5-3

 クロードと別れた後、アッシュはリゼをおぶって帰路についた。

 いったん戻ろうと言ってもリゼは長いことその場から動こうとしなかったため、すでに陽は落ち辺りは真っ暗だ。

 昔はよくねだられ、こうして背負って歩いたこともある。あの頃と違うのは、リゼが人形みたいに黙っていること……。

 静かな吐息だけを耳元に感じ、なにも言葉を交わすことなくやがてローゼンバートの屋敷へ着いた。

 玄関を開けてすぐ、神妙な顔つきで立っていたノエルから話があると言われ。

 一先ずリゼを客室のベッドに寝かせてイレーヌに後のことを頼み、アッシュは自室の丸テーブルでノエルと対面している。


「話ってなんだ?」


 キッチンで適当に入れてきた紅茶のカップを差し出しながら問う。

「ありがとう」とカップを受け取ると、ノエルは香りを楽しみ、一口含んで喉を湿らせてから切り出した。


「あの手紙の差出人は祖父じゃないわ」

「お前、見たのか?」

「あんなにあからさまにゴミを捨てたら、誰だって気付くでしょ」


 そう言うノエルは呆れ顔をしている。演技が下手くそだとでも言いたげだ。

 現に、あの手紙に書かれていた通りにべリアは連れ去られていた。半ば信じていなかったとはいえ、その可能性を排除しきれなかったがために、わずかでも動揺してしまったことは認めざるを得ない事実ではある。

 それに差出人がノエルの肉親であれば尚更だ。

 彼女から火の粉を遠ざけようとしたが故に、逆に怪しまれ知られることとなった現状に苦虫を噛む。


「でも、本当にそうだって言えるのか?」

「祖父の字はもっと癖があるの。でもあの字は一切なかった。お手本みたいに几帳面な字」


 ノエルは椅子を立ち、机からメモと万年筆を持ち出すと、目の前でサラサラと手を走らせる。

 流れるようなその動きに思わず見惚れていると、やがて紙面に『Van Helsing』と癖の強い筆記体で名が記された。


「これが祖父の筆跡の模写で、こっちがさっきの手紙ね」


 イレーヌが見立てたであろう黒いイブニングドレスの胸元から、くしゃくしゃに跡がついた手紙を取り出しメモの隣に広げた。

 意外と大胆な子だな、なんて思いながらも二つを見比べてみる。

 確かに、まったく筆跡が異なっていた。

 模写の方が傾斜といい筆圧による濃淡にかなり特徴がある。


「ということは、第三者がヘルシングを騙って書いたってことか……でもなんのために」


 どうにも釈然としない。いったい誰が、なんのためにそんなことをするのか。

 はたと思い出し、アッシュもズボンのポケットから紙を取り出して同じように机に広げた。裏に付着していた血糊が渇いていたため、広げた拍子にパキパキと割れて卓上に粉となって落ちる。


「これは?」

「ノワール城のバルコニーでさっき見つけたんだ。やっぱり、手紙と同じ筆跡だな」


 書いたのは同一人物で間違いない。しかし誰が……。

 顎に手を添え思考を巡らせていると、


「こんなこと、眷属になったばかりの私が言えた義理じゃないのかもしれないけど、」ノエルは遠慮がちに、気を悪くしないでねと一言断って、「裏切ってる人がいたのなら……」


 言いにくいであろうことを、とても言いにくそうに口にした。

 そういえば、精神世界でもう一人の自分――カインの因子が言っていた。『ドラクロアに気をつけろ』と。

 今にして思い返せば、いくつか思い当たる節はあった。

 まずベリアの言だ。彼女は『ドラクロア卿は、聖槍の欠片を集めさせる過程で、あなたが執行者の手にかかって死ぬことを望んでいる』と言っていた。なぜ自分の死を望んでいるのか。あの時は、混血をただ邪魔に思ってのことだと思っていたが。なにか引っかかる。

 そして廃教会の吸血鬼の情報だ。どうして聖櫃教会の管理区である森の内情を知っていたのか。彼は直接現地に赴くようなタイプではないだろう。

 となると、部下に行かせたのだろうか。六名家会議の際にも言っていたが、欠片を執行者が集めているという情報を部下が持ってきたという言葉。いまにして思えば、そもそもここにも違和感を覚える。トランシルヴァニアの全域をくまなく探索させられるほど、吸血鬼の数は存在しない。

 現在いまとなっては女王に六名家、リゼにイレーヌ。そして執行者に怯えながら隠居しているらしい純血種が数名だ。

 五名家の誰しもが矜持を持っている。頼まれたからと言って、公爵に手を貸すような連中ではない。だから欠片集めに、アッシュに白羽の矢が立てられたと推測されるが。

 隠居中の吸血鬼にさせたのか。いや、自ら進んで聖霊銀の材料になりたくはないだろう。隠居している意味がなくなる。それならば屍食鬼を使ったのだろうか。いや、それもない。奴らの知能はサル以下だ。任務報告が出来るほどの知性はない……。

 廃教会の事案にしてもそうだ。ドラクロアは、暴走した吸血鬼がマリアだと知っていたんじゃないだろうか。理由は定かではないが、彼は確かに躊躇うなと念を押した。そしてその現場にタイミングよく現れたノエル――


「……そういえば、ノエルが廃教会に来た時『欠片を狙って』って言ってたよな? 欠片の情報を得てあの場所に来たのか?」

「うん。ヴィンセントさんに、言われてね」


 ノエルは男の名を呟くと、悲しそうに眉をひそめて俯いた。

 仲間だった男の死、殺したのが自分の実の祖父であるという事実。親しい者との死別と肉親の裏切りという、どちらも経験したくはないだろうことを同時に味合わされたのだ。遣り切れない想いに押し潰されそうになっているのかもしれない。

 そんな彼女に訊くのは躊躇われたが、確認しておきたかったから心を殺して口を開いた。


「あの場所に暴走吸血鬼がいるって話は、知ってたか?」


 ノエルは口を閉ざしたまま、小さく首を左右に振る。

 ややあって細く静かな息を吐くと、緩やかに顔を上げて告げた。


「……確かめてみろって言われたの」

「確かめる?」

「私、いまなら解る。あれはきっと、祖父がしたことを“確かめろ”って言ったんだと思う」


 マリアを不死の実験に使っていたヘルシング。それを確かめろとノエルに言ったヴィンセント。そして、廃教会の情報を持ってきたドラクロア。

 パズルピースは音を立てて嵌っていくのに、いくつかの欠片が見つからない。なにか、それだけじゃない何かが、まだ残っている気がする。

 謎は深みにはまるばかりだが、ドラクロアが何かしら陰謀を企てている可能性は高い。

 あくまで可能性としてそう仮定したところへ――コンコンと扉をノックする音が唐突に響いた。

 イレーヌだろうと思って返事しかけたが、思いのほか低い位置で鳴った気がする。


「失礼するぞ」


 声と同時に扉が開き、部屋に入ってきたのはシャノンだった。

 予想外の来客に一瞬面食らう。


「シャノン卿?」

「夜分に悪いな、アッシュ」

「どうかしたんですか? そんなことより、寝る時間なんじゃ」


 時計を見やると、二十一時を回っている。見た目からそう判断し思わず指摘してしまったが。

 しかし、それは失言だったと後悔する。

 こめかみに青筋をたてた幼女は、大切なものだと言っていたクリマ君の首を、捥げるのではないかと心配になるほど思いっきり絞めだし、悔しげに歯軋りしている。


「わたしは子供じゃないんだぞぉ?」引き攣った顔が妙に怖かった。

「すみません」


 素直に謝ると、シャノンはパッと手を放し、気を取り直すように一つ咳払いをする。


「まあ、お前はあいつと違ってすぐ謝るからな、許そう。でだ、そんなクロードから話は聞いた。わたしのいない間にずいぶんと厄介なことになってるな」

「ベリアさんが、……攫われました」

「ああ、聞いたよ。さっきリゼのところに顔を出したが、ずいぶん憔悴していたな。いつもからかわれるから仕返ししてやろうと思っていたが、そんな気も失せるほどにな」

「シャノン卿、」


 静かに、落ち着いて名を呼ぶと、「ん?」とまん丸な皆既月食みたいな赤い瞳が返ってくる。


「俺の推理を、聞いてくれますか?」


 憶測に過ぎないですけど、そう断ると、シャノンは黙って首肯した。

 今まで得た情報を整理し、アッシュはそれをシャノンに伝えた。

 ドラクロアとヘルシングは繋がっていたのではないか。そしてベリアを攫ったのはドラクロアなのでは、と。

 聞き終えて、ぬいぐるみを抱きしめたシャノンは小さく息を吐く。


「恐らくは、大方お前の推測通りだろうな」

「どうして分かるんです?」

「あれはいつだったか、聞かされたことがあるよ。あやつはカインの血を求めているのだと」

「カインの血を?」


 驚きに目を見開いて尋ねると、シャノンは軽く顎を引いて頷き、「バカなやつだよ、どうしようもなくな」そう呟いて語った。

 十八年前には、元老院は七人いたらしい。

 王の相談役でもあった彼らに、ドラクロアは詰め寄ったそうだ。『なぜ禁忌を破ったジェラールを殺さないのか!』と。

 当時、人間と交わることは既に禁じられていた。

 それは過去、一度だけ混血にカインの血が覚醒したことがあったから。まだ不完全だったにもかかわらず、真祖六人がかりでようやく始末することが出来たが、その内五人もの死者を出した。

 ただ一人生き残ったのが、ノワールの系譜に連なる者、城の名前にもあるロジエという吸血鬼だ。

 そして長らくこの事件と、混血の中にカインの因子が発現することがあるという事実は秘匿され続けてきた。

 当時なにも知らなかったドラクロアは、禁忌の子アッシュを殺そうとした。しかし王に止められる。

 それは、ベリアが因子が発現するまで様子を見てほしいと嘆願したからだという。覚醒しないこともあるかもしれないのに、それを確認もせず殺すことはないと。

 そこで初めて呪われた因子について聞かされたドラクロアは、再び元老院を訪れた。『混血の血を俺にくれ』と。


「その時わたしは壁の外にいたから後から知ったことだが。王の意にそぐわない事だと糾弾されたドラクロアは、逆上してその場にいた六人の元老院を皆殺しにしたそうだ」

「皆殺し……」


 それからのドラクロアはいろいろと画策したらしい。

 吸血鬼たちに呪われた混血の噂を流し、外堀から埋めてジェラールを追い詰めようとした。自らの手で息子を手に掛けるように仕向けその遺体を持ち去ろうとしたが、しかしその程度ではまるで効果がなかった。

 もっと直接的に動かさなければ駄目だと思い知ったドラクロアは、部下や少年たちをそそのかして殺させようと手を回したのだ。

 ジェラールに阻まれるばかりであったが、そんなある日。アッシュが純血種の少年三人を殺す事件が起こった。

 血の覚醒であると確信したドラクロアは、王に進言しに行く。

 常に強くあろうとしていた王に取り入ろうと、混血の血を飲めばより強大な力を得られると刷り込み、徐々に洗脳していったのだ。

 元老院から『覚醒させてはならぬ』と言付かっていたシャノンは、それからずっと沈黙しひた隠しにしてきた。しかし、ある日ドラクロアがそれに感づいてしまう。

 覚醒し力が解放されている状態の血でなくては意味がないのではないかと。


「だが、ジェラールがお前にヤドリギを施し覚醒を抑え込んだことによって、あやつの憶測がそのまま確信へと変わると同時に、計画はしばらく頓挫することになったんだ」


 それでも感情の起伏によって力が発現することを知っていたドラクロアは、ついに我慢が出来ず王へ促す。『ジェラールの子を殺そう』と。

 命の危機に瀕すれば、覚醒するものと考えたからだ。

 しかし――、


「お前も知っての通り、王は何者かによって惨殺された。いったい誰が殺したと思う?」


 アッシュは顎に手を当て思考する。今までの話しから察するに、


「まさか……」

「そう、ベリアだよ。あいつはお前を守るために、父親を手にかけたんだ。愛した二人の遺児を守るために、その手を再び血で汚した。『血塗れの聖女』の異名をとっていた、昔みたいにな――」

「…………ママが」


 聞こえた声に振り返る。いつの間にか扉が開いており、そこにはリゼが立ち尽くしていた。


「聞いてたのか」


 問いかけると、こっくりと静かに頷くリゼ。


「いつか言ってたの。聖女という言葉は、マリアさんにこそ相応しいって」


 ぐっと口を噤んで涙ぐみ、ぐしぐしとパジャマの袖で涙を拭う。

 そして、少女は強い意志を示すように真剣な目をして言った。


「お兄ぃ、絶対にママを助けようッ!」


 そのひたむきな眼差しは、自分はもう大丈夫だからと物語っていた。


「ああ!」リゼの真摯な姿に、アッシュも力強く答える。

「あやつとヘルシングが繋がったのは、恐らく十三年前だ」

「大聖堂の混乱……」


 ぽつりと呟くノエルに、シャノンは「そうだ」と頷いて続けた。

 吸血鬼サイドの情報をリークすることによって、今度はヘルシングに取り入った。そして時期を待ったのだろうと。


「――そしてお前は、ついに覚醒を遂げた」


 なるほどと、アッシュは得心する。

 ドラクロアの今までの言動も、母のことを伏せて向かわせたことも全てが繋がった。

 このタイミングで人質交換を持ち出したのは、確実に自分の血を得るためだ。ヘルシングを騙って手紙を書いたのは、ドラクロアがヘルシングに組していると思わせるため。ノエルがいるのに模写もせず書いたのがいい証拠だろう。

 そして、

 

「ドラクロア卿は個人的な思惑のもとで行動している……」


 シャノンは同意するように首肯した。

 完全に癒着しているわけではないだろう。ドラクロアが誰かの傘下に入るとは考えられない。真祖としてのプライドがあるからだ。腹の内を見せるとも思えない。


「よし、なんとなく分かってきたな」


 彼らの関係性が明らかになってきたところで。ぐぅ~と、どこからか緊張感のない音が聞こえてきた。一人ひとり見ていくと、シャノンとリゼがお腹を抱えて赤くなっている。


「いや、違うぞ! 断っておくが、わたしは腹なんて減ってないからな! 無心しに来たわけじゃない!」

「わたしだって違うわよ! 別にお兄ぃの血なんて飲みたくないんだからね!」


 身振り手振りで言い訳しているが、内一名は完全に墓穴を掘っていると思うのだが……。

 不意に、開いている扉から香ばしい匂いが流れ込んでくる。

 目を向けると、イレーヌがこんがり焼けた分厚い肉をフォークに突き刺して、手で扇いでいた。


「はっ!?  これは肉の匂い!」


 振り返ったシャノンは、にんまりと口角を上げるイレーヌを見て「しまった!」と声を上げた。


「ふふふ、シャノン様が釣れました」頬に手を当て、どこか嬉しそうに笑うイレーヌ。「皆さん、お食事の用意が出来てますよ」


 そういえば、家を出てからサンドイッチしか口にしていないことを思い出す。

 みんな腹が減っているだろう。イレーヌに関して言えば、リゼを頼んでから水も口にしていないと思う。


「じゃあ、みんなで夕飯にするか」


 アッシュは久しぶりの大勢での食事を楽しみに提案を口にする。と、ごくりと、斜め後ろから喉を鳴らす音……。

 ゆっくりと振り返る。


「…………えーっと、ノエルは、まあ、俺の血だよな?」


 こくり。金髪の少女は物欲しそうに指を唇に当て、じっと首筋を見つめている。

 ――ごくり。


「分かった、分かったからそんなに喉を鳴らすな! そんな目で見るな!」


 ふと感じた視線に顔を向ける。

 リゼも似たようなポーズをしていた。


「お前は普通の食事で大丈夫だろ! 四日後動けなかったらどうするんだよ!」


 強い調子で言いつけると、瞳を潤ませながら睨み付けてきた。


「ノエルばっかズルイ! わたしも血飲むもん!」


 席に着いて「いただきます」もしてないのに、リゼはフライングで飛びついてきた!


「わっ、待て馬鹿! シャノン卿、こいつをどうにかしてください!」


 イレーヌの持つ肉に釣られて一生懸命飛び跳ねている幼女の背中へ、助けを求めてみる。

 ぴたりと跳ねるのをやめると、「わたしも、一度お前の血を飲んでみたかったんだが、」 なんて言いながら、こちらへトコトコと歩いてきて、腕に飛びつかれた。


「って、なんでこうなるんだ! イレーヌ、肉持って遊んでないで助けてくれ!」


 自分の力じゃ二人には勝てない。やはりこんなところで覚醒した力を使うのもどうかと思う。

 だから救いを求める子羊の眼差しを向けたのだが――

「ふふ、」女給はそう鼻で笑い、「アッシュはモテモテですね」それだけ告げて、廊下を歩き去っていった。


「なんでこんな時だけ姉面してるんだよッ。助け――ってわっ! 口を開けるな!」


 なんとか顔を押しのけようとする。

 そこへ、後ろから組み付くようにノエルが抱きついてきた。


「アッシュ、私、もう我慢できないからね」


 耳元で囁くその言葉はなんとも艶っぽく聞こえて……。

 三方から吐息を吐く音が聞こえて……。

 そして一斉に、噛み付かれた。


「ぎゃぁあああああす!」


 こうして、食卓に着くこともなく三人の晩餐が始まった。

 ――まるで最後の晩餐にでも供された気分になった。

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