第15話「君が何故、『死のうと思ったか』についてね」
「ま、辛気臭い話はこの辺にして、さっさと休もうぜ」
「……なんか、ごめん」
「ああ?」
「いや、無神経なこと言ったなって、思って……」
飼い主を殺されて、平然としていられるはずがない。恨んだところでどうしようもない、と諦めているだけだ。
それを、あっさりしていると言った自分が恥ずかしくなった。
クロはクロで、落ち込んだゼロの励まし方が分からず、気まずそうに視線をベランダへと逸らす。
そこで、先ほどまではなかった姿を見つけて目を瞬かせた。
「……ん?」
「え?」
ベッドから立ち上がってベランダへと歩いていくクロを、ゼロもきょとんとして目で追う。
クロが窓を開ければ、真っ白な一羽の鳥が入り込んできた。ただし、その顔に目はなく、嘴や足までもが真っ白だが。
室内を旋回していた鳥は、やがてクロの机に降り立つと、二人を視界に収められるよう少しだけ下がる。
先に口を開いたのは、やや呆れた様子のクロだ。
「何しに来た? 『オルクス』」
「え!?」
『あはは。ゼロ君、良い反応だねぇ』
「しゃ、喋った!?」
鳥から聞こえたのはオルクスの声だった。
ゼロの反応を喜ぶオルクスだが、鳥が喋るという異様な光景にゼロは開いた口が塞がらない状態だ。クロのときも驚いたが。
クロは鳥に近寄ってから手短に説明した。
「オルクスが飛ばす、伝書鳩みたいなもんだ」
『そう。ほら、僕は多忙な身だからね。呼ぶためだけにそっちに行くのも手間だし、誰かに頼もうにも、誰も近くにいないから……』
伝書鳩はオルクスの感情も表現しているのか、胸を張ったかと思いきや、徐々に頭が下がっていった。
呼ぶためだけに出るのが億劫になるのはともかく、誰もいないのは部屋の汚さが原因の一つでもある気がするのはゼロだけだろうか。
クロは何か文句を言いたげに、眉間に皺を寄せて伝書鳩を見下ろしている。
「え、えっと……伝書鳩ということは、何か俺達に用があるんですか?」
『ん? んー、何だったかな……あ、そうそう! 忘れるところだった!』
自分から来ておいて頭を捻るオルクスに、一瞬、不安を覚えてしまった。
クロも眉間の皺がさらに深くなっている。
そして、オルクスは明るい雰囲気で言った。
『おめでとう。未練を思い出したって聞いたよ。だから、門をくぐれるかどうか視てあげるから、ちょっと僕の部屋までおいで』
「今からか?」
休憩の時間は基本的に自由に取っていいとされているが、現世から帰って来てからまだ一度も休んでいない。
少しくらいは寝ていきたい、と言外に匂わせれば、伝書鳩は大きく頷いた。
『うん。ついでに、ちょっと片づけ――』
「それは断る」
(あれ? 片づけって、やったばっかりな気が……)
片づけはクロがしたはずだ。ただし、ゼロは冥界と現世を行き来していたため、こちらでの時間がどれほど進んでいるのかは定かではない。
すると、伝書鳩はがっくりと項垂れた。
『残念だけど仕方ない。じゃあ、片づけはまた今度でいいけど、部屋には来てほしいな』
「もしかして、俺もか?」
ゼロだけでいいのなら、クロは早々に休みたい。
だが、伝書鳩は至極当然だと言わんばかりの声音で言い切った。
『うん。グリムリーパーがいないと、扉は開かないんだから』
「え。シルキーがいないのに開くんですか?」
「あ」
「シルキー」ではなく、「グリムリーパー」と言ったオルクス。つまり、担当以外のグリムリーパーでも問題はないようだ。
しかし、先ほど、クロはオルクスのもとに行くときに「担当者がいないといけない」と言っていた。
クロもそれを思い出し、ばつが悪そうに視線を逸らす。
オルクスはまさかそんな会話があったとは思わず、あっさりとゼロの質問に頷いた。
『うん。大丈夫だよ。ストレイだけだと無理だけど、グリムリーパーが一緒なら開くよ』
「…………」
「し、仕方ないだろ。オルクスと話していること、お前に聞かれたらまずいことだってあったんだよ」
ゼロが物言いたげにクロを見れば、彼は拗ねたように言った。
他のグリムリーパーならばともかく、冥界のトップであるオルクスに言われると、これ以上は誤魔化しようがない。
何かを察したオルクスは、『じゃあ、待ってるからね』と言うと、小気味よい音を立てて伝書鳩を消した。
「素直に言ってくれれば良かったけど……気を遣ってくれてありがとう」
「……はぁ。柄にもないことはするもんじゃないな」
「クロも案外、優しいよね」
「案外は余計だ」
気恥ずかしいのだろう。また視線を逸らしたクロの耳は、ほんのりと赤くなっていた。
そして、オルクスに呼ばれたのなら休憩は後回しにするしかない、と二人は揃って部屋を出る。
アンダーテイカーに入って、奥にある扉からオルクスのもとに向かえば、ゼロが初めて訪れたときと何ら変わらぬ光景が広がっていた。むしろ、床がまったく見えない分、悪化している気がする。片づけはどうしたのか。
奥の机ではなく、手前の応対用のテーブルにいるオルクスを見て、クロは呆れを隠す素振りも見せずに言う。
「これも諦めてるけどよ、せめて、もう少し片づけた状態を維持できなかったのか?」
「んー。そうしたいのは山々なんだけど、資料探してたら、いつの間にか元通りになっちゃった」
オルクスに悪びれた様子はなく、語尾に星でも付きそうな言い方だった。
これ以上は何を言っても無駄だ、とクロは片づけの話を切り上げて、本題に移ることにした。
「で? ゼロは大丈夫そうか?」
「ああ、そうだった。おいで、ゼロ君」
オルクスはまたもや本題を忘れていたようだ。
手招きをするオルクスを見て、ゼロはせめて資料を破かないように、と足もとに気をつけながら彼に近寄る。
ソファーの傍らに立てば、立ち上がったオルクスがゼロの額に手を触れさせた。
「――うん。未練については問題ないようだね」
「じゃあ……」
もう門はくぐれるのか。
期待を込めてオルクスを見たものの、彼の表情はどこかすっきりしていなかった。
「ただ、まだ一つ疑問があるんだよ」
「え?」
「シルキーかクロから聞かなかったかい? 君の死因について、疑問があると」
「疑問……」
シルキーから「生前に興味がある」とは言われたが、疑問があるとまでは言われていない。クロも同様に。
すると、彼は「言っていいかどうか微妙な内容だからな」と言った。
打ち明けるのを迷うとは、一体、どんな疑問なのか。
オルクスは真剣な表情で告げた。
「そう。君が何故、『死のうと思ったか』についてね」
母親の仇であるグリムリーパーを探すためだと思っていた理由。
ゼロは生前の自分の行動に驚きつつも、疑問までは抱かなかった。それだけ、母親が大事だったのだと。
「確かに、死神と言えば『死』のイメージが強いから、死ねば会えると思うのも当然だよ? けれど、生きているときに視えたのなら、そのまま探し続ける可能性だって高い。そのほうが復讐したって実感を得られるからね」
死んでしまえばそれまでだ。また、自ら死ぬのは並大抵の精神でできるものではない。
ゼロもビルから落ちた記憶を思い出せば、今でも恐怖で足が震えるほどだ。
表情を強張らせるゼロを見て、オルクスは声音を柔らかくさせて訊ねる。
「ねぇ。ゼロ君は、自分がビルから飛び降りたって思ってる?」
「は、はい」
「うーん……。もう思い出したから言っちゃうけど、普通、自殺ならリストにはその旨の記載があるはずなんだ」
シルキーからは転落死したと告げられた死因。
ゼロは何も不思議には思っていなかったが、それについてはオルクスも、後ろにいるクロも不審に思っていた。
「これはあくまでも仮定なんだがな、お前、死ぬ直前に誰かに会ってないか?」
「誰か……?」
生憎、ビルから落ちる記憶しかないため、その直前までは分からない。
オルクスは、ゼロの仕分けをしたグリムリーパーから聞いた話を思い浮かべる。
「仕分けの子は、魂から死の情報を得る。けれど、君が自らの意思で落ちた節はなかったそうなんだ」
「誤って足を滑らせたってこともあり得るが、殺された線もある」
「殺された……」
転落死の表記だけでは、事故なのか他殺なのか判断しにくい。
最も、その点については転生に必要だろうか? と、未練が解消された今、ゼロにとっては重要な問題には思えなかった。
「ええと、それって、転生するのに支障があるんですか?」
「あー……いや、転生自体に問題はないよ。ないんだけれど、これは……そうだね。今後の仕事を行っていく上で、小さな誤りを防ぐために、疑問は解消しておきたいなっていう、グリムリーパーとしての未練かな」
苦笑するオルクスには、ゼロの死因を探る理由が他にもありそうだ。
しかし、自分の立場を考えれば、グリムリーパーでもないのに追究してもいいものかと言葉が続かない。
「とりあえず、そこが解消するまでもう少しだけ時間が欲しいし、そもそもシルキーの治療が終わってないから、ちょっとだけ待っててくれるかな?」
「……分かりました」
シルキーがいなくてはゼロの転生も行えない。
ここは素直に諦めるしかない、とゼロは部屋を出ることにした。
一度、シルキーの様子を見に行くのもいいだろう。彼女に思い出したことを何と告げればいいか迷うが。
扉に向かおうと体を反転させたゼロとクロの後ろで、オルクスは突然、「もういいよ」と何かに許可を出した。
「え?」
「気にすんな。次の奴だ」
何のことかと振り返ったゼロだったが、クロに言われて納得した。
オルクスの部屋には、ホールの扉の前で行き先を告げる必要がある。そして、オルクスからの許可があって初めて繋がるのだ。
先ほどの言葉は二人に向けてのものではなく、次の来客者に向けてのものだった。
そして、その来客者はゼロが扉を開けるより先に入ってきた。
「あ、もう。またノック忘れてる」
「そんなことより、例の件の――ん?」
入ってきたのは、黒いローブに身を包んだ青年だった。フードは被っておらず、赤みを帯びた黒い髪が露わになっている。
また、低い声は成人男性のもので、ゼロには聞き覚えがあった。
「この声……」
「……お前、シルキーと一緒にいたストレイか」
部屋に入ってきたのは、洋館ですれ違ったスレイヤー、カルマだ。
彼はオルクスと会話をすることもあってか、ゼロを視界に入れると淡々と言って鼻までを隠していたマフラーを指で下げる。
それによって露わになった顔つきは、声の低さの割にやや幼いものだった。ゼロよりも少し歳下だろう。
だが、顔を見た瞬間、ゼロの中で浮かんだ光景があった。
ビルの上で、自分は黒いローブに身を包んだ誰かと話している。
そして、立ち上がったゼロの後ろにいつの間にかいたその人物が、ゼロの背中を押した。
仰向けに落ちるゼロの視界で、自分を見下ろしているのは突き落としたその人だ。
「……え?」
不敵に笑んだその顔が、目の前のカルマと重なった。
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