3-6

「それにしても、なんでこんなことになってるんだ。どうして母さんと戦わなくちゃならないんだよ……」

「お兄ぃ」


 力なく呟いた言葉は、この場の誰に問うたものではない。故に答えも期待していない。

 けれど、知っているのなら誰でもいい。この不幸を説明してほしかった。


「母さんは死んだとばかり思ってた。生きてるんなら、なんで家に帰ってこなかったんだ」


 安らかに眠る母の顔を覗き込む。先ほどまでがまるで嘘のように、聖母もかくやといった美しさで寝息をたてていた。

 顔にかかる金糸の髪をそっと払い、穏やかな表情を見下ろしては不意に胸を掠めた懐かしさに頬が緩む。


「――帰れなかった理由なら、なんとなく分かるよ」


 声に目を向けると、「憶測だけどね」と壁に背を預け腕を組むクロードは続けた。


「アッシュ。君は不死者の食事がなにか、知ってるかい?」

「食事って、普通に肉食って野菜食ってパン食って、あとは血液摂取……俺たちと同じじゃないのか?」


 そう尋ねると、彼ははっきりと首を左右に振る。

 どこか厳しさを滲ませるように目を細めると、「主人の血だよ」と静かに告げた。

 ……主人の、血。

 それはつまり、マリアを不死者に生まれ変わらせた父、ジェラールの血液ということ。

 思い返してみれば確かに、母は頻繁に父の首筋に噛み付いていた。その時の微笑ましい光景を忘れることはない。


「でも、それだけしか受け付けないってわけじゃないんだろ?」


 そんなはずはないと、楽観的に訊ねてみるも。

 クロードは目を伏せるだけで口を開こうとはしなかった。


「じゃあなにか? 母さんは食事をすることなく十一年も生きてきたってのか?」


 そうだとすると、血液を摂取せずに経年劣化を免れていることの説明がつかない。

 マリアの姿は当時のままだ。若く美しい、記憶の中の母そのままだ。

 アッシュは血を断った祖父母の写真を見たことがあった。段階的に摂取量を減らしていきやがて完全に血を断つと、祖父母は暴走することもなく吸血鬼らしからぬ人間的な寿命を迎えたそうだ。

 死の半年前に撮られた写真から外見的な特徴として、人間と同じく皺やたるみなどの老化が見て取れた。経年劣化は身体能力だけでなく皮膚にも強く現れることを知っている。

 もともと人間だったといっても、いまでは母は吸血種。血液の摂取なくして肉体を若く保つことは不可能だ。それが主人の血しか受け付けないとなると、なお更に。


「そこが一番の疑問なんだよ。なんでマリアさんは当時の姿のままでいられるのか。そこには僕らの知らない真実が――」


 そこまで口にしたクロードが、鋭い目つきで教会の入口を見やる。

「誰ッ!? 」ほぼ同時に声を上げ、リゼも振り返った。

 二人に遅れる形でアッシュも目をやると。そこには、一人の女性が立っていた。

 黒い喪服に、同色のヴェール。年齢はおよそ二十代前半。その腕にはいっぱいのユリの花を抱えている。

 こんな廃教会に人がいたことに驚いたのか。女性は丸く目を開いた。


「このような場所へ、どのような目的でいらしたんですか?」


 訝りながら呟き二歩三歩と歩いてくる。

 しかしはたと立ち止まり、彼女は愕然とした様子でユリの花束を取り落とす。横たえられた人物に気づいたのか、「マリア様!」そう叫びながら駆けてきた。

 傍らにいたアッシュを跳ね除けて、女性は心配そうにマリアの顔を覗き込む。


「――――はぁー、よかった~」


 吐息があり、眠っているだけであることに安堵したのか、胸を撫で下ろしぺたんと座り込む。

 まるで知人であるような振る舞いに、アッシュは少し遠慮がちな視線を送る。


「母さんのことを、知ってるのか?」

「えっ? …………母さん?」


 女性は驚いた顔をして振り向いた。まじまじと顔を見つめてくる。


「もしかして、あなたがマリア様が言っていた、アッシュ?」


 問われ、そうだと頷き返すと、女性は見る見るうちに目にいっぱいの涙を浮かべる。

 どうしていいのか分からず狼狽えていると、彼女は震えながら手を握ってきた。


「マリア様の願いが、届いたんだ」


 泣き笑うその顔をよくよく見てみると、瞳の色が真っ赤だった。

 髪はしっかりと茶色い。色素欠乏症でもないのに赤い理由は……。


「あんたは、吸血鬼……なのか?」


 恐る恐る尋ねると、女性はぶんぶんと首を振って強く否定する。


「私はナターシャ、マリア様の眷属です」

「眷属だって?」信じられないといった様子でクロードが割って入る。「不死者が眷属を持っただなんて話、聞いたこともないよ」


 後天的に吸血種になった不死者は血の濃さが足らず、眷属とするための血分けが出来ないとクロードは続けて言う。


「私にも分かりませんが。おそらく、執念かと……」


 聞けば、十一年前。

 マリアがヴァン・ヘルシングに誘拐された時、助けに行ったジェラールは勝てないことを自ずと悟った。

 執行者の手にかかって死なせるよりは短い寿命を息子と共に生きて欲しいと願い、母だけは命を賭しても逃がそうと決意した父はどうせ死ぬならと、死に方をマリアに教えた上で自らの心臓を潰して力を開放する。

 自身でも御しきれない力で暴れたが、それでもヘルシングに狂爪は届かなかった。

 母はその混乱に乗じて命からがら逃げ延び、この廃教会へ身を隠したのだと後にナターシャは聞かされたそうだ。


「母と死別し悲しみに暮れていた私は、この廃教会によく来ていました。マリア様へ、祈りを捧げるために」言いながら、教会奥で静かに佇む煤けた聖母像を見やる。「そこで、この方と出会ったんです――」


 しかし逃げる際にヘルシングの凶弾を受けてしまい、風前の灯火だったマリアの命。

 撃たれた弾は聖霊銀ではなかったが、主人の血でしか渇きを潤せないマリアにはその傷ですら修復することが出来ず致命傷だったのだ。

 ナターシャはマリアが吸血種であることを瞳の色で知り、憎悪の言葉で罵った。母親が死んだのは、吸血鬼に血を抜かれて殺されたからだ。

『ごめんなさい』とマリアはそんな彼女に謝ったという。死の間際にいる自分なら、その母親の気持ちが痛いほど分かる。娘を一人残して先逝く不幸は、身を切り苛まれるよりも辛いことだろうと。

 そしてマリアは言ったそうだ。『私にも、息子がいるから……』

 涙しながらもやわらかく笑む姿が、ナターシャの瞳には寂しげに立ち尽くす聖母像と重なって見えた。


「この方のために出来ることはないかと、懺悔にも似た思いで私は尋ねました。そうしたら、」

「血を飲んでくれと言われたわけだね?」


 彼女は静かに頷いた。

 恐らく、自分が不死者となったことで得た、経験則からの賭けだったのだろう。

 主人の血で不死者となった自分なら、もしかしたら眷属からの血の提供で生きられるのではないか。

 幼い息子を残して先には逝けないと、醜くても生き永らえることを選んだのだ。


「一か八かだそうでしたけど。結果として、私はマリア様の眷属となりました。それ以後、食事は私が提供しています」


 それでもやはり飢えからの暴走は免れることはなく。時折やってくる人間たちを殺しては血を啜り、正気を取り戻しては墓を作り続けているという。

 話を聞き終え、改めてヘルシングへの憎悪がぐつぐつと沸いてくる。

 囮として母を捕らえ、父を殺し、挙句母を暴走へと追い込んだこと。そしてもう一人、他人を巻き込んでしまったことへ心苦しさを感じる。

 と、そこで新たな疑念が浮上した。状況から見ても、いくつかの類似点がある。


「ちょっと待てよ。……なあ、まさかこれ……罠だったりしないよな?」


 その呟きを待っていたかのように砲声が轟いた。一秒もしないうちに教会の石壁がバガンと弾け飛ぶ。

 一瞬、教会内をキラリと光る何かが横切り、また反対側の壁を破壊した。


「――なんだッ!? 」

「銃弾よ!」


 リゼの叫びに、場の空気が一気に緊張感で張り詰める。

 噂をすれば影だ。

 最初に風穴を穿たれた部分を油断なく凝視する。すると、わずかに差す斜陽を反射する背の高い何かが、こちらへ向かって移動しているのが見えた。

 やがてそれが、人の持つ得物であることを視認する。


「あ、あの女は……」


 長大なライフルを肩に担って、長い黒髪を揺らしながら悠然と歩いてくる女性。

 それは、つい先刻に会ったばかりの酒場のバーテンだった。凝った刺繍のチューブトップのコルセットにレザーパンツ。黒の燕尾状コートを閃かせ、崩れた壁から中へ入ってくる。


「また会ったわね」


 肩からライフルを下ろすと、黒鉄の塊は重そうな音をたてて床に突き立った。

 夕日を反射し黒光りする砲身は、マズルブレーキの形状からまるで戦車砲を思わせる重量級の得物だ。


「ちょっとアンタ! いきなりなんのつもりなのよッ!? 」

「ん? あー、バーでうちのお客を伸したお嬢ちゃんか。久しぶり」

「久しぶり、じゃないわよ! なんのつもりかって聞いてんのッ! 危ないでしょ!」


 物怖じせずに噛み付くリゼに、女は髪をかき上げながら、「ちょっと仕事をしに、かな」含んだように笑って言う。


「やっぱり……、まさかと思ってたけど、アンタ執行者ね?」

「さあてね。それはどうだろ?」惚けたように軽くあしらいながら、女はアッシュへ視線を向ける。「ところで。話聞かせてもらったんだけどさ、その人、あんたの母親ってのは本当?」


 コートからレシーバーらしきものを取り出して女は問うてくる。

 どうやら会話を盗聴されていたらしい。周囲をそれとなく注意して見てみるが、それらしきものは見当たらなかった。

 アッシュは母を背に庇いながら、「ああ」と短く返事する。


「そっか。狩っていいことになってたんだけど……金は諦めようかな」

「それはどういう――」

「あたしは賞金稼ぎでさ。その女性に懸賞金がかけられてるんだよ」


 なるほど、話を聞いて合点がいった。酒場で見せた身のこなし。賞金稼ぎという職業上、吸血種と戦うことも多いだろう。その為の体術や射撃術なのだ。

 しかし、吸血種を完全に死に至らしめられるのは聖霊銀のみ。殺すつもりでここへ来たというのなら……。

 執行者と繋がりがあるかもしれない。アッシュの額を冷たい汗が伝う。

 古いとはいえ教会の外壁を破壊するほどの威力を持った銃器。あんなもので銀弾を撃たれたらひとたまりもない。

 接近戦でも、相当苦戦を強いられる相手であることは想像に難くないだろう。


「あれ、もしかしてあたし、警戒されちゃってる?」


 女は頬を掻きながら、気まずそうに笑う。

 ひょうきんなところは、なんとなくクロードに似ていた。


「どうして、殺さないんだ。獲物なんだろ?」

「……別に大した理由なんてないよ。ただ、やり方が気に入らないってだけでさ」


 どうにも釈然としない返答だ。

 故に、胡散臭いものを見るような怪訝顔をしていたのだろう。


「そんな顔をしないでよ。あんまり身の上を口にするのは好きじゃないんだ。それに、女は秘密を着飾って美しくなるってよく言うでしょ?」

「俺たちのことも、見逃してくれるのか?」


 猜疑的な眼差しを向けると、賞金稼ぎはくすくすと鼻を鳴らす。


「ここでまとめて殺れれば、結構な額になるんだろうけどね。でも、あたしにだってプライドはある。人情もある。親子の再会に水をさすような野暮なことはしないよ――」


 そう告げるとライフルを担ぎなおし、女は踵を返した。

 わずかに首だけで振り返ると、「まあ、あたしに任せときなって」そう告げて目元に微笑を湛えた。

 意味深な言葉を残して去ろうとしていた彼女の背に、アッシュはつい声をかける。


「あんたの名前は?」

「……ジゼルだよ」


 背中で語ると、逢う魔が時の昏がりを彼女は一人歩き去っていく。

 どこか哀切が滲むような寂しい背に、これ以上呼び止めることは出来なかった。


「放っておいていいの?」


 遠ざかっていく女を見送るリゼが、ぽつりと呟く。


「とりあえず見逃してくれるっていうんだから、その方がいいだろ。無駄に争う必要なんてないさ」

「わたしがいるのに、お兄ぃは負けるとでも思ってんの?」

「そういうことじゃない。リゼの力は頼りにして……ちゃいけないんだろうけど、信頼してるさ。でも、向こうの思惑も腹の内も分からないのに、迂闊に手を出すのはどうかって話だ」

「ふーん、まあいいけどさぁ――」不満そうに少女はそっぽを向く。「ってあれ? クロードはどこに行ったの?」


 リゼにつられて周囲を見渡すと、確かに、クロードの姿が見当たらない。ナターシャもいつの間にかいなくなっていた。


「まったく、しょうがないやつね。わたしちょっと探してくるから、お兄ぃはここで待ってて」


 言い置くと、リゼは教会の外へと駆けていく。

 リゼにしては素直に引き下がったなと、アッシュはほっとする。

 嵐は去った。ジゼルの目的や素性は定かではないが、これで一先ず落ち着けるだろう。

 床に腰を下ろし一息ついた。その時、


「――――――ぐ、ぁ!」


 突然左の首筋に、激烈な痛みが突き刺さる。ちらと横目で見やると、そこには瞳を真っ赤に充血させたマリアの顔があった。深々と皮膚に食い込む二つの牙。まるで獣のように喉を鳴らし、穿たれた穴から流れ出る血をむさぼっている。


「母、さん――」


 背中側から腕を回され、がっしりと抱きつかれているため、なかなか振り解けない。力ずくで抜け出そうにも、母を傷つけるようなことだけはしたくなかった。

 しばらくして、駆けてくる足音が聞こえてくる。少しもしない内に、彼は戻ってきた――。



     †



 突然鳴り響いた銃声のような音を頼りに、ノエルは昏い森の中を疾走していた。

 ヴィンセントの情報によると、廃教会はブラショフ近郊の酒場から南東へ外れた森の中、ということらしいが。

 もしも音がそこから鳴ったものだとすると、何者かが槍の欠片を狙ってやってきた可能性もある。音が銃声だとするならば、その場で戦闘が起こっているということだ。

 アッシュたちの目的が自分たちと同じである、といったことをヴィンセントは示唆していた。ということは、そこに彼らがいる可能性は極めて高い。


「はぁ、はぁ……はぁ――」


 焦る気持ちが、送り出す足をより一層速くさせた。

 一時の間、勘に頼って走っていたが。ふと視界の端を掠めた物体に気づき、ノエルは足を止める。歩み寄って見てみると、燻された銀の十字架が樹の幹に打ち付けられていた。


「これは、執行者の道標……」


 なぜこんなところに? ノエルの頭上に疑問符が浮かぶ。ヴィンセントが用意したものだろうか。しかし急を要する今、気にしている場合ではない。

 別件で用事があると一人居残ったヴィンセント。相棒がいない状況でどこまで出来るのか――そこまで思考し心の中で『違う!』と叫んだ。

 出来る出来ないじゃない、殺るのだと。

 決意を固めたあの日の鏡に映った自分の眼を思い出し、少女は道標の傾きに従って、廃教会へと急いだ――。

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