9話 俺のラブコメ

「さて、どうしたものか…」

 美佳が『アリスの花嫁』のオーディションを受けに行っている水曜日、俺は仕事から帰り、カクヨムに掲載する用のプロットを書いていた。

 美佳はオーディションの後にレッスンに行くということで、今日は帰りが遅い。


 ジャンルを大学生のラブコメと決めたものの、その後仕事の関係で立て込んだために、いったいどういった話にするのかがまだ決まっていない。

 大学生ラブコメといっても俺は、美佳としか恋愛を経験したことがない。


 ということで、美佳と過ごした大学時代を思い出してみようか。


 俺と美佳の出会いは、大学に入学し、サークルの勧誘だった。

 アニメサークルで出会った俺たちは、意気投合し二人で声優のライブに行ったり、アニメショップに買い物に行ったりしていた。

 しかし、美佳に対して恋愛感情があったかというと微妙だ。その当時は、なんでも語り合える同志だと思っていた。

 そんな俺の気持ちが変わったのは、大学2年の夏、声優の深見円ふかみまどかのライブを二人で見に行った日の帰りだった。


「すごかったね!深見さん!私たちファンを楽しませるのはもちろんだけど、自分もイキイキとライブを楽しんでた!私も、あんな声優さんになりたいなぁ」

 美佳は、この頃は声優養成所に通っており、深見さんのような声優になりたいといつも言っていた。

「そうだな。いやぁ、でも今日のライブはいつにもましてすごかった!!美佳も頑張ってな!お前がライブするときは、絶対見に行くから」

「……うんっ」

 そんな会話をしながら、俺たちは帰りの電車に乗ろうと駅に向かって歩いていた。


「…あっ!ねぇ、愛流くん、電車止まってるって」

 歩きながら、携帯を確認していた美佳がそう言った。

 その日は台風が近づいており、大雨が降っていた。

 美佳によると俺たちが乗ろうとしている電車は繰り上げで終電がもうなくなっていて、バスも動いていない状況らしい。

「どうするか…、この調子だと、タクシーも拾えないだろうしな」

「んー。夏休みだから、家に帰れなくても大丈夫だし、どっか今からでも入れるホテル探してみる?」

「そうだな」

 俺たちは、その場で手分けして近くのホテルを検索して、電話をかけた。しかし、人気声優深見円のライブが行われていたため、周りのホテルはどこも満室で全然泊まれるところが見つからない。

 まいったなぁ、台風来てるのわかってたから、どこか予約しとくんだった。

 こういう時、アニメの主人公はどういう行動をとるのだろう…。

「こういう時、アニメの主人公ってどういう行動とるんだっけ?」

 さすが同志、美佳も同じことを考えていたようだ。

 女の子と夜、イベントに来た主人公。帰ろうと思ったら電車が止まっていて、ホテルも空いていない。そんな主人公がとる行動とは____。


「あれしかないな」

「あれ?」

「まぁ、ついて来いよ」

 そう言って俺は、美佳を先導して歩いた。


「ねぇ…、そりゃアニメの主人公がこういう時とる行動ってこれだけど、これはどうなの?」

 俺たちがやってきたのは、ラブホテルだった。

 寝泊りに困ったときのラブホテル。主人公の味方ラブホテル。結局何も起こらないラブホテル。

「まぁ、アニメでは何も起こらないじゃないか。ここを逃したらもう野宿だよ?」

「…それは、そうだけど…。でも、アニメと現実は違うっていうか…」

 美佳がもじもじと何か言っている。

「それに、俺とお前の仲だ。何も意識することはないだろ?」

「えっ、……うん、そうだね」

 美佳の顔が少し陰ったように見えたが、次の瞬間には明るくなり、

「じゃあ、いこっか!でも、絶対に、くれぐれも変なことしないでよ!?」

「だれがするかよ!」

 そんなやり取りをしながら、俺たちは一番安い部屋をとり、一晩休むことにした。



 シーンとした室内に唯一響くシャワーの音。

 俺はその音を聞きながら、一人ソワソワしていた。


 部屋に入り、荷物を置いた後、汗が気になるということで、美佳はシャワーを浴びに行った。


 俺は一人悶々としながらベッドに座っている。

「あめんぼーあかいなーーーー!」

『どうしたの!?愛流くん!?急に発声練習なんて!』

 耐えきれなくなった俺は、気を紛らそうとしたが美佳に即効突っ込まれた。

「えっ!?なんでもにゃいよ!」

「かんだ、今かんだよね!」

 さすが声優志望。滑舌にはうるさい。


 だめだ…。俺はアニメ主人公ではないし、美佳に対しても恋愛意識なんて抱いてないから、ラブホに入るくらい余裕だと思ってたけど、すごく緊張する。

 主人公たちはいつもこんな気持ちなのか……。


 ガチャッ!!


 俺が悶々としていると、扉が開く音とともに、美佳がシャワーから出てきた。


「……お、おまたせ」

 ツンとした口調で美佳は俺の隣までやってきた。

「ドゥオっ!お、おおお、おま、おまおま、お前、な、なななんて格好してんだ!」

 美佳の格好は、これもまたアニメなどでおなじみ、バスタイル一枚だった。

 そこそこに胸が大きいため、とてもエッチだ。

「はっ、早く、服を着ろ!」

「…だ、だって、着替えなんて持ってきてないんだもん…」

「あぁ、もう!ちょっとここで待ってろ!ロビーで着替え借りてくるから!」

 このまま、この格好の美佳といるのは色々とまずい。

 そう思って俺はロビーに行こうとした。すると____。


「待って…」

 美佳が立ち去ろうとする俺の袖を、くいッと掴んできた。

「…美佳?」

「ねぇ、愛流くん……私って、そんなに、魅力ないかな…」

 気づけば美佳は涙目になっていた。

「えっ?美佳?」

「…私たち、もう1年半以上一緒にいるよね。今日みたいに2人でイベントに行くこともよくあるよね……」

「う、うん」

「なのに…。なんで気づいてくれないの……?」

 俺の袖をつかむ美佳の手は、小刻みに震えていた。

「何に?」

「……鈍感。私はね、愛流くんのことが好きなの」

 それは、俺の心を打ち抜くには、十分すぎる威力を持った告白だった。

「好きで好きでたまらない。初めて会った時から惹かれてたの。先輩たちとの会話になかなか入ってけない私を助けてくれた。それから、サークルに入って一緒にアニメについて話したり、一緒に出掛けたりするうちにどんどんその気持ちは大きくなっていった。抑えられないの、苦しくて苦しくてしょうがない。告白したほうが、楽になるのかもしれないって。でも、愛流くんは、ちっとも私のことが好きな素振りはない。もし私が告白することで今の関係が壊れるのは嫌でどうしようって」

 美佳の言葉は止まらない。今まで溜めに溜めてきたことをすべて吐き出すように話し続ける。

「今日ね、電車が無くなったって知ったとき、ほんとはちょっとうれしかったんだ。もっと愛流くんと一緒にいれるって。そしたら、愛流くん、ラブホテルに入ろうって…。もしかして、私のこと女の子として見てくれてたのかなって思った。でも、ただアニメの主人公のまねしてるだけで、私のことを意識してくれてるわけじゃない。………ねぇ、私、愛流くんのこと好きなんだ」

 そう言って俺の袖から手を放し、ベッドに座って俯いてしまう。


「ごめんね。ちょっと寒くなってきちゃった。服、とって来てもらっていいかな?」

 しかし、俺の足は動かない。どうしてもここから動くことが出来ない。

「なぁ、美佳…」

 これから、何と言葉を紡げばいいのか分からない。でも、何かを伝えなくてはいけない気がした。

 今まで美佳を、恋愛対象として意識したことがなかった。そんな俺が、無責任なことを美佳に対して言っていいはずがない。

「愛流くん…?」

 美佳は、俺の言葉を待っている。

 一体俺は、彼女に対して何と言えばいいのだろうか。

 しかし、今の俺は何も考えることが出来なくなっていた。

「美佳っ‼」

 次の瞬間、俺は美佳を抱きしめていた。

「あ、愛流くん…?」

 美佳の体温が伝わってくる。鼓動も。だんだんと鼓動が早くなっている。恥ずかしいのだろう。でも、俺を離す気配はない。

「ごめん、ごめん。今まで、俺、お前のことをオタクの同志だと思っていた。一緒に語ったり、出かけたりすげぇ楽しかった。ヒロインについて気持ち悪く語ったり、エロゲのイベントにもついて来てくれて…。ほんとは嫌だったかもしれないのに。でもそれを受け入れてくれてたのは、俺のことが好きだったからなんだな。そんなお前に甘えすぎてたのかもしれない。一緒にどんなイベントにもついて来てくれる。それが当たり前だと思ってた。どこかで、気づかないようにしてたのかもしれない、お前の気持ちに。当たり前をキープするために。でも……」

 気づいた。気づかせてもらった。

「好きだ、美佳。もっと一緒にいたい。もっと一緒にアニメについて語り合ったり、イベントにも参加したい」

 美佳といる時間は幸せで、それが俺の中で当たり前になっていた。当たり前だから、美佳の気持ちには気づかずに、自分の気持ちにも気づいていなかった。

「…ゆう、くん。えっと、その……」

「俺と、付き合ってもらえますか?」

「………はい」

 美佳は顔を上げ、満面の笑みで、返事をしてくれた。その目に、もう涙は浮いていない。


 それが人生で最初で最後のだった_____。



 今思い返すと、ドラマチックな恋愛してるな俺たち。

「なんか、書けそうな気がする」

 それから、プロットを仕上げて、1話の執筆に移った。


『俺は恋愛経験が少ないが、一つだけ知っている』



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