最強魔術使いと聖女の卵のドタバタ学院生活

小林生生

第1話 プロローグ 出会いは決戦の舞台で

 地に倒れ伏した巨邪竜が立てた土埃の中、二人の聖法官と一人の魔術師はあ然として立ち尽くしていた。

 邪竜と三人の間に立つカソルは、疲労感に大きく息を吐きだしてからおもむろにその場に腰を下ろした。立てた膝に額を載せる。

 ユグド王国南西部。煉瓦の都と賞賛を込めて称される赤き王都ラルセを遠く離れた小高い山の一角にある洞穴。その奥に開けた巨大なドーム型のスペースの中にカソルたちはいた。

「嘘、でしょ……」

 聖法官の一人である少女、ハルがつぶやく。微動だにしなくなった邪竜に注がれていた視線は、自然とカソルの丸まった背中に吸い寄せられていた。

 もう一方の、少し年かさの聖法官の女性、ルベルテインと、さらに一回りほど年上の男魔術師、カスベルもつられるように視線を移した。

 巨邪竜の討伐。それが彼らに課せられた任務だった。当初の作戦目標は休眠中の邪竜を覚醒前に仕留めてしまうこと。巨邪竜は天災級の魔獣で、目覚めれば王国挙げての総力戦は必至の怪物だ。そのため失敗した際には直ちに撤退することになっていた。

 しかし任務はあえなく失敗に終わった。任務に当たった二〇〇名あまりの精鋭が一斉に逃げ出す中、邪竜があくび代わりに巨大な破壊光弾を放とうと大口を開けた。

 そのとき撤退の流れに逆らって邪竜へと歩み寄ったのが、その正体を極秘として帯同していたカソルだった。カソルはなんの感慨も窺えない表情のまま淡々と魔術を駆使し、ついには巨邪竜を討ち果たしてしまった。

「なんだ、あいつは……。魔術師じゃないのか?」

 カスベルが同様もあらわに言う。

「……もしかして、白炎びゃくえん魔術?」

 ルベルテインがつぶやくと、カスベルが弾かれたように顔を向ける。。

「魔仙アスカトラのか? 確かに魔獣を殺せる魔術と言ったらそうなるだろうが、あんなの都市伝説じゃ……」

「都市伝説レベルの魔術がもう一つ別に存在してるって方がよっぽど信じがたい気がするけど」

 カスベルは「ごもっとも」とでも言いたげに頬を引きつらせた。

 邪竜を始めとする魔獣を滅ぼすことができるのは、本来聖法官の操る聖法だけ。魔術は魔獣に応戦したり体力を削ぐことはできてもとどめを刺すことができない。

 しかし、言い伝えに名高い魔仙アスカトラによる白炎魔術に限っては、聖法と同様、魔獣の核たる心臓を焼き尽くすことができると言われていた。

 カソルは話し声を背後に聞きながら呼吸を整えていた。

 白炎魔術は体への負担が大きい。アスカトラレベルになればほぼノーリスクで発動できるが、習得して間もないカソルが自らの何十倍もの大物を屠るだけの大技を繰り出して、平然としていられるはずはなかった。

 喉元をせり上がってきた血が口内にたまる。そのまま脇に吐き出すと小さな血溜まりができた。

「ちょっ……!」

 ハルが驚きの声を上げて駆け寄る。

「だ、大丈夫なの?」

「ちょっと疲れただけ。休んでいくから先帰ってていいよ」

「いや、でも……」

 言ったそばから再び血がせり上がってくる。今度は口の中で溜められるような量ではなく、カソルが下を向くとコップ数杯分の血が地面にぶつかり飛沫を立てた。

「絶対大丈夫じゃないじゃない!」

「何そんなに慌ててるの」

「だって尋常じゃないって、その量!」

「休めば大丈夫だから行っていいって」

「いいわけないわよ!」

 と言うと、ハルはカソルに背を向けてかがんだ。

「何?」

「ほら、乗って。背負っていくから」

 両腕を腰の辺りに当ててカソルを促す。

「いいよ、そんなの。だいたい、聖法官は魔術師が嫌いなんでしょ? 放っておけばいいのに」

「私は違うわ」

 心外そうに言って勢いよく首を振る。

「私はすべての人に手を差し伸べたいし、すべての人を幸せにしたい。聖法官も魔術師も関係ない。私は聖法協会の一番上まで行く。聖女になる。それで諍いのない、みんなが幸せな世界を作りたいの」

 遠大な理想を熱弁するのではなく、現実的な目標を語るように淡々と言うハルにカソルは思わず目を見張る。その台詞が、頭の中の何かと重なって聞こえた。

 そう、いつか読んだ物語の主人公の言葉だ。周囲に馬鹿にされ、高い壁の前に挫折し、それでもついには理想を実現する。そんな物語だった。

 それこそが「人」なのだと思った。それとは程遠い自らの在り方を嘆き、自分もこのように美しく生きられたならと憧れた。

 しかし街に来てみればそんな人物はどこにもおらず、ただ乾いた日常が漫然と流れているだけで、ひどく失望させられた。「人」とはなんなのか、わからなくなってしまった。

 ハルはまばたきを繰り返すカソルを見て、拗ねるでもなくただ微笑んだ。

「そんなの夢物語だって思う? 別に笑いたければ笑ってもいいわ」

 そして真面目な顔に戻ってゆっくりとかぶりを振る。

「でも傷ついたあなたをここに置いて行くなんてことは絶対にできない。あなたが残るなら私も残るわ。負傷箇所がどこかわかるならこの場で私が治してあげる」

 そう言ってまっすぐに見つめてくるハルを、カソルは黙って見返す。次第にカソルの胸の内から血ではない何かが湧き上がってきて、口元で笑みになってこぼれた。

「変なの」

 カソルは地面を這うように移動し、ハルの背に覆いかぶさった。

「それでよし」

 ハルは大きくうなずいて立ち上がり、二度軽くジャンプして背負う位置を整えた。そのまま歩いて空洞の出口へと向かっていく。

 まだ事態を飲み込めない様子で立ち尽くしていたルベルテインと魔術師も、慌てて踵を返してハルの後に続いた。

「ねえ、あなたって一体……」

 洞穴を抜けようと歩いていると、ようやく混乱から立ち直ったらしいルベルテインが口を開いた。

「知りたければ国王にでも聞いてください。僕は話す許可もらってないので」

「そ、そう……」

 それから誰も口を開かずに早足で進んでいく。

 誰かに背負われて歩くというのは不思議な感覚だった。動物の背に乗って駆けたことはあるが、自分と同じ形をした人間に胸を預け、御するのではなくむしろ支えられるように進むというのは経験にな。

 やがて外界から差し込む、いくつかの砂粒のような光が遠くに見えてきた。

「……ん?」

 そんな中、ハルが小さく声を上げた。

「ねえ、なんか背中が生温かいもので……ぬめぬめするんだけど」

「ごめん。血吐いた」

 カソルが答えるとハルは背筋を震わせて悶えた。

「……やっぱり? うぅ、なんか気持ち悪い」

「申し訳ない」

 自分は血に塗れるのは慣れているが、確かに触っていていて気持ちのいいものではないかもしれない。少し申し訳ない気分になった。

「いや、言い出しっぺは私だしいいんだけどさ……」

 それからまた歩き続け、暗闇に開いた穴は大きく、行く先に見える光の粒は数え切れないほどに多くなった。

 カソルは自分の胸と接している少女の背中から、妙にそわそわしているような様子を感じ取る。それから少しして、ハルは立ち止まることなく口を開いた。

「えっと、その一応言っとくけど……」

 一度言葉を切ったハルが喉を鳴らす。

「……ありがとう」

 照れくさそうにぼそりと言って、カソルが応じるのを待たずに早口で続ける。

「あんたのおかげで私たちみんな助かったのよね。誰も犠牲にならずに済んでさ。本当によかった。だから、えっと、ありがとう」

 徐々に声が小さくなっていく言葉にカソルは何も答えず、ただハルの背に揺られる。

 三人分の足音だけがそれぞれ規則的に響いていく。ハルも言ったきり黙っていたが、数十メートルほど進んだ頃にたまりかねたように口を開いた。

「ねえちょっと、聞いてる? っていうか生きてる?」

 ハルが必死で首をひねってカソルの状態を確認しようとする。

「あの、魔術師の方、こいつどうなってるか教えてくれます?」

 魔術師の男は苦笑しながら答えた。

「生きてるが……息が苦しそうで青くなってるな。血を吐かないようにしてるらしい」

「うわああっ、吐いていい! 吐いていいからちゃんと呼吸しなさいよ!」

 カソルは言われた通り、口いっぱいに溜まっていた血をそのまま戻した。

「ああ、背中をどろどろした何かが滝のように……。あ、すっごいぬるぬるする……」

 ハルの弱々しく情けない声からは、げんなりした表情が容易に想像できた。カソルは少し申し訳なさを感じつつも、可笑しさがこみ上げるのを止められなかった。

 ありがとう。なぜかその言葉がカソルの頭の中に反響していた。大きな目標を恥ずかしげの欠片もなく語ったこの少女の言葉には、ただ率直な気持ちだけが込められているように思えた。それがどうしてか、カソルには心地よく感じられた。

 それから間もなく、一行は洞穴を抜け出した。

 外はすっかり日が暮れていた。カソルたちを出口まで導いた小さな光が夜空を彩る無数の星々だったことに気が付き、カソルは顔を上げた。

 星を見たのは初めてかもしれない。カソルは思った。

 もちろん今までも視界には入っていた。方角を確かめるのに利用したりもした。しかしその瞬きを意識したことは、その輝きに目を向けたことは今までに一度もなかった。必要のない、余分で無意味な行い。だというのに、カソルの胸は高鳴っていた。

「きれいね」

 ハルのその言葉を聞いてようやく、カソルは自分のが目の前の光景に対して抱いた感情の正体を知った。

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