第16話「俺を突き落としたの、この人です」
商業ビルの屋上に上がっていたゼロは、その端から町を見渡していた。
地上と違い、障害物の少ないビルの屋上は風が強い。夏の終わりの今はまだ気持ち良く感じられるが、もう少し時期が経てば寒くて耐えられないだろう。
多くの人が行き交う様は平和そのもので、事件や事故の気配すらない。
「……何やってんだ、俺」
事件や事故が起こることを望んでいる自分に嫌気が差した。
それもこれも、あの事故のときに視えた「アイツ」のせいだ、と溜め息を吐く。
およそ半年前、母親が事故で亡くなった。トラックの運転手のわき見運転による、信号無視で起こった事故だ。
けれど、ゼロは母親が事故に遭った瞬間に、別の影も視ていた。
「『死神』なんて、どこにもいないじゃないか」
トラックが母親にぶつかった瞬間、母親を大きな鎌で斬った白い少女。着ていた服は黒かったが、見事なまでに真っ白な長い髪は今も記憶に焼き付いている。
だが、他の誰もその少女を見ておらず、また、事故による死者もゼロの母親ただ一人だった。
あれは何だったのか、と母親の葬儀が終わってもまだ考えていた矢先、目の前に現れたのは、全身を真っ黒なローブで覆った如何にも怪しい格好の少年だ。首に横一直線に入った傷跡が、彼を人形かと思わせる。
深く被ったフードを脱いだ彼は、少しばかり幼さが残る顔立ちを露わにして、どこか余裕のある笑みを浮かべていた。
彼はゼロを見据えたまま、まだ声変わりをしていないような声で無邪気に言った。
――死神だよ。
――死、神……?
――そう。そいつが、アンタの母親を殺したんだ。
もし、あの少女を視ていなければ、二次元の世界と現実を混同視した子供だろうと思っていた。
しかし、少女を視たゼロからすれば、初めて正体不明の少女について理解を示してくれた人だ。歳下に見えようとも、怪しい格好であろうとも、関係なかった。
――可哀想に。あの女の人は何も悪くないけど、死神は無作為に人を殺していくから……。
哀れむ少年は、死神について簡単に教えてくれた。
ならば、母親が殺されたのは、単に死神の遊びのようなものなのか。
そう考えが至った瞬間、彼はゼロに囁いた。
――死神に復讐したい? なら、人の死の瞬間を探すことだね。
「死の瞬間」ということは、事件か事故が起これば、再び死神が現れて視えるかもしれない。
そう思い、時間があればビルの上や大通りで町を観察していた。
しかし、待てども死神が現れる気配はなく、気がつけば半年が過ぎている。
初めて少年と会ったときを思い返していたゼロは、意識を目の前へと戻した。
「復讐なんて、できるわけないか」
憎しみから死神を探していたゼロだが、今思えば、死神を見つけたところでどうやって復讐すればいいのか。
恐らく、相手は実体を持たない存在だ。凶器や鈍器の類より、札などのほうが効果的な気がする。ただ、それらを用意できるような環境にはいないが。
ゼロは溜め息を吐くと、今日も諦めるか、と体を反転させる。
そして、いつの間にか後ろにいた存在に肩が大きく跳ねた。
「っ!?」
「やぁ。死神は見つかったかい?」
「……まだ」
早鐘を打つ心臓を無理矢理抑えつつ、無邪気に訊ねてくる少年に返す。
少年と会ったのも、実に半年ぶりだ。
何故、今さら現れたのかと訝るように彼を見て言う。
「死の瞬間に必ず現れるって言うけど、あれから死神は視ていない。本当に、あれは死神だったのか?」
「うん。視えないのは、君に関わった死神ではないからだよ」
「俺に関わってないと視えないのか?」
「勿論。ただ、あの死神については君に視られてしまったから、次会えば必ず視えるよ」
この世の者ではないため、死神は生きている者に視認されてはならない。ゼロが視てしまったのも、偶然だったとしても本来であれば避けるべきことだ。
少年は、まるで死神の動向を知っているかのように言う。
「君が死神を視て探していることは、向こうでは結構な問題になっているんだよ。普通、死神は生者には関わらないのがルールだからね。けど、幸か不幸か、君は視てしまった」
「……もしかして、俺が狙われている可能性もあるって事か?」
「そういうこと。そして、後始末には彼女が来る可能性が高い」
視てしまったのなら、口封じにその本人を殺してしまうのが手っ取り早い。そして、視られた死神自身が動くことも想像はつく。
言葉を失うゼロに、少年はどこか楽しげに言葉を続けた。
「良かったね」
「何が?」
「だって、君が死ねば、復讐が果たされるんだよ」
「……けど、俺が死んだら、意味がない」
自分が死ねばそれで終わりだ。そもそも、復讐をしても母親が帰ってくるわけでもない。
何のために死神を探しているのか、時間が経っているせいか、それさえも曖昧になってきた。
「意味がない? そんなことないよ。母親の仇は取れるんだし」
「思ったんだが、仇って言っても、俺はあの死神を殺したいわけじゃ――」
「ええ!? 殺したくないの? なんで? 罪に問われるわけじゃないのに? ねぇ、なんで?」
「なんでって……」
死神は無作為に人を殺す。他の人のためにも、あの少女を殺めたほうがいいのかもしれない。
だが、殺めたところで死神は一人ではないため、これからも人は死神に狩られ続けるだろう。
狂気じみた少年にどう伝えればいいか分からず言葉に詰まっていると、彼は「ああ、そういうことか」と勝手に答えを出した。
「君、死ぬのが怖いんだね」
「え……」
「そっかそっかぁ。まぁ、死んだら何処に行くのかなんて、生者には分からないもんね」
少年は一人で頷きながら合点がいったと言葉を紡ぎ続ける。ただ、その発言は、少年が既に死んでいるかのような内容だが。
ふと、今さらながら、彼が何故、死神について詳しいのかと疑問に思った。歳下に見える割にはどこか達観した様子であり、現れるときも気配がない少年は、果たして本当に生きている人間なのか。
彼は、何者なのだろうか。
「お前、一体、何なんだ……?」
「死ぬのが怖いなら、ボクが手伝ってあげるよ! ほら!」
「やめ……っ!」
突然、間合いを詰めてきた少年から逃れようと下がる。だが、背中がビルの屋上を囲う低い塀に当たった。
下から吹き上げた風が髪を撫でる。
直後、足が宙に浮いたかと思うと、少年がゼロの胸元を押した。
一瞬だけしか触れていないが、布越しでも分かるほどに、その手は酷く冷たかった。
「うふふふ。ボク、その絶望に歪んだ顔、だーい好き」
うっとりとした顔で、少年は落ちていくゼロを見ていた。
まさしく、彼こそが死神なのではないかと思うほどの表情だった。
そして、ゼロの意識は暗転した。
愕然と目の前のカルマを見ていたゼロは、思い出した死の直前に言葉を失ったままだった。
しかし、そんなゼロの心中を知らないオルクスは、二人を交互に見て心配したように言う。
「えっと……もしかして、スレイヤーは初めて会うのかな? マナに圧倒されちゃう子って、グリムリーパーでもたまにいるけど、その類?」
「……いや、前に洋館で会った」
「あ、そうなの?」
違う、という短い言葉さえ口から出せない。
狂気じみた言葉が、恍惚とした表情が、突き落とした手の冷たさが、ゼロを恐怖という檻に閉じこめているようだった。
「おい、ゼロ。大丈夫か? 顔真っ青だぞ」
「……がう」
「え?」
クロが肩を軽く叩くと、か細いながらもやっと声が出せた。
彼は、ゼロのことを覚えていないのだろうか。
言ってしまえば自分はどうなるのか。
不安が過ぎりつつも、手を強く握りしめ、今度ははっきりと言った。
「洋館の前にも、現世で会ってる」
「は……?」
カルマは覚えていないのか、怪訝に眉を顰めるだけだった。
オルクスやクロも何事かと困惑している。
本人が覚えていないのなら、ゼロが打ち明けるだけだ。
「俺を突き落としたの、この人です」
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