第11話 初めての共同作業と森の魔獣

 約一時間後、ハルとカソルはローラル山脈ふもとの森林を歩いていた。

 街に近く人の手が入っている一帯を抜け、草木の鬱蒼と茂る深部を行く。頭上の木の葉はそれほど密に空を隠しているわけではないが、すでに日は西に傾いており足元は薄暗くなっている。

 魔獣の気配を感じた森。もしかするとそこにナノがいるかもしれない。

 その話をハルにすると、ハルは様子を見に行きたいと言い出した。カソルはカソルで魔獣を狩りたいと思っていたので、一も二もなくその提案に乗ったのだった。

「ねずみの一匹もいないわね」

 注意深く周囲を観察しながら、ハルが言う。

「もともと人里が近いから魔獣は警戒してこの辺りにはこないんだけど、普通の動物はそこら中にいるはずなんだ。とすると、それなりの大きさの魔獣が下りてきてみんな逃げ出したって考えるのが自然かな」

「小型じゃ済まないってことかしらね」

 ハルの緊張感のにじむ声が緑の景色に溶けるように響く。

「遭遇したらすぐに下がっていいから」

「癪だけどそうさせてもらうわ。怖いわけじゃないけど、無謀は愚か者のすることだから。いや、本当に怖いわけじゃ――」

 ハルが言いながら肩をすくめたとき、どこかから小さな爆発音が鳴った。

「あっちだ」

 カソルが反射的に走り出す。ハルも慌ててあとを追った。湿った土に敷かれた落ち葉の絨毯を蹴って走る。慣れない足元のせいもありハルの足の運びは鈍い。

「ちょっと! 速すぎだってば!」

 一歩一歩、重力を無視して前へ跳躍するように駆けるカソルの背中に向けてハルが息を切らしながら必死に叫ぶ。カソルはペースを落として振り返ると眉を寄せた。

「運動不足?」

「あんたが運動過多なのよ! どんな足腰してんの!?」

「普通だよ? 山の動物なら」

「私たちは人間でしょうが!」

 ハルの反論に首を傾げ、歩幅を狭めて走り続ける。

 走り続けること三〇秒弱。再び爆発音が静謐な空気を震わせた。二人がとっさに音の発生源の方を向くと、橙の影が揺らぐように立ち上り一瞬で消えた。

「そこだ」

 カソルはほんの少しストライドを大きくしてそこを目指す。ハルもなんとかそれについていこうと力を振り絞って速度を上げた。

 行く手の視野をさえぎっていた大木をかわしたカソルの目は、小型の猪系の魔獣を捉えた。 

 魔獣は一抱えほどの太さの幹の木の根元で、木の周囲を回ったり幹に体当りしたりしている。そしてそこから視線を上げると、枝の上に人影を見つけた。

「ん?」

 幹に手をついてバランスを保ちながら立つその人物を見て、カソルは足を止めた。すぐにハルも追いつき、カソルの後ろで膝に手をついて荒い息を吐き出す。

「はあ……はあ……。やっぱりあんためちゃくちゃだわ」

「ねえ、あそこにいるのって」

「何? あ、魔獣……って!」

 ハルも同じように木下から上へ目をやり、驚きにまぶたを見開いた。

 二人の目に写っていたのは、怯えた顔で眼下の魔獣を見つめるナノの姿だった。魔獣が踏み荒らしている地面には、染みのように黒焦げた跡が二つ残っていた。爆砕魔術か何かで無力化しようとして失敗したらしい。

「あれは小型……よね」

「どうする?」

 自分が片付けていいならさっさと終わらせるが、という意味を言外に込めて言う。

 魔獣は大きさによって四つに分類される。人より小さいものが小型、人より大きいが体長において三倍を超えなければ中型、人の三倍を超えて大きい魔獣は大型に分類され、そして巨邪竜のようなごく一部の天災級の魔獣は超大型とされる。

 今カソルの目の前にいるような小型の討伐は一個分隊で行うのが原則とされている。

「私が行くわ。魔術支援お願い」

「了解」

 カソルがうなずいたのを見ると、ハルは腰の剣を抜いて素早く地面を蹴った。

「諸人に増して疾く堅く鋭くあれ――越限えつげん幇呪ほうじゅ

 その背中に向けて唱え、虚空をなぞるように指を振る。

 同時にハルは一歩目を右足で着地。その足で残る間合いを詰めるべく土を踏みしめる。

 その直後、ハルの姿がカソルの視界から消えた。

 残されたのは大地をえぐった破裂音。その残響が消えぬ間に木陰に銀閃が走る。

 赤黒い飛沫がひらめきを追いかけた。濃緑の世界と対になる激しい色彩は、かつて魔獣だったものの断片とともに宙を舞っていた。

 そして、それらにわずかに遅れて紫紺の光が小さく瞬く。魔獣の核たる心臓を破壊した際に放たれる光だった。

「うわっととと!」

 そんな情けない声とともに魔獣だったものの向こう側で再び姿を現したハルは、雑草の上でたたらを踏んだかと思うとそのままつんのめるように数メートル前へ転がった。

 三回ほど不格好に前転したあと、尻餅をつくようにして止まる。

「いたたた……」

「大丈夫?」

 カソルが歩み寄って手を差し伸べる。

「だっ、大丈夫じゃないわよ! どんな魔術かけてんのよ!」

 ハルは眉を吊り上げてカソルをにらみつけると、葉を根こそぎ揺らし落とすような大声で怒鳴った。カソルは物ともせず小首を傾げる。

「強化魔術だけど?」

「やりすぎよ! どう見たって人が出して良い速度じゃなかったでしょうが! 体がバラバラになるかと思ったわよ!」

「バラバラって、そんなやわな強化かけないよ」

「やわな強化でいいのよ! 体の強度も、出せる速度もほどほどでいいんだってば! あれじゃあろくに体制御できないから!」

「でもばっちり斬ってたじゃん」

「ええ、我ながらよく当てたと思うわ! でも本当に当てただけなの! 斬ったんじゃなくて割ったの! あの速さなら適当な金属の棒使ってもまっぷたつにできるわよ!」

 矢継ぎ早にまくし立て、肩を激しく上下させて酸素を取り込むハル。

「うーん……なんかごめん」

 仕損じがなくてその方がいいではないかと言おうとしたものの、不毛な議論の火に油を注ぐだけになるような気がして代わりに謝罪を口にした。

 ハルもそれで渋々ながら矛を収め、ようやくカソルの差し出した右手をとって立ち上がる。そして剣を収めると体中にこびりついた土を丁寧に手で払っていく。

「あ、あのー!」

 そんな二人へとナノの声が降ってくる。

「あ、大丈夫だった?」

 尻をはたきながら首を上に向けて応えるハル。

「う、うん! ありがとう!」

「降りられる? 手伝おうか?」

 ハルが手を止めてナノの立つ木の下まで行く。

「大丈夫。緩衝魔術使うから」

 ナノは幹で体を支えながら、慎重に枝の上に腰を下ろした。

 ――その瞬間、糸のように細く針のように鋭い風の音がカソルの鼓膜を刺した。

 反射的に震えた背筋に電流が走る。考えるより先にカソルは大地を蹴っていた。

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