第22話「ごめん、シルキー。ちょっと借りる」


 カルマとケルベロスが、すぐ近くでネメシスと交戦している。

 だが、ゼロは何とか自分の手の力を緩めようと必死で、そちらを気にする余裕はなかった。


「ごめん……ごめん、シルキー……! 俺、こんなこと、したいわけじゃ……!」


 体が言うことを聞かない。

 頭では離そうとしているのに、それとは反対に首を絞める手はどんどん力を込めていく。

 ゼロの手を掴んだシルキーの手も、苦しさのせいか力が弱まってきた。

 シルキーは必死に謝罪するゼロを見て、また声を絞り出す。


「こ、ころ……の、こり、な、でしょ……?」

「え……?」


 途切れ途切れな声は、混乱する頭では繋ぎ合わせて文にするのに時間が掛かる。

 それでも、シルキーは何かを伝えようと言葉を続けた。


「わ、たし、を、殺、して……転、せ……でき、る、なら……グリム、リ、パ、として、恥、さら、し、に……なら、なく、て……いい、わ、ね……」

「っ!」


 ふ、と微笑んだシルキーの手から力が抜ける。

 その瞬間、グリムリーパーの仕事を思い出した。

 グリムリーパーはあくまでも、死者を転生させるために門へと導く者。殺しているのではない。


「シル、キー……?」


 目を閉ざしたまま、反応しないシルキーに体の芯がすっと冷えていく。

 絞めていた手を離せば、首にはくっきりと跡が残っていた。

 カルマとケルベロス、ネメシスの戦いの音が遠退いていくようだ。


「う、そだ……」


 自分の手を見つめ、震える声で呟く。

 この手で、シルキーを絞め殺したのか。

 何の恨みもない、助けてくれた彼女を。


「――っ、うわあああぁぁぁぁ!!」


 自分への憤りと後悔、シルキーが死んでしまった悲しみで感情が、思考がぐちゃぐちゃになる。

 突然の叫び声に、カルマがネメシスから距離を取ってゼロへと視線を向けた。

 そして、動かないシルキーと彼女に馬乗りになったままのゼロを見て愕然とする。


「お、前……」

「俺が……俺が、シルキーを……!」

「あははははっ! いいねいいねぇ! そのまま堕ちちゃえ!!」


 ネメシスも状況を理解するなり、楽しそうに笑った。

 ゼロの周りを黒い靄が包み始める。

 それを見たカルマは、ぐっと下唇を噛むとゼロに向かって叫んだ。


「シルキーは、お前を転生させようとしてたんだろう!? 堕ちて無駄にするな!!」

「……っ!」

「コイツは俺が……狩る!」


 黒い靄が薄れる。

 強い意志を込めた目でネメシスを見据えたカルマは、デスサイズを握り直すと地を蹴った。反対側からはケルベロスが飛びかかる。

 再び始まった攻防を見ていたゼロは、ふと、視界の隅に未だ形を保ったままのデスサイズを見つけた。同時に、ネメシスに対する復讐心を明かしたシルキーを思い出す。

 刃の炎こそ消えているものの、黒い杖の部分や刃はしっかりと存在している。

 ゼロはポケットに手を入れると、シルキーから貰ったままだったマナを取り出して口に放り込んだ。靄がかっていた頭の中が少しだけすっきりした。

 デスサイズを手に取る。以前、シルキーのデスサイズに触れた際に走った、強い静電気のような電流は流れなかった。代わりに、全身から力を吸われていく感覚がした。

 刃に青い炎が灯る。


「ごめん、シルキー。ちょっと借りる」


 カルマがネメシスを狩れば、カルマは掟を破ったことになり消えてしまう。

 だが、ストレイであるゼロには掟がない。つまり、ネメシスを狩るのに一番適しているはずだ。

 例え、これで消えてしまったとしても、シルキーの復讐を代わりに果たせるのだから悔いはなかった。

 幸いにして、ネメシスはカルマとケルベロスの方に視線を向けており、地を蹴ったゼロに気づいていない。


「あはっ! そんな動き遅かったっけ? 『最強』の名が廃るねぇ!」

「お前も、ケルベロスのように頭が多かったら良かったな」

「は……?」


 ちら、とネメシスの背後を一瞬だけ見たカルマが淡々と言う。

 その意味が理解できず、気味の悪さに距離を取ろうとしたネメシスの背後で声が上がった。


「ネメシス!!」

「な――」


 顔を向ければ、デスサイズを振り上げたゼロがいた。

 驚きから防ぐ手段を取れず、青い炎を灯した刃が体をすり抜ける。

 同時に、ネメシスは意識が体から引き離されるのを感じた。何かに急に引っ張られた感覚に似ている。

 端で見ていたカルマは、ネメシスの体から半透明の存在が刃に引っ掛かって引き剥がされたのを見た。


「あれは……」


 地面に倒れたネメシスの体が光に包まれたかと思いきや、光はすぐに体に吸い込まれるように消えていく。

 次に露わになったネメシスは、黒髪ではなく、長い白髪になっていた。

 腕をつきながら上体を起こしたネメシスの顔も変わっている。カルマと同じものから、目元を黒い布で覆った、性別が判断しにくいものへと。

 そして、ネメシスから少し離れた場所に、デスサイズによって引き剥がされた元スレイヤーが転がった。体が半透明なのは、彼の肉体が既になくなっているからだ。

 ネメシスは自身の下に影を発生させると、溶け込むように中に消えていった。

 唖然とその様を見ていたカルマだったが、ふと、空から綿毛のような光が降り注いでくることに気づいた。


「……俺の、力か?」


 光に触れれば、すう、と肌に溶け込む。体内にマナを取り込んだときのように力が満たされていく。

 自分の力が戻ってきたと気づくのはすぐだった。


「く、そぉ……! なんでストレイなんかがデスサイズを使えるんだ!」


 半透明になった自分の手を見て、元スレイヤーは悔しげな声を上げた。

 しかし、だんだんと薄れていく体に気づくと、慌てて周りを見回す。


「消えるのなんてごめんだね! ……ああ、ちょうどいいところに。君でいいや」

「え……」


 デスサイズを振るった反動か、コンクリートの上に座ったままのゼロに目を止めた。

 現世ではマナを消費するが、体があるのとないのとではそのスピードは桁違いだ。

 ゆらりと立ち上がった元スレイヤーは、ゼロの体を乗っ取ろうと地を蹴る。


「その体、ボクにちょうだい」


 元スレイヤーがゼロに手を伸ばす。

 疲労から動けないゼロには、デスサイズを振るう力さえ残っていない。

 カルマもそれに気づいて動こうとしたが、元スレイヤーとゼロの方が距離は近いため、間に合いそうになかった。

 咄嗟に両腕を翳したゼロだったが、腕に触れたのはふわりと柔らかい何かだ。


「……?」


 果たして、実体のないものが触れて感触はあるのか。

 恐る恐る腕を下ろせば、向こうに見えたのは黒い壁だった。ゆっくりと動くそれは、低い唸り声を出している。


「これって、もしかして……」


 壁は黒い毛が生えたもので、ゼロには見覚えがあった。

 ゼロに覆い被さるようにいるソレを確認するため、手をつきながらゆっくりと下がる。

 元スレイヤーとゼロの間に入ったのはケルベロスだった。


「グルルルルル……」

「ちっ。犬っころが」


 ゼロから元スレイヤーがどんな顔をしているかは見えない。だが、悔しげな顔をしているのは言葉からも容易に想像できる。

 すると、カルマの声が少し離れた場所から聞こえた。


「さすがに、特殊な加護を受けている番犬には入れないだろう?」


 何処から、とゼロはカルマを探して見回す。

 カルマがいたのは、昇降口の上にある貯水タンクの隣だった。

 彼はデスサイズの炎を消すと、貯水タンクを真横に切る。

 中から溢れた大量の水が辺りを濡らし、ケルベロスの三つの頭が同時に遠吠えをした。


「う、わ……!?」


 水全体が光を放ったかと思えば、それぞれの下に青い陣が浮かんで体が沈んでいく。

 落ちていく感覚に目を瞑って身を任せていると、手の下のコンクリートの感触が柔らかい地面に変わった。

 ゆっくりと目を開けば、アンダーテイカーと洋館の間に出ていた。周囲には多くのグリムリーパーがいる。

 誰もが何事かと視線を向けてくる中、元スレイヤーはゆらりと立ち上がった。


「ははっ。冥界? 門の前じゃないのは、君に考えがあるからかい? 犬のくせに。でも、失敗だったねぇ。だって……」


 元スレイヤーは、唐突に地面に手をつく。その下にあった草がみるみる枯れていった。代わりに、元スレイヤーの体が少しずつ濃さを増していく。


「マナはそこらじゅうにある。また体を取り戻すには最適な場所じゃないか」

「うん。それについては問題ないよ」

「っ!」


 今までなかった声がしたかと思いきや、空から『何か』が降ってきた。

 姿形は見えないが、迫ってくる気配は感じ取れる。

 見えない何かに押し潰された元スレイヤーは、まるで自分で倒れたかのようで少し滑稽だが、冥界にいる者からすれば何故倒れたかはすぐに分かった。


「む、無色くん……!?」

「冥界の危機に、この子達もじっとはしていられないみたいでね」


 ゼロが知る限り、冥界で目に見えない生き物といえば無色くんしかいない。

 隣にやって来たオルクスは、ゼロから目の前の元スレイヤーへと視線を移した。彼が纏う空気にいつもの柔らかさはなく、何が起こってもいいように構えていると分かる。

 何をする気なのか、とゼロも前へと向けば、元スレイヤーの上にいる無色くんの体が白くなり、光を受けるとオパールのように七色に輝いた。

 露わになった無色くんは全部で三体だ。少し横に広がった丸いフォルムに長い耳、黒いつぶらな瞳が愛くるしい。


「え? な、何が起こってるんですか?」

「無色くんはね、相手のマナを吸い取れるんだ」

「や、やめろ! ボクの体が……!」


 手をついて逃げ出そうとするも、無色くんの重さは想像以上のものだった。

 濃さを取り戻していた体が再び薄れていく。それどころか、最初よりも薄くなっている。

 このままでは消えてしまう、と思った矢先、元スレイヤーに影が掛かった。

 見れば、デスサイズを手にカルマが立っていた。


「オルクス。この状態は、まだ掟破りになるか?」

「……いや、ただのマナの集合体だよ」

「そうか。なら、狩っても問題はないな」

「っ!」


 デスサイズを体の後ろへと引いたカルマを見て戦慄した。

 無色くんが体の上から退いたが、金縛りに遭ったかのように動けない。


「せいぜい、消滅した後の世界で楽しめることを祈るんだな」

「や、め――!」


 元スレイヤーの体をデスサイズがすり抜ける。

 薄れていた体が粉々に砕け、再び収束すると一つの青白い球体になった。

 様子を見守っていたケルベロスの真ん中の頭がそれをくわえると、残り二つの頭が遠吠えをする。

 すると、空中に黒い点が現れ、徐々に大きくなっていくと一枚の漆黒の扉――転生の門へと変わってケルベロスの前に落ちた。

 巨大な門が落ちたことで、地面が少しだけ揺れる。


「ワンッ」


 ケルベロスが軽く吠えると、門はゆっくりと開いていく。

 それが開ききるより早く、ケルベロスがくわえていた球体を中へと吐き捨てた。


「いてっ」


 球体は門をくぐると元スレイヤーの姿に変わった。

 門の向こうに転がった彼は、両手をついて体を起こすと、頭を振って周りを確認する。そして、転生の門をくぐっていると分かると顔色を変えた。


「い、やだ! ボクはまだ――がっ!?」


 外に出ようとした元スレイヤーだが、奥の靄から伸びてきた黒い布が首に絡みつき、その場に引き倒される。

 ずるずると引っ張られる元スレイヤーは、布の先を見て息を飲んだ。


「ネメシス……!!」


 奥にいたのは、元スレイヤーに乗っ取られていたネメシスだった。

 布はネメシスの周りから伸びており、ネメシスは元スレイヤーを捕まえたと分かるとくるりと背中を向けて靄の向こうへと姿を消した。

 それを見たケルベロスは、残っていた無色くんの一匹に近づくとその丸い体を舐める。


「わふっ」

「――っ!」


 礼をしたのか、それともじゃれついたのかは定かではない。だが、縮み上がった無色くんは縦に伸びたまま固まってしまった。

 ケルベロスは踵を返すと、ネメシスを追うように転生の門をくぐる。


「離せ! ボクは……ボクは、まだ……うわああ――」


 まだ足掻いていた元スレイヤーの叫びは、門が勢いよく閉まったと同時にピタリと止んだ。

 静寂が辺りを満たす。

 周囲のグリムリーパーも息を飲んで見守る中、オルクスは呆然としたままのゼロに歩み寄って肩を叩いた。


「お疲れ様。終わったよ」

「終わ、った……」

「うん。彼はもう出てこない。本物のネメシスが連れて行ったからね」


 シルキーと彼女の家族を殺め、カルマの力を奪い、現世ではゼロをも殺した元スレイヤー。

 漸く、彼の凶行を止めることができた。

 しかし――


「けど……俺、シルキーを……」


 地面に横たわったままのシルキーを見る。

 未だ目を覚ます気配のない彼女の顔色に、生気は感じられない。

 細い首を絞めた手を見下ろしたゼロは、強い自責の念に駆られる。いくら操られたとはいえ、意識ははっきりしていた。

 すると、オルクスがゼロの目元を覆うように手を翳す。


「あまり自分を責めるものではないよ。大丈夫。シルキーもちゃんと理解しているよ」


 ――誰よりも他人のことを見られる子だからね。


 ゼロは、優しく語るオルクスの声を聞いていると、体から力が抜けていくのを感じる。真っ暗な視界の外で、彼が優しく微笑みを浮かべている気がした。


「あとは僕に任せて、今はゆっくりおやすみ」


 自責の念も、後悔も、すべて綺麗に洗い流されていく。

 オルクスの言葉に従って、意識がだんだんと薄れていった。




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