3-7
「アッシュ!」
駆けつけたクロードが声を上げると、マリアはアッシュの首筋から口を離し、尋常ではない機敏さで外へ出て行く。
すぐに追いかけようと思ったが、思いのほか痛む首筋にしばらく身動きが取れないでいた。
「大丈夫かい?」
「あ、ああ、なんとかな」
左の首筋に手を当てると、衣服には横並びに穴が二つ開いていた。そこからは生暖かい血潮がどくどくと溢れ、白いシャツと黒いジャケットを染めていく。
幸い、吸血された量はまだ少量だった。一先ず創部を両手で押さえつけ、圧迫止血処置をしておく。
「けど、もう少し遅かったらマズかった……」
「アッシュ。大変な時に悪いんだけど、話を聞いてくれるかい」
軽薄軽率を絵に描いたような少年が、珍しく神妙な顔をして切り出した。
「なんだよ、急に改まって。って、そんなことしてる場合じゃないだろ。今じゃなきゃ――」
「ダメなんだ!」
声を荒げ、食い気味に否定される。
鋭い眼差しに射竦められ、アッシュはただ首肯した。
「ありがとう。さっきナターシャに案内してもらって、つい最近に埋められた死体を掘り返してみたんだけど」
「お前そんなことしに行ってたのか」
「――その死体から、微かだけどジェラールさんの血液が感じられたよ」
「……父さんの? でもなんでそんな――」
「リゼも匂いを覚えてたんだ、間違いない」
確信を以って頷くクロードが、静かに推論を語る。
過去、ジェラールを倒したヘルシングはその遺体を持ち帰った。吸血鬼の研究者でもある男は、取り逃がしたマリアが不死者であることを知っている。不死者が主人の血液しか受け付けないことも知っていたのだろう。
「死体の腕を見てみたら、注射の痕らしき鬱血が確認できたんだ」恐らく、と前置き鋭い目つきで外を睨み、「墓の下で眠ってる連中は吸血病のワクチンだとか吹き込まれて、ジェラールさんの血液を微量に注射されたんだと思う。マリアさんを維持するための餌としてね」
何らかの姦計をめぐらし、マリアを釣針として利用したのだろうと少年は付け足した。
「その為だけに、母さんを生かしておいたっていうのかよ……」
「憶測だけど、たぶんね。……それこそさっきアッシュが言ったように、これは罠なのかもしれない」
「ふ――ざけやがってッ! 命をなんだと思ってやがる!」
全身をめぐる血液が、蒸発するかと思うほど沸騰し一気に脳へと流れ込む。母と再会できた嬉しさよりも、くだらない謀略のために母を苦しめるヘルシングへの怒りが勝る。
どれだけ涙を流したのだろう……。
傷付け、傷付けられ。自分の命を狙いにきた吸血鬼に対しても、命だけは助けるよう父に願うほど慈悲深く優しかったあの母が、これだけの墓を作るほど人間を殺めたことに。
望まぬ殺戮のために胸を痛めて墓を建てる。敬虔な聖十字教徒だったマリアがどんな気持ちだったか、その悲しみは察するに余りある。
目の前が次第にチカチカしだし、眼球が熱を帯び始めた。身を焦がすような憎悪に身を委ね、破壊衝動に駆られそうになった、その時――
空気の爆ぜる乾いた音が耳朶を打つ。静かな森に響き渡る木霊。
アッシュははっと我を取り戻し、いつの間にか月明かりが皓皓と照らす教会の外へ躍り出る。
教会の裏手から、「お兄ぃ、いまの音なにっ?!」何事かとリゼとナターシャも駆けつけた。
視線の先。傾いた墓の一つを直していたのか、母の丸められた背中が目に映る。
その更に向こう側。
冷え冷えとした月下で金色の髪をなびかせて、硝煙が尾を引く銀銃を構える少女の姿が在った。
「ノエルッ!? 」
「アッシュ、……やっぱり、欠片を狙って現れたわねッ!」
敵愾心を剥き出しにし、マリアから自分へと銃口をずらすノエル。
いつか見た背筋を震わせるほどの憎悪の瞳だ。
片や母を餌にして罠を仕掛けられたと思い、片や聖槍の欠片を奪いに来たと考える。
「まさか、本当にあなたが現れるとは思わなかったわ。それに、仲間がこんなにもいたなんてね。みんなまとめて殺してあげるッ」
「待て、欠片って何の話だ? そんなことより銃を下ろ――」
そこで、気づいた。蹲るマリアのドレスが、赤黒く汚れた上から塗り重ねられたかのように、目の覚める鮮血に染まっていることに。
「母さんっ!! 」
ノエルの存在など気にも留めず、アッシュは母の傍へと駆け寄った。
「――母、さん? あの人、アッシュの母親、なの……」少女は怪訝そうに眉尻を上げる。
そっと左手で首を支えて母を抱き起こすと、腹部に添えた右手が酷く塗れた。アッシュは傷口を確認する。負傷していた部分は左の側腹部だ。
――聖霊銀を、撃たれたんだ。
本来、不死者は人間とさほど変わらない身体能力で、治癒能力も人に毛が生えた程度しかない。しかし母は暴走している。墓の数から今までに得た血液量を推測するに、向上した身体能力は純血種並だろう。今はそれが幸いしたのか、すぐに死に至るような傷ではない。が、再生能力は阻害されており、銃創からは次から次へと血液が溢れてくる。
アッシュは着ていたジャケットを咄嗟に引き裂き、創部の上から強く抑えて止血を試みようとした。けれど湧き水のような出血は一向に止まることはない。
布切れと化したジャケットが重みを増し、地面に出来た血だまりが徐々に広がる様を目にして、腹部を圧迫する手へさらに力を込める。
「クソッ! ――止まれ、止まれよッ!!」
けれど悲痛な願いは叶わない。
それでも必死に止血を試みる自分の手に、不意にマリアの手が重ねられる。乾いた血と土で汚れた、白くて細い母親の手。幼き日を思い出させる温もりを感じた。
母の顔を見返すと、その様子が先ほどまでと違っていることに気づく。
真っ赤だった目の充血は引き、優しげな笑みを湛えていたのだ。
「母、さん……?」
「アッシュ、」
マリアが、自分の名を呼んだ。
重く苦しそうな息を吐きながら、力なく、か細い声で。
「母さん、意識が――」
「やっぱり、アッシュなのね」母は震える手で頬を撫でてきた。「――大きく、なったわね」
遠い過去の記憶が、まるでデッサンに色を落とすみたいに蘇ってくる。今生の別れでもあるまいし、それは走馬灯のように流れた。
「よかった……元に戻って、本当によかった……」
母の手を握り返し、安心感から脱力する。せっかく会えたのに、会話も出来ないなんて嫌だった。しかしそんな思いとは裏腹に、マリアはそれは違うと首を振る。
「これは、一時的なもの、なの。きっと、あなたの血を飲んだんでしょうね。ジェラールの、味がするもの……」
「……そうだ。俺は父さんの血を引いてるんだから母さんに血を提供出来るんじゃ――」
「もう、遅いのよ。理性を保っていられる、時間も……短く、なってきてるもの……うぅっ」
マリアは突然、苦しげに呻きだした。呼吸をするたび徐々に瞳の色は濁りだし、白目の部分が再び充血し始める。繋がった手に、きゅっと力が込められた。
「……私はまだ、あなたの母親で、いられてる?」
「なに言ってるんだよ……、母さんは、これからもずっと……俺の母親だろ……」
決して最後なんかじゃない。そう頭では思っても、なぜか胸にこみ上げてくるものがある。
無理をした笑みを浮かべる母の顔が、視界の中で徐々に溺れていった。
「……嬉しい。ずっと、ずーっと会いたかったから……。どんな風に育ってるのか、グレてないか、友達はたくさん出来たか、好きな子は……。あなたに会えなくなった日から、十一年。……あなたを想わなかった日は、ないわ――」
傷口から止め処なく溢れる金臭い液体。血に飢えているのだろう、マリアの喉は絶えず鳴っている。それは理性を侵食していく暴走の衝動に、必死に抗っているように見えた。
しかしこのままでは失血で死んでしまう。もしも自分の血で一命を取り留められるのであれば、たとえ暴走することになったとしても死んでしまうよりは遥かにいい。
アッシュは傷口の塞がりかけた左首筋を露出させた。
「母さん、早く俺の血を飲んでよ、このままじゃ死んじゃうだろッ」
血塗れになった首筋を見たマリアは、一瞬、衝動に流されそうになるも――理性を振り絞るかのように小さく首を振り、はっきりと拒絶の意思を表した。
「アッシュ……もう、時間がないわ。……私の言うことを、願いを、よく聞いて」
嫌な予感しかしなかった。それは一切を排除しただ残る、最悪の想定だ。
けれど、涙しながらも笑む母の顔を見て、何も言えず嗚咽を堪えグッと口を噤む。その選択だけを残さないでと、心の中で祈りながら。
「――あなたの手で、私を、殺して……」
しかし母の口から出た言葉は最悪のものだった。信じられずに目を剥いた。
ザアアと風に煽られた梢が葉を揺らし、傍から見守っていたリゼ、クロード、そしてナターシャの息を呑む音までを、まるで直に聞こえるような距離まで運んでくる。
最悪の選択は、自分にとって絶望でしかない。
拒絶の言葉は口を衝いて出た。
「嫌、だ……なんで、なんでだよ。せっかく、また会えたのに……なんでそんなこと言うんだよ! どうにかすれば、助けられるかもしれないじゃないかッ。なあ、そうだろクロード!」
振り返って見た少年の顔は、俯いて悔しそうに歯噛みしていた。握った拳が切なげに震えている。
「なんとか言ってくれよ…………なあ、リゼも――」
視線を転ずると、リゼも目を合わせてはくれない。肩を震わせ、必死に何かを堪えているようだった。
「なんだよ……なんなんだよ。真祖と純血種が揃ってて、なにも出来ないっていうのかよ。何か手があるんだろ! 俺に教えてくれよッ!」
非難するように絶叫すると、不意にすすり泣く声が耳朶に響いた。
音を辿ると、それはリゼからだった。
少女はぼろぼろと涙をこぼしながら、子供みたいにしゃくり上げている。
「リゼ……?」
「お兄ぃ、暴走した吸血種は……もうどうにもならないんだよッ!」
涙を拭くこともせず、リゼは訴えるような眼差しを向けてきた。悲愴なその姿が、いつかの光景をオーバーラップさせる。
「マリアさんを、…………楽に、させてあげようよ」
リゼだって辛いはずだった。でも、アッシュよりも強くあった。
周囲にいたにもかかわらず、いままで口を挟んでこなかったのは、マリアの最期が近いことを皆知っていたからだろう。今際の際に、親子水入らずで言葉を交わさせてくれたのだ。
次第に呼吸が荒くなっていくマリアを、おもむろに見下ろす。いよいよもって、目が真っ赤に染まりかけていた。
出来ることなら母を救いたい。けれど、暴走は止められない。たとえ救えたとしても、放っておけばまたいずれ人を襲うだろう。これ以上、その手を血で染めてほしくはない。
相反する想いが葛藤を生む。
――どうにもならないのか……。
決断が迫られる。母が理性を失うまで時間がない。
そんな時、マリアが優しく微笑んで、
「あなたの、母親のままで……死なせて」
「ッ――ウォアァアアアアアアアアアアアアア!! 」
泣き笑った母の顔を目にし――自分の中で、何かがプツリと音を立てて切れた。
満月を背に叫んだ後、マリアを抱いたままのアッシュに異変が生じた。
黒い霧が彼の体を怪しく包みだし、取り巻く魔の力の揺らぎに禍々しさが宿る。
「これは……まさか、」
この現象に、クロードは覚えがあった。
五歳の頃だ。アッシュが三人の少年を一人残らず殺すという事件を起こした。相手は純血種。混血のアッシュが囲まれて勝てる相手ではなかった。
クロードはそれが、忌避されていた混血特有の『血の覚醒』であることを直感し、ジェラールを呼びに行った。
吸血鬼王は、過去の経験から混血の力を恐れていた。真祖殺しが発現したことが王に知られれば、アッシュが殺されてしまうかもしれない。
それを危惧したジェラールは、無理に力が開放されたせいで気を失っていたアッシュに、聖木の封印を施したのだ。
「ねぇ、どうなってんの? お兄ぃは、お兄ぃは大丈夫なんでしょうね」
ただならぬ様相を呈す状況に、リゼが困惑し心配する声を発した。
クロードはそれを聞き終える間もなく駆け出す。懐へ手を突っ込むと、上着のポケットから小さな袋を取り出して、その中身を宙にぶちまける。
それは無数の黒い数珠玉だった。
「クロード、アンタなにするつもり?」
「ナイトブリングの務めだよッ」
言いながら、クロードはなんの躊躇いもなく手首を噛み切った。そこから大量の血液がこぼれる。そのまま彼は腕を横薙ぎに振ると、飛び散った赤い水玉が数珠一つ一つに付着した。
大珠は六、小珠は五十三の計五十九個。これは有事の際に使用するようにと、ジェラールから預かったマリアのロザリオだ。
クロードが宙にルーンを描き呟くと、空中を浮遊していた数珠玉は鈍く赤く輝きだす。そのまま、マリアを抱くアッシュの周囲を円状に囲み、大地に楔のように打ち込まれた。
「アッシュ! 力に流されちゃダメだ!」
叫びながら魔力を送ると、六つの珠が輝きを増し赤い魔方陣が描かれる。
ナイトブリングに与えられた役目。それは、覚醒したカインの血を抑えることだった。
大地から光が迸り、アッシュの体を取り巻く霧を引き剥がしていく。しかし剥離した部分にたちまち黒い霧が纏わり付いた。それどころか、徐々に霧が光を侵食しだす。
「どうして効かないんだ……これで抑えられるって、ジェラールさんは確かに――」
不測の事態に焦りを見せるクロード。さらに浄化力を高めるために、宙を指でなぞり続ける。描かれた幾何学なルーン文字は魔方陣に次々刻まれ、さらに光が漲った。
と、大きい数珠玉の一つに突然亀裂が入り、瞬く間に弾け飛ぶ。勢いを増し始めていた浄化の光は、粒子となって跡形もなく消えてしまった。
アッシュを覆っていた霧が見る間に膨張していき、やがて完全にその体を包み込んだ。
「まずい――ッ、」
刹那、黒い塊が弾けるようにして霧は無数の蝙蝠状に霧散する。
その中から現れたのは、黒髪の少年ではない。銀色の頭髪に鮮やかな真紅の瞳を持った少年だ。
「リゼ、早く逃げるんだ……」
「なに言ってんの……お兄ぃを置いて逃げるとか――」
「殺されるぞ!」
緊迫した様子のクロードに気圧されたのか、たじろぐ少女。
マリアを抱いた少年は微動だにしない。
「どういうこと……?」
「あれはカインだ、アッシュじゃない! 呪いの力が覚醒したんだよ。いくら真祖の君でも、あの力が発現した彼には絶対に勝てない。だから逃げ――」
「待って!」クロードの説得を制止して、リゼが声を上げた。「なんだか様子が変よ」
少女の指差す先をクロードは目で追った。
そこには、マリアを優しく抱きしめるアッシュの姿がある。
「母さん……ごめん、」
その言葉に、群青の髪の少年は絶句した。
アッシュの覚醒は吸血鬼の暴走と同じく、理性を欠落するものであるはずだったのだ。それが、意識を保っている。
覚醒が不完全なのか……いや、そんなはずはない。容姿も変貌しているし、ロザリオの戒めが効かないほどの力だ。覚醒は完全に成されている。
クロードの中で様々な感情が入り乱れ、思考は困惑に渦を巻く。ただ呆然と行く末を見守ることしか出来ない。
「――俺は母さんを救えない。……手にかけることでしか、苦しみから解放させられない」
懺悔のごとく、静かに告げるアッシュ。母を抱きしめる腕に優しく力がこもる。
マリアは微笑を浮かべ、力なく首を横に振った。
「いいのよ……、私が、それを望んだの。あなたが、罪の意識に苛まれることは、ないのよ……」
髪を撫で、マリアはアッシュの頬に口付ける。耳元で何かを囁き、名残惜しむように体を離すと、息子の姿を目に焼き付けるように見つめた。
言葉を交わすことも、もう最後だと思うと、アッシュの目から自然と涙が零れた。降り落ちた雫がパタタと母の頬を濡らす。
もっと話をしたかった。もっと、一緒にいたかった。
「母さん…………ありがとう」
最後に伝えたかった言葉は、いろんなことへの感謝の気持ちだ。
ずっと、ずっと伝えたかった想い。
「ううん。……私たちの息子に生まれてくれて……ありがとう、アッシュ――愛してるわ」
止め処なく溢れる涙を、アッシュは止める術を知らない。今はただ、母を楽に死なせてあげること、それだけだった。
アッシュの手刀が緩やかに上げられる。それは母の胸元でピタリと止められた。
次の瞬間、高速で突き出された手刀が、マリアの心臓を真っ直ぐに貫く。
「|Cinis cinerem pulvis in terram《灰は灰に、塵は塵に》」
囁くように口にすると、マリアの体が一瞬にして白銀の炎に包まれた。鼻をつく死臭が立ち上る。吸血種の焼ける特有の青白い炎と陽炎が如く白銀が混じり合い、色鮮やかな蒼炎が揺らめいた。
炎に包まれたマリアが最期に見せたのは、泣き笑う聖母のような慈愛に満ちた表情だった。やがて彼女は、灰すら残さず消滅する。
力なくうな垂れるアッシュ。ふと地面に目をやると、マリアがいた場所には、汚れたドレスの切れ端とメダイの形をしたロケットが落ちていた。
手に取り、おもむろに中を開いてみる。そこには幼い頃の自分を抱く母と、その肩に手を乗せる父。そして母に抱きつくベリアの、仲睦まじい姿が収められていた。
色褪せ具合が、年月の経過をしみじみと感じさせる。
「…………アッシュ、なのかい?」
どこか遠慮がちで余所余所しいクロードの声に、アッシュは振り向く。
緊張したように、蒼い髪の少年はゴクリと唾を嚥下した。
「クロード……」
そう名を呼ぶと、クロードは安心したのか「よかった、君なんだね」と胸を撫で下ろす。
「お兄ぃーーーーーー!ッ」
視線を転ずると、次はリゼが叫びながら駆けてきて、いきなり飛びつかれた。勢い余って尻餅をつく。
「なんだよ……痛いだろ」
「バカっ、心配したんだからね!」
そう言って瞳を覗き込んでくるリゼ。
しかしすぐさま、その目が何か気づいたように見開かれた。
「それより大丈夫? 体は変じゃない? 髪色おかしいけど」
「え?」
指摘され、アッシュは改めて自分の前髪を確認する。黒くない。何故か銀髪になっていた。
「これは……それに、さっきの力――」
「いま気づいたのかい?」
無我夢中で先ほどは気が付かなかったが。
アッシュは自分の身に何が起こったのか、それを薄々理解し始めていた。
「そうか……俺の中には、やっぱりカインの因子が隔世遺伝してたんだな」
「それでも、君は君だよ」
「……クロードは、いつから知ってたんだ」
静かな口調で問う。
彼は目を伏せると、申し訳なさそうに、「……五歳の時から」
別に責めるつもりじゃない。そんな顔を見たかったわけでもない。なのにクロードは「ごめん」と謝ってきた。気まずい沈黙が流れる。
涼やかな風が木々を揺らし、明るい月夜に木の葉が舞い踊った。
真祖をも殺すという噂の力。そんなものは伝説だと思っていた。けれど今は――。
「でも本当に、これでよかったのか。他に手はなかったのか。俺はこの手で、母さんを……殺――」
「お兄ぃッ!」
まるで言葉を遮るように、リゼが急に抱きしめてきた。強く、ただ強く。
「よかったんだよ、よかったの。マリアさんの顔、お兄ぃも見たでしょ? 笑ってた、笑ったんだよ。お兄ぃの手で死ねたことが、嬉しかったんだよ。そんなマリアさんの想いを、否定するようなこと言わないで……」
耳元で訴えてくる少女の声は震えていた。涙を必死に堪えているようだった。リゼなりに気を遣ってくれているのだろう。
やっぱり、自分よりも強いなとアッシュは思う。
穏やかな気持ちでそっと瞼を閉じた。
「ありがとうって、言ってくれたんだ……愛してるって。俺のせいで、苦労したこともあっただろうに」
「…………うん……」
「――嬉しかった」
眼裏に蘇る数々の記憶。最期に見せた母の顔も、決して忘れぬよう大切に胸に刻む。思い出して辛くなることもあるだろうけど、母との最後の思い出だから。
母のくれた想いを胸に抱き、流れた涙の一滴。
落ちて弾けた瞬間に、ふっと気が抜け、意識が遠のいていくのを感じた――。
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