第9話 盟約実行!③
一行の間に漂っていた手探りな雰囲気は、ゴモラの痕跡が消えた鎮守の森との境目で警戒へ変わった。
森に入れば、いつ緑の巨人フンババに襲われても不思議ではない。奴はとてつもなく重いはずなのに、地衣の類を踏み潰す乾いた音だけで移動可能で、強い風が吹き回る鎮守の森においては風鳴りに混ざって消えてしまう。
「それで、いつ子供たちを喚んでくれるのかえ?」
先頭を歩くナイトが緑の濃い斜面に足を伸ばしたとき、ティアマトがぽつりとこぼした一言で人間たちの顔が凍りついた。おお、早速来たか。
「メア。いつ喚んでくれるのかえ?」
あの屈託のない、朗らかな笑みが余計にメアたちの動揺を煽っているだろうな。さて、どうする?
「そ、それはーー」
強ばった声で応じようとしたナイトを、顔に決意を滲ませたメアが手で制する。ハッとメアを振り返り、ナイトは彼女の口を手で塞ごうと手を伸ばすがーー光鎖の伸縮限界で目的を達せなかった。
まあ、オレがさりげなく光鎖を引いたんだが。
「ティアマトさま……誠に申し訳ございません。私たちがお子さまをお喚びすることは叶いません。私たちが獣界からお喚びできるのは、一人につき一柱のみなのです……」
膝をついて頭を森の地衣に擦りつけるメアと、オレが光鎖を引いたと気づいたか、憤怒の眼差しを向けるナイト。
ティアマトは、小さな口を開けて呆然としていた。
さあ、お楽しみの時間だ。どうするかな、こいつ。
「あー悪いね、ティアマトよ。さっきはお前を大人しくさせるために嘘ついたんだわ。喚ぶ相手が神獣であろうとなかろうと、呼べる数は一対一なんだよ。だからお前はあと三年、子供たちと離ればなれになるってことなんだわさ」
おどけた声色と語尾で遊ぶオレへ向かうティアマトの形相は苛烈に歪み、そのか細い体躯からは爆発を続けているかのような勢いで紅い光気が霧散していく。油断したオレごと光鎖を引き、ナイトは恐怖で顔を硬直させたメアを助け起こし、引き寄せた。
その後、メアがいた場所が大きな穴に変わるまでに数秒あったろうか。ナイトの賢明な判断で命を救われたメアに襲いかかったティアマトの左頬にダハーカの蹴りが入り、とん、と静寂。頬を赤くしたティアマトが怒りで我を見失うまで時を要さなかった。
まあ、元から失ってるような気もするが。
「子どもっ、子どもぉぉおうぅぅぃ!!」
嗚咽、怒声、嬌声。どれともつかない叫びの直後、ティアマトは神獣に変化。四つん這いで表面が泡だった醜悪な長い舌を背中までべろりと回すと、舌は人間や獣人のものらしき七本の腕を穂から生やした三メートルほどの槍に変化。
奴の背中にも強靱な竜の上腕が出現、槍を握る。隆起した筋肉からの投擲はオレに放たれるんだろう。
「ナイト、あれはまずい。逃げるぞ」
「ーーしかし、メアが!! メアッ!!」
メアの名を連呼しながら渾身の力で抗うナイトを引きずり、オレは急斜面を転がるように駆け下りる。
上方で紅い閃光が瞬く。ナイトを力任せに突き飛ばし、鎖に引かれたオレは文字どおりに斜に転がり落ち、ブナの樹に鎖を又かける形で止まった。
紅い光気を纏った槍は三メートルもない位置の腐葉土に轟音を伴って突き刺さり、地盤から表土を広く剥がす。
生じた深みのある窪みからは、十本はあろうか、槍のそれと似た不気味な腕が生まれ、多肢の虫のように素早く這う腕に接触した物が黒い炎に包まれていく。
規模は小さいが、奈落の炎だ。あれは生物の内側から炎を噴出させる。防御手段は知らんから、触れるのはまずい。
腰でも抜かしているだろう。そう思っていたが、ナイトはオレよりも早く、逃げましょう! と叫んだ。
場数は踏んでいるようだな。言われなくてもそうするが。
オレは左斜め上にある大樹に
即座にオレは耳を塞ぐ。腕の分断面から蠢くような阿鼻叫喚が響いたんだろう、ナイトは仰向けで苦しみ悶える。
だからティアマトは厄介なんだ。単純な破壊力だけじゃない、奈落の者を喚び、副次的な攻撃まで付いてくる。
残りの腕が一斉に向かってくる気配が。苦悶するナイトの位置との関係を勘案。使う雷を
戻ってきた闇から、木々が苦しそうに倒れていく音が。
着雷地の完全な制御はできないが、相手の位置や気配に合わせて大凡は調整できる。とは言え、何本抜けてくるかーーナイトがむくっと立ち上がった。
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