第23話 安全な図書館

「それで……ナノの家に行く約束ってなんのこと?」

 落ち着きを取り戻した教室で、カソルはナノに尋ねた。

「えっ、あ、いや……その……」

 ナノは顔を赤くして目をそらした。

「なんていうか、カソルくんにあの人についていってほしくなくて……」

「ああ、そういう。僕に向こうに肩入れされると困るって話ね」

 ナノはカソルが王国にとっての重要人物であることをある程度知っている。カソルが聖法協会側と接近すれば、その分だけ協会が力を増すことになる。ナノもまた魔術師の名家の一員だ。そういう部分は気にするだろう。

 しかしナノは意外そうに首を横に振った。

「いやいや、そんな難しいこと考えてないよ」

「うん? じゃあなんで?」

「だって……」

 それだけ言ってナノが固まった。

「だって?」

 促すようにカソルが言うと、ナノは再び頬を染めてうつむいた。

「……な、なんでもない」

「え、どういうこと?」

「な、なんでもないの。なんとなく、ただなんとなく止めたかっただけだから」

 手を振り首を振り、それ以上の追及を断固として拒否する姿勢を明確にするナノ。

 確かにとっさのことで何かはっきりとした意志のもとに発言したというような状況ではなかったかもしれない。しかしやはり「なんとなく」というの無意識に覚えた危機感が突き動かした結果ということなのではないだろうか。

「そ、それよりさ、よかったら本当に今からうちに来ない?」

 カソルが独り合点していると、ナノはその隙に露骨に話題と表情の切り替えを図る。

「今から?」

「うん、もちろんハルちゃんも一緒に」

 ナノはカソルの少し後ろに控えていたハルにも視線を投げた。

「そんな突然、いいの?」

 ハルは常識人らしくそんな問いで返した。

「大丈夫大丈夫! ほら、カソルくんが神隠しの話気になるって言ってたでしょ。うちにまとまった資料があるから興味があるならどうかなって」

 ハルはカソルの意思を確認するように視線をやった。

「せっかくだし見せてもらおうかな」

「じゃあお言葉に甘えましょうか。あ、でもごめん。その前に図書館に寄ってもいい?」

 それを聞いたカソルは驚きとともに首を傾げた。

「図書館? この学校にも図書館があるの?」

 その質問の意図を測りかねたハルとナノは顔を見合わせた。

「図書館なんてここに限らずどこの学校にもあるわよ」

「そっか。学びの場だもんね。それもそうだ」

 カソルが独り納得する一方で、ハルとナノはカソルの反応に若干の違和感を拭いきれないまま、三人は教室を出て一路図書館に向かった。


「へえ、これが図書館なんだ」

 校舎の裏手には、それなりの広さを持った裏庭のようななスペースがある。その校舎から見て左手に校舎とは別に二階建ての建物があった。ナノはそれを指して図書館だとカソルに案内した。

 ナノが興味津々といった顔をハルに向ける。

「何か本借りるの?」

「ええ、ほら、明日調理実習と採集実習があるでしょ。料理の勉強しようと思って」

 明日は魔術実習の一環として森の中で山菜の採集が行われる。その山菜というのが、別の食用に適さない草に魔力を使って擬態する草で、暴露魔術を用いてそれを見つけ出すというのが実習の内容だ。

 そのあとには家庭科の授業が連続して行われ、その山菜を使ってポトフを作る調理実習が行われる。

「おお、勉強熱心だね」

「ええ。あまり自信はないんだけど」

 と言いつつなぜかカソルの方をちらりと見やった。カソルは首を傾げる。

「私も手伝えることは手伝うよ」

 曇りのないナノの笑顔を前に、ハルは少し複雑そうに微笑んだ。

「あ、ありがとう。でもやっぱり授業である以上、自分の力でやった方がいいかなって思うから。私なりにいろいろ調べてみようと思うの」

「なるほど。じゃあ私も明日は余計な口出ししないようにするね」

 ナノは真面目な顔で口の前に指でばってんマークを作って言った。

 そんな二人のやり取りを傍目に、カソルは屈伸、伸脚と念入りに準備運動をしていた。

 ハルはそれを白眼視しつつ、ナノとカソルを先導するように図書館の入口のドアを押した。カソルはそれに続いて館内に足を踏み入れる。

 そして静謐な空気に触れると同時、立ち止まって訝しげに目を見開いた。

「……なんでこんなに静かなの?」

 困惑してハルに問いかける。ハルは頭痛をこらえるように額を押さえながらため息をついた。

「うん、なんかそんな気はしてたわ」

「そんな気って?」

「とりあえずあんたの知ってる『図書館』っていうのがなんなのか、私の耳元で教えてくれないかしら」

 カソルは言われた通りハルの横顔に口を寄せて囁く。

「書物から得た知識を随時活用しつつ出現する魔獣を掃討していく訓練施設」

 耳元から離れてから見てみたハルの顔は、眉間に深いしわを刻んでいた。

 カソルがアスカトラに閉じ込められていた例の空間を、アスカトラは「図書館」と呼んでいた。学校の施設がそこまで悪辣なものだとは思っていなかったが、どうやら根本から話が違うらしい。

「ええと、なんていうか……あんた想像以上に大変な経験してきたのね」

「そう? 閉じ込められてたのは最悪だけど食べられる動物もいたし、気配が近づいてくるのを感じられるようになればある程度睡眠も取れるし大変ってこともないよ」

「二四時間営業なのね……。ごめんなさい。想像力が足りてなかったわ」

 ハルはもう一度息をついて眉間を指で伸ばし、思い出したようにナノを見た。

「あ、ごめんね。密談みたいなことしちゃって」

「ううん! 気にしないで。うっかり余計なこと聞いて二人に迷惑かけたくないし」

 ナノは逆に恐縮してぶんぶん首を振る。

 カソルはそんなナノとハルを交互に見やるようにまた小首をかしげた。

「それで、図書館って本当はなんなの?」

 事情を知らなければ頓珍漢にも聞こえるカソルの問いに、なんとなく状況を察したナノが馬鹿にするでもからかうでもなく丁寧な口調で答える。

「本を読んで楽しんだり、勉強したりする場所だよ」 

「そう、静かに本を読むだけ。その先のことは何もしない。普通、その場で実践することはないしマナー的にもしちゃだめだからね」

 カソルは納得して鼻から息を漏らした。

「そういうことね。確かに知識を吸収するだけなら雑音がない方がいい」

 アスカトラの「図書館」は宙を漂ったりそこら中に積まれていたりする書物をその場で紐解き、迫り来る魔獣への打開策を見出していくという荒っぽい仕組みだった。

 心身を追い込むことで効率は最大化されたかもしれないが、確実性と安全性に欠けていたのは間違いないだろう。

「あ、私も本返さなきゃいけないんだった。ちょっと行ってくるね」

 ナノはポンと手を打ってそう言うと、二人を置いてカウンターの方に向かった。

「じゃあ、ちゃちゃっと済ませちゃいましょうか」

 近くにあった案内図を確認し、植物関連の書籍の棚に目星をつけて向かう。

 放課後になったばかりということで、まだ館内には他の生徒はほとんど見当たらなかった。古びた書物が放つ独特の匂いをかき分けて歩いていく。

 そんな中、カソルは壁際のとある棚の前を歩いていたところで微細な違和感にとらわれて足を止めた。

「どうしたの?」

 カソルは答えずに床に敷き詰められた木製の正方形のタイルを見つめる。そして足で何度か踏み鳴らすように軽く叩いてからしゃがみこんだ。

「隙間がある」

「隙間?」

 カソルはタイルとタイルの継ぎ目にあるわずかな隙間に爪を差し込み、そのまま引き上げるように手を持ち上げた。

 すると、その下からびっしりと文字の刻まれた石版めいたものが姿を現した。使われているのは古代文字で、文章は全部で十一行。最後の行にはゼロから九までの数字が並んでおり、それらはそれぞれ四角で囲われていてボタンのようにも見えた。

「これ……なんて書いてあるの?」

「えー、『魔鹿の数と肝臓の数を足すと?』、『魔狼の牙の数を爪の数で割ると?』って感じの問題が十個ある感じ」

「下の数字の部分を押して答えろってこと?」

「そうかも。やってみようか」

 ハルは呆れに眉を垂らしてため息をつく。

「厄介ごとに巻き込まれそうだからそうだからやめて……って言ってもやるのよね?」

「まあね」

 カソルは言いながらボタンを押していく。

「パスワードにしては問題が簡単そうに見えるけど」

「うーん、わかる人には確かに簡単だけど、魔獣を知らないと意外と間違えやすい問題ばっかりだよ」

「そうなの?」

「例えば魔鹿の角なんてぱっと見では二本だけど、その間にも二つこぶみたいな角があるから本当は四つ。肝臓は普通に一つだから答えは五」

「へえ……って、そんなマニアックな問題がパスワードになってるってなると、面倒ごとの匂いがますます強くなってくるんだけど……」

 頭を抱えるハルを尻目に、カソルは最後の一問の回答である「一」のボタンへと人差し指を伸ばす。

「ほいっと」

 直後、本棚がガコンという音を立ててからその場で回転を始めた。本棚はぴったり九〇度回ったところで静かに停止する。

 その裏にある壁には、何かの入り口のような空洞が存在していた。図書館内の明かりが差し込んでいるはずなのに、中はほんのわずかばかりも見通すことができなかった。

 カソルは左手をその闇の中に差し入れ、一度指を鳴らした。

「む」

 しかし音は鳴らず、発動したはずの光源魔術もその効果を現さなかった。

「え、どうしたの?」

 嫌な予感にこわばった顔で尋ねるハル。カソルが暗闇から腕を引き抜くと、その人差し指には確かにまばゆい光が宿っていた。

「かなり高度な遮断魔術だ。光も音も伝わらない」

 ハルが身震いして生唾を飲み込んだ。

「ま、まさか入るとか言わないわよね?」

「……逆に聞くけど、入らないって言うと思う?」

「無理! 無理無理! 絶対嫌よ、そんな究極の暗闇!」

 震える声で恥も外聞もなくちぎれるほど首を振って拒絶する。それ自体はカソルにも予想できた。しかし鎌首をもたげた好奇心はそう簡単に引いてくれない。

「その鞄を抱いたりしてもだめ?」

「これ?」

 カソルがハルの右手に提げられたバッグを指すと、ハルがそれを持ち上げる。

「うーん、ちょっと小さいわね。最低でもほっぺたを押し付けることができて、おへそを隠せるくらいの大きさがないと厳しいわ」

「じゃあ部屋からぬいぐるみ持ってくる?」

「最悪それしかないけど、あれを持ってここまで歩き回るとか一生ものの生き恥ね……」

「僕がここまで運んでもいいけど」

「巨大なくまのぬいぐるみ抱きしめた男子を付き人として連れて歩くっていうのも、それはそれでちょっと……。魔術じゃどうにもできないの?」

「できないことはないと思うけど、結構ごっそり魔力持っていかれそうだから嫌だな」

「そんなに……。やっぱりなんかやばいやつなんじゃないの、これ」

 完全な暗黒を前にすでに恐怖に取り憑かれているのか、頬を引きつらせただけの出来の悪い作り笑いを浮かべて弱気な発言をする。

「じゃあこの辺にあるもので……本棚とか」

「そんな怪物じみた腕力ないわよ」

 ハルは憮然としてそう言い、鳥肌の立ったしなやかな細腕をそっとさすった。

 とりあえず深く考えずに今視界に入っているものを挙げてみたが、確かに到底現実的ではない。仮に持ち上げられても中に何があるかわからない以上、身動きの大幅な制限は避けるべきだろう。

 カソルは何か妙案がないか思考を巡らせるべく、腕を組んで目を伏せた。

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