1-4

 クロードが手紙を持ってやってきた、その二日後。

 吸血鬼王の葬儀がしめやかに執り行われた。黒いバラの献花に訪れたのは、十にも満たない人数だった。

 葬儀は実にあっさりとしたものだ。

 頭を潰され心臓を抉られた、見るも無残にバラバラになった王の遺体へ全員が献花をする。最後に王の娘であるベリアが花を添え……そこで終わった。

 いや、彼女が終わらせたのだ。

 黒いヴェールを邪魔くさそうに取り払い、


『今日から私が――吸血鬼王ブラッドロードよ!』


 父親の凄惨な遺体を前にして、高らかに歌うように発した、たったのその一言で。



 トランシルヴァニア北部、ノルドヴァ。

 広大な森を背に、入り組んだ路地に沿うように石造りの家々が立ち並んでいる。ひっそりとした町ながら中央には大きな広場があり、隔週水曜には市を開いて賑わいも見せる。

 町の近郊に広がる鬱蒼とした森は一年中濃い霧に覆われ、強い磁場から方位磁針も利かない。一度入ったものは出てこられないという噂から、別名『死の森』と呼ばれていた。

 その森を抜け、さらに人里離れた山の麓。切り立った岩壁に互い違いに刻まれた細い通路、その先のクレバスの深奥に、暗澹と浮かぶ黒塗りの城が建っている。

 ロジエ・ノワール城。吸血鬼王の根城だ。

 蝋燭の灯りが静かに揺れるその一室。黒塗りの壁に、大理石の床はダミエ調に配されている。

 黒檀の円卓を囲い、今まさに、そうそうたる顔ぶれが一堂に会していた。


 吸血鬼六名家。

 連綿と続いてきた吸血鬼の歴史において、強大な力と権力を誇示してきた、由緒ある純血種の血統たちで主に構成されている。


「――まずここに、本日集ってもらったことへ感謝の意を表する」


 腹の底に沈むような、深みのある玲瓏な声が響く。

 第一席。ドラクロア・アルカード公爵が、皆を見渡しながら言った。

 長い黒髪に金色の瞳を持つ長身の男。黒と金を基調とした豪奢な衣装を身に纏っている。


「アルカード卿。堅苦しい挨拶はなしにしましょう」


 次いで聞こえた幼い声。

 第二席。シャノン・グラウチェスカ侯爵のものだ。

 八歳くらいのあどけない幼女の姿をしているが、数百年の時を生きる元老院の一人でもある。白金に輝く髪に真紅の瞳を持ち、白黒のゴシック服に身を包んでいた。肌身離さず抱えているのは、手術跡のような縫い目と黒い髑髏の眼帯が特徴的な、灰ウサギのぬいぐるみ『クリマ君』

 恥ずかしいのか、少女はぬいぐるみを盾に顔を隠していた。


「シャノンちゃんの言う通りですよ、アルカード卿。僕たちの間に堅苦しさは不要ですって」


 夜空みたいな群青色の髪をした赤瞳の青年が、幼女の頭を撫でからかいながら言った。

 第三席。クロード・ナイトブリング子爵。

 放蕩な姉たちに代わって出席している。礼儀を知らなそうな見た目の軽さとは裏腹に、黒と青の貴族服が憎たらしいほど様になっていた。

 シャノンは子ども扱いに苛立ちを見せ、ビキッとこめかみに青筋を立てる。いつまでも頭上に置かれたクロードの手を払いのけると、


「誰がちゃん付けを許したガキんちょ! 様を付けろ様を! 詫びて訂正しろっ」


 ぷんすかと可愛らしく涙目で抗議する。


「どっからどう見たって、子供はそっちじゃん?」


 ぽかん顔で、さも当然のように指摘するクロード。慇懃さの欠片もない一言だった。

 ――と、どこから取り出したのかナイフを手にしたクリマ君。

 問答無用で切りつけてきた白刃一閃を、人差し指と中指で難なく白刃取りすると――ポキリ。クロードは指を擦るようにして簡単にそれをへし折った。見ると、ナイフは木で出来たおもちゃだった。


「ふん、今日はこれくらいで勘弁してやる」


 しゅんとしたクリマ君を抱き、幼女はこの負け惜しみである。


「わははは! 愉快愉快。ナイトブリングの小僧も言うようになったな。たまに集まると、こういった余興があるから楽しいのう!」


 赤銅色のコートをかけた椅子に背もたれ、唾の飛沫を盛大に散らしながら豪快に哄笑する男がいた。

 第四席。ヴォルテール・グレゴリスク伯爵だ。

 この場にいる誰よりも異質、異様な彼。燃えるような赤髪に、紅の瞳。

 二メートルを超える褐色の巨躯を包む分厚い筋肉は、胸元を開いた白いブラウスを押し上げてパツパツに張っている。どこの成金主義だと言いたくなるほど、その武骨な指には、金や宝石の指輪がこれでもかと飾られていた。


「相変わらずやかましいですわね」


 呆れた溜息とともに、極寒の地に吹き荒ぶ風のような冷たい声がした。

 第五席。カーミラ・ブラッドレイ伯爵。

 他人を見下すような高慢な赤眼。金糸が如く滑らかな髪を結い上げたうなじが眩しい。そして何より、特筆すべきはそのスタイルの良さだ。


「くっ、出たなおっぱい魔人!」


 ぎりっと歯軋りし、仇でも見るような目で忌々しげに言い捨てるシャノン。

 それもそのはず。カーミラの胸は赤いドレスの胸元に、見事な渓谷を作るほどだ。手刀がそのまま沈んでしまうくらい豊満な胸をしている。ない乳少女が悔しがるのも無理はない。


「グラウチェスカ卿、失礼な物言いはよしてくださいません? それに、胸のことでしたらベリア様も相当だと思いますけど」


 子供の悪口に、余裕のある大人な対応をもってして受け流すカーミラ。さりげなく胸を持ち上げるようにして腕を組むと、ぷるんとやわらかそうに揺れた。


「くぅ~~! なんでわたしの周りはおっぱいしかいないんだ! わたしにもおっぱいよこせッ」

「牛乳でも飲めばいいんじゃない?」


 すかさず、横合いからクロードが茶々を入れる。


「なんだその気休めは。もっと実践的なアドバイスをよこせよ! バカにしてるのかッ。それにわたしは子供じゃない。あんな乳離れ出来てないようなお子ちゃまの飲み物を飲むくらいなら、葡萄酒を選ぶ!」

「だからちっちゃいんじゃないの? ――ああ、そういえば」さらりと失言を零し、思い出したように、「男に揉まれるといいって、なぜか姉ちゃんから手紙来たことあるけど……」


 彼はジトッとした細目で少女の胸元を見た。絶望的に望み薄な、ぺたんこのまな板さんだ。

 危険を察知したのか、少女はとっさに腕で胸元を隠す。


「わ、わたしの胸を揉みたいとか、貴様変態だ――」な。とシャノンがいい終える前に、

「なしだな。さすがの僕でも、幼女は守備範囲にないよ」クロードは手ぶり付きで全否定する。


 むきー! と元老院の少女はやかんが噴出すように真っ赤になって、


「冗談で言ったのに! わたしはこう見えても六百歳超えてるんだぞッ。子ども扱いするな!」


 クリマ君をばしばし円卓に叩きつける。その度にぬいぐるみの顔が苦悶に歪む。

 手が付けられそうにないと嘆息したクロードは、こちらへ助けを求めてきた。


「アッシュもなんか言ってやってくれよ」


 彼のその一言で、いままで忘れていたかのように全ての者の視線が集まってくる。

 怒り心頭だったシャノンですら、ぬいぐるみを振り上げた形で手を止めた。

 二つの金と八つの赤。この中で友好的な視線は、おそらくクロードのみだ。しかしアッシュは臆することなく、一人ひとりを見返していく。

 そういった視線は、もう慣れているから。

「ジェラールのせがれか……」ヴォルテールが品定めするような視線を向け、ぽつりと呟いた。

 第六席。アッシュ・ローゼンバート。

 黒い髪と青い瞳を持つ混血種。宵闇の黒と薔薇の赤を基調とした衣装に身を包んでいる。

 吸血鬼五名家に加え、最後の末席に列せられたローゼンバート家。それはアッシュの父、ジェラールが一代で築き上げた地位だった。

 吸血鬼の爵位は人間のそれとはじゃっかん異にする。血統や王族からの叙勲によって得る人間の爵位と違い、吸血鬼は血筋はもちろんのこと、実力によっても爵位を得られる。そして王がそれを認可する。いわば力の序列だ。故に、家族間であっても爵位が違っていたりする。

 が、基本的には血筋が優遇されるため、区別するために血統付きを『卿』と敬称で呼ぶ。

 ちなみに生前のジェラールは、侯爵級の伯爵位だった。侯爵に昇格も出来たのだが、「伯爵の方が響きがカッコいいから」。そんなくだらない理由で昇格を辞めたのだ。

 しかし父が死に、本来であれば純血種にも劣るアッシュが、六名家の座に居座ることは許されないはずである。

 だがそれを許可した人物がいた。それは、


「――みんな集まってるわね」


 よく通る澄んだ女性の声。その一瞬で、場の空気が一変した。

 アッシュに注がれていた視線は興味をなくしたように、一斉に声の主に注がれる。

 見ると、円卓の奥に設置されている黒檀の机上に、一人の女性が足を組んで座っていた。

 色素の薄いラベンダー色の長髪に、涼しげで切れ長の青紫の瞳。顎は細く、鼻筋の通った顔立ちは怜悧な美貌を湛えていた。

 雪をも欺く白皙の肌を包むのは、闇と見紛う漆黒のドレス。大きなスリットから覗くガーターストッキングに、むっちりとした肉感的な太ももが艶かしい。先のカーミラの言葉通り彼女ほどではないにしろ、形のいい豊満な美乳を誇っている。

 この女性こそが、父親である前吸血鬼王に成り代わり新たに女王の座に就いた、ベリア・ベル=テュール・レヴィ・ド・ノワールその人だ。


「各人忙しい中、円卓会議に参加してくれたことを私からも感謝するわ」ベリアは全員に目を配りながら謝辞を述べる。「――と、挨拶はこのくらいにして。さっそく本題に入りましょ」


 机に手を付き跳ね上がると、彼女は静かに椅子へ着席した。


「みんな知ってのとおり、父は死んだわ。凄惨な最期を遂げられた」


 感情なく淡々と述べる彼女。実につまらなそうな口調だった。

 ――ざわり。ベリアの一言に、アッシュは内からせり上がる怒りを覚える。真祖を殺すほどの手練。一人しか思い浮かばなかった。


「……ヴァン・ヘルシング」


 呪詛のように呟いた言葉は、しかし次に発せられた女王の声によって否定される。


「アッシュ。残念だけど、父を殺したのはヘルシングじゃないわよ」


 それは寝耳に水だった。真祖を殺したのが伝説のハンターでないとしたら、一体誰なのか。

 真祖の持つ不死性ゆえに、殺せる者は限られてくる。

 懐疑的な視線を受け流し、それに答えることなくベリアは続ける。


「でも、執行者たちが不穏な動きを見せていることは間違いないわね。……ドラクロア卿」


 促され、「ああ」と金の瞳を持つ男は頷いた。


「各地に派遣した者たちの報告によると、奴らは槍の欠片の捜索に本腰を入れたそうだ――」

「槍?」


 アッシュは話の腰を折り、つい疑問を口にした。


「聖槍ロンギヌス。神殺しと呼ばれる聖遺物のことよ」


  ベリアはそれとなく補足する。


「――十三年前。聖ヴァレリア大聖堂から、槍の半身が何者かによって盗まれたことは記憶に新しいが。なぜ今になって奴らが本格的に欠片を集めだしたのかは、まだ分からない」

「聖槍を彼らが手にしたら、脅威ですわね」


 額に汗を浮かべながら、深刻そうな顔をしてカーミラは言い零す。


「ロンギヌスって槍は、そんなに危険な代物なんですか?」


 アッシュにとってそれは素朴な疑問だった。いままで誰にも聞かされてこなかったから。

 混血であるが故に……。

 しかし事情を知る者たちからは、呆れとも諦めともつかない溜息が口々にもれる。


「お前も聞いた事くらいあるだろ。始祖カインの名前くらいは」


 元老院の少女が、ぬいぐるみの首をきりきりと絞めながら語りだす。



 ――カイン。原初の人アダムの長男。

 人類史上初の殺人『弟殺し』の罪により、神は永劫贖わせるために彼に不死の呪いをかけた。

 人ではなくなった彼はやがて魔に堕ちる。血に飢えそして吸血鬼の始祖となった彼は、何百もの眷属、『不死者ノスフェラトゥ』を血分けをもって従えた。

 その不死者たちがカインや同じ不死者同士で交配し、吸血鬼が血を濃くして数を増していくことになる。

 そんな彼が人間であった頃の直系の子孫に、トバル・カインという者がいた。

 カインと同じく金属加工が得意であった彼は、いまは失われた『神鉄』という神に祝福された金属をもって、一振りの槍を完成させる。

 不死となった先祖をけじめとして屠るための、究極の対魔族武器だ。

 後に救世主の死を確認するため、その脇腹を貫き血を受けたことにより神聖さを増す。それを実行した人物の名から、この槍は『ロンギヌスの槍』と呼ばれるようになった。

 そして時は流れ、紀元六六六年。執行者の前身ともいえる組織の手にかかり、カインはこの聖槍ロンギヌスによって滅んだ。その際に抜き出された頭蓋骨は、役目を終えて砕けた聖槍の半身とともに、カムレシア教会堂に安置された。

 聖ヴァレリア大聖堂はその教会堂を礎とし、カインを葬った聖女の名をとって、一二六二年頃に建造されたのだ。現在も地下にその教会堂は存在している。



「だが十三年前。突如として屍食鬼が大量発生するという事件の折に、安置されていた槍の半身が盗み出されたんだ。その時の屍食鬼は、わたしたちが関与していない噛み跡のないもの達だった」


 少女は首絞めにも飽きたのか。ぬいぐるみを抱きかかえ、疲れた顔でそう締めくくる。


「つまり、執行者が槍を復活させると、俺たちにとってかなり厄介になるってことですか」


 問うと、ベリアは小さく顎を引いて肯定した。


「そうよ、種の存続すら危ぶまれるわ」眉を逆立て眉間に薄く皺を刻み、危惧を孕んだ真剣な表情をする。「だから私たちは、これからそれを阻止するために動くわよ――」


 それは種の未来を心から案ずる、女王の貌だった。

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