第三章 思いがけない出会い

3-1

「ブラショフ? またなんでそんなところに……」


 ロジエ・ノワール城の円卓の間で、アッシュは戸惑いの声を上げた。

 ベリアに呼び出されたかと思ったら、何故かそこにはクロードとドラクロアの姿があった。

 クロードが自分に協力していることが早々にバレたのだ。そう思い、お咎めを覚悟した耳に響いた低い声。「ブラショフ近郊の廃教会に吸血鬼が潜伏している」

 出し抜けなその言葉に面くらい、反応が二拍ほど遅れてしまった。

 ブラショフといえば、トランシルヴァニア南部のスドニクから、東部エストリアに跨る主要都市の一つだ。古い街並みが綺麗に保存され、中世の面影が色濃く残る古都。

 雰囲気だけなら、トランシルヴァニアのどこよりもそれらしくあるだろう。

 吸血鬼がそこにいるという話を、別段不思議には思わなかったが。内容を聞いてその考えは早計で浅はかだと言わざるを得なかった。

 ドラクロアの話をまとめるとこういうことらしい。

 なんでもその廃教会には、以前からおかしな吸血鬼が住みついているという。

 退治しにきた自警団や賞金稼ぎ、有志連合を返り討ちにし、その墓を自ら作るという奇行。そして何故か町や村には襲いに行かず、その場に定住している謎の行動。

 数多の人間が死んでいるため、数年前から近辺への立ち入りが規制されていて、現在は聖櫃教会がその管理を任されているそうだ。

 だがここで疑問が生まれる。


「聖櫃教会が管理しているんなら、なんで執行者たちはその吸血鬼を殺さないんですか?」


 教会において吸血鬼狩りの役職にあるのなら、その管轄区内で吸血鬼を野放しにしている理由が分からない。

 執行者にはノエルも在籍している。あれだけの憎悪を隠しもしない彼女なら、見逃すはずもないと思うのだが。


「詳しいことは分からない。だが、このまま捨て置くには憂慮すべき事案だ」


 ドラクロアにしては珍しく、ため息混じりに呟いた。


「何か問題でもあるんですか?」


 アッシュの問いに、痺れを切らしたように横合いからクロードが口を挟む。


「ドラクロア卿が言うには、どうやらその吸血鬼っていうのは暴走してるみたいでね」

「暴走?」


 訊き返すと、「そっ」と頷きながらクロードは言った。

 吸血鬼にとって人間の血は糧であると同時、力を保ちより増幅していくためのある種ドーピングのようなもの。極限の飢えでも血を求め狂うことがあるが、その頃には経年劣化により力や体力も衰えているため、さほど脅威ではない。

 しかし、血を摂取しすぎた場合は違う。ドーピングによって最大の力量を発揮するだけに止まらず、暴走によってリミッターが外れ、限界以上の潜在能力が引き出されるのだ。


「――それに、暴走っていうのは弁別がつかなくなるんだよ。人も吸血鬼も見境なく襲う魔物になるってわけさ」


 自分は人間の血を摂取したいと思ったことがあんまりない。それでも半分吸血鬼。経年劣化からは逃れられないため、血を絶つことは不可能だ。

 暴走を免れているのは、いつも飲んでいるジュースに適量の血液が入っているから。

 クロードの説明を受け、アッシュはなるほどと納得する。


「つまり、その吸血鬼を処理しろってことですか?」


 ドラクロアに目をやると、彼は黙したままで顎を引いた。

 聖櫃教会が管理する地域に自分を送り込む意味。それを自ずと理解する。

 しかし同時に危機を感じた。いくら噂で廃教会から動かないといっても、これからもそうとは限らない。

 ただでさえ執行者がいるだけでも手一杯なのに、その暴走吸血鬼が障害になることも考慮するとなると……。

 想像するだけで果てしなく面倒くさい。

 だが、種の脅威になるのなら、その芽は早めに摘み取っておくのがいいだろう。

 ベリアのためにも、自分がなんとかするしかない。


「分かりました、行きます」


 アッシュはそうはっきりと意思表示する。どの道、自分には前へ進む道しか残されていないのだ。

 ヴァン・ヘルシングが、生きている以上。

 すると、ドラクロアは静かに椅子から立ち上がり、


「一つ忠告しておく。相手は相当数の血液を得ていると推測される。どれだけ力を付けているかは想像できない、」


 一呼吸、その間が妙に不安を駆り立てる。


「――対峙したなら、一切躊躇わないことだ」


 念を押すように助言を残して、彼は円卓の間から出ていった。


「そんなに強いのか……暴走した吸血鬼ってのは」


 アドバイスを受けたというよりは、なんだか脅されている気分になった。

 出端を挫かれるとはこういうことを言うんだろう。自然、肩が下がる。


「心配するなよ、アッシュ。僕もついていくからさ」


 いつも通りの気安さで、クロードは肩を叩いてきた。

 それが無理を隠している表情なのかは表面上分からないため、少し遠慮がちに訊いてみる。


「そんなことよりお前、大丈夫なのか?」

「なにが?」

「俺に協力してることだよ。咎められたりしてないのか?」

「そんなこと、君が気にする必要はないよ」

「いや、でも――」


 それ以上の言葉を遮るように首を振り、


「大丈夫さ。バレはしたけど、ドラクロア卿になにも言われなかったし」


 言ってクロードは小さく笑みを作った。


「そう、なのか」

「そうさ」


 やっぱりバレていた。

 それもそうだ。相手は真祖。そう簡単に誤魔化せるほど甘くはない。

 まあ、叱責を受けたのであれば、今さっき自分もドラクロアから小言を食らっただろう。

 なにも言われなかったことを考えると、見逃されたか、自分だけでは力不足と判断されたか。

 どちらにせよ、アッシュにとっては心強い。


「そんなことより、ベリア様からの伝言だよ」日陰気味な話題から切り替えるように、クロードは口調を明るくし、「僕たちだけじゃ心配だからって、リゼを付けてくれるらしかったんだけど――」

「あいつ、起きてるのか?」


 久しぶりに聞いた名前に、小さく呟いて、表情を曇らせる。

 リゼとは十一年前に会って以来、ずっとその姿を見ていない。

 申し訳なさそうに俯くアッシュに、クロードは心情を察したのか気まずげに頬を掻いた。


「うん、ようやくね。でも、相当機嫌が悪いらしい。マリアさんを失ったのが、それだけショックだったんだろうね」


 リゼはベリアの一人娘だ。しかし血は繋がっていないらしい。

 一時期、ベリアが任務で忙しかった頃に、ローゼンバート家に預けられていたことがある。

 昔はアッシュのことを『お兄ぃ』と呼び、後ろをついて歩くような可愛らしい女の子だった。

 特にマリアに懐いており、母親のように慕っていた。

 しかしマリアが死に、リゼは棺桶の中で眠りについた。いわゆる不貞寝の泣き寝入りだ。それがようやくまともに起きてきたらしい。

 そんな彼女から言われた最後の言葉は、『お兄ぃがもっと強ければ……』

 その時の、リゼのぐしゃぐしゃの泣き顔が、いまでも眼裏に焼きついている。


「まあ、そんなに思いつめることもないと思うよ。アッシュのせいじゃないんだしさ」


 それでも……。両親が死んでから、脳裏を幾度も過ぎった言葉だ。

 自分が強ければ、もしもみんなが忌むような力があるのなら。

 しかし現実は違う。呪われたカインの血なんてものは、ただの絵空事に過ぎない。

 自身の不甲斐なさに頭は垂れていき、仕舞いには表情まで翳っていく。


「顔を上げなよ、アッシュ。君の戦いはこれからなんだ。こんなところでうな垂れてても始まらないだろう?」


 言いながら、クロードはがしっと肩を組んできた。見返した彼の顔は、元気出せよと言わんばかりに、爽やかに笑んでいる。

 その表情にわずかばかりの心強さを感じ、「ああ」と小さく頷いた。


「……そうだな。目標がいる以上、こんなところで足踏みしてるわけにはいかないよな」

「そうさ。僕もマリアさんの弔い合戦に参加するんだ。大船に乗ったつもりでいていいよ」


 ニカッと白い歯を見せる少年に、アッシュはやわらかく笑みを返す。

 心の中で、「ありがとう」を呟いた。

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