第20話「……頼んだよ、皆」


「遅いな……」


 シルキーの部屋から自分の部屋に戻ったゼロだったが、クロがいつになっても帰ってこないことに首を傾げた。時計がないため、単に長く感じているだけかもしれないが。

 回収に手こずっているか、対象の数が多いかだろうが、それだけではない気がしてならない。

 このままじっとしているのも落ちつかず、かといって休もうにも目が冴えているため眠れそうになかった。

 ゼロは、少し周りを散策しよう、と部屋を出た。




 洋館の外周を散策した後、洋館とアンダーテイカーの間を回る。

 その途中、何か柔らかい物に当たってよろけてしまった。

 大きなボールに当たったような弾力に、ゼロは当たった辺りに手を伸ばしながら思い浮かんだ冥界生物の名を口にした。


「無色くん?」


 当たっていたのか、ゼロの目の前の草が踏みしめられた音がする。

 見れば、やはり無色くんがいるからか、一部の草が不自然な具合に横倒しになっていた。

 初めて一対一で会ったことに緊張しながら手を動かせば、餅に似た感触がして無色くんに触れたと分かる。

 逃げる気配もないため、目に見えない無色くんの形を確かめるように撫でながら言った。


「俺を助けてくれた……というか、不慮の事故かもしれないけど、何度かクッションになってくれた奴がいるんだ。……君かもしれないけど」


 シルキー達の口振りでは、無色くんは何匹か存在するはずだ。

 しかし、姿が見えないこともあって、どれがゼロのクッションになってくれた無色くんなのかは分からない。


「君がいなかったら、俺はもっと痛い目に遭ってたと思うんだ。だから……ありがとう。助けてくれて」


 仲間だったらごめん。と、内心で謝りつつ言えば、手に触れた無色くんが少し動いた。

 すり寄るような感触に、もしかすると目の前の無色くんが助けてくれた存在なのだろうか、とまさかの再会に感動を覚える。


「もしかして――」

「――急げ!」

「先に行って準備を!」

「……え?」


 突然、数人のグリムリーパーがバタバタと駆けて行った。

 少し前にも見たばかりの光景に酷似しており、唖然とそちらを見ていると、一人のグリムリーパーが何かを抱えてアンダーテイカーへと入っていく。

 距離があるため、何を抱えていたのかは見えなかったが、小型の動物のようだ。

 冥界生物以外の動物は、基本的にグリムリーパーのはず。

 嫌な予感がした。


「……あの!」

「っと。君は……シルキーが担当しているストレイか」


 駆けていたグリムリーパーの一人を呼び止めれば、彼は二、三歩進んだところで足を止めてくれた。

 ゼロを視界に入れ、すぐに誰かは分かってくれたようだ。最も、冥界を彷徨くストレイがゼロしかいないのだが。


「はい。あの、また何かあったんですか?」

「あー……そうだね。君はクロと同室だし、知っておいたほうがいいか」

「クロに、何か……?」

「落ちついて聞いて欲しいんだけど、クロはね――」


 気まずそうに視線を泳がせたグリムリーパーだったが、溜め息を一つ零すとゼロに向き直った。

 嫌な予感が的中しそうだ、と思いながら促せば、彼から告げられた言葉に周りの音が消えた気がした。


「今、消えかけているんだ」


 現世で、何かに襲われたみたいだよ。

 そう聞こえたのがやっとで、気づけば地面を蹴って駆け出していた。

 後ろの方でグリムリーパーが慌てたように声を上げていたが、もはや気にしている余裕はない。

 シルキーに続き、クロまでも重傷を負った。

 ただの偶然かもしれない。シルキーはグラッジ化したストレイに反撃されたためだが、クロも同じなのか。

 ネメシスの話を聞いた後のため、過敏になっているだけかもしれない。しかし、偶然にしてはタイミングが良すぎる。

 処置室に着いたゼロは、なるべく大きな音を立てないよう、けれど勢いはつけて扉を開いた。


「クロ!」

「静かに」

「……あ。す、すみません」


 想像していたより大きな声が出て、中にいたオルクスに叱られてしまった。彼の傍らにはカルマも控えていた。

 処置室は数台のベッドが壁際に並ぶ他、反対側には壁で囲まれた小部屋もある。小部屋の様子は窓から覗ける造りだ。

 オルクスとカルマは中に入ることはせず、窓から様子を見ていた。


「クロはこの中だよ」


 そう言われて、ゼロはオルクスの隣に歩み寄り、二人と同じように窓から中を覗いた。

 室内には球体の大きな水槽がある。薄く青みがかって見えるのは中に入っている水なのか、それとも水槽自体が色づいているのかは判断しにくい。

 クロはその水槽の中で黒猫の姿で浮いていた。周りにはマナの光が複数漂っており、時折、クロの体に吸い込まれている。

 光が減るとその分、待機しているグリムリーパーがマナを追加しているため、尽きることはない。


「今はマナを供給しているから、安静にしていれば大丈夫だよ」

「よ、良かったぁ……」


 オルクスが優しい声音で言うと、張りつめていた緊張の糸が切れて座り込む。

 シルキーのときも、本当ならそばについていたかった。だが、彼女が探していたグリムリーパーだと思い出した直後のため、感情が複雑になって近くにいられなかったのだ。


「見つかったのが早かったからね。マナの消費が激しい現世に重傷で放置なんて、あっという間に消えてしまうよ」


 奇跡的にも、近くを別のグリムリーパーが通りがかったようだ。それがあと少しでも遅ければ、クロは今頃ここにはいなかった。

 ゼロはもう一度安堵の息を吐く。

 シルキーのときはどうだったのだろうか、と思っていると、ノックの音がして静かに扉が開かれた。

 ゆっくり開かれる扉を煩わしそうに押し開けて入ってきたのは、真っ黒な超大型犬だった。ただし、頭が三つある。

 その後ろから現れたのはシルキーだ。


「この子、近くでそわそわしていたから連れてきたわ」

「ケルベロスが?」


 入ってきた超大型犬の正体は、頭が三つある時点で予想はついていたが、冥界の番犬であるケルベロスだった。

 ケルベロスは小さく「きゅーん」と可愛らしく鳴くと、甘えるかのごとくオルクスにすり寄る。


「クロの容態は?」

「落ちついているよ」

「そう。残念ね」


 口ではそう言ったシルキーだが、自然と安堵の息が零れていた。普段はいがみ合っていても、本当に嫌いなわけではないのだ。

 すると、オルクスに甘えていたはずのケルベロスが、何かに気づいて小部屋に入るための扉がある前に歩み寄った。

 扉の横には小さな棚があり、上に置かれた籠にはクロが包まれていた黒い布が入っている。

 ケルベロスの真ん中の頭が籠に顎を乗せ、左右の頭が何かを訴えるようにオルクスを見る。


「何かあるのかい?」

「わふっ」


 顎を乗せたまま小さく吠えたせいか、随分と間の抜けた声だった。

 不思議に思いながら近寄ったオルクスは、クロを包んでいた布を手に取る。

 布の一部は、血が乾いたことによって少し固くなっていた。

 すると、布の中から細い帯のような物が転がり落ちる。

 気づいたオルクスが拾い上げれば、誰かが着けていたであろう黒いチョーカーだと分かった。


「これ……もしかして、クロを襲った犯人の物かい?」

「わんっ」

(すごいけど、もはや普通の犬に見える……)


 どうやら、ケルベロスはクロの匂いの中に異なる匂いを嗅ぎ取ったようだ。

 「よくやったね」とオルクスが褒めれば、ケルベロスは嬉しそうに目を細める。

 飼い主に褒められて喜ぶ犬を連想させるケルベロスの様子に、冥界の番犬としての威厳はあまり感じられない。

 ゼロが唖然としている一方で、チョーカーを見ていたカルマは何かに気づいて眉根を寄せた。


「オルクス。それ、ちょっと見せてくれ」

「どうぞ」


 歩み寄ったカルマにチョーカーを手渡せば、それを両手で持ってまじまじと見たカルマがさらに顔を歪める。


「このマナは……ネメシスか」

「!」


 誰もがその名前に愕然とした。

 チョーカーに残っていたマナの残滓は、オルクスですら誰のものか特定することができないほどの僅かなものだ。

 カルマが気づけたのは、やはり、彼がネメシスに力を奪われていることが大きい。

 「あいつ、わざと残していったのか」と忌々しげに呟いたカルマは、悔しさをぶつけるようにチョーカーを握りしめる。

 犯人が分かったなら、やるべきことはひとつだ。


「すぐに追いかけよう。ケルベロス、行けるかい?」

「わうっ」


 クロが襲われたのはつい先ほどだ。

 現世の時間がどれほど進んでいるかはともかく、まだ追いかけられる可能性はある。

 ケルベロスはチョーカーの匂いを嗅ぐと、すぐに処置室を出て行った。

 オルクスとカルマもその後を追い、シルキーとゼロも続く。

 バタバタと出て行く姿に、周りのグリムリーパーが何事かと視線を寄越すが構っている暇はない。

 ふと、シルキーの家族がネメシスに殺されたことを思い出したゼロは、隣を走るシルキーを見る。

 強張った表情からは、ネメシスへの怒りがあるようにも、戸惑いや恐怖が滲んでいるようにも感じられた。


「……ごめん、シルキー」

「え?」


 先ほど話したのは、自分が未練を思い出したことだけだった。

 しかし、シルキーの過去を……オルクスが話したとはいえ、勝手に聞いたことへの後ろめたさがずっと心の中に残っていた。

 シルキーからすれば謝られる理由が分からず、怪訝な顔を向けられる。


「俺、シルキーとシルキーの家族が殺されたときのこと、聞いたんだ」

「…………」


 こんな状況で話すことでもないが、今、言っておかなければならない気がした。

 視線をゼロから正面に戻したシルキーは、口を閉ざしてしまった。

 二人の間に微妙な沈黙が流れる。

 先を行く二人と一匹は聞こえていないのか、それとも口を挟まないだけなのか振り向くこともない。

 沈黙を先に破ったのは、唐突に足を止めたシルキーだ。

 ゼロも少し遅れて足を止めて振り向く。


「変えようがない過去だもの。あなたが気に病むことじゃないわ。でも……」


 何かの感情を押し込めるように、シルキーが強く手を握りしめたのが視界の隅に入った。

 そして、ゼロを真っ直ぐに見たシルキーの目には、強い憎しみが込められていた。


「あなたが知ったなら、私は気にせずにアイツを葬れるわ」


 グリムリーパーはストレイを回収する以外、命を奪うことは許されない。例え、相手が掟を破っていたとしても。

 シルキーが他の命を奪えば、彼女は掟を破ったとして消されるだろう。

 それさえも覚悟の上なのか、シルキーは「何かあったら、あなたのことはオルクスに任せるから」と言うとゼロの横を通り抜ける。


「そ、れは――」


 しばし呆然としていたゼロだったが、すぐに我に返るとシルキーの腕を掴んだ。


「駄目だ」

「っ!」

「これは、俺の独りよがりだけど……でも、シルキーには、これからもグリムリーパーとして生きていて欲しいんだ」


 グリムリーパーは他にも多くいる。

 だが、彼女の回収を見ていたゼロにとって、死者を救う者が――自分を救ってくれた者がいなくなってしまうのは嫌だった。

 シルキーは腕を掴むゼロの手を見ながら言う。


「申し訳ないけれど、私は復讐するためだけにグリムリーパーになったの」

「……!」

「でも……」


 ゼロの手を離しながら、ゆっくりと視線をゼロに向ける。

 泣きそうな顔をしていたゼロを見て、思わず小さく吹き出してしまった。


「止めたいのなら、あなたがしっかり動くことね」

「シルキー……」


 また走り出したシルキーの背を呆然と見つめる。

 何事かとざわつく周囲の声が耳に届きはじめた頃、ゼロは決意を込めて手を握ると、再び駆け出した。

 三人と一匹は既に転送の泉の前に着いており、オルクスが現世と繋いだところだった。


「さぁ、行こうか」

「待て」

「え」


 泉に入ろうとしたオルクスをカルマが止めた。

 オルクスの隣にいたケルベロスは右の前足を泉に浸けた姿勢で固まり、三つの首が不思議そうにカルマを見上げる。


「お前はここに残ったほうがいい」

「けど、ネメシスを断罪できるのはオルクスである僕しかいない。君達がやれば、消滅してしまうんだよ?」


 グリムリーパーではあるが、オルクスは『長』という立場上、他の命を奪っても消えることはない。ただし、相手が掟を破ったグリムリーパーかスレイヤーに限られるが。

 つまり、オルクスが同行しなければ、カルマかシルキーが共倒れを覚悟で挑まなければならない。

 眉間に皺を寄せたオルクスを見て、カルマが溜め息を吐いて妥協した。


「……分かった。なら、ネメシスを連れてくる」

「無理ならその場で狩るわ」

「もう少し自分を大事にしてくれないかな? 今のままじゃ不安だし、やっぱり僕も行くよ」


 今度はオルクスが深い溜め息を吐く番だった。この調子なら、二人はすぐに連行を諦めてその場で処分しそうだ。

 しかし、カルマにもオルクスに残ってほしい理由はちゃんとあった。


「いや、冥界のトップが不在となれば、あいつがここに来る可能性も出るし、他に仲間がいないとも限らない。だから、お前はここにいてくれ」

「……歯痒いね」

「けれど、お前にしかできないこともある。門は頼んだぞ」


 カルマ達がネメシスを追う今でも、グリムリーパー達はストレイを回収している。門の番犬であるケルベロスが離れる今、門の守りはオルクスに変わるのだ。

 すっと引いたオルクスを見て、カルマは一つ頷いてから泉へと身を落とす。それにケルベロスとシルキー、ゼロが続いた。

 一人残ったオルクスは、気持ちを押し殺すように下唇を噛み、ランタンがついた杖を握りしめる。


「……頼んだよ、皆」


 泉に浮かんでいた青い光を放つ陣が、静かに薄れていく。

 オルクスは完全に消えたのを見てから、部屋を出て行った。




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