第7話「現スレイヤーの中では最も力があるスレイヤーよ」
転生する前にグリムリーパーに殺されそうだ、とゼロは痛む頭を撫でながら思った。
浮島からまたも突き落とされたゼロだったが、今回も無色くんが下にいてくれたため、大事には至らずに済んだ。その後、転がり落ちて頭を打ったのは自分のミスだが。
二回連続で救われたが、次回はどうかは分からない。落とされないことを祈るばかりだ。
そして、突き落としたことなどなかったかのように平然としたシルキーについて行き、案内されたのはアンダーテイカーを囲う洋館だった。この洋館がグリムリーパー達の居住スペースとなっており、仕事を終えた彼らはここで休息を取る。
館内への出入り口は洋館の端の方にあり、アンダーテイカーの内外両方から入れるように反対側にもあった。
今回は外側から入り、少し歩いて角を右へと曲がると長い廊下が続いていた。ちなみに、角を左に曲がると上階へと続く階段と、さらに右に折れて洋館の続きがある。天井から等間隔でぶら下がる照明はアンダーテイカー内でも見た光る球だ。長い廊下はアンダーテイカーに面しており、窓からは組織の様子を見ることができた。反対側にはいくつもの扉が並んでいる。
扉の多さに唖然としていたゼロは、階段を上りはじめたシルキーを慌てて追ってから訊ねた。
「あれ、全部グリムリーパーの部屋になっているのか?」
「そうね。二人部屋が多いけど、スレイヤーはほとんど一人部屋ね。アンダーテイカーへの出入り口になっている、真ん中が大きく開いた洋館があったでしょ? あれの最上階には、スレイヤーの部屋があるの」
「危ないから?」
シルキーやクロは、せめてオルクスに会うまでは一人で行動しないようにと釘を刺してきていた。また、少しだけ聞いたスレイヤーの仕事から、彼らはグリムリーパーの中でも戦闘派という印象がある。
シルキーは周りを気にしながら言葉を続けた。
「ええ。スレイヤーは、生前に大量殺人を犯した人がなることが多いの。だから、今でも殺人衝動を抑えられないスレイヤーだっているって噂よ。最も、スレイヤーが殺人を犯した場合、死よりも辛い苦痛が与えられるから実質的な害はまだ出てないし、話ができる人はできるけど」
以前は敬遠していたように思えたが、全員が全員、忌避するほど危険というわけでもないのだろう。
どんな人がいるのだろう、と未だ見ぬスレイヤーを想像する。そのせいで、廊下の先を歩いていたシルキーが何かを避けるように壁際に寄ったことに気づけなかった。
誰かに肩が当たってよろけた瞬間、シルキーが「あ」と小さく声を上げた。
「す、すみません! 余所見してて……っ!」
ぶつかった相手に謝ろうと視線を上げて、ぞっとした。血の気が引くとはこのことか。
黒いローブで全身を隠したその人の、深く被ったフードの奥に見えた深紅の瞳と目が合う。
切れ長の瞳が、少しだけ驚いたように見開かれた気がした。
背丈はゼロよりも少し高いくらいで、左右に分けた墨色の長い前髪と鼻まで覆うマフラーが顔のほとんどを隠す。
「……お前」
「は、はいっ!」
彼がスレイヤーであると直感が告げている。
低い声はぶつかったことへの怒りからなのか、それとも地声が低いのかは判別が難しい。
緊張からか返事が上擦ったが、彼は考え事をしているのか口を閉ざした。
そして、彼が再度何か言い掛けたとき、先にシルキーがゼロと青年の間に入った。
「ごめんなさいね。オルクスの言っていたストレイよ。問題ないわ」
「……知ってる」
「あらそう。なら、話が早いわね」
聞き逃してしまいそうな小さな返事はやはり低い。
怒っているわけではないと分かり、ゼロは内心で小さく安堵した。
彼は「悪かった」とだけ言うとすぐに去って行った。
「ぶつかったのが『カルマ』で良かったわね」
「じゃあ、あの人がスレイヤーの中でも話ができる人?」
「一応はね。あと、現スレイヤーの中では最も力があるスレイヤーよ」
シルキーに言われてすんなりと引いた辺り、話ができるスレイヤーであることは分かった。
ゼロはカルマの去った方向を見ながら訊ねる。
「もし、あのカルマさんが怒ってたら……?」
「一瞬で半殺しね」
(気をつけよう……)
死にはしないが、できるだけそれに近いことは避けたい。
心の中でそう決意して、また歩き出したシルキーの後について歩く。
そして、並んでいた扉の内、一番奥の扉で止まったシルキーは、ゼロに向き直って言った。その顔はどこか複雑そうだ。
「それじゃあ、何かあったら…………クロに聞いてちょうだい」
「なんだその間は」
発するのを躊躇ったシルキーが名前を呼んだのと、部屋の扉が開いたのは同時だった。
中から現れたのは、オルクスの部屋で別れたきりだったクロだ。
「え、クロ?」
「オルクスから言われてな。コイツにも、門の前で伝えてたんだ」
「あなたが意識を失ってる間にね」
どうりで、特に誰かと話をしていないのに部屋まで案内できたわけだ。
納得しながら同室となったクロに「よろしく」と言えば、笑顔を浮かべた彼は「おう」と短く返した。
「また明日、呼びに来るわ」
「うん。ありがとう」
シルキーの部屋は別の階にあるようだ。
階段へと歩いていくシルキーを見ていると、クロが中に入るよう促した。
「寂しいのは分からなくもないけど、とりあえず中入ろうぜ」
「さ、寂しくはないから!」
茶化すクロに言い返し、中に入った彼に続く。
左右の壁にベッドが一台ずつと、それぞれの頭側にテーブルと本棚、クローゼットがあるだけの簡素な部屋だ。
左側にはもう一枚扉があり、クロ曰く、その先は洗面所とシャワールームがあるとのことだった。
また、正面の窓からはベランダにも出られるようになっている。その向こうにはアンダーテイカーを囲う森と、空には他の浮島も見えた。
部屋を見渡していたゼロは、あることに気づいて首を傾げる。
「あれ? 相部屋の人は?」
「ん? いないぜ」
「いない?」
「そ。現世で視える奴になんかされたのかよく分かんないけど、ずっと帰って来てないな。オルクスに報告したら、存在はもう消えてるって話だ」
「そっか……」
グリムリーパーはてっきり不死身なのかと思ったが、そうでもないようだ。
表情を暗くさせたゼロを見てか、クロは困ったように笑みを浮かべてベッドに腰掛けた。
「俺達は基本的に死なない。けど、何かの影響で消滅はする。例えば、現世で視える奴に祓われるとか、グラッジに返り討ちにあったりとかな」
「グラッジってそんなに危険なんだ?」
「ああ。だから、スレイヤーが専属で当たるんだよ」
「へぇ……。やっぱり、グリムリーパーも楽な仕事じゃないな」
グリムリーパーもデスサイズを持っているため対抗はできそうだが、それでも押し負けることがあるのか。
ストレイの回収をするだけとはいえ、ストレイの未練の解消もあったりと、やはり生易しい世界ではない。
クロはベッドとベッドの間くらいの床を見ながら問う。
「ゼロは、グリムリーパーとして過ごすほうが、現世で生きるよりもいいと思うか?」
「うーん……。現世のことはあまり覚えてないから、なんとも言えないかなぁ……」
記憶自体がはっきりしていないため、どちらがいいとは判断がしにくい。
シルキーの仕事を見て、死者に関わり続けるにはよほどの精神力がいると分かった。
しかし、生きている以上はいつか死ぬということや、生きる中でも辛いことが山のようにあると考えれば、過ごすのはどちらがいいのだろうか。
クロは曖昧に返すゼロを見て、軽く息を吐いてから言った。
「俺達からすりゃあ、現世で過ごすほうがいいんじゃないかって思うけどな。いつ終わるともしれない世界で、半永久的に生き続けたって、なーんも面白いことなんてねーし。こっちで終わったところで、もう現世には帰れないんだからな」
よく似た日々の繰り返し。現世にあるような娯楽は一切ない。ストレイの回収もすんなりといくことばかりではないのだ。
クロの言い方はどこか諦めているものの、今の生を終わらせたいようにも聞こえる。
ならば何故、クロはグリムリーパーになる道を選んだのか。
「クロは、なんでグリムリーパーになったんだ?」
「……癪だが、あのクソアマとおんなじだよ」
「え?」
小さく、口早に呟かれた言葉は、静かな室内でも辛うじて聞き取れるくらいだ。
だが、ゼロはシルキーがグリムリーパーになった理由を知らない。
そのため、どういう意味かと聞き返すも、彼が再びそれを口にすることはなかった。
「なんでもねーよ。さぁて、なんでグリムリーパーやってんのかねぇ」
「どこ行くんだ? クロ」
突然、立ち上がって扉に向かうクロに訊ねれば、彼はゼロに視線を向けることなく軽く手を振って扉の取っ手に手を掛けた。
「散歩だよ、散歩。こっちに来ても、その癖は抜けないんでね」
「そっか。いってらっしゃい。気をつけて」
クロの生前は猫だ。人に化けられるのは、ストレイの回収の際、デスサイズを扱うためだと言っていた。
グリムリーパーはストレイと違って記憶もあるためか、どうしても生前の癖が出てくるのだろう。
邪魔をするのも申し訳ないため、ゼロはもう一台のベッドに腰掛けながら見送った。
一人で部屋を出たクロが、自嘲じみた笑みを浮かべたことには、勿論気づけない。
「『気をつけて』、か。……ははっ。なんで思い出すかねぇ」
ゼロは何気なく言っただけだろうが、あのとき、記憶の中に残るある人物が強く浮かび上がってきた。
――クロ、散歩かい? 気をつけてな。
散歩に出掛ける自分を、優しい眼差しで見送ってくれる一人の老人男性。
年月が経つと共に皺が増え、ほっそりとしてきた手で優しく撫でてくれるのが好きだった。
何気ない日常だったが、幸せだったことは間違いない。
「あの時、俺が散歩から帰ってきて、疲れて寝たりしなきゃ良かったのかもな……」
脳裏に焼きついて消えないモノクロになった光景と、鼻の奥に残る腐臭が、未だに自分をあの日に縛りつけているようだった。
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