If①梔子

山吹…キミはどこにいる?


私よりもきっと神とやらにも受けが良いだろうキミだ


もしかしたら私よりも生まれ変わるまでに時間が掛かってるんだろうか…



最近色々と再会したり慌ただしかったせいかあまり眠れなくなってきた。

元々過去の私がとにかく睡眠障害でも持っているのかと思う程山吹の傍以外では眠れない男だった。

警戒心が強すぎ、一人では警戒を解けない。一人では常に浅い眠りに落ちるかどうか程度。単独忍務の時には辛かったものだ。忍としては忍務中どんな時も警戒を続けられる事は優秀な証拠とされたが眠らなければ体力も精神も摩耗する。


山吹に会えなくとも記憶の彼が笑ってくれるから平気だと思っていたがやっぱり私は駄目だな。数日あまり眠れない日が続き、限界を感じた体に強制的に眠らされ泥のように眠る日々だ。

お陰でみかねた煤竹や薄鈍には合鍵を奪われ世話を焼かれている。


記憶を取り戻した幼少期も多少有ったが当時は子供だったからこれ程では無かったし次第に戻った。

その後は少しばかり寝付きが悪かったり、人の気配があると眠れない程度だったが最近は仮眠程度に眠れるかどうかだ。仕事が有るから睡眠薬も躊躇ってしまう。最悪誰かに起こしてもらう事も考えたし煤竹なんかは勝手に起こしに来るが微妙だった。起こされるなら山吹の柔らかい声で起こされたい。


「先輩、これ何部印刷でしたっけ?」

「十部だよぉ。あと、ごめぇんホッチキスもお願い!」

「普通のホッチキスですか?機械の方が良いですか?」


とりあえず出勤しているが常に私がデザインする訳じゃないから普段は雑用している事も多い。

これも少し前に追加で頼まれた分だが他の仕事をしている間に何部だったか忘れてしまった。

眠れなくなって記憶力にも支障が出ている感が否めない。結局ホッチキスは通常ので良いと言われた為印刷に取り掛かり印刷された分をまとめて行く。


「音羽、俺なんか手伝おうか?今暇だよー」

「雑用だから平気だ。まだ何かしてる方がマシだしな」

「じゃあ、追加で仕事要る?」

「暇なんじゃないのか、お前」

「人の仕事取れば幾らだって仕事はあるもの」


それもどうなんだろうか。まぁ、事実私は雑用仕事を奪っている訳ではあるけども。

今はデザインなんかは受けられそうにないから別の社員に回してもらっている。今納得の行く物が描けるとは到底思えない。梔子さんに内面ダダ漏れと言われた通り隠しておきたいあれやこれやまで出てしまうに違いない。


…と思っていたのに急な指名依頼が入ってしまって辛い。しかも描きたいようにって何だ。今好きに描けと言われてもとても困る。

里の風景でも描けば良いのか。それとも山吹か?勘弁して欲しい。定期的にうちに依頼をくれる建築系の会社だが今まではある程度指示があった。

なのに今回は自然の風景を描きたいように描いてほしいと担当に言われたそうだ。梔子さんが取ってきた仕事だから警戒したが受けて来てしまった物は仕方ない。だが、梔子さんには別途夕飯を奢ってもらう約束を取り付けさせてもらった。


「部長、ちょっと空いている部屋借りますよ」

「個人依頼はストップしてたのに悪いね」

「まぁ、指名じゃ仕方ないです」


あの会社は最近宣伝担当が変わったという話だったが一体私を指名するなんてどんな変わり者だ。


大体描く時は私一人だ。人が居ては気が散って良いものは描けない。此処が続いているのもこのお陰だ。個人依頼の仕事の場合うちの部長は作業についても口を出さずに好きにさせてくれる。

部長からの評価は高確率でどこかもの悲しさを抱える良いデザインだと言う。さり気に見る目はある人だ。


というか何で私こうも梔子さんが取って来た仕事やってるんだろうか。

香染の件もそうだが、この建築会社も梔子さんの管轄だったりする。


「梔子さん、今回の依頼もうちょっと細かい指定ないんですか」

『無い。良いではないか。お前の得意な風景を描き放題だろう?』


あまりに雑な依頼内容にクレームの電話を入れればさらりと返されて思わず溜め息が出る。噂ではあの建築会社は梔子さんが制圧済らしいから梔子さんが依頼内容にも口を出しているんじゃないだろうな、とは疑ったがそれ以上の回答は貰えずさっさと描き上げて持って来いと言われ電話を切られてしまった。



あの人どうしてこうなんだろうか。藍染とは系統が異なるが暴君…いや女王様には違いない。昔も時折梔子さんの仕える城から仕事を貰う事は有ったが給金に比例して難易度は高い上に手段は問わない。お前の好きにやれと丸投げしてくる。


『梔子さんもう少し依頼内容詰めて貰えません?私が好き勝手し過ぎても面倒な事に成りかねないでしょうが』

『不安なのか?お前が多少引っ掻き回そうが支障なぞ出す物か。私の指示が不満か?』

『あんたの依頼は大体面倒な物ばかりじゃないですか。そのくせ遂行方法は私任せで』

『お前のやる事なぞ予想が付く。それともお守りが必要か?』


そんな会話を何度しただろうか。理解される事なぞ山吹以外必要としていないというのにこの人だけには何故か考えも感情も読まれ腹立たしいなんてもんではない。

その上遠慮なく指摘して来るのだからどこまでも私とは相性が悪かった。

長い任務の時は容赦なく気絶させて寝かされ、起きれば梔子さんの膝枕で寝ていた事も一度や二度ではない。ヘマをして死なれては面倒だと容赦も遠慮もなく突然投げ飛ばされて落とされたり、ドラマとかで有名な首を叩いて落とすのも的確にキメられ何度悔しさに抗議したか。


「ほらみろ、やっぱりこうなった」


つらつらと梔子さんへの不満を脳裏に思い浮かべながら描いていれば、とある任務中偵察の為二人佇む羽目になった大樹を描いてしまっていた。


『もうそろそろ突入しても良いのでは?』

『いいや、もう少し待て。あれを。使いの者だろうな。あれが去ってもうしばしせねば完全な油断などするまい』

『ほぉ…使い』

『アレは使うな。むしろ面倒な事になる』

『私達がやろうとしている事なんて面倒以外にないでしょうに』


確か城に仕える名将の暗殺の任務だったか。結果さえ良ければ良い私と過程さえ完璧を求める梔子さんでは思い浮かべるやり方も当然だが違う。けれど、私の考えなぞお見通しだと豪語する彼には見事に言い当てられこうして止められる事も幾度かあった。

曰く、私のやり方はどこか危ういと。実力に問題がある訳ではないが、一つ綻びが生じれば容易くその身を危険に晒しそうだと。

山吹を置いて来ているのだから、私が帰らない訳が無いというのに変な事を言う人だ。自覚が無いからこそ問題だとも言われたが結局意味は分からないままだった。


自ら生きたいと思え、そんなことではお前は早々に死ぬぞとも言われたな。

まぁ、それに関しては後半はあの人の読み通りか。事実私はあの人よりも先に死んだ。だが、生き急ぎと言うなら藍染さんの方が酷かったし、うっかり具合では煤竹や朽葉さんの方が問題だっただろうに、何故あぁも私に構って来たのだろう。

そして、何故それら全てに触れられたくない所を無遠慮に触れられたような気になったのかも結局分からず終いだ。


「悪くは無いが、何故此処なんだか。同じ大樹なら里のでも良かったろうに…。だから内面だだ漏れと言われるんだ」


まぁ、細部まで見事に描けたし仕方ないから周りの木々や翌日そこから見えた空なんかも描き込み指定の有ったレイアウトを整え完成まで持っていった。あの建築会社は自然との共存を謳い文句にしているから木々や空など風景物は受けが良い。

だからこそ私が頻繁に指名される訳だが、どうせなら山吹と駆け抜けた里の周囲の森を描きたかった。

無事どうにか完成した物を一枚印刷した後、記録媒体へと取り込みパソコンから引っこ抜いて立ち上がる。

一応は部長にもサンプルを提出しなくてはいけない。


「木村部長、出来ました」

「何だ、今回のも良いじゃないか。お疲れ様。データは直接梔子君に持って行ってくれるかな」

「分かりました…」


描き終わると同時にそれまで有った集中力は泡のように弾けてどこかへ行ってしまった為、眠くて仕方ないが下っ端の私に拒否する事なんて出来る筈もなく頷いて営業部の方へと歩き始めた。そこそこにでかいうちの会社は、大きなビルの一階層全てのフロアを借りている為、同じ会社内の他部署といえ微妙に遠い。

お陰で先日の宴会迄は梔子さんに会わずに済んでいたというのに、宴会で再会を果たしうちの部署へも知人だと認識させたあの人はそれまでが嘘のように仕事終わり普通にやって来て私を拉致して行く。

そのせいで久し振りの再会で意気投合し付き合い始めたんじゃないか、なんて噂にもなった。


欠伸をしつつ歩き他部署の人間にも今日も眠そうだな、なんて声を掛けられる。

丁度営業部の先輩にも遭遇したから梔子さんの所在を聞いた。先輩はこれから外回りのようだ。


「梔子課長なら今B会議室。伏見なら入れて良いって言ってたから行って来て良いぜ。あ、でも梔子課長ちょっと機嫌悪いから機嫌取ってきてくれると嬉しい。あの人伏見相手にした後は機嫌良いからさ」

「機嫌が悪いなら行きたくないんですけど。六車さん届けてくれません?」

「無理無理、俺行ったら余計機嫌悪くなるって。じゃあ送り届けてはやるから!頼むってー、伏見ー」

「そのうちでかいデザインの仕事回してくれるんなら考えてもいいですよ」

「おっけ!伏見のデザイン結構評判良いし売り込んでやるから頼む!」


それならばと請け負って六車さんにひらりと手を振り言われた会議室の扉をノックする。


「梔子課長、伏見です」

「入って構わん」

「失礼しま…失礼しました」


呼び掛ければあっさりと許可された為、打合せ中ではなかったのかと扉を開けて即閉じた。何か居た。そして不機嫌って嘘じゃないか。一瞬目が合った時ご機嫌にドSの顔で笑われたぞ。

外堀を埋められたような、罠に嵌められたような心地がするから素直に嵌まらず逃走をしようとしたがその前に捕まった。


「伏見、何故逃げるんだ?優秀なお前が敵前逃亡なんて無様を晒すのか?」

「くっそ、相変わらず瞬発力が有る!セクハラですよ、離して下さい。梔子課長」

「魔法使い予備軍には嬉しかろう。それで?何故だ?」


即効で閉めた筈の扉が自動ドアかという早さで開き、躍り出てきた梔子さんにあっさり抱擁と言う名の拘束をされ逃走は失敗に終わった。流石に梔子さんと言えど性別が女性の人を乱暴に振り払う訳にもいかず言葉での応戦を試みる。

状況的には美女に抱き着かれている嬉しい状況かもしれないが、相手は梔子さんだ。今私はきっと鳥肌が立っていると思う。


「女性の体は嬉しいか嬉しくないかで言えば嬉しいですが中身毒物じゃないですか。魔法使い予備軍でも手を出しません!全力で遠慮します」

「そう遠慮するな。触っても構わんぞ?それで?何故逃げた」

「しつこい!アンタと鉄紺さん揃ってりゃ思わず回れ右くらいしますよ。なんだって鉄紺さんがうちに居るんですか」


そう、扉を開けると当然のように真正面に鉄紺さんが居た。今まで梔子さんの口からその名が出た事も存在を仄めかされた事もない鉄紺さんだ。梔子さんの話では他に朽葉さんと菖蒲さんも所在を把握済らしいが他には聞いていなかったのだから驚くのは当たり前だと思うが私がおかしいのか?


「伏見、私の元に来たという事はデザインは終わったのだろう?」

「は?あぁ、はい。取り込んで来てますけどそれが何か?」

「依頼人はコレだ。ほら、鉄紺」

「遊んでたかと思や急に投げて来るな!」


いつもと依頼内容が違うと思っていたが、どうやら鉄紺さんが新しい担当となっていたらしい。広報とか似合わなさすぎる。

引き継ぎになったのだから当然私がした過去のデザインも見ている。名前では確証がなかったが絵を見て私だと気付きそれならば好きに描かせてみよう、という思考に至ったそうだ。

梔子さんから記録媒体を高速で投げ渡された鉄紺さんは持参したであろうパソコンを起動して確認し始める。

完成分チラシ見本や個別に納品するイラストデータを眺めて微かに満足そうに笑った。


「今調子が良くない自覚はあるのでリテイクも一応受付ますよ」

「いや、良い」

「懐かしいな、此処は二人で暗殺任務に行った時に偵察した林じゃないか」

「よく覚えてましたね。アンタへの殺意をしっかり込めてますよ」

「ほぉう?殺意と大層な事をいう割にとんだ腑抜けだな」

「は?何が……」


梔子さんの言葉に苛立ち反論を試みたが直後視界がブラックアウトした。

バレているだろうとは思って居たがまたやられた。どうしてこんな気遣うような真似をするんだ。私が嫌いな癖に…。



『また今日も山吹のひよこをしているのか。優秀なお前がとんだ腑抜けた様だな』

『アンタには関係ないでしょう。私は今が幸せなので放っておいてくれませんか』

『自らを欺き怯えた心を抱えたままで何が幸せだ?そんな腑抜け一思いに私が殺してやっても構わないが?』

『何の事をおっしゃっているのか分かりませんね。アンタこそ朦朧したのでは?』

『私と来い。私ならばもっと上手くお前を使ってやろう』

『アンタの部下だなんてお断りですよ』


ある日里に私への指名依頼を持って来たらしい梔子さんがそんな事を言った。

優秀だと言った口で腑抜けだと言う。相変わらずこの人の言葉は私にとって毒でしかない。毒を孕む蜜のような人だ。

欺いていた覚えなんて欠片もなく、怯えなんて物は幼少期に排除されてしまった。

そんな物があっては忍なんてやっていられない。依頼があれば機密情報を盗み多くの人間を殺す手伝いをし、闇に紛れて暗殺さえも行う。感情や良心なんて物は任務の邪魔でしかない。

全てを殺し例え人形と成り果てても山吹が傍に居てさえくれれば私は人へと戻る事が出来る。


『あれも憐れだな。姿を奪われた挙句、何れ自らの為に友を亡くすのか』

『そんなつもりはっ』

『お前の考えなぞ私にはお見通しだ、馬鹿め』


馬鹿だと言いながらアンタは何故そんな顔を見せた。

実際には山吹を失い復讐の鬼と化した私は死んだだろうが、そんな事はアンタには関係ないだろうに何故。確かに山吹を失う事を誰より私自身が恐れていた。

戦乱乱世のこの時代、戦は酷くなるばかりで救いなぞどこにも有りはしなかった。

私達忍は所詮使い捨ての駒だ。里長は少しでも被害が出ないよう配慮してくれるが些細な失敗で里の者とて散っていった。指南役だった藍鼠殿とて呆気なく散った。

山吹がそうならない保証はなく、それぐらいなら山吹の為に自分の命を使おうと思っていたのに、実際守られたのは私だった。私に出来る事が山吹に出来ない訳がなかったのに……。


「……っ!」

「何だ、もう起きたのか。お早いお目覚めだな」

「………何ですかこの体制は」

「何、疲れ果てたお前へのサービスだ。嬉しかろう?」

「お陰で悪夢を見ましたよ。指、離して下さい。起きます」


初めは毒を私に注ぎ込む梔子さんの夢だったが、そのまま進んだ夢は次第に私の終わりへと向かい山吹を失い狂った私が血と硝煙の中嗤っていた。

朧気となり忘れたと思っていたが脳は覚えていたようだ。正しくあの頃は悪夢のようだった。

そんな夢から目覚めればソファーの上梔子さんの膝枕で眠っていたようで真上に梔子さんの顔がある。

起きたいというのに額に指が添えられ抑えられていて起きる事が出来ない。


「まだそうしていろ。高々二時間寝た程度では目眩がして起きられまい」

「アンタは何でこうも私を眠らせるんです。不甲斐ない私なんてどうなろうがアンタには関係ない筈でしょう」

「私は何れお前が山吹の為に死ぬだろう事は早い段階で気付いていたよ。山吹が居ればそれだけで構わないと言いながら失う事に怯えるお前の心は知っていた」

「だから何です。山吹の為に私が死のうが関係ないでしょう」


人さし指で私の額を抑えたまま、もう片手が私の心臓の上へと乗った。

相変わらず美しい花の顔(かんばせ)は衰えず、けれどどこか感情の乗らない顔が私を見下ろし滔々と言葉を落とす。


「あぁ、関係ないとも。だが、この私が気に掛けてやっているというのに恩知らずだと思わないか?山吹が居なければ碌に眠れもせず勝手に弱っていくなぞ許せるか?」

「はぁ…」

「だから引き離してやろうというのに頑として頷かず、しまいにはなんだ。壊れて復讐に走り山のように恨みを買い、うちの城にすら悪名が轟いて暗殺依頼が入る始末だ」

「アンタ…知って……」

「姿を隠す事もせずに暴れておいて届かぬ訳がないだろう」


確かにどうなろうが構わないと思っていたから闇に紛れる事もせず、明るいうちから動いた事も有った。どうせ眠ろうと思っても眠れる訳もない、それならば体力の続く限り殺せるだけ殺してしまおうと、そんな事を思った気がする。

さっきの夢の中、最期にこの人を見た気がした。


「勝手にボロボロの濡れ雑巾のようになり、脅威として排除されそうになるなぞお前はとんだ阿呆だ」

「山吹を捨てた神も世界も不要だと判断しただけです」

「あぁ、そうだろうよ。だから私も勝手に壊れたお前を廃棄した」


『私の為壊れたならば可愛げがあった物を、この馬鹿者が。もう良いから、休め…。鈍いお前は気付きもしなかったが、愛していたよ。愚かなお前をどうしようもなくな』


すぐ傍で聞こえる声よりも遥かに遠いところで、今よりも低い声が聴こえた。

最期に誰かの細い腕が私を抱き留め、抱擁するように心の臓の動きを止め、血に濡れた唇へ熱をくれた。あぁ、そうだ。壊れる前、きっと私を止めに来る死神はこの人だろうと予想したじゃないか。誰より私を理解し毒を注ぎ込んで来るこの人だろうと。


「梔子さん」

「なんだ」

「壊れる前に想ったのは誰より大嫌いなアンタでした」

「だから鈍いというんだ。なぁ、音羽。私はもう一度お前を廃棄するつもりはないぞ。壊れていくと言うなら何度でも眠らせてやろう」

「愚かな私をまだ愛してくれるなんて物好きですね。やれるものならどうぞ。私はアンタなんて変わらず大嫌いです」


山吹の居ない世界なんて壊れてしまえばいいと思った。なのに山吹が居ないのに世界は周り続け夜になり朝が来る。壊れないなら私が何もかも壊してしまいたかった。そして、山吹が失われる原因となった私なんて殺して欲しかった。

誰かじゃなくこの人の手で止めて欲しかった。


「相変わらず減らない口だ。そんなものは塞いでやろう」

「ん…」


満足そうに弧を描いた唇が降りてきて私の唇を塞ぐ。あぁ、やっぱりアンタだった。触れた覚えなんてないのに、この唇を私は知っている。



「梔子さん、ちょっと絵に熱中し過ぎて寝そこねただけで落とさないで下さいよ。今はある程度ちゃんと寝てるでしょう」

「どこぞの馬鹿のように隈を拵えるなと言っただろう。ボロ雑巾を傍に置くつもりはない」

「隈くらいコンシーラーで隠せるじゃないですか。私の化粧技術をお忘れで?」

「そんな誤魔化し私が許す訳がないだろう?まだ躾たりないとみえるな」

「あぁ、はいはい。放置してすいませんでした。もう十分です」


あの時既に勝手に私の鍵を奪い私を家に運び込んでいた梔子さんは、その後合鍵まで奪い頻繁に襲撃してくるようになった。今や遠距離出張以外ではほぼ毎日うちに帰って来る。お陰でクローゼットには梔子さんスペースがいつの間にか作られ、毎日玄関には女物のパンプスと私の靴が転がっている。


「腹が減ったな、さっさと着替えろ。香染の店にでも食べに行くぞ」

「そういえば食材切らしてましたね。そうしますか」


既に準備の終わった梔子さんに蹴られ仕方なく準備に取り掛かる。

動き始めた私に満足した梔子さんはリビングに行ってしまったが多分珈琲でも淹れておいてくれるんだろう。

横暴だがなんだかんだでたまに優しい梔子さんはそういう人だ。


「今日はこの前買ったシャツにしろ。私もお前が見たいと言ったワンピースなのだから」

「梔子さんがこの前買ったパンプスも履いてくれるんでしたら」

「おねだりが上手くなったじゃないか。今日はピンヒールのつもりだったが仕方ない可愛いお前の頼みなら聞いてやろう」


何故こんな女王様に落ちてしまったんだろうか。

今日も朝から梔子さんは絶好調なようだ…。振り回されるが、満足そうに笑うこの人も悪くないと思ってしまう私はやっぱり愚かかもしれない。



なぁ、山吹


君の事は変わらず大切だけれど


新しい居場所が出来たんだ


そう伝えたら君は以外だったと笑うだろうか…

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