第21話「あはっ。やっぱり、大物が釣れた」


 風が体に吹きつける。

 ゆっくりと目を開いたゼロは、眼前に広がる町の景色を見て、ここが高い建物の屋上だとすぐに分かった。

 落下を防ぐためのフェンスに歩み寄り、周りを見渡した瞬間、何故か酷く懐かしい気がした。


「あれ? ここ……っ!?」

「ゼロ?」


 何かを思い出せそうだったが、途端に襲ってきた激しい頭痛に頭を抱えて蹲る。

 気づいたシルキーがゼロの傍らに片膝をついて呼びかけるが、答える余裕はゼロにはなかった。

 ケルベロスもゼロに歩み寄り、頭の一つが宥めるように手を舐める。

 何事かと見ていたカルマだったが、近くの昇降口の方から視線を感じて振り返った。


「あはっ。やっぱり、大物が釣れた」

「ネメシス……!」


 昇降口の上に座ってゼロ達を見ていたのは、カルマと同じ顔の青年……ネメシスだ。黒いローブを風に靡かせ、立てた片膝に肘を置いて笑っている。

 カルマはデスサイズを出現させ、戦闘態勢に入った。ケルベロスも頭を下げて低く唸る。

 ふたりがすぐに動かなかったのは、ネメシスが何かを企んでいると見たからだ。


「あの黒い猫にボクのチョーカーを持たせて正解だったねぇ。最初は、手ごと切り落として返してもらおうかと思ったけど」


 軽い口調でそう付け足したネメシスに、ゼロは頭痛に苦しみながらもぞくりとした。簡単に、人の手を切断する考えが浮かぶことに。


「あれを宅配便扱い? 随分と過激なジョークね」

「だって、そうでもしないとまとめて来ないでしょ? カルマとシルキー。そして……『井ノ上零斗』さん?」

「っ!」

「ゼロ!」


 視線を向けられた瞬間、さらに苦しみだしたゼロの肩をシルキーが掴んで支える。

 ネメシスが最後に出した名前が誰のものかは一目瞭然だ。


「今の名前、こいつのか」


 ストレイが名前を覚えていないのは、現世と切り離されたせいでもある。

 しかし、記憶を思い出すのと同じで、苦しむようなことは起きないはずだ。

 何が起こっているのか、と怪訝に顔を歪めるカルマをよそに、ネメシスは昇降口から下りて言う。


「ボクは生前の君を知っているよ。可哀想に。目の前で母親をその白い『死神』に、仇討ちをしようとした矢先に、落とされて死んだんだもの」

「まさか……こいつが死んだ場所か!」


 同情の眼差しをゼロに送るネメシス。

 彼が言った言葉で、何故、ゼロが苦しんでいるか合点がいった。

 ストレイは生前の記憶を思い出すと再び現世と繋がりを持ってしまう。ただ、再度デスサイズで斬れば繋がりは断たれるため、思い出すだけならば問題はないと見ていた。

 問題は、ゼロが「自らが死んだ場所」に来てしまったことだ。 

 自分が死んだ場所にいるストレイは、死の瞬間を思い出して苦しむ場合がある。

 ただでさえ、ゼロは未練を思い出しているのだ。そこに名前を呼ばれ、さらに深く現世と繋がりを持った今、彼を襲う苦しみは、自我を保っているのが奇跡と呼んでいい。


「うっ……ぐ、あああっ!」

「ゼロ。あいつの言葉を聞いちゃ駄目よ。あれは虚言。真実ではないの」

「ええ? そうかなぁ? だって、君の母親が殺された瞬間、彼女を斬ったのは君だろう?」


 頭が割れたように激しく痛む。

 肩が、背中が、腕が、腰が、足が。全身の骨が砕けたのではないかと錯覚してしまうほどの痛みが遅う。

 シルキーに触れられている箇所が痛いが、払いのけようと思っても腕が痛くて動かせない。

 ぼやける意識の中、生きていた頃の記憶が砂嵐に混じって浮かんでくる。

 まるで、走馬燈かと思わせる光景が徐々に鮮明になっていき、やがて、見えたのは――


「不運だったねぇ。そいつらがいなかったら、君と君の母親は、今も幸せに暮らしていただろうに」

「っ、は……!」


 ――母親を殺すシルキーと、自身を突き落としたカルマの姿だった。


「勝手に捻じ曲げないでちょうだい。あれは――」

「シルキー!」

「っ……!」


 カルマが声を上げたのと、ゼロがシルキーを押し倒したのはほぼ同時だ。

 シルキーに馬乗りになって首を絞めるゼロだが、困惑する表情は行動と一致していない。


「な、んで、俺……シルキー、を……!?」


 力を込めれば全身がさらに痛む。それでも力を緩めることができなかった。まるで、誰かに体を操られているかのような感覚に、気持ち悪さがこみ上げる。

 すると、元凶が何であるかを察したケルベロスが牙を剥いてネメシスに飛びかかった。


「ガルルルル!!」

「おっと。犬っころはリードに繋いでおかないと」

「ギャウンッ!?」

「ケルベロス!」


 ケルベロスの爪が届きかけた瞬間、地面に影が浮かび、中心から鎖が伸びてケルベロスに絡みついた。

 地面に縛りつけられたケルベロスを見て、カルマは先にゼロを止めるか、と彼の腕を掴んだ。


「ゼロ! 手を離せ!」

「離せないんです! 離したいのに……!」

「は……!?」


 想像以上にゼロの手は堅く、カルマが本気で力を入れても離れる気配はなかった。それどころか、ますます力が入っている。

 それを見ていたネメシスは、無邪気な子供のように笑った。


「あはははっ! ねえねえ、操られるってどんな感じ? すごいよねぇ、『ネメシス』って。マナを同調させることで、相手の精神に入り込めるんだって。……あ! そうだ。このままグラッジにさせちゃおっか?」


 今、ここにいるネメシスは、掟を破ったスレイヤーが取り込んだものだ。必然としてその能力も残っている。

 これでは埒が明かない、とカルマは傍らに置いていたデスサイズを握った。


「なら、狩るだけだ」

「え……」


 淡々と言ったカルマの言葉に愕然とするゼロ。

 ネメシスは「待ってました」と言わんばかりに表情を輝かせている。

 それを見たシルキーは、ゼロの手首を掴むと何とか声を絞り出した。


「待っ、て……」

「シルキー?」

「ま、だ……堕ち、て……ない……! 今、狩ると……あ、なたが、ネメ、シス、に、狩ら、れ、る……!」


 よく声が出せたな、と自分でも自分を褒めたいくらいだった。

 だが、ネメシスの悔しげな顔を見れば、一矢は報いれただろう。ネメシスがカルマを消滅させる正当な理由がなくなったのだから。

 ネメシスの役割は、掟を破ったグリムリーパーやスレイヤーの断罪だ。そして、ゼロはまだグラッジになっていない。

 つまり、カルマがゼロを狩れば掟を破ったことになり、ネメシスに狩られる理由ができてしまう。


「くそっ。どうすれば……」

「……いいの? このままだと、そのストレイがグリムリーパーを消しちゃうよ? そうなったら、きっと彼は自分を許せなくてグラッジになっちゃうだろうね。結果的にグラッジになるなら、さっさと始末するのが被害が少なくていいんじゃないのかなぁ?」


 すらすらと述べるネメシスは、面白くなさそうな顔をしていた。早々にカルマが動いてくれるのを期待していたため、慎重な姿勢に苛立ちさえ覚える。

 ただ、苛立っているのは当然ながら、ネメシスだけではない。


「アイツが自分の意志に反した行動を取っているのは、お前のせいだろう」

「だったら何? ボクは彼が本来成し遂げたかったことを……心の奥底で燻らせていた恨みを思い出させてあげただけだよ」


 生前のゼロは、確かに、母親を殺したと誤解していたグリムリーパーを探していた。復讐をするために。

 しかし、オルクスの計らいもあり、シルキーの仕事を見て誤解であると分かったのだ。

 ならば、今、カルマは何をするべきか。

 一瞬だけ目を閉じて黙考したカルマは、ある答えを導き出した。


「……分かった」

「おっ。殺る気になった?」

「ああ」


 デスサイズを持ち直したカルマが地面を蹴る。だが、ゼロを狩るならば、地面を蹴るほど距離は開いていない。

 向かったのはネメシスの方だった。


「っ!?」

「お前をな」


 ネメシスは武器を持たない。そのため、ネメシスは影を自分の前に生み出し、中から鎖を飛び出させてカルマのデスサイズを絡め取ろうとした。

 だが、刃はネメシスが想定していた場所を通らず、コンクリートの上に転がっていたケルベロスの鎖を断ち切る。


冥界うちの番犬は、二度同じ手は食わないぞ」


 ゆらりと立ち上がったケルベロスの体が、瞬く間にカルマと同じほどまで大きくなった。




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