第9話『頭では分かってても、心が受け入れないんだ』


「ここは、私が主人とよく散歩に来ていたところなの。それと……あの子を見つけた場所よ」


 そう説明した女性は、昔を懐かしむように目を閉じた。

 飼い猫と出会ったのは、暖かい春の日だ。

 夫婦でベンチに座っていたとき、茂みからか細い鳴き声が聞こえることに気づいた。何がいるのかと声がする場所を覗き込めば、段ボール箱に入れられた数匹の子猫を見つけたのだ。ただ、飼い猫となった子猫以外は、既に亡くなっていたが。

 夫婦だけで過ごす家に新しい家族を迎えようと決めるまで、そう時間は掛からなかった。


「元々、主人が動物好きでね。『こんな小さい命でも、ちゃんと生きてるんだ。人間の勝手な都合で終わらせるわけにはいかん』って、すぐに家に連れ帰ったの」

「素敵なご主人ね」

「ふふっ。ありがとう。……あの世で主人が待っていたら、『褒められたわよ』って言ってあげないとね」

「……そうね」


 彼女の言う死後の世界とは、恐らく、世間一般で認知されているものだ。

 本当は門をくぐって次の命に生まれ変わるのだが、今の様子では説明はしないほうがいいだろう。

 そう判断して曖昧に頷いたシルキーは、本来の目的を果たそうと周囲に目を向けた。

 ペットの散歩をする人、ジョギングをする人、主婦同士で会話を楽しむ人達など、それぞれが様々な過ごし方をしている。


「飼い猫ちゃんは……」

『あれ、そうか?』


 こうも人が多くては猫を見つけるのも苦労しそうだ、と思った矢先、誰よりも早く、クロが何かを見つけて声を上げた。

 視線の指す先は、北側にあるベンチの後ろにある木の枝だ。その枝に、聞いていた特徴と合致する猫がいた。

 クロが一足先に木の所まで駆けていき、枝にいる猫に話しかける。


『おい、お前。下りてこい』

「…………」

『聞いてんのか? おい』

「…………」


 無視。寝ているのか、体を縮めたまま目を閉じている。

 グリムリーパーもストレイと同じく生者には姿が視えない存在だが、動物は人間よりもそういったものが視えやすい。

 その可能性に賭けて声を掛けたのだが、どうやら猫は視えないほうに入るようだ。

 すると、少し遅れてやって来た女性が堪らず猫を呼ぶ。


「『鈴』」

「……?」


 呼び声に反応するように、寝ているはずの猫……鈴の耳がぴくりと動いた。ゆっくりと開かれた目は驚きに染まり、何かを探すように辺りを見回す。

 先ほど、クロの呼びかけに答えなかったのは、聞こえていなかったからではないようだ。


『本当に無視かよ』

「ちょっと黙って」


 拗ねたクロを軽く窘め、シルキーは女性と鈴を注視する。この接触で、何か異変が起こっては困るからだ。


「鈴」

「……にゃあ」


 女性がもう一度名を呼べば、少し遅れて返事をするように鳴いた。

 立ち上がった鈴は、声の主を探そうと木から下りる。

 だが、声は聞こえても姿は視えていないのか、鈴が女性のもとに真っ直ぐ行くことはなかった。


「鈴。ここよ、鈴」

「にゃー。にゃあー……」


 女性は鈴の前で地面に膝をつき、鈴を抱き上げようと腕を伸ばす。しかし、実体のない手はするりと鈴の体をすり抜け、抱き上げるどころか撫でることすらできない。

 鈴も飼い主の声が近くから聞こえるのに姿が視えず、寂しげな鳴き声だけが辺りに響いた。


「大丈夫。大丈夫よ、鈴。お母さんはね、ちゃんとここにいるわ」

「にゃああうぅぅ」

「鈴……」


 何度手を伸ばしても触れられない。

 分かってはいたはずなのに、いざ、直面するともどかしいばかりだ。

 そんな光景を見ていたゼロは、隣にいるシルキーに訊ねた。


「なぁ、これってどうにもできないのか?」

「実体がないんだもの。できないわ」

「だよなぁ……」

「無条件ではね」

「え?」


 一度は否定したシルキーだが、付け足した言葉から察するに条件があればできるのか。

 目を瞬かせるゼロを横目に、シルキーは女性と鈴に歩み寄る。

 涙を流す女性の傍らに片膝をついたシルキーは、鈴を見ながら確認するように訊ねた。


「ねぇ、おばあさん。この子が無事に家に帰ったら、もう未練はない?」

「え、ええ……。ないわ」

「分かった。それじゃ、短いけど、お別れくらいはさせてあげるわ」


 そう言って、シルキーはランタンの炎に手を翳す。一際大きく揺らめいたのを確認してから手を離せば、ランタンと手のひらの間に青白い金平糖が現れた。

 金平糖を片手に手早くランタンをデスサイズへと変えると、一瞬で女性の体を斬った。


「え!? それって、回収――」

『いや、違うな』

「違う?」


 焦りを見せたゼロだが、口を閉ざしたまま見守っていたクロが否定する。

 何が違うのかと思っていると、シルキーは持っていた金平糖を透けていく女性の額に触れさせた。

 すると、透けていたはずの体が再び色を濃くしていった。


「『マナ』を取り込ませたわ。これで、また体が透けるまでは、実体と変わりなく鈴ちゃんに触れるわよ」

「にゃあ」

「鈴……!」


 シルキーの言葉を裏付けるように、先ほどまで主人を探していた鈴の視線が女性に向けられる。

 女性は感極まって涙を流しながら、鈴を優しく抱きしめた。

 それを見ていたゼロは、一体、何が起こったのかと視線だけでクロに問う。


『マナってのは、生命力の欠片のようなもんだ。ストレイの回収やグラッジの殲滅をすると、自然とランタンの中に貯まっていく。あとは、現世なら生きている者は持ってるし、冥界に咲く「イノセンス」って花からも得られるな。俺達、グリムリーパーの動力源でもあるし、ストレイに与えれば一時的に実体を取り戻せる』

「斬る必要ってあるのか?」

『一回体を斬ったのは、現世と繋がった状態でマナを与えると、変に現世に根付いて回収が困難になることがあるからだ』


 デスサイズで斬ることによって、一回は現世と切り離される。そこにマナで生命力を与えれば実体化はできるが、存在するにはマナを消費しなければならない。いずれは消えてしまうが、一度デスサイズに触れているため、消滅はせずにそのまま回収となるのだ。

 これが斬っていない状態だと、魂が現世と切り離されていないため、マナを得て現世とさらに結びつく可能性がある。さらに、元の肉体はないことから、ストレイはなんとか維持しようと周囲のマナを無意識に取り込む。それはグラッジが行うことと同じであり、スレイヤーが狩る対象になるのだ。

 マナについて理解したゼロだったが、クロが言っていた言葉を思い出すと、あることに気づいた。


「動力源ってことは、これがないとクロ達は動けなくなるのか?」

『そう。これが切れたら、俺達は消滅する。まぁ、餓死みたいなもんだな。現世にいるには、マナの消費がでかいんだよ』


 起きたあとに朝食らしきものは摂らなかったが、グリムリーパーにはきちんとした食事代わりの物はある。

 ただ、ゼロは特に口にしていないため、存在は大丈夫なのだろうかと不安が過った。


「俺、何も口にしてない……」

『ストレイはグリムリーパーと違って、他者の命を回収しないからな。不安がることはないさ』


 ある程度の消耗はするものの、急いで摂取する程でもない。

 細かいところで違うのか、と安堵しつつ、意識を女性と鈴へと戻す。


「鈴。今まで一緒にいてくれて、ありがとう」

「にゃー」

「ちゃんとご飯食べるのよ? 散歩に行ったら、お家に必ず帰ってね」


 まるで家を空ける母親のように、鈴の頭を撫でながら言葉を続ける。

 鈴も女性に甘えているのか頬にすり寄っていた。


「お母さんは先に行ってしまうけど、ちゃんと鈴のこと見てるからね」

「にゃあう……」

「……ほら、お家に帰りましょう? お母さん、待ってるから」

「にゃー」


 名残惜しそうに鈴を離した女性は、もう涙を流さないように必死に堪えて笑顔を浮かべる。その指先は透けてきていた。

 鈴が女性に背を向けて歩き出したとき、女性はシルキーを見て「ありがとう」と言った。

 シルキーはデスサイズを優しく振るう。刃が女性の体を通り抜け、体がさらに薄れていく。

 それが光の粒子に変わったとき、鳴り響いていた鈴の音が止まった。


「…………」

「…………」


 背を向けていたはずの鈴が、振り向いて女性のいた場所を……シルキーを見ていた。

 視えていないのではなかったのか、と驚くシルキーだったが、鈴は小さく一鳴きすると、また歩き出して姿が見えなくなった。


「びっくりした。視えてるのかと思ったわ」

『…………』


 クロはまだ鈴の去った方向を見ている。同じ猫であるクロには、何か感じるところがあったのかもしれない。

 シルキーも鈴が見えなくなった場所を見てから、鈴の主人を斬ったデスサイズへと視線を移した。


「鈴ちゃん、飼い主が死んだってことを理解していなかったのね」

「うん……」

『……いや、違う』

「クロ?」


 鈴の様子を見ていれば、シルキーだけでなくゼロも鈴が主人の死を分かっていなかったように思えた。

 だが、唯一否定したのはクロだ。

 視線を逸らさないクロは、まるで鈴に何かを重ねているようだ。


『頭では分かってても、心が受け入れないんだ。本当は視えてはいたんだろうけど、「透けた主人」を認めたくなかったんだろう』


 認めてしまえば、主人が死んだことを受け入れざるを得ない。

 これは違う。主人と同じ姿はしているが、ならば実体はあるはずだと。何故、触れてくれないのかと。

 まるで自分も体験していたかのような言い方と昨日のこともあって、ゼロはクロの過去に何があったのかと気になった。


「それって――」

『さーて、俺も昼寝に戻るかー。せっかく深ーい眠りに入れそうだったのに、どっかの誰かさんが呼び出してくれたせいで、変に体が浮ついてるんだよ』


 大きな欠伸をして揶揄するクロは、すっかりいつもの調子だ。横目でシルキーを見る目には挑発の色が見える。

 そして、例に漏れずシルキーはその挑発に乗った。


「あらそう。じゃあ、すぐに深い眠りにつかせてあげるわ。首を出しなさい」

『ああ!?』

「ストップー!」




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