第2話 ほしいものは

 巨邪竜を打ち倒した翌日、カソルはユグド王国の国王と謁見することになった。

 城内での小さな会議に使われる、城の中では比較的狭い部屋で、短辺が長さ二メートル強、長辺が五メートル程度の長机がぽつりと一つ置かれているだけだった。

 出席者は国王とカソル、そして邪竜の最期を見届けた三人のみ。長方形の机の短辺にカソルと国王が向かい合うように座り、カソルから見て右の長辺に魔術師フレイン、左に聖法官の二人が座っている。

「つまり、本当に独りであの巨邪竜を……」

 国王は感嘆とも畏れともつかない感情のこもった息をついた。

「本当にアスカトラの門弟だったということか」

「アスカトラ……」

 ハルがかすれた声でつぶやき、カソルの方を見る。

「陛下は彼のことをご存知だったのですか?」

「突然ふらっとやってきてな。『巨邪竜の駆除のためにアスカトラに遣わされた』と。先王もアスカトラの助力を受けたとは聞いていたのでな。半信半疑ながら同行させたのだ」

 驚きの広がる室内に首を傾げたカソルが退屈をにじませつつ口を開く。

「やっぱりすごいんですか? あの爺さん」

 街に出てみて、普通の人間の魔力や気配を知ってようやくアスカトラが常人をはるかに超えた存在であることを知った。それでもまだ、アスカトラがどれほどの存在なのかはよくわからないままだ。

「魔仙アスカトラ。邪竜禍の時代から生きているとされる史上最高にして最強の魔術師」

 邪竜禍。二〇〇年近く前に起きた、今回討伐されたのとは別個体の巨邪竜との大戦クラスの戦いだ。その時代からアスカトラの名は語られているという。

「その存在は魔術師にとって、聖法官にとっての聖女と同等の意味を持つ」

 ユグド王国の国民は大きく三つに分けられる。聖法を操る聖法官。魔術を操る魔術師。そのどちらにも属さない一般人。聖法の才を持つものは最も少なく人口の一パーセントほど。一方、魔術師は人口の一〇パーセントを占める。

 魔獣から国や民を守護する力を持つがゆえに、聖法官は国の支配階級に位置している。その頂点こそが聖女であり、昨日ハルが目指すべき地位として口にしたものだ。

 それくらいの基礎的な知識はカソルもはアスカトラのもとで学ばされた。

 国王いわく、そのアスカトラは聖女と同様、魔術師にとっての崇敬の対象となるべき揺るぎない頂点であるということだ。

「なるほど。ああ、あと門弟と言っていましたが、それは少し違います」

 カソルはやや不快感をにじませつつ国王の言葉を遮った。

「違う?」

「最大限穏やかに表現してもいいとこペットですよ、あれは」

「ペット……」

「犬にお手とかおすわりを覚えさせる感覚で魔術を仕込まれたわけです」

 吐き捨てるように言うと、国王が少し表情を険しくした。

「よかったら、ここに至るまでの経緯を可能な限り話してくれないだろうか?」

「経緯と言われましてもね」

 カソルは面倒くさそうにため息をついた。

「君はどこで生まれて、どう育ったんだね?」

「わかりません。物心ついたころにはアスカトラのところにいました。アスカトラは僕のことを拾ったと言っていました。名前はここに書いてあったものを使っているだけです」

 そう言って首に巻き付いたチョーカーからぶら下がるタグを指して見せる。

「それは? 誰かからもらったとか?」

「さあ? アスカトラが拾ったときにはついていたとかで」」

 だからこれが自分に与えられた名なのかどうかすら定かではない。これを作った人物の名前であったり、なんらかのまじないの言葉である可能性も大いにある。

「なるほど。では魔術はどのように?」

「習得せざるを得ない状況に追い込まれただけですね。いきなりあいつの作った変な空間に閉じ込めらました。あいつが言うにはその空間には時間の概念がないとか」

「時間の概念がない……。アスカトラは時間操作の魔術を用いることできると言われているな。やはりそれによってこれほどまでの長命を実現しているということか」

 ルベルテインが顎に手を当てて考え込むようにつぶやいた。

「そこからは自分の意志で出ることはできない。言ってみれば犬小屋ですよ。鎖につながれたように閉じ込められていたわけです。そこでまあいろいろと覚えさせられました」

「僕もよく知りません。多分僕はアスカトラの実験に付き合わされただけです」

「一体何を目的に」

 国王が鈍重に首を傾ける。

「さあ? 僕の可能性を試したかったんじゃないですか?」

「君の可能性を?」

「あいつは言葉を覚えた僕に、お前は魔術の申し子だと言いました」

「魔術の申し子? まだ魔術を覚える前の君に?」

 カソルは国王の言葉を、首を振って否定した。

「はい。意味はよくわかりませんけど、本当にあいつは僕の力を確かめようとしていただけなんだと思います。実際何度も殺されかけましたし。その仕上げが大邪竜の討伐だったんでしょう。だから今こうして解放されている」

「それだけなのか?」

「多分あれを普通の人間の尺度で計っても無駄ですよ」

 カソルは苦い顔でひらひらと手を振った。

 国王は鼻から大きく息を吐きだして腕を組んだ。目を伏せ、唸りながらしばらく考え込む。それから自らを納得させるように一つうなずいた。

「君の事情はよある程度わかった。それで君はこのあとどうするのだ? 山に帰るのか?」

「ようやく自由の身になんなわけですからね。まあ基本的には山で暮らすでしょうけど、せっかく言葉も覚えたわけですし街の方も見て回りますよ。行動の幅が増えるのはいいことですから」

 それを聞いた国王の表情が、これまでにないほど硬くなる。ごくりと唾を飲み、乾いた唇をなめてから緊張した面持ちで口を開く。

「こちらとしてはその、君の行動の幅の制限をお願いしたいと思っているのだ」

「なんですって?」

 カソルの声が無意識に怒気をはらむ。

「討伐任務で起きたこと、そして君自身の正体を隠して行動してほしいのだ」

「別におおっぴらにする気は元からありませんが」

「それだけでは困るのだ。聖女を超えるような、少なくとも聖女に匹敵するような魔術師として認識されないよう、慎んで行動してほしい」

「そんな立派な魔術師になった覚えはありませんが」

「自分が何を下か忘れたのか。聖女率いる精鋭二〇〇名が脇目も振らず逃げ出すような相手を短期撃破したのだぞ?」

 国王は言って机の上に少し身を乗り出した。

「この国は、聖女という魔獣に対する象徴的な防衛力を中心として安寧を享受している。一方、現状では対魔獣の戦闘能力を理由に聖法官と魔術師の間には立場上の差がある。魔術師側に君のような象徴的存在が現れ、権威が分散した上に双方の対立が激化するようなことがあれば大規模な動乱は免れない」

 アスカトラに幽閉されていたときに、聖法官にまつわる情報もある程度得ている。

 聖法官は唯一魔獣にとどめを刺すことのできる存在である一方、戦闘以外の場面で活用できるような能力はほぼ持たない。治癒の促進などは日常においても重宝する能力だが、大抵の聖法官には不治の病や身体の大きな欠損は癒せない。そのためちょっとした病気や怪我ならすぐに治せるからちょっと便利くらいの認識しか持たれていないのだ。

 一方で魔術師は魔術を駆使して社会の生活やインフラを支えているのであり、それがまた魔術師側の聖法官への反感を強める一因になっているという。

 聖法官なくては魔獣を払えず、魔術師なくしては国は成り立たない。そうした微妙な均衡のもとユグド王国は表面上平和を保っているのだ。

「そう言われましてもね。この国の平和とか、正直、僕には関係ないので」

「君は国を、世界を救った英雄だ。正体に疑念を持たれるほど度を越したものでなければなんでも与えよう。それならば君の自由を多少制限しても釣りがくるのではないか」

「あいにく、自由以上に欲しいものなんて……」

 ない、と言いかけたときカソルの脳裏をよぎるものがあった。

 自然と視線がハルに吸い寄せられる。それに気づいたハルが少し頬を赤くした。カソルはその様子に首を傾げながらもハルに尋ねてみた。

「ハル……だっけ? 君は今までどんな風に生きてきたの?」

「え? 藪から棒に何よ」

「いいから、教えて」

 思い起こしたのは洞穴の中で聞いた彼女の夢物語。ハルは言った。すべての人を幸せにしたいと。

 自分もハルのようになりたいとは思わないし、思うだけ無駄だ。しかしごっこ遊び程度になら、そういう生き方をなぞってみるのも気晴らしとしてはい悪くないのではないかと思った。少なくともただ街にいるよりは、面白い人間に出会える可能性は高いだろう。

 ハルは予想外の質問に首をひねって考え込む。

「どんな風にって言われてもね。別に普通よ。ご飯食べて、学院に行って、聖法の訓練して、寝て……学院を飛び級で卒業したあとはひたすら聖法の訓練って感じ。……なんか自分で言ってて悲しくなるくらい何もない人生だわ」

 その発言にため息をついて失笑したのはルベルテインだった。

「本当、ハルは皮肉が上手だね。とんでもない才能を持って生まれたハルに自分の人生なんもないとか言われたら、死にたくなっちゃう人いっぱいいると思うよ」

「……失礼しました」

 ハルは表情を引き締め、冷たい視線を向けて機械的にそう答えた。

「学院……学院ね」

 カソルは視線を落としてつぶやいた。

「学院がどうかした?」

「僕らと同じくらいの年齢の人間が集団で教育を受ける場所だよね?」

「そうだけど」

「ちょっと興味がある」

 アスカトラのもとで読んだあの物語の主人公は血気盛んな若者だった。街に出てから見聞きしたのは大人ばかり。若者の集まる学院ならばいくらか面白い人間もいるのではないか。

「学院か。聖法の能力はないからそちらは無理だろうが、王立魔術学院なら通うこともできるはずだ。それでもよければ行ってみるかね?」

「そうですね」

「では学院へ入学できるよう手配し、以後諸々の問題に対するサポートを提供するのと引き換えということで、条件をのんでもらうということでどうだろう。まず一週間。それで何か得るところありと判断したら好きなだけいるといい」

「それでいいです」

 さっきも言った通り初めから自分の能力を喧伝して回る気はなかった。それでも、いざというときに制約を受ける可能性があるのは、アスカトラに幽閉されていたあとだけに不愉快だった。

 だがこの制約が極めて些細なものであるのも確かだ。この程度なら受け入れても問題ないだろう。学院とやらが期待はずれだったときのことは、またそのとき考えればいい。

「助かったよ。確か中央魔術学院の校長はアスカトラについても詳しかったはずだ。君が魔術の申し子だと言ったということは、アスカトラは君の出生について何か知っていたということかもしれない。気になるなら尋ねてみるといい」

「なるほど。覚えておきます」

 国王が肥えた体を揺らして大きなため息をつき、今回の謁見は終わりを迎えた。

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