第8話「それじゃあ、その飼い猫を探しに行きましょう」
ぐっすりと眠っていると、何かがベッドに突き刺さった。
「うえっ!? ななな、なに!?」
鈍い音と衝撃で目を覚ましたゼロは、眼前で揺らめいた青い炎に驚いて飛び起き、壁まで下がった。
そして、その青い炎の正体がデスサイズであると分かると、非難の目を持ち主であるシルキーへと向けた。
「起こし方、荒すぎ――」
「私より遅くに起きるなんて良い度胸ね」
「理不尽!」
いくらなんでも起こし方に問題がある。
だが、彼女からすればゼロがまだ寝ていたほうが悪いようだ。
迎えに来るとは言っていたが、起きる時間は伝えられていない。そのため、シルキーより早く起きるのは困難だ。そもそも、時間という概念がこの世界に存在するのかが怪しいが。
クロは……とベッドを見るが、もぬけの殻だった。
就寝前は帰ってきたのを見たが、「おやすみ」と挨拶をしたきりだ。
シルキーは、デスサイズを小さなランタンのペンダントに変え、腕を組んで言った。
「つべこべ言わず、さっさと顔洗ってきなさい。もう回収に行くから」
「はーい……」
彼女には一生勝てない気がする。
朝食は摂る必要がないのか、お腹が空いた感覚はない。手早く準備を済ませて洗面所から出たが、肝心のシルキーの姿は部屋になかった。
もしや、もう泉に向かっているのか、と部屋を出ると、向かいの窓から外を眺めるシルキーがいた。
ぼんやりと外を見る横顔は、やはり整っていることもあってか一枚の絵画のようにも見える。
すると、扉が開いたことに気づいたシルキーがゼロへと視線を向けた。
真っ直ぐにゼロを映したエメラルドグリーンの瞳に、不覚にもドキリとしてしまった。
「終わった?」
「……え? あ、うん」
「そう。じゃあ、行くわよ」
颯爽と歩き出したシルキーの後を追い、何となく横に並ぶ。
シルキーが何かを言ってくる気配がないため、隣を歩いても問題はないのだろう。
他のグリムリーパー達は、活動を初めている者や今から休むのか部屋に戻っていく者と様々だ。
彼らを横目に黙々と歩き、二度目となる転送の泉に入る。
辿り着いたのは、現世にある一軒の民家の前だった。二階建ての瓦屋根のその家は、周りの民家よりも築年数は長そうだ。
周囲にも何軒かの民家が建ち並んでおり、その間に田んぼや畑もちらほらと見える。
「ここは?」
「回収するストレイがいるはずの場所」
シルキーが見ている民家には、庭に数台の車が停められていた。家の中では複数の人が動いているのが声で分かる。
何が行われているのか、説明がなくとも「回収するストレイがいる」と言われれば察することはできた。
今度のストレイはすぐに回収できるのだろうか、と思いながら、先を行くシルキーについて玄関へと歩いていく。そこで、玄関の外に一人の年配の女性が立っていることに気づいた。
何かを探しているのか、不安げな表情で辺りを見回している。
(ん? この人、もしかして……)
ふと、女性の足もとを見たゼロは、彼女が靴を履いていないことに気づいた。
ゼロの予想を肯定するかの如く、シルキーはペンダントのランタンを大きくさせて女性に話しかける。
「こんにちは、おばあさん」
「……こんにちは。あなた達は、私のことが視えるのかい?」
女性はまさか声を掛けられるとは思わなかったのか、驚いたように目を見開いてシルキーとゼロを交互に見た。
問いかけに頷いたシルキーは、混乱を招かないよう簡単に自分のことを説明する。
「私達は冥界から来たグリムリーパーよ。あなたの魂を、無事に次の生へと生まれ変わらせるために迎えに来たの」
「あらまぁ。わざわざお迎えに来てくれるなんて、ありがたい話ねぇ」
自分が死んだと認識していることもあってか、彼女はすんなりと回収できそうな雰囲気だ。
すぐに終わらせようとランタンをデスサイズへと変えたシルキーだったが、次の瞬間、彼女は表情を暗くさせた。
「でも、少しだけ待ってもらうことはできないかしら……?」
「え?」
「実はね、飼っている猫が帰ってこないの。私が死んでから、家族の目を盗んで逃げ出しちゃったみたいで……」
玄関先で探していたのは飼い猫だったようだ。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたシルキーだったが、すぐに頭を振ってから女性に確認した。
「その飼い猫が帰ってきたらいいのね?」
「ええ。どうしても、あの子が無事であるか確かめたいの。もう姿は見えないだろうし、撫でてあげることもできないから……」
実体を持たないストレイとなってしまえば、生きているものに触れることは叶わない。
すり抜けることは既に知っているのか、悲しげな顔で手を見た女性に、ゼロまで胸が苦しくなった。
だが、相手は人間ではなく動物だ。見つけるのは難しいかもしれない。それでも、ゼロはどうにかしてあげたいと思った。
シルキーも同じことを思ったのか、小さく息を吐くと、デスサイズをランタンへと戻した。
「分かったわ。それじゃあ、その飼い猫を探しに行きましょう。あなたのことは、私が守るから」
「いいの……?」
「ええ。未練を解消するのも仕事だから」
「ありがとう」
転生を阻むほどの未練ではないかもしれない。しかし、思い残すことがあるのなら、それが猫探しであるなら、できる限り解消してあげたほうがいいだろう。
女性はシルキーの言葉に嬉しそうに表情を和らげた。
ただ、猫探しとは言っても何処から探せばいいのか分からない。
「どうやって探すんだ?」
「適任を呼ぶわ」
「適任?」
まさか、動物を探すプロがグリムリーパーにいるのか。
目を瞬かせるゼロの目の前で、シルキーはランタンのついた杖で地面を軽く二回叩く。
すると、叩いた箇所に小さな青い円形の陣が出現し、それをもう一度杖で突くと一瞬で三人を含むほどの大きさに広がった。
シルキーは陣を見下ろしたまま眉間に皺を寄せたものの、すぐに諦めて名前を呼んだ。
「――クロ」
『おっ?』
陣から光の球が飛び出して宙で弾けると、中から現れた黒い猫……クロは状況に頭がついてきていないのかきょとんとしていた。
重力に従って体が落下したが、さすがは猫。華麗な着地を決めてみせた。そして、シルキーを視界に入れると、心底嫌そうな顔に変わった。
『うげぇ。誰かと思ったらテメェかよ』
「私だって、できることなら呼びたくなかったわよ」
『俺、気持ち良く昼寝中だったんだけど?』
「あらそう。ならちょうど良かったわ」
『良くね――ぐえっ』
突然、シルキーはクロの首根っこを掴むと、女性とゼロに背を向けた。クロを自身の顔の高さ近くまで持ち上げ、声量を押さえながら訊ねる。
「まず、最初に確認よ。あのおばあさんの飼い猫、あなたのリストにある?」
『はぁ? 猫探ししてんのか?』
「いいから、教えなさいよ」
猫が無事であるかどうかの確認なら、同業者に聞けば早い。そのため、シルキーはグリムリーパーの能力を使ってクロを呼び出した。
他のグリムリーパーを呼べるのは、もし、担当外のストレイに出会った場合やグラッジになってしまった場合、本来の担当者や応援をすぐに呼べるようにするためだ。
クロは女性を一瞥すると、昼寝をする前に頭の中に叩き込んだリストの中身を思い浮かべる。
『んー……俺のリストにはなかったな』
「そう。なら、回収された可能性は低いわね」
『けど、他の奴が担当なら知らないぜ』
グリムリーパーは一人だけではない。それは動物のグリムリーパーであるクロ達にとっても同じだ。
あくまでも回収された可能性が僅かに減っただけで、生きているとも死んだとも断定はできない。
しかし、シルキーはクロを離すと、「動物のグリムリーパーの知人があなたしかしないの」と少しだけ苛立った様子で言った。
『へっ。グリムリーパーの知人も少ないくせに』
「は? あなたよりマシよ」
「あの、ふたりとも、猫探しは……」
「するわよ」
『やるよ。……あっ』
喧嘩に発展しそうなシルキーとクロを見かねたゼロが声を掛けると、振り向いたふたりは声を揃えた。しかも、反射的に答えたとはいえ、クロも参加してくれる様子だ。
顔を見合わせて怪訝な顔をするふたりから視線を外したゼロは、苦笑いを浮かべながら女性に問う。
「ええっと……飼い猫って、どんな子ですか?」
「灰色の毛に黒い虎柄よ。足先は靴下を履いたみたいに白いの。あと、鈴のついた赤い首輪をしてるから、近くにいれば音が聞こえるはずなんだけど……」
「分かりました」
首輪をしているなら見つけやすいかもしれない。
ゼロは火花を散らすシルキーとクロを見ると、溜め息を吐いてから言った。
「特徴聞こえた?」
「問題ないわ。行きましょう」
『ばあさん。猫の行きそうな場所なら任せてくれ』
「あらあら。すごいわねぇ。喋る猫ちゃんもいるのね」
女性の前に歩み出たクロは、人間の姿を取ることはしないようだ。
人語を操るクロに驚いていた女性だったが、すぐに優しく微笑みを浮かべた。
それに対し、クロは何か考えるように女性を見つめていたが、ふい、と顔を背けるとすたすたと歩き出す。
『ほら、行くぞ』
「……?」
「ふふっ。あの子とも、こうしてお喋りができたら良かったのにねぇ」
クロの様子が少し変に感じたが、今は女性の飼い猫を探すのが先だ。
ゼロは「そうですね」と返してから、女性と共に歩きだした。年配であることを考慮し、歩調は少し遅めにして。
ただ、亡くなってストレイとなったおかげか、彼女はゼロよりも遅いものの、見かけの割にしっかりとした足取りで歩いていた。本人も驚くほどに。
そして、町中で思い当たる場所をすべて見て回る。友達の猫がいる家や、散歩に出たときによくおやつを貰っているという知り合いの家、遊んでくれる人が多い近くの高校など。
しかし、何処を探しても飼い猫の姿は見つからなかった。
「何処行ったんだろ……」
晴れた日には寝転がっているという河川敷にも来たが、やはり飼い猫はいない。
斜面の芝生の上に座ったゼロは、疲労の混じる溜め息を吐いた。
シルキーと女性も再度、辺りを見渡すが、散歩をしている犬や餌を探す鳩がいるくらいで他の動物の姿は見当たらなかった。
『まぁ、人間の間じゃ、猫は死期が近づ、ふごっ!?』
「『リストにない』って言ってたわよねぇ?」
『俺のにはな!』
良からぬことを言い掛けたクロの口を、笑顔を浮かべたシルキーが塞ぐ。ただし、こめかみには青筋が浮かんでいるが。
その手から逃れて言い返したが、表情を暗くさせた女性を視界に入れると自身の発言を後悔した。
『あー……いや、まだ探してないとこあるだろ。そこ行こうぜ』
「探していないところ……」
飼い猫の行きそうな場所はすべて回った。
他に何処かあっただろうか……と記憶を探る女性を、クロは真っ直ぐ見て言う。
『例えば、ばあさんの散歩コースとかでもいいぜ』
「私の?」
『そう。気に入った場所にいないんなら、もしかしたら、あんたを探しているのかもしれない。大事にしてたんだろ? その猫のこと』
猫であるクロが言っているせいか、言葉にはやけに説得力があった。
彼女はしばし唖然としていたが、やがてふわりと微笑んだ。その目尻には涙が滲んでいる。
「ええ。とっても大事な家族よ」
『……そうかい』
「クロ?」
ふい、と女性から顔を背けたクロの表情が、どこか浮かないように見えた。
何かあるのかと声を掛けるが、彼が答えることはなかった。
女性が「そうだ」と思い出したように声を上げたため、クロに追究することは諦めた。
「私がよく行く場所に、あの子もたまについて来ていたわ」
「何処? もうそこに飛ぶわ」
「公園よ。この町で一番大きな」
「分かった。じゃあ、掴まってて」
疲労からか、それともグラッジ化への進行を恐れてか、シルキーはランタンを出すと片手を女性へと差し出した。
この町で一番大きな公園といえば、高校のそばにあった所だ。
シルキーは脳裏に場所を思い浮かべながら、ランタンのついた杖で地面を叩いた。
辺りの景色が歪み、さすがの女性も怖くなったのか小さく悲鳴を上げる。
グリムリーパーであるクロは勿論のこと、ゼロも慣れてきた光景だ。クロはゼロの肩に乗り、ゼロもシルキーとの距離を少し詰める。
そして、景色の歪みが直ってくると河川敷は消えており、中央に噴水がある広場になっていた。周囲は木々で囲われており、等間隔で置かれたベンチや花壇がある。
そこは、先ほど通り過ぎただけの公園の中だった。
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