第21話 「あーん」と羞恥心

「では尋常に……」

 カソルに促されたナノは、器用に具材のバランスよくマカロニサラダをフォークで刺して、カソルの口元に運んでいく。

「はい、あーん」

「あーん」

 言われるままに口を開けてフォークを口の中に迎え入れる。きゅうりのみずみずしい食感とマカロニのもちっとした歯ごたえが、節度を保ちつつ口の中でそれぞれ主張する。味付けは比較的薄めできゅうりの風味が確かにそれと感じられる。

「うん、絶妙」

「本当? 男の子は濃い味付けの方が好きなのかなって迷ったんだけど、失敗したら嫌だからいつもどおりにしたの」

「助かるね。あんまり調味料がゴテゴテしてるのに慣れてなくてさ。王城で食べた料理も、すごいのはわかるんだけどなんか舌がひりひりしちゃってどうにも」

「お、お城の料理ね……比べられるのが恐れ多いような、光栄なような……」

 ナノは苦笑いして小さくなり、ハルは素性のバレかねないワードを気軽に口にしたカソルを、釘を差すようににらんだ。

「ああ、ごめん。うかつだった」

「わ、私はその辺までは聞いてるわけだし大丈夫だよ、セーフ」

 ナノが胸の前で交差させた手を小さく広げてみせる。

「今後は気をつけるから。ミートボールもらっていい?」

「あ、うん。はい、どうぞ」

 手際よく差し出されたフォークの先に刺さったミートボールにかぶりつく。かかっているあんの、酢の味が基本の優しい味。肉の塊を奥歯で噛み潰すとシャキッとしたこぶりな歯ごたえをいくつか感じた。

「ん……れんこん?」

「そうだよ。一応特製のレシピなの」

「うん、うん……おいしい」

「れんこんは昨日行った林の方にある池で採ったやつなの」

「自然食品万歳だね」

 人差し指を立ててもう一つ催促すると、あうんの呼吸でナノの手が動く。口内のものを飲み込んですぐに再び口を開けた。

 咀嚼するカソルは正面からの視線を感じて顔を上げる。

 ハルが感情を失った瞳で瞬きもせずカソルとナノの様子をながめていた。カソルは首を傾け、仕草で「どうかした?」と問う。

「いや、別に……なんか蚊帳の外っていうか、私ここで何してるんだろうっていうか、私は何者でどこに向かうんだろう、みたいな……」

「哲学的だね」

「単なる現実逃避よ。とりあえずすっごく死にたいわ」

 覇気のない声で言ってレタスのはみ出たサンドイッチを頬張った。

 見ているだけで死ぬほど恥ずかしいとでも言うのだろうか。むしろ見ている方が恥ずかしいということもあるのだろうか。よくわからない。

「じゃあこっちも主食を」

「あ、うん」

 ナノはうなずいてフォークにスパゲティを巻きつけていく。カソルはその手つきを、感嘆しながら見つめていた。

「じっと見られるとなんか照れるね」

「うまいなーって」

「これくらいは誰でもできるよ。カソルくんだって練習すればすぐだって」

 言いながらスパゲティの絡んだフォークを持ち上げる。迎えに行くように首を伸ばして麺を口に含む。オリーブオイルの香りが鼻孔をくすぐった。

「なんかすっごくモチモチだね。歯ざわりがいい」

「実は手打ちなんだ。そのマカロニもなんだけど」

 弁当箱のサラダの中のマカロニを指で示しながら言う。

「へえ……」

 自分から得意だと言うだけのことはある。カソルは素直に感心して唸った。

 ナノはそんなカソルの態度をどう受け取ったのか、不安げに眉を垂らして耳の横で髪の毛をいじり始めた。

「な、なんか……重すぎかな?」

 自問するようにつぶやいたかと思うと、左手を自分の額にやってため息をついた。

「うん、冷静に考えると重いね、これ。全部手作りな上に張り切ってパスタまで手打ちしてくるとかいきなり赤の他人にされたら引くよ、普通」

 ナノの顔が急に少し青くなり、沼に引きずり込まれるように肩を落としてしまう。

「なんでこう、思いつきに従ってノンブレーキで突っ走っちゃうんだろうなぁ……」

 突然の気落ちについていけずおし黙っていたカソルは、当惑して頬をかいた。落ち込む人間にはどういう言葉をかければいいのか。やはりよくわからない。

 とりあえず、自分に向けられたナノのつむじに向かって思った通りのことを口にしてみることにした。

「別にいいんじゃない?」

「え?」

「確かに手が込みすぎてるかもしれないけど」

「う、うん」

「手打ちパスタのお弁当は普通じゃないかもしれないけど」

「で、ですよねー」

 うなだれて膝の上で両手の指先をつんつんとつつき合わせるナノ。カソルは肩をすくめて自分の顔を右手の人差し指で指し示した。

「でもほら、僕もあんまり普通じゃないし」

 ナノは両眉を上げてきょとんと首を少しだけ傾けた。

「……そういう問題?」

「そういう問題だよ」

「そういう問題かー……うーん」

 大きく息を吐きだすように言い、目をつぶって腕を組む。

「じゃあいっか」

 そして憑き物が落ちたようににっこりと笑う。カソルもつられて少し口元が緩んだ。ナノの態度には裏表がなくて接しやすい。調子がいいときのハルとはまた違った意味で清々しくて面白い。

「……ふん。デレデレしちゃってだらしない」

 一方でのハルはなぜか呪詛を吐くように言って、責めるように細めた目から放たれる針のような視線でカソルを刺してくる。

「怒ってる?」

「別に私が怒る理由ないじゃない」

 と言いつつも唇を尖らせてそっぽを向く。それを見て慌てたのはナノだった。

「ご、ごめんね! あ、あの、ハルちゃんを仲間はずれにしようとかそういうつもりは本当になくてね、ついお弁当食べてもらうことに夢中になっちゃって……」

「あ、いや、本当にナノは何も悪くないから謝らないで!」

 ハルはハルで予想外の謝罪にうろたえ、胸の前で両手を振って弁明する。

「で、でも……」

「ううん、本当に! 悪いのは……悪いのは、うん、私だから本当に気にしないで」

 自己嫌悪にいくらかの戸惑いが混じったような表情で、ゆるゆると首を振る。

 また急に元気がなくなってしまったようだ。ナノの謝罪もハルとしては的外れだったらしい。人の気持ちを理解するのが難しいのは自分に限ったことではないのかもしれない。

 そんなハルの姿を見ていて思いついた。

「ハルにも食べさせてあげていいかな? きっと元気が出る」

 ナノの方を向きつつ弁当を指差す。

「うん、もちろん。ハルちゃんにも食べてみてほしいな」

「じゃあちょっとフォーク貸して」

 元気がないときは肉を食べるのがいい。カソルは受け取ったフォークでミートボールに狙いを定めた。ちょうどこれならフォークの扱いに慣れていなくても刺せそうだった。

「はい。ハルも食べてみなよ」

 柄のさきっぽを持ち、ハルが受け取りやすいよう柄の大部分を空けて差し出す。ミートボールの刺さった先端を目の前に差し出されたハルは、カソルの声に顔を上げて二、三度まばたきをした。

「え? あ、私?」

「うん、おいしいよ」

 ハルはさっと頬を赤らめてから、周りの様子をちらちらと窺った。カソルが不思議に思いながら待っていると、やがて意を決したように喉を鳴らして唾を飲み込んだ。

「そ、それじゃあ……いただきます」

 そう言ったハルは机の上にやや上体を乗り出し、フォークの先のミートボールを口で受け取った。かすかに染まった頬のまま腰を下ろして味わうように顎を動かす。

 そして口の中のものを飲み下すと柔和に微笑んだ。

「すごくおいしい。……うん、ナノもカソルもありがとう」

「口にあってよかったよ」

「僕は関係ない……っていうか、むしろごめん。フォークの出し方悪かったね」

「え? 普通に食べられたけど」

「食べさせてもらうの嫌なんじゃないの? フォークごと渡すつもりだったんだけど」

 カソルが言った途端、ハルの首から上が沸騰した。

「――あ、わ、あ、そういう、こと……」

 ぽかんと空いてうめくような声を発する口からは、湯気が漏れ出してきそうだった。顔を隠すように下を向いたハルは数秒そのままでいたあと、唐突に自分のこめかみを殴り始めた。

「ちょっ、ええっ!?」

 ナノの動揺の声も意に介さず、ガシッガシッと釘でも打ち込むように拳を頭に叩きつけ続ける。

 無理矢理にでも止めようとナノが立ち上がったところでようやく手が止まり、ハルの口から大きなため息の塊が吐き出された。

「だ、大丈夫?」

「自分でもわかんない……」

 両手で顔を覆って頬杖を突く。よほど大きな精神的ダメージを受けたらしい。人に食べさせてもらうのがそこまで恥ずかしかったのだろうか。

 カソルはふと周囲を見回してみた。学食内の視線の実に四割近くがカソルたちのテーブルに集まっていた。今は見ていないがときどき様子を窺っているという者も含めれば、おそらく九割方の生徒の関心が向いているといえるだろう。

「あれフリアス家のやつじゃないの」

「相手誰? 見たことない」

「聖法官の人死にそうなんだけど」

「あの男の子と聖法官の人ができてるんじゃなかったの?」

「三角関係?」

「サインコサイン?」

「それ三角関数」

 耳ざといカソルが簡単に拾い上げた会話の内容はだいたいこんなところ。ここに至ってカソルにもほんの少しだけハルの恥ずかしさの理由に察しがついた。

 食べさせてもらうという行為は幼児期のそれを思わせるもの。未熟は人にとって弱みであり恥だ。それを大勢の前に晒すこと、そしてそんな醜態を晒してもいいと思えるほどの感情を目の前の相手に抱いていることを示すことは、確かに羞恥心を喚起しうる。

 まっとうな感覚を持ち、高すぎる理想を掲げるハルにとっては心穏やかにいられないのは当たり前かもしれない。天才聖法官として高い注目度があればなおのことか。

 逆にカソルの場合は他者の視線に対して特に思うところはない。だから特別恥ずかしいという感情も抱くこともないということだ。

 身をもってその心持ちを理解できないことを、カソルは少し残念に思った。

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