第13話 神隠しの伝承
カソル、ハル、ナノの三人は森を出るため歩きながら言葉をかわしていた。
「そっか、見ちゃったか……」
ハルはつまむように顎に手をやりながら目を伏せた。ナノは申し訳なさそうに肩を落として自分の目を手で覆った。
「ごめんね。目つぶっておけばよかった」
「ううん、もとはといえば肝心なところでのんきに眠ってた私の監督不行き届きだし」
ハルは自分が木の枝に干されていたときの光景を想像してか、眉間にしわの寄った暗い表情でつぶやいて大きなため息をついた。そのまま次善の策を練り始めたのか、腕組みして難しい顔になった。
しばらく黙った歩いていたが、そのうちカソルはハルを挟んだ向こう側を歩くナノから視線を感じて小首をかしげた。
「どうかした?」
カソルが言うと、ナノは背筋を伸ばして両手を振った。
「あ、いえ、その、カソルくんは何者なのかなって思いまして」
「なんで敬語?」
無意識だったらしく、指摘されたナノは片眉を上げてから照れくさそうに笑った。
「いや、ほら、さっきは助かったーっていう安堵感でよくわかってなかったけど、今冷静になって考えたらカソルくんって実はとんでもなく偉い人なんじゃないかなーって」
「偉い?」
「だって魔獣を倒しちゃったんだよ? しかも中型! そんなことができる魔術師なんてアスカトラの伝承でしか聞いたことないし……」
「……ええと」
どう答えていいものか判じあぐねたカソルは、ハルに視線をやって判断を仰ぐ。ハルは渋面のまま唇を噛んで考え込む。
「その話なんだけどね、今日見たことは絶対に誰にも口外しないでほしいの」
「え、どうして?」
ナノが不思議そうにまばたきを繰り返す。
「簡単に言うと、国家機密なのよ、これ」
「……お、お城絡みの話?」
突然出てきた桁違いの規模を示す単語に、にわかに顔をひきつらせるナノ。
「これも言ってよかったのかわからないけど、ナノは悪い人じゃなさそうだしことの重大さを認識してもらった上でお願いした方が穏便に済むと思って」
「そ、それはもちろん。そもそも友だちが秘密って言うなら絶対に言わないし、私が口を滑らせたら国全体の問題になるって知ってたら注意も細心にできるし……って、そっか。国王様は内憂の種を撒きたくないんだね」
言っている途中で大まかな事情を察したようで、ナノは手を打ってうなずいた。やはり聖法官と魔術師の対立は常識的なこととして受け止められているらしい。
「そんなところ。あ、私は全然脅威だとか思ったりしてないからね?」
ハルは聞いてもいないのに食い気味にそんなことを主張する。
「あくまで国王陛下が慎重に慎重を期した結果として決断されたことだから渋々従ってるだけで……。私としてはおおっぴらにした上で、聖法協会として正々堂々対応するべきだと思ってるし……」
カソルを指差してまくしたてるハルに、ナノは頬を緩めた。
「わかるよ。エルレイくんがカソルくんのこと馬鹿にしたときすっごく怒ってたもんね。ハルちゃんはカソルくんのこと、邪魔者じゃなくていいライバルだと思ってるんだ」
「ライバル……」
その言葉にハルは唇を引き結んだ。そのまま少し黙り込んでから自らを鼓舞するように大きく首を縦に振った。
「ええ、そうね。いずれ必ずライバルになるわ」
ハルの妙に真剣で強い意志の感じられる言葉とその言い回しに、ナノは多少の疑問を抱いたようだったがすぐに優しげな微笑みを浮かべてうなずいた。
一連のやり取りを聞いたカソルは肩をすくめて笑った。
「僕は結構ハルが怖いけどね」
「なんですってぇ!?」
カソルを蜂の一刺しのような鋭さで振り返ってにらみつけるハル。
「ほら、そういうの」
言われたハルは我に返って数秒固まると、眉の間のしわを指で伸ばした。
「うぅ……確かに。普段はこんなに感情的にならないんだけど……。実力差を意識しちゃって、心に余裕がなくなってるのかな」
烈火のごとき反論が浴びせられるものと身構えたカソルは、ハルの意外な消沈に肩透かしを食らった。
「だめだよ、カソルくん。怖いとか言っちゃ」
「え?」
予想していなかった方面からの叱責に目を丸くする。
「やんちゃな子なら嬉しいかもだけど、普通、女の子なら多少なりとも傷つくよ」
ナノは微笑みを絶やさぬまま、クラス委員らしさを発揮して諭すように言う。
「ごめん、軽い冗談のつもりで言ったんだけど」
カソルが素直に謝ると、ハルは苦笑して力なく手を振った。
「いや、そんな真面目に謝るようなことじゃないからいいわよ。本当のことだし……自分でもなんでこんな妙に落ち込んでるのかよくわかんないし」
ハルが自分で言う通り、見た目にもいい気分でないことはカソルにもよくわかった。
自分の発言がここまでハルを悩ませるものだとは思っていなかった。カソルにとって恐怖は自らを貶める感情でも、他者を中傷するものでもない。カソルの経験させられた弱肉強食の生態系の中にあっては、それは自らを守り、相手の尊厳を守るものだった。
「念のため誤解のないように改めて言っておくけど、君が本気で恐ろしいやつだと思ってるわけじゃなくて……ああいや、かといって別に取るに足らない相手だってことでもなくて……」
どう釈明すればいいものか。何を言ってもそこにハルを余計に怒らせるような要素がある気がしてならない。
自分はどんなものであっても迷いなく壊せるし殺せる。しかし、あえて魔獣以外の何かや誰かを傷つけたいとは思わない。それがハルのような、そのあり方に好ましい印象を持っている相手ならなおさらだった。
「……ああでも、やっぱり実際のところ怖いっていう気持ちはあるんだよね。いや、いい意味で、いい意味でだよ?」
言葉を区切り、眉を寄せて唸る。
「なんかこう、ハルは放っておいたらどこまでも行っちゃいそうな感じがするっていうか、普通の人間が選べない道でも堂々と進んでいけそうな、そういうワクワクする危うさみたいな……」
「――ぷふっ」
目を伏せながら腕を組み、頭の中で慎重に発する言葉を吟味していたカソルはハルの吹き出すような笑い声で現実に引き戻された。
「どうしたの?」
「いえ、ごめんなさい。あんたのそんな顔、初めて見たから」
カソルは無意識に自分の頬に手を当てた。
「どんな顔?」
「うん。なんていうか、普段の斜に構えた感じがない……普通の男子って感じ」
「僕としてはいつも通りのつもりなんだけど」
「ふふ、そうね。でも普通にしてられるはずなんてないのよ。あんたも、私も」
そう言って穏やかに笑うハル。
「よくわからないんだけど」
「ええ、それでいいのよ。本当はちょっと怒ってたけど、面白いものが見られたから許してあげる。だから気にしなくていいわ」
「それでいいならいいんだけど」
どうしてそれほどに気に障ったのか。どうして機嫌が直ったのか。スタートもゴールもどちらも謎のままだ。本当に人の気持ちというものは繊細で難しい。
しかしなんにせよ調子を取り戻してくれたようでよかった。
「あ、そういえばナノはあんなところで何をしてたの?」
ハルが話題を変えてナノに振った。
「なんかお家の人が用があるって探してたみたいよ?」
ナノはばつ悪そうに苦笑いする。
「あ、そうだったんだ。あの、実は今日お母さんの誕生日でね、プレゼント用のお花とか料理に使う食材を採ろうと思って森に入ったらつい奥の方まで来ちゃって……。まあ普段からこっそりこの辺りまでは来てるんだけどね」
「入っちゃ駄目って言われてるんだっけ?」
カソルが尋ねると、ナノが首肯する。
「そう。本当はあんまり森の奥……っていうか山に近づいちゃだめだって話なんだとね。なんか昔この辺りの山で神隠しがあったんだって」
「神隠し?」
聞き返すハルにうなずいて返す。
「百年以上前にね、うちの街に住んでた女の人が何人もいなくなっちゃったんだって」
「女の人だけ?」
「そう。十五人くらいだったかな。そのうちの一人と一緒に山に入った人は無事に帰ってきたんだけどね、その人の話だとほんの一瞬目を話したすきにいなくなってたって」
カソルが首を傾ける。
「ただの遭難じゃないの?」
「はぐれたっていう場所の近くを街の人たちで探してみたけど、人も何も見つからなかったんだよ。それとね、その友達の人が変な魔獣を見たって言うの。真っ白な体毛に覆われた猿みたいだったけど、人と同じくらいの大きさがあったって」
「見たことないね、そんな魔獣」
「そう。誰もそんな魔獣知らないってなって、それであんまり毛並みが美しかったから神様か何かだったんじゃないかって言われるようになったとかなんとか」
「それで神隠し」
「うん、あと十何年か前、私が生まれるちょっと前だったかな。そのときにもうちの街出身で、魔術学院の生徒だった人が山に入ってそのまま帰ってこなかったんだって」
「それも神様の仕業だと?」
「迷信深い人はそう言うけど」
ナノ自身はあまり信じていないのか、笑いながら言って肩をすくめた。
「ちょっと気になるね」
「そう?」
カソルがアスカトラのもとにとらわれていたときアスカトラが拠点としていた場所は、ここからそう遠くない。カソルが何かの実験のサンプルとして捕らえられていたのと同じように、他の誰かを使って何かの実験をしていた可能性も大いに有り得る。
性別における偏りも人為性を感じる。その神隠しに遭った人々も、あの時間のない空間に監禁され何かの実験の材料にされていたのかもしれない。本当にそうだとすれば、十数人もの人間を必要とする実験の目的や内容は少し気になる。
「まあ、そんなわけでみんな独りで森に行くなって言うんだけどね、手付かずの緑って気持ちよくて」
ナノがばつ悪そうに頭に手をやる。カソルは同意の意味を込めて深呼吸した。
「そうだね。森の中は落ち着く」
賛同意見をもらって気分がよくなったのか、ナノはおちゃめに舌を出してみせた。
「それにだめって言われてることをやるドキドキ感が楽しくって」
「ふふ、ナノは意外と悪い子ね」
ハルも愉快そうに笑う。
なるほど、魔術師としての規律や規範を重んじるエルレイやルシスとは到底馬が合わないだろう。カソルは昼間のナノの様子に内心で納得した。
そうこうしているうちに一行は森を抜けていた。日はすっかり落ちて、地平線の彼方に残った短い弧の輪郭が茜色の光を投げるばかりになっていた。
「ナノはこの街に住んでるの?」
民家の立ち並ぶ街並みをながめつつカソルが尋ねる。
「うん、一応うちがこの街を治めてることになってるから」
「そっか。お嬢さんなんだっけ」
「そんな大層なものじゃないんだけど……よし、せっかくだから」
ナノはわざとらしく咳払いをすると、制服のスカートを優雅な仕草でつまんだ。
「カソルくん、ハルちゃんも、今日は本当にありがとうございました」
そう言って左足を後ろに下げると、スカートを軽く持ち上げながら右膝を曲げて丁寧に礼をした。学院の制服が上等なドレスに見えてくるほど優美で様になった所作だった。
ハルとカソルは一瞬見とれてから破顔した。
「いいえ、気にしないで」
「うん。それじゃあまた明日」
二人が言うと、ナノはこんなのは自分の柄じゃないとでも言うようにつまんだスカートを乱雑に払いのけ、明るい笑い声を上げた。
「バイバイ! また明日!」
それだけ言って、ナノは家族の待つ夕暮れの街に駆け出していった。
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