第24話「ま、俺らの分まで頑張って生きろよ」


 耳が痛くなりそうなほどの静寂と真っ白な靄が辺りを満たす空間。

 目の前に聳えるのは、芸術家も息を飲みそうなほどに緻密で美しい細工を施された漆黒の門。

 ここに来たのが随分と昔のように感じるが、冥界と現世の時間の流れを考えると、あながち間違いではないのかもしれない。

 ゼロはゆっくりと息を吸って吐いた。これからのことを考えると、緊張して手に汗が滲む。

 靄で上部が霞む門を見上げたゼロは、後ろに控える二人を振り返って見た。


「あ、あの――」

「ほら、さっさとくぐりなさいよ」

「せめて別れの挨拶とかさせて!」


 無表情で淡々と先を促すシルキーには、別れを惜しむ感情もないのか。

 声を上げたゼロに対し、きっぱりと断る意思を見せるためか、片手を小さく挙げて拒絶を表した。


「いい。そんなのいらないから」

「えっ」


 親しくなったと思っていたのはゼロだけだったのか。

 少し傷ついたゼロだったが、シルキーの隣にいたクロは何かに気づいてニヤリと笑みを浮かべた。


「ははーん。どうせ、ゼロがいなくなるのが寂しいんだろ」

「はっ、はぁ!? そんなわけないでしょ! 清々するわよ!」

「ええ!?」


 確かに、グリムリーパーの仕事を遂行したいシルキーからすれば、漸く仕事を終わらせることができて嬉しいだろう。

 しかし、その他に何か感じるものや思うことはないのか。

 それを先に出したのは、意外なことにクロだった。


「ふーん? 俺はちょっと寂しいけどな」

「クロ……」


 クロはゼロの担当ではなかったが、この場所で偶然出会い、その流れで部屋が同じになった。

 また、彼は同室だったグリムリーパーが消滅している。再びあの広い部屋に一人になるのかと思うと、どうしても寂しさが募ってくるのだろう。

 ただ、そんな理由でゼロの転生を阻むわけにはいかない。

 クロは寂しさを押し殺し、笑顔を浮かべた。


「ま、俺らの分まで頑張って生きろよ」

「……うん。約束する。いろいろ教えてくれて、ありがとう」


 グリムリーパーの死は消滅を意味する。彼らはどう足掻いても、また現世を生きることはできないのだ。

 すると、クロに触発されたからか、シルキーが腕を組んだ態勢のままで言った。


「間違っても、自分で命を絶つような真似はやめてよね。苦しみは、生きているものすべてに与えられる試練よ。その分、乗り越えられたら得られるものは大きいんだから」

「シルキー……」

「壁は乗り越えられるわ。自力でも無理だと思ったら、それは誰かの手を借りるべき壁だから」


 人生の先輩のような言葉に、胸の奥が熱くなった。

 現世を生きた年数はゼロよりも短いはずのシルキーだが、冥界で過ごした時を合わせると遙かに長い時を過ごしている。

 口には出さなかったが、クロの「ババア」発言もなんとなく理解できてしまった。

 ただ、転生の門をくぐった後を考えたシルキーは、軽く自嘲するように笑って言う。


「まぁ、言っても忘れるんでしょうけど」

「それな」

「忘れない」

「「え?」」


 はっきりと告げられたゼロの言葉に、シルキーとクロの声が重なった。

 以前なら、重なった途端に互いの顔を見合わせて嫌そうに顔を歪めていたが、今はそれをする余裕がなくなったようだ。

 ぽかんとする二人を見て、ゼロはすぐに発言を修正した。


「あ。いや、忘れるだろうけど……でも、何かにぶつかっても、大丈夫な気がする」

「……『魂に刻まれた記憶』ってやつか」

「次に回収するときが楽しみね。最も、私が回収するかは別だけど」


 ゼロがいつ転生するのかは分からない。そして、シルキーが担当になるかも。

 だが、ここまで親しくなったのだから、これで最後にはなりたくない。


「ははっ。次もシルキーがいいな」

「マジかよ。物好きだな」

「どういう意味よ」

「あははっ! ……それじゃあ、二人とも、元気で」


 クロは「信じられない」といった顔でゼロを見る。

 追及するシルキーの語調は、いつもの喧嘩に発展するものと同じだ。

 このやりとりも最後かと思うと、惜しい気持ちが強くなる。もっと、この世界に滞在して皆と過ごしたいと。

 それで満たされてしまう前に、ゼロは別れを告げて踵を返した。

 シルキーとクロも、黙って見送るつもりなのか何も言わなかった。

 静かに見守るクロに対し、シルキーは何かを堪えるように背中を向ける。だが、前を向いているゼロが気づくはずもない。

 一歩ずつ、初めて門をくぐるときよりも軽い足取りで転生の門に近づく。


(これで、本当に最後だ……)


 門をくぐれば、あとは身を任せるだけだ。以前、くぐったときは意識が遠退いていく感覚がした。

 直前で一度止まったゼロは、気持ちを落ちつかせるため、深呼吸をしてから踏み出す。

 門をくぐって二、三歩進んだ所で足を止める。目眩に似た感覚に襲われ、意識がふわりとしたからだ。

 このまま意識が薄れていくのに身を任せればいい、と目を閉じかけたそのときだった。


「「「……え?」」」


 静寂を切り裂いたのは、いつか聞いた間の抜けたブザー音。

 そして――


「ガルルルルル……」


 門の奥に漂う靄の中で、きらりと光る三対の目と響く唸り声。

 その姿がゆっくりと露わになったとき、ゼロの意識は覚醒した。


「うわああああああ!!」


 叫びはもはや条件反射に近い。

 唸り声の主が何であるか分かっているが、ゼロは体の向きを反転させると同時に地面を蹴った。

 だが、今回は門を出てすぐ、後ろに迫っていたケルベロスに肩を押さえられて地面に倒れ込んだ。


「ぶっ!?」


 下が土でなかったのが不幸中の幸いか。それでも、擦れた顔は激しく痛む。

 じんじんとする顔に手を当てながら起き上がろうとした瞬間、後ろから頭にケルベロスが軽く食らいついた。


「いったぁぁぁぁ!?」


 所謂、甘噛みというやつだ。

 軽く噛んで感触を楽しんでいるが、相手は大型の獣であり、軽くであっても当たる歯は痛い。

 唖然とその様を見ていたシルキーとクロだったが、白い靄の奥からオルクスとカルマがやって来たことに気づくと怪訝に訊ねる。


「オルクス。どういうこと?」

「ごめん、ゼロ君! やっぱり、さっきのなしで!」

「なしって……」


 顔の前で両手を合わせたオルクスだが、彼が前言撤回するとは何事か。

 困惑の色を浮かべたのはクロだけでなく、担当者であるシルキーもだ。ゼロはそれどころではないが。

 説明に入ったのは、申し訳なさそうな顔をしているカルマだ。


「俺が言い忘れていた。お前、死亡場所に行ったり、シルキーのデスサイズを振るっただろう?」

「う、うん。ネメシスを倒そうとして……」


 未だケルベロスが頭をくわえているが、噛む動作がなくなったことで新たな痛みはなくなった。

 カルマに言われ、ゼロは現世でシルキーのデスサイズを使ったことを思い出す。大した問題とは思わず、終わったことなので特に話さなかった。

 勿論、意識を飛ばしていたシルキーはそんなことがあったとは知らず、驚いてゼロを見る。


「そうなの? 痛くなかったの?」

「何もなかった……と、思う。必死だったからよく覚えてないけど……」

「「「「…………」」」」


 ゼロ以外の全員が言葉を失う。

 ケルベロスだけが、再度、はむはむと頭を軽く噛み始めた。


「……あの、とりあえず、ケルベロスを退けてもらってもいいですか?」

「あ、ごめん」


 黙る前にケルベロスを何とかしてほしい。

 そこで漸く、ケルベロスに噛まれていると気づいたのか、オルクスが慌ててケルベロスを退かしてくれた。

 少し不満げな顔をしていた辺り、噛み心地は良かったようだ。

 ゼロは態勢を整えてから、前言撤回したオルクスに門をくぐれない理由を訊ねた。


「でも、さっき、オルクスさんは問題ないって言ってましたよね?」

「君にマナを補充したって言ったでしょう? どうも、あれでデスサイズを扱ったことによるマナの同調が紛れたようでね」

「えっと……どういうことですか?」


 何が起こっているのか理解が追いつかない。

 オルクスは、ゼロが眉間に皺を寄せるのも当然か、と思いながら説明を続ける。


「デスサイズに触れるっていうことは、少なからずグリムリーパーの素質があるってことなんだ。他人のデスサイズに触れると電撃が走るのは僕らも同じだけどね」


 素質がないものにとって、デスサイズはとても重くて持ち上げることすらできない。また、使用者以外が扱えないよう、触れた瞬間に電撃が走って持てないようになっている。

 確かに、以前、シルキーのデスサイズに触れた際は痺れて持てなかった。

 何故、電撃が走らなかったのか、それはオルクスでも仮説にしか過ぎないが、「シルキーが意識を失っていたことや、彼女から受け取ったマナを摂取していたからかも」とのことだ。

 そして、オルクスはペンダントに手を翳すと、片手に何とか収まる程度の大きさのマナを取り出した。


「本当なら自力で出るものなんだけど……ちょっとこれに触れてみて」


 初めて見る大きさに、ゼロだけでなくシルキーやクロの顔にも驚きの色が滲んでいる。

 ゼロは、オルクスに言われるがまま、恐る恐るマナに手を伸ばした。

 指先が軽く触れた途端、マナが眩く輝きを放った。


「っ!?」


 反射的に目を瞑るゼロだったが、オルクスは見慣れているのか怯む様子がない。

 輝きの中でマナが形状を変える。

 少しずつ光がマナに吸われていき、やがて現れたのは、中に青い炎を灯す正八面体のランタンだ。

 しかし、何かを感じてオルクスに歩み寄ったケルベロスが、ランタンに向けて軽く息を吹きかけた。


「「「「あ」」」」


 中に灯っていた炎は、ランタンで覆われているはずがあっさりと消えてしまった。

 その場に妙な沈黙が流れる中、オルクスの隣に座ったケルベロスだけが満足げに胸を反らした。


「……珍しい事が起こったものだね」


 オルクスは、手の上に乗ったままのランタンを見て愕然と呟く。シルキー達も同じだ。

 そんな中、ゼロだけは何が起こっているのかと首を傾げた。


「普通、炎は消えないんだが、ケルベロスが消したってことは、グリムリーパーの力があるわけではない。でも、ランタンは出た」

「グリムリーパーになったわけでもなく、けれど、転生するには冥界の力を取り込みすぎちゃったってところかな」

「んん?」


 カルマとオルクスの説明を聞いて、ならばゼロは何になったのかとさらに疑問が生まれる。

 ただ、これについてはオルクスも「何」とは明言できなかった。


「転生もできない、グリムリーパーでもない存在ってこと」

「嘘でしょ……」


 転生を目指していたゼロにとって信じがたい結末だ。

 これからどうすればいいのか、と地面に崩れ落ちたゼロを見て、カルマは真剣な口調で言った。


「……狩るか?」

「だな。もうそれしか手段ねぇな」

「そうね。このままじゃ、私も仕事が終わらないもの」


 カルマの提案に、今まで口を閉ざしていたクロやシルキーも頷いた。

 助けを求めるようにオルクスを見れば、彼も「こうなったら、最終手段だよね……」と言う辺り、ゼロに救いはなさそうだ。

 カルマがデスサイズを出現させる。

 オルクス達はゼロから離れ、その行方を見守る姿勢だ。


「ま、待って待って! 俺、転生したいので待ってー!」


 切実な悲鳴が、辺りに木霊した。




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