2-2
「どうだい? 人間っぽいだろ?」
得意満面の顔でそう胸を張る少年、クロード・ナイトブリング。
蒼い髪は茶色くなり、吸血鬼の特徴である鋭い牙は引っ込んで、宝石にも似た赤い虹彩も今や茶褐色に変色していた。派手な貴族衣装はスーツのような礼装へと変わっている。
どこからどう見ても、見事なまでに人間の容姿だった。
「相変わらず凄いな、その擬態技術」
アッシュはクロードと肩を並べ、感心しながら舗装されていない町の通りを歩く。
トランシルヴァニア北西の町、キドニア。
北部のノルドヴァと西部のベスラナを結ぶ、中継地点にある小さな町の一つだ。
ひなびた屋根瓦の木造建築が立ち並び、古めかしい写真じみた雰囲気に包まれている。
「ところで。この町の教会に聖槍の欠片の一つがあるっていうのは、本当なのか?」
立ち並ぶ民家を右に左に眺める。どう見てもそんな大層な物を保管している印象はない。厳重な警備が敷かれているわけでもなければ、銀糸網すら見当たらない。まるで無警戒だ。
アッシュは訝りながらクロードを見た。
「なんだいその目は? そこに教会があるのなら、片っ端から当たってみる。それが捜査の基本ってもんだろう? いわゆる、足で稼ぐってやつさ」
なにを誇らしげに言うかと思えば……。
「とどのつまり、情報もなにもないってことなのか?」
「まあね」
「まあねってお前」
さも当然のように返事するクロードのお気楽さに、呆れて物も言えない。
「ただ――」蒼い髪の少年は強調するようにいったん言葉を切り、「これはドラクロア卿が言ってたことなんだけど。槍の欠片って、いくつも散らばってるんだってさ」
「欠片って言うくらいだから、それはそうだろ」
「いや、そういう意味じゃなくて。欠片の中にはフェイクがたくさん混じってるってことさ」
「偽物ってことか?」
まさかとアッシュは瞠目した。
クロードは頷き、話を続ける。
「ロンギヌスは聖遺物として扱われてる。それそのものに不思議な力が宿るって信じられてるんだよ。それを隠す目的で点在させたのにねえ――」嘆かわしく息を吐き、呆れるように肩をすくめると、「教会の人間が人集めのために、欠片の偽物を本物だと主張し合っていた時代があったそうなんだ。結局、どれが本物なのか判らないってんじゃ、本末転倒もいいところだけどね」
聞き終えて、なるほどとアッシュは得心する。
それだけの力を持つ聖槍だ。欠片とはいえ本物がそこにあると知れれば、物珍しさに人々は集まってくるだろう。改宗や帰依してくれれば、教会側としては願ったり叶ったりだと思う。
「まあただ一つ幸いなことは、本物がここトランシルヴァニアに集まっている、って噂だけだね。本当ならの話だけどさ」
「けどそれが分かったところで、現状はなにも変わらないな」
クロードは最もだと首肯する。
「当面の目的は、執行者よりも先に聖槍の欠片を奪取すること、だね」
アッシュも顔を見合わせると、確認するように顎を引いた。
町外れの教会を視界に収めるところまで、難なくたどり着いた二人。
あまりに簡単すぎて拍子抜けしてしまうほどだが、気を抜けない理由があった。
木造で細身の教会は小さいながらも、取り囲む林の中にあって静謐な佇まいをしている。貧相な見た目の割には場にそぐう、ある種の趣さえ感じた。
そんな教会へと続く道をあと一歩踏み出せないでいた理由。それは――
「アッシュ、あの腕章」
「……ああ。分かってる」
クロードに返事し、睨み付ける視線の先。教会の前にぽつんと一人。黒いロングコートに身を包む、金髪を仔馬の尻尾のように結った人間が立っていた。
左袖に付けられた腕章は、十字を象ったもの。間違いなく、執行者のものだ。
「こんなところで鉢合わせるなんてツイてないね」そういう割には、さほど危機感を感じてなさそうな口ぶりで、「アッシュ、僕は下がってるよ。擬態に自信がないわけじゃないけどさ。万が一ってこともあるしね」
仲間がいないとも限らないし。彼はそう付け足しながら、アッシュの肩をぽんと叩く。
「ああ、ここは俺に任せてくれ。俺ならたぶん、大丈夫だ」
まるで根拠のない自信だったが、それでも人間にはバレないという自負はあった。自分の中には半分人間の血が流れている。その同属意識が働いた故だ。
「了解。有事の際は助けるよ――」
戻ってきた返事とともに、クロードの手が肩から離れ、気配が遠のき、そして消えた。
完全に一対一。だが戦闘になればおそらく勝ち目はないかもしれない。
そんな弱気な考えを脳内から払拭するように頭を振り、ぐっと拳を握り締めた。
一歩足を踏み出し、なるべく平静を心がけて続ける。
一歩、また一歩と、着実に距離が縮まっていく。あと七歩も歩けば接触するという距離で、緊張から唾を飲み込んだ拍子にリズムが狂い、歩調が乱れた。
盛大に砂利を滑り鳴らしたことにより、執行者が何事かと振り返ってくる。
それは少女だった。はっと息を呑むほどに可憐で、こんな片田舎にはそぐわないお嬢様然とした品位さえ感じる。
金髪の少女は、体制を崩すアッシュに駆け寄ってきた。
「大丈夫?」
よかった。どうやら自分が吸血鬼だとは悟られていないようだ。
「あ、ああ」なんてぎこちなく返事をしながらも、内心ではいつバレるともしれない状況に、心拍は右肩上がりである。
服についた砂埃を叩き、改めて少女の顔を見た。
こんな自分と同い年くらいの女の子が……執行者? アッシュは信じられなかった。
彼女が纏う、静謐でいて波ひとつ立ちそうにない穏やかな空気感。休日には、窓辺で本を読みながらゆっくりお茶でもしていそうな雰囲気がある。
しかし同時に、氷のような青い瞳に底の知れない闇を感じた。敵には情けも容赦もないと。裏側には冷酷な白刃を隠していると。表の世界では堂々と生きられない、吸血鬼としての本能が警鐘を鳴らしてくる。
――彼女はキケンだ。
まるで針金を通したように体が強張り、自然、鼓動が早鐘を打つ。
「あなたもお祈りに来たの?」
「祈り?」
急に話しかけられ、面くらい鸚鵡返しすることしか出来なかった。
「だって、教会に用があるんでしょ?」
執行者相手に、「聖槍の欠片を探しにきた」なんて馬鹿正直に答える義理はない。それにそんなことを言おうものなら、腰に下げた剣と銃を抜かれ、問答無用で攻撃されかねない。
ここは適当に誤魔化すしかないだろう。
「まあ、そんなところかな」
教会に目をやりながら答えると、「ふうん」とつまらなそうな相槌が返ってくる。自分で聞いておいてそれはないだろう、とアッシュは内心むっとした。
少女の視線が、まるで品定めでもするように上から下から往復し、
「ねえ、あなた名前は? 私はノエル」
何を思ったのか、少女は急に名を名乗ってきた。
真意は図りかねるが、ここで無言を通して怪しまれでもしたら元も子もない。まだ自分の正体には気づかれていないのだから。
悟られないよう警戒心を潜めつつ、
「……アッシュ」
素っ気なくぶっきらぼうに答えながら、彼女から視線を外す。
「アッシュ。素敵な名前ね」
ノエルと名乗った少女は、花弁が雫を弾くみたいな清清しさで笑う。
そんなことを言われたのは生まれて初めてだった。吸血鬼でも人間でもない。黒でも白でもない。そんな理由から混合色である『灰』と名づけられた。
母の血が混じっていることを憂いたことなど一度もない。だが、名前まで中途半端というのは、アッシュ自身少しだけコンプレックスに感じていた。
それをノエルは素敵だという。
いままで覚えたことのない感情に、心が躍るような胸の高鳴りを感じた。
しかし、アッシュは思い出したように頭を振る。相手は可憐な少女でも、あの執行者だ。自分たちの敵だ。そしてこいつらの先には、自分の倒すべき仇敵がいる。
スッと、綻びかけた表情を引き締める。そして訊ねた。
「ノエルはどうしてここに?」
理由など聞かなくても分かっていた。自分たちと、同じ目的なのだから。
「私は、ちょっと仕事でね」
気まずそうに苦笑しながら答える少女。
「執行者、か」
左腕に視線を注ぐアッシュの呟きに、ノエルははっと目を瞠った。
しかしすぐさま、観念したように小さく息をつき、「やっぱり、分かっちゃうよね」左腕を抱くようにして、腕章をきゅっと握る。
かすかに瞼を伏せると、彼女は長い睫毛をふるりと震わせた。
どことなく憂いを感じるその表情が引っかかり、アッシュはつい出来心で聞いてしまった。
「どうかしたのか?」
問いかけに、少女は力なく首を振る。
逡巡した後、
「アッシュは、毎晩のように屍食鬼を殺して回る女の子を、どう思う?」
「どう思うって……」
そんなものは正直どうも思わない。彼女が何者であれ、執行者であるという時点で敵なのだ。
たとえそれが、同属が生み出した下僕を殺して回っていたとしても、そんなモノに注ぐ些細な同情すらアッシュは持ち合わせていない。
返答に惑っていると、「別に無理して答えなくていいよ」と彼女は儚く笑みを零した。
「普通じゃないよね、気持ち悪いよね。私は小さな頃からハンターとして生きてきたの。その宿命を背負わされていたのかもしれない」ノエルは諦めたように天を仰ぎ、「でも、私はその宿命を嘆くことは許されないの。吸血鬼を、この手で根絶やしにするまではッ」
冷たく言い放つ唇から、小さな犬歯が剥き出された。拳を握り虚空を睨むその姿から、相当な決意と覚悟が垣間見える。けれど、どこか悔しさを滲ませているようでもあった。
「根絶やしにって……。なにが、あったんだ――」
種を脅かす穏やかでないワードに反応してしまい、それを訊ねたところ、
「ノエル、ここに欠片はあったのか?」
背後から急に人の声が聞こえた。アッシュは反射的に振り返る。
視線の先に、不精髭を生やした男が立っていた。ノエルと揃いのコート、そして左腕の腕章、肩に担いだ黒いクロスボウ。口の端で緩くくわえた煙草から、紫煙が細く揺らめいている。
――こいつも、執行者ッ!?
嫌な汗が霜のように背中に張り付く。警戒は怠っていないはずだった。
曲り形にも吸血鬼。五感は人間のそれより優れている。なのに気配どころか足音すら殺し、自分に気づかせることもなく、いつの間にか背後へ忍び寄っていた男。
同じ執行者でも、ノエルとはまるで異質な雰囲気が漂う。
ノエルが暖かな日向を思わせるのなら、目の前の男は湿気の多い日陰。そんな真逆の、纏わりつく嫌な空気感を醸し出している。
まるで殺意を隠すことのない鋭い瞳に射抜かれ、蛇に睨まれた蛙のように萎縮してしまう。
「ヴィンセントさん。残念ですけど、ここにはないみたいですよ」
まるでそれがいつも通りの彼だといわんばかりに、涼しい顔をして返答する少女。
「ところでノエル、そいつは……?」
ヴィンセントと呼ばれた不精髭は煙草を手に取ると、指で弾き横合いへと投げ捨てた。煙を吐き出しながらより一層目を細めると、訝るようにこちらを見てくる。
「あっ、さっき知り合ったんです。彼はアッシュ」
まるで観光ガイドのように折り目正しく紹介された。
「アッシュ……?」
片眉を上げ、口の中で小さく呟く男の口元に――一瞬、不吉な笑みが浮かんだ気がした。
「……んん? どうかしたんですか、ヴィンセントさん?」
「いや、」そう言って僅かに首を横に振り、「そんなことよりノエル、次の場所だ」
ヴィンセントは急かすように、くいっと親指で町の方を示す。
小さく息をつき、諦めたように肩を落とすと、
「アッシュ、もう少しお話したかったけど、時間みたい。また会えたなら、その時はあなたのことも聞かせてね」
そう言って、名残惜しむようにはにかむノエル。手を振ると、コートの裾を翻し、不精髭の男とともに町の方へと消えていった。
姿が見えなくなった後も、アッシュはただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。本物のハンターを目の前にして、竦んでしまったのだ。
膝がカクついている自分を情けなく思うと同時に――奴らを束ねているヴァン・ヘルシングはどれほどなのだろう――と、武者震いだと思いたいほどの震えが体の底から突き上げてくる。
「アッシュ――」
声に振り返ると、クロードが木立の間から姿を現した。
この少年には珍しく、まるで心臓でも握られているかのような苦しい顔をしている。
「クロード、大丈夫か?」
「ああ、なんとかね」少年は、淀んだ肺の空気を吐き出すように一息つき、蒼い髪をかき上げた。「それにしてもあの男、相当な手練だよッ」
去っていった方向を睨みつけ、彼は捨てられた煙草を踏みつけながら忌々しげに吐き捨てた。
クロードも侮っていたのだろう。
確かに執行者は、対吸血鬼専門のハンターだ。凄腕揃いだとも聞いていた。それでも純血種としての、貴族としての矜持が彼にはある。人間には負けないと。
しかし、本物を目にし、積み上がっていた自信があっけなく崩されたのだ。
その悔しさは察するに余りある。
「でも、正体がバレなくてよかったな」
看破されていたらと思うと、笑えない冗談だ。
ほっと安堵したのも束の間、
「いや、バレていたよ」
「えっ――」クロードの冷えきった一言に、ざわっと身の毛がよだつ。
「少なくとも、あの男は君の正体に気づいていた。それに、離れていた樹上の僕の気配にもね」ぶるっと身震いするように震え、「いつクロスボウに手をかけるのか……生きた心地がしなかったなあ」
彼は軽い冗談でも言うように肩をすくめた。
なんでもない風を繕っているのは、その恐怖心に飲まれないためだろう。いつも通りを装うとしているところが、見ていて痛々しい。
「なんにせよ、ここはもう用済みだね」
ノエルの言葉を思い出す。ここにはないと、確かにそう言っていた。
奴らがほかの場所へ向かったのなら、自分たちも長く留まっている理由はない。
教会を一瞥し、アッシュらは目的の遂行の為、怖れを殺して次の場所へと足を向けた。
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