで堪能したのだった。
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