第25話 豪邸と再会

  ナノの自宅は、想像通りの豪邸だった。

 敷地面積は学院よりも少し狭いくらい。門をくぐって屋敷の玄関にたどり着くまでに、五〇メートル弱の距離を歩いて庭を横切らなくてはならなかった。

「広い」

 カソルが歩きながら率直な感想を漏らすとナノが笑った

「普段お庭は公園として街の人に使ってもらってるの。家の人だけで使うには広すぎるし」

 屋敷の入り口はこれまた豪奢な意匠を凝らした両開きの扉で、その脇に使用人らしき人が頭を下げながら立っていた。

「おかえりなさいませ、お嬢様」

 そう言って顔を上げた使用人は、カソルとハルを見て驚愕に固まった。

「なっ、お前ら……」

 ハルもその姿を見て何かに気がついたように少し目を見開く。カソルとナノは状況がよくわからないまま二人の反応を見比べている。

「ええと……フレイン・カスベルさん、でしたっけ」

 戸惑いと苦々しさと、少しの畏れの混じった表情の使用人に、ハルが言った。

 カソルは数秒その顔をまじまじ見つめてようやく思い出した。

 そう、今目の前に立っている彼は巨邪竜討伐任務の際しんがりの一端を担い、件のカソルが一人舞台を目撃した魔術師の男だった。

「ああ、あのときの」

 カソルの視線に気づいたフレインは、すぐにばつ悪そうに目を落とした。

 あの任務に参加したということは彼もまた魔術師の中では精鋭中の精鋭であるということだ。それが逃げ帰ろうとした矢先に同じ魔術師が独りで、自らが背を向けた相手を討滅したとあっては、プライドも何もあったものではないだろう。

「しかしハルはよく名前覚えてるね」

「上に立とうという人間には必要なことよ」

 自分に与えられた姓すらうろ覚えのカソルには到底できない芸当だった。

「あ、そっか! 討伐任務で一緒だったんだね!」

 三人の様子に戸惑っていたナノがその接点に気がついて声を上げる。

「その節はお世話になりました」

 悪意のないハルの社交辞令だったが、フレインは苦笑いしてカソルを見た。

「世話になったなんてもんじゃねえんだよな……」

 そう言って上げた顔は無表情を装っていたが複雑な感情がにじんでいた。

 いろいろしがらみがあってと大変そうだ。カソルは同情しつつフレインを見つめていた。

 フレインはその視線を受けながらしばし黙り込んでいたが、やがて何かを振り切るように首を振って大きく息をついた。

 そして真面目な面持ちになって背筋を伸ばすと、カソルに向き直ってまっすぐな視線を注いだ。

「改めてお礼を言わせてください」

「え?」

「きちんとお礼を言えずじまいだったことが気になってました」

 出会い頭に「お前ら」呼ばわりしてきた相手からいきなりかしこまられ戸惑うカソル。しかしフレインはさらに頭まで下げて続けた。

「ありがとうございました」

 一瞬の間のあと、カソルは首を傾げてまばたきを繰り返した。

「どうしたの、急に?」

 それにフレインは苦笑しつつ肩をすくめた。

「これでも礼節はわきまえた人間だということです」

 フレインは自分に言い聞かせるように訥々と続ける。

「あなたにきちんと礼を言える人間はほんの数人しかいない。なのに小さなプライドに拘泥して、その大きな功績から目を背けたり、然るべき態度を取らなかったりしてはそれこそ魔術師の名折れですから」

 そう言い切ったフレインの表情には、憑き物が落ちたような晴れやかさが微かに感じられた。それもまた彼の裏切り難いプライドの産物だったのだろう。

「大きな功績?」

 そんな中で放たれたナノの無邪気な問いに、その場にいた全員が固まった。

 フレインのこめかみに冷や汗が伝う。カソルは他人事のようにそれを見つめている。ハルは盛大にため息をついてゆるゆると首を横に振った。

「いやっ、その……ですね! 功績……じゃなくて――」

「じゃなくて?」

「鉱石です、鉱石」

「鉱石? 石の方?」

「は、はい、そうです」

「鉱石がどうしたの? なんでカソルくんに対して急に腰低くなったの?」

「えっ、あー、いや、それは……」

 回遊魚のようにせわしなく視線をさまよわせながら、半開きの口から歯切れの悪い言い訳を紡ぐフレイン。

「そう、大きい希少な鉱石を彼が見つけましてね。それを譲ってもらいまして、ええ。それに感謝の意を……」

「え? 何それ」

 ナノは明らかに釈然としない様子。カソルは笑うのをこらえるのに必至だった。ごまかしの下手さは自分といい勝負だ。礼儀にこだわったりする辺り、よくも悪くも馬鹿正直というか不器用なのだろう。

「そ、それよりいつまでも外に突っ立っていては風邪を引きますよ、お嬢様」

「もう初夏だけど」

「…………」

 フレインが真顔で黙り込んだ。フレインの背後で吹いたからっ風だけが冬を感じさせた。

「まあでも確かに、お客様をいつまでもこんなところに立たせとくのがよくないのは確かだよね」

 そう言って少し申し訳なさそうにカソルとハルの方を向く。

「じゃあ私の部屋行こっか。……っと、そうだ。あとで神隠し関連の資料よろしくね、フレイン」

「かしこまりました」

 フレインは小さく会釈して安堵の息をついた。


 ナノの部屋に案内されたカソルとハルは、クッションの上に座って座卓を囲んでいた。

「資料はすぐ持ってきてくれると思うからちょっと待っててね」

 カソルはうなずいて室内をぐるりとながめた。

「意外と普通の部屋だね」

「うん、もともとはもっと無駄に広い部屋だったんだけど、なんか落ち着かなくて小さめの部屋に変えてもらったの」

 ベッドと勉強机、本棚、タンスにクローゼットと、他に雑貨がいくつかという感じで、屋敷全体の大きさに比べると大きさも内装もこじんまりとしていた。

「ところでなんだけど……」

 ナノは内緒話でもするように顔を寄せて小声で言う。

「討伐任務のときのフレインってどんな感じだった? うちではすっごい無愛想なんだけど」

「ほとんどしゃべってないからわからないわね」

 ハルが答えるとナノが苦笑した。

「そりゃそうだよね。遊びに行ったわけじゃないんだし」

 それから悩むように腕を組んでうなった。

「なんていうかフレインってルール破るのとか嫌いだし、出された指示には絶対従うけどその分融通が聞かなくて困るんだよね」

 困るとはいっていたが表情は優しげで、堅物の使用人に確かな信頼を寄せていることの窺える口ぶりだった。

「討伐任務自体はどうだったの? なんでかわからないけどフレインに聞いてもあんまり話してくれなくて」

 ナノが興味津々という様子で聞いてくる。任務の詳細は何から何まで機密事項になってしまっている。ハルは余計なことは言うなと牽制するようにカソルに視線をやってから、曖昧に笑って答えた。

「そんなに特筆するようなこともなかったから。カスベルさんも話そうにも話すようなネタがないんだと思うわ」

「そりゃ普段から前線で戦ってる人たちには日常かもしれないけど、私みたいな一般人にしてみればその当たり前を聞かせてもらえるだけでも面白いんだよ」

 眉尻を垂らし、子供が絵本を読む母親に続きを乞うように言う。

「聖女様がとどめを刺したんでしょ? かっこよかった?」

 今度はカソルの方を向いて尋ねる。カソルは視線で圧力をかけてくるナノに、「わかっている」と一瞬のアイコンタクトで応じる。

 邪竜を倒したのは聖女だというのが国と聖法協会による公式な報告の趣旨。それにそぐわないようなことを言わなければいいだけの話だ。

「それはもう。荒れ狂う邪竜の懐に颯爽と飛び込んでグサッと」

 ナノはそれを聞いてまばたきを繰り返した。

「あ、荒れ狂う……? 今回の任務って休眠中の邪竜が相手なんじゃなかったの?」

 ためらいがちに指摘すると、室内が静まり返った。

 無言で顔を見合わせるカソルとハル。

 そういえばそうだった。すっかり失念していたが、確かそういうことになっていたという記憶はある。余計な文飾はしなければよかった。

「あ、荒れ狂うなんて大げさね。眠ったままちょっと動いただけじゃない」

「そうそう。起きてはいなかったよ。うん、夢遊病的な」

「怖っ! 巨邪竜の夢遊病とか近所迷惑じゃ済まないよ!?」

 カソルとハルは揃ってははは、と乾いた笑いを漏らす。

「カソルくんはどんな役割だったの? やっぱり前線でガンガン戦ってたの?」

 不意打ちで核心を突く質問が放たれ、二人の間に緊張が走った。

 邪竜を討伐した張本人です、などと名乗り出るわけにもいかない。カソルは慎重に、必要最低限の言葉だけを使って答えることにした。

「いや何も」

「何もって……同行したからには何か招集された理由があったんでしょ?」

「まあ」

 要領を得ないカソルの回答に、ナノの頭上の疑問符が増えていく。結果として無駄にナノの疑問や関心を煽る形になってしまったようだ。ハルがまたしてもカソルを睥睨する。

 ぶっきらぼう作戦は失敗に終わったらしい。だからといってどうすればいいのかはよくわからない。もう成り行きに任せることにしよう。

「なんかトラブルがあったの?」

「そんなところかな。とにかく僕はただのお荷物だった。帰りも無様に血吐きながらハルにおぶわれてたくらいだし」

「血!?」

 身を乗り出して聞き返してきたナノの姿に、カソルは自分の失言を自覚した。立て続けの失態に困憊した様子のハルは眉間の皺を伸ばしつつため息をついた。

「と、討伐って言っても動かない邪竜の心臓を探して倒すだけなんだよね? どうして人が、それもカソルくんが怪我するようなことになっちゃったの?」

 ナノはカソルが中型魔獣を撃破するところをその目で見ている。そのカソルが血を吐くという事態が尋常ならざる状況であると推察するのは、自然かつ当然だった。

「あー、いや、怪我したとかじゃなくて……」

「違うの?」

「うーん、なんというか、その……ほら、興奮すると出ちゃうじゃん、血」

「口から!? 鼻からじゃなくて!?」

「口も鼻も同じようなものじゃない?」

「絶対違うよ! それなんかの病気じゃないの!?」

 ナノに本気で心配の眼差しを向けられて罪悪感で少し胸が痛んだカソルは、視線でハルに事態収集のための妙案を求める。しかしハルは何も言わず、諦念の果てに悟りを開いたかのような穏やかな瞳で見つめ返してくるだけだった。

「……まあ、うん、王城の医務室で見てもらったし大丈夫だよ」

「そうなの? それなら大丈夫なのかもしれないけど……」

 なおも怪訝なナノの視線から逃れるための救いの手は、意外にも部屋の外から差し伸べられた。

 小気味よいノックの音が鳴り、ナノがそれに応じるとフレインが紙の束を片手に握って部屋に入ってきた。

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