第23話「君の新しい生に、幸多からんことを」
柔らかい感触に包まれている。
まるで、無色くんの上に乗っているようだ、と、ゼロは半分覚醒した意識の中で思った。
ゆっくりと目を開く。
ダークブラウンの天井が視界一杯に映り、ここがクロと一緒に使っている自室だと気づくのはすぐだった。
どうやって部屋に戻ったのだろうかと、眠る前の記憶を探る。
しかし、その思考はすぐに停止することになった。
「おっ。起きたか」
「……クロ!? ったー……」
聞き慣れた声がして、ゼロは慌てて上体を起こした。が、すぐに襲った目眩に体は横に倒れ込む。
声の主――クロは、頭を抱えるゼロを見て呆れを浮かべる。
そして、ゼロのベッドの端に腰掛けると、彼の頭を軽く叩きながら言った。
「マナを大量に消費して治療されたばっかなんだ。勢いよく起きると体に障るぜ」
「え……?」
「俺が治療されてる間に、なんか一気に起こったみたいだな」
目眩を起こさないようゆっくり起きれば、クロの表情がどこか憂いを帯びていると気づいた。
それもそうだろう。クロも元スレイヤーによって瀕死の状態だったのだ。
ここにきて漸く、眠る前……正確には意識を失う前を思い出した。
「あれから少し時間は経ってるんだが、オルクス曰く、ネメシスは元に戻ったらしい。カルマの力もな」
「そう、なんだ……」
門の向こうに消えた元スレイヤーは、今はもう消滅しているだろう。
だが、ゼロは頭にこびり付いて消えない光景に視線を落とした。
クロからシルキーについての話は出ていない。単にクロが話していないだけなのか、それとも話せない事情があるのか。
布団の上で手を握りしめたゼロは、恐る恐る訊ねた。
「えっと……シルキーは、その……」
「あー……アイツな」
名前が出た瞬間、クロは驚いたように目を見開いた。しかし、すぐに気まずそうに視線を逸らす。
その反応が意味するものは一つしかない。
寒くはないものの、握りしめた手が、体が、小さく震える。
悔しげに顔を歪めたクロは、ゼロを見ることなく言った。
「お前のせいじゃないってことは、先に言っておく。けど、アイツは……」
続く言葉に悪いものしか予想できない。
ごくり、と固唾を飲むゼロに、クロが続きを告げたのと扉が開かれたのは同時だった。
「今、すげぇ元気にしてる」
「あら、起きてたの」
扉を開いて現れたのは、けろっとした様子のシルキーだ。
妙な沈黙が部屋を満たす。
悔しげな顔をするクロだが、ゼロは思考が追いつかない。
やがて、行き着いた答えに悲鳴を上げたのはゼロだった。
「うわあああぁぁぁぁ!! シルキーの幽霊!!」
「否定しづらい間違いしないでちょうだい」
グリムリーパーはあくまでも死者だ。幽霊とは違う存在だが、生者からすれば幽霊ともあまり変わりない。
真顔で突っ込むシルキーだったが、クロはゼロの両肩を掴むと彼の行動を責めた。違う意味で。
「くそっ。なんでもっと絞めなかったんだ!」
「そっち!? クロが暗い顔してたのってそっち!?」
「他に何があるんだよ」
絞めたことを責めるのではなく、行為が足りないと叱られるとは思わなかった。
ただ、クロからすればゼロの言う言葉のほうが理解できないようだ。
二人に歩み寄ったシルキーは、小さく溜め息を吐いてから説明した。
「『殺す』っていう意識が働いているなら、ちょっと意識を飛ばして死んだ振りをしたら手も緩まるかと思ったのよ」
「ええ……。どんな理屈……」
「あなたの自我があったから、多少は有効かと思ったの。だって、本当に死んだと思ったでしょう?」
「……うん」
操られていたとしても、死んだと分かれば目的は果たしたとして力が弱くなるはずだ。現に、ゼロはすぐに手を離した。
一か八かではあったが、うまくいったなら問題はない。
「グリムリーパー舐めるんじゃないわよ。そう簡単には死なないって、言わなかった?」
「スレイヤーの首の枷と同じようなもんだな。死なないからただ苦痛なだけなんだ」
「そうね。息苦しくて喋りにくいっていうくらいよ」
「…………」
どういう体の仕組みなんだと言いたくなったが堪えた。
頭が痛くなるのを感じ、額に手を当てながら確認のために訊ねる。
「でも、グリムリーパーは不死身じゃないんだよな?」
「ええ。頑丈なだけね」
「頑丈すぎる……」
あれだけ絞めても死なないとは思わなかった。
両手で顔を覆って上体を丸める。やはり、ここでは生前と同じ感覚で過ごせないと改めて実感した。
すると、シルキーは悪戯が成功した子供のように笑みを浮かべ、ゼロに近寄って顔を覗き込むようにしゃがんで見る。
「名演技だったでしょう?」
「すごかったです……」
名演技ではあるが、心臓に悪い。生者と同じ心臓ではないが。
二人の様子を見ていたクロは、小さく息を吐くとベッドから立ち上がった。
「じゃ、オルクスんとこ行くか」
「そうね」
「え?」
何故、オルクスのもとに行く必要があるのだろうか。
シルキーも腰を上げると、きょとんとするゼロを見て呆れを滲ませた。
冥界の問題は片付いたが、ゼロの問題は終わっていない。
「『え?』じゃないわよ。本来の目的、忘れてないでしょうね?」
「本来の目的…………あ」
ネメシスの件ですっかり流されていたが、本来であれば、ゼロはこの世界に滞在してはならないストレイだ。
未練はもうない。担当であるシルキーも体調は万全そうだ。
残るは、ネメシスとの一件でマナを大量に消費したゼロに問題がないかどうかだが。
「さぁ、行きましょう」
「……うん」
シルキーが手を差し伸べる。
その手を取って、しっかりと頷いた。
* * *
訪れたオルクスの部屋は、まだ本や資料が散らばっていた。床が見える程度には減っているが。
カルマの力を取り戻す方法を探していたのも理由の一つだろうが、やはり、彼が片付けられない性格なのが大きい。
オルクスはやって来たゼロを見るなり、驚いて勢いよく立ち上がった。
「あれっ!? ゼロ君、もう動けるの!? ったぁ!」
「は、はい。大丈夫ですか?」
デスクを回って近寄ろうとしたオルクスだったが、足下にあった何かに躓いて姿が消えた。彼の周りはまだ片付いていないようだ。
いつかの如く、呆れた様子を隠していないクロが歩み寄ってオルクスを引き起こした。
「驚いた……。確かに、マナは補給したけど、こんなに早いなんて……」
「そう? 私達ならもっと早いじゃない」
「ストレイとグリムリーパーは違うからね。もっと掛かるかと思ったんだよ」
冥界でストレイが滞在した前例がないため、どうなるのかオルクスにも予想がつきにくいのだ。
クロは、床に落ちた本を拾い上げながら「カルマは?」と問う。
力を取り戻したカルマとは、ネメシスの一件以降、クロもシルキーも会っていない。
互いに仕事をこなしているため、会わないのは珍しいことではないのだが、何となく気になっていた。
「カルマなら、もう仕事をこなしているよ。昔みたいにね」
「ふーん。ならいいけど」
「気になる?」
「『本物の最強』ってのがどんなもんなのか、見てみたくてな」
力を奪われていたときでも、カルマの力はグリムリーパーやスレイヤーの中でも群を抜いていた。それが、力を取り戻した今はどんなものなのか。
シルキーは興味なさそうだが、クロは本能なのか気になるようだ。
スレイヤーとしての力を見るには、カルマに同行するのが手っ取り早い。今は既に現世に向かっているため、追いかけるのは難しいだろう。
少し考えてから、オルクスはにっこりと笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、カルマが帰ってきたら声をかけるよ」
「おう」
「それより、今はこっちね」
シルキーがゼロの肩を押し、歩み寄ってきたオルクスの前に突き出す。
ここに来たのは、回復したゼロがもう転生の門をくぐれるか視てもらうためだ。未練については心配していないが、その他の部分で躓けば、門のある浮島に向かっても時間の無駄になる。
オルクスは手袋を外すと、ゼロの目元を覆うように手を翳した。
シルキーとクロが口を閉ざして見守る中、オルクスは閉じていた目を開いて頷く。
「――うん。これなら、もう大丈夫だろうね」
ゼロから手を離したオルクスは小さく微笑んだ。
未練も、マナも問題ない。
ここでやるべきことはもう決まった。
「じゃあ……」
「お疲れ様。次の生を、今度はもっと長く生きられるよう、ここから祈っているよ」
「……っ、はい! ありがとうございました!」
オルクスの優しい言葉に鼻の奥がツンとした。
漸く、シルキーの仕事を終わらせられる。ここから離れるのは寂しいが、これ以上、彼女の負担にはなりたくない。
シルキーが「そうと決まれば、行きましょうか。転生の門に」と言って部屋を出ていき、ゼロとクロもそれに続いた。
部屋に一人残されたオルクスは、閉じられた扉に向かって呟く。
「君の新しい生に、幸多からんことを」
言ってから、「グリムリーパーの吐く台詞じゃないかもねぇ」と苦笑を零した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます