第6話「もしかすると、貴方の生前に共通するものがあったのかもね」
シルキーがペンダントをランタンへと変え、石突きで地面を突く。
景色が捻れ、突然の変化に少年は怯えてゼロにしがみついた。
「大丈夫」
「…………」
安心させるよう優しく言葉を掛けてやれば、腕を掴む手が少しだけ緩んだ。
やがて、戻っていく景色が別のものに変わる。
白を基調とした狭い部屋。二台のベッドと花や蝋燭を置いた台があり、ベッドにはそれぞれ誰かが寝ている。白いシーツを被せられ、顔にも白い布が掛けられているために確認はできないが。
そして、それを壁際でぼんやりと傍観していたのは、先ほど少年と歩いていた女性だった。
「お母さん!」
「……――?」
女性を見つけて堪らず声を上げた少年の呼び掛けに、ぼんやりしていた女性はハッとして声のした方を見る。
何かを呟いたが、ゼロには雑音が混ざってうまく聞こえなかった。
「今、なんて?」
「私も聞こえないから確かではないけど、状況から察するにあの子の生前の名前でしょうね」
「なんで聞こえないんだ?」
「死んだからよ。生者は、死ねばまず名前をなくすの。私達グリムリーパーも、最初は名前がないから、オルクスから与えられるのよ」
存在を安定させるため、また、グリムリーパーとして活動する中で不便がないようにと、その時のオルクスが決めるのだ。
シルキーは真っ直ぐに親子を見たままで言った。
「まぁ、あの子には、名前の有無なんて関係ないのでしょうけど」
ゼロの傍らから駆け出していた少年は、母親が何を言ったかどうでもいいようだ。
女性も飛び込んできた我が子をしっかりと抱きしめた。泣きながら「ごめんね」と謝罪を繰り返す彼女は、我が子を守れなかったことを悔やんでいる。
どうやら、彼女は自分が死んだことを理解しているようだ。
「私が……私が、ちゃんと見ていたら……! 突き放せていたら、助かったかもしれないのに! なんでこんなことに……」
「お母さん……。僕、死んじゃったの?」
「――っ、ごめん。ごめんね……!」
二人は手を繋いで横断歩道を渡っていた。よくある光景だろうが、危険を察知できていれば、子供は突き飛ばしてでも命を助けられたかもしれない。
後悔ばかりが胸を占め、ああすれば良かった、こうすれば良かった、という考えはやがて運転手への怨みへと変わる。
「あの運転手が、ちゃんと見ていれば……」
「…………」
母親の周りに滲み出した黒い影に、シルキーが剣呑に目を細める。
張り詰めた空気はゼロにも感じ取れるほどで、思わず数歩下がった。
代わりにランタンをデスサイズへと変えたシルキーが前に出たとき、母親に抱きついていた少年がぽつりと零した。
「お母さん。僕ね、お母さんに会えたから、大丈夫だよ」
「……え?」
「気がついたら、手が離れてて、お母さんがいなくて、どうしたらいいか分からなくて、でも、お兄ちゃん達が連れてきてくれたんだよ」
「…………」
母親の視線がゼロに向けられる。
どう反応していいか分からず、とりあえず小さく会釈をしておいた。
シルキーはまだ警戒を解いていない。
「会えなかったら、どうしようって、すっごく、寂しかった」
「……っ!」
辛さを思い出したのか、少年は再び母親の胸元に顔を埋める。
シルキーはデスサイズを仕舞わず、けれど、表情は少しだけ和らげて言った。
「怨んでグラッジに……悪霊になるのは、運転手への怨みを持つあなたの未練を解消できるかもしれない。けど、それはその子との別れを意味する。悔しいだろうけど、怨むのはやめたほうがいいわ」
「で、でも、そんなの……あの運転手が悪いんでしょう? 私達が何をしたって言うの……!?」
二人はもう死んでしまった。まだ続くはずだった未来が閉ざされ、すべてを失った。
しかし、運転手はまだ生きている。彼の人生はまだ終わっていない。
不慮の事故とはいえ、防げたはずの事故だ。到底納得できるものではない。
すると、シルキーはやけに冷静な声音のまま言葉を続けた。
「『生き地獄』って知ってる?」
「…………」
「生きながらにして、あの人は一生、二人の命を奪った罪を背負って生きていく。世間に後ろ指を指されて、事故の感触や光景が目に焼きついて、それでも逃げることなんて許されない『現世』という地獄でね」
下手をすれば、彼は自ら命を絶つかもしれない。勿論、そのまま生きることもあり得るが、今までと同じ生活は送れないだろう。
視線を落とした女性に、シルキーは息をひとつ吐いてから言った。
「仕方ないから諦めろ、だなんてことは言わないわ。けれど、子供が大事なら、あなたを探してここまで粘った子供を、もう離しては駄目よ。この子、あなたに会うために頑張ったんだから」
「え……?」
「その子もグラッジになっていたかもしれないの。あなたに会いたいからって、転生のための回収を拒んだのよ。グラッジになれば、魂ごと消滅……つまり、本当の死が待ってる。次の人生なんてないわ」
子供は純粋だから、簡単にグラッジになるの。と、付け足せば、女性は驚いたように少年を見た。
あのとき、泣きじゃくっていた子供は、「母親がいない」という強い感情からグラッジになる可能性もあった。
大人の場合は様々な後悔や怨みが混ざり合うため、一つの感情に纏まってグラッジになるには子供より時間が掛かる。ただ、時間を掛ける分、グラッジは凶悪なものが多いが。
それでも、今回、子供がグラッジになることなくここまで来られたのは、回収を止めたり、少年を宥めてくれたゼロのおかげだ。
「幸い、今回はうちのストレイがストッパーになってくれたけど、普通はあり得ないわ」
「そう、でしたか……。ありがとうございます」
「い、いえ。俺は何も……」
女性がどこまで理解が追いついているかはともかく、少年が危なかったことと、ゼロに助けられたことは分かったようだ。
何かをした覚えのないゼロは、礼を言った女性にぎこちなく返した。
ゼロ自身、シルキーの回収を止めに入った理由を分かっていなかった。ただ、泣きじゃくる子供を宥めたい一心で間に入っただけだ。
母親に抱きつく子供はすっかり安心した様子で、それを見た母親からも周りに浮かんでいた黒い靄が消えていった。
シルキーはデスサイズを構えると、二人の体を同時に斬る。
刃は体をすり抜けたが、二人の姿は薄れていき、やがて光の粒子となって刃に吸い込まれていった。
「はい。回収完了」
「もう大丈夫なのか?」
「グラッジ化の兆候は収まっていたから、その間にね。さ、帰るわよ」
「うん。……って、どうやって?」
回収は先ほどの親子で終了のようだ。
ただ、来たときは泉に飛び込んだが、帰りはどうするのか。冥界にあるような便利な移動装置はないだろう。
すると、シルキーはゼロの襟首を無造作に掴み、デスサイズをランタンに変えて石突きで床を叩くと場所を移した。病院の傍らに流れる川へと。
ランタンを川に翳せば、水面に青い円が現れた。複雑な模様と何かの文字が描かれたそれは、水面が揺れても歪むことはない。
周りの通行人には見えないのか、視線を向ける人はいなかった。
「はい、飛び込んで」
「殺す気?」
「面白い冗談ね。もう死んでるわよ」
「あ、そうか」
死んだ感覚が薄いせいか、つい死を意識してしまう。
シルキーに淡々と現実を突きつけられ、今さらながら自分は死者であると再認識した。
だが、川に向き直って、縁まで踏み出したところで足は止まった。
青い陣の下に見えたのは、川に沈んだ大小様々な石だ。川を流れたせいか角はほぼ取れているが、当たれば痛いだろう。
しかも、川の深さは――
「浅くない?」
「だから、当たっても死なないからさっさと行って。陣は幅がそんなに広くないから、行きみたく同時には行けないの」
「……入るの?」
「…………」
「うっわ!?」
渋るゼロに痺れを切らしたシルキーは、無言でゼロの背中を押した。
陣に飛び込んだゼロだが、水面に体を打ち付けても痛みはなく、するりと中に入っていった。
浅いはずの川の中は真っ暗で、何処までも広がっているようにも感じる。
見上げれば、青い空が水面越しに丸く切り取られて見えた。
底を見て一カ所だけぼんやりと白く光っていることに気づくと、後ろからやって来たシルキーが腕を掴み、そちらへと引っ張った。
「急いで」
「へ?」
「崩れるから」
何が、と問おうとしたと同時に頭に何か固い物が当たる。
底に落ちていくそれは、小指の先ほどの大きさの小石だった。
何故、これが……と見上げたゼロだったが、丸く切り取られた景色が壊れてきていると気づくと、慌てて下へと重心を移動させた。
足下の白い光が徐々に大きくなり、眩しさに目を瞑る。意識が吸われていく感覚には、抗うことすらできなかった。
どれくらいの時間が経ったのか、優しい風が体をなぞり、頬を擽る細い何かで意識は戻ってきた。
ゆるゆると目を開くと、まず視界に飛び込んだのは頬を擽る何かの正体――緑色の草だ。そして、鼻腔一杯に広がった草と土の香り。
手をつきながら体を起こせば、冥界を見渡した浮島……転生の門のある所にいた。靄の壁が近くにあるところから、転生の門があった空間の外側にいると分かる。
端から見渡せる冥界を眺めていると、背後で足音が聞こえて振り向いた。
靄の壁の中から現れたのは、ランタンを手にしたシルキーだった。
「ここって、最初にいた所だよな?」
「そう。あなたは意識を失ってたから、その間に門の向こうに送ってきたわ」
「大丈夫、だったのか?」
心配だったのは最後に回収した親子のことだ。
回収の前にまともな別れをしていなかったため、せめて門の向こうに送るのは見届けたかった。
シルキーは一瞬だけ間を置いたものの、門の前での様子を手短に話してくれた。
「問題ないわ。すんなりくぐってくれたし、あの親子もちゃんと二人でくぐったわよ。手を繋いでね」
まぁ、お互いのことは認識していなかったけど。
そう付け足したシルキーは、何処か寂しげに見えた。
生前の記憶は薄れてしまうため、お互いのことを忘れてもおかしくはない。しかし、生前のそれぞれの想いを知っているからこそ、忘れたという事実は辛かった。
「……ごめん。俺が、下手に手を出したから……」
「いいの。結果的に母親もすんなり回収できたし、記憶が薄れるのはどうしようもないし、私も、『まだ癖が抜けきっていない』って気づけたから」
早々に回収していれば、まだ辛さは和らいだかもしれない。しかし、回収していないからこそ、母親は子供に会えてグラッジにならずに済んだのだ。
シルキーは「これを続けていたら、こういうことはざらにあるの」と言う。
そのとき、ふと、シルキーがあの母親に「生き地獄」と言っていたのを思い出した。
「シルキーも、か」
「え?」
「いや、なんでもない」
転生という逃げ道がないからこそ続くストレイの回収。それは決して楽な仕事ではないはずだ。
シルキーに生き地獄にいるという自覚がないなら言う必要もない。気づくだけ、彼女の首を絞めることになるだろうから。
もしかすると、既に気づいているのかもしれないが、他者に言われたほうがダメージが大きくなる場合もある。
きょとんとするシルキーに適当に誤魔化せば、彼女は少し思案するようにゼロを見ていた。
そして、浮島の端にいるゼロの隣に立つと、冥界を見渡しながら訊ねる。
「ねぇ、ゼロ。今回の回収を見てどうだった? あの親子のとき、ちょっと意識がどこかに行っていたみたいだけど」
「あー……いや、何か思い出せそうだったんだけど、まだしっくりこなくて……」
フラッシュバックした光景は、果たして自分が目の前で見たものなのか。
まるで、誰かの目を通して見たような不思議な感覚に苦笑いが零れた。
シルキーから眼下の浮島へと視線を移せば、柔らかい風が頬を撫で、もやもやとした心が少しだけすっきりしたように感じる。
すると、シルキーは考え込むように片手を顎に当てた。
「もしかすると、貴方の生前に共通するものがあったのかもね」
「共通するもの……」
「まぁ、誰にだって親はいるし、単にそれが重なっただけなのかもしれないけど」
親がいるからこそ自分がいるのだ。
もどかしい感じはするが、いくら考えても他の光景は思い出せない。
難しい顔をするゼロを見てか、シルキーは小さく息を吐いてゼロの背中を叩いた。
「無理に考え込んだってしょうがないわ。まだそれらしき一部を思い出せたんだもの。思い出せる可能性が出たじゃない」
「シルキー……」
厳しい言葉が多かった彼女だが、ちゃんと慰めることもできるようだ。
思いもよらぬ優しさに触れ、胸の奥が温かくなる。
ゼロに対して初めて微笑んだシルキーは、下りるために彼から視線を外した。
「さて、今日の回収は終わったし、帰って休みましょう」
「自分の部屋みたいなものがあるのか?」
「勿論。グリムリーパーにも休憩は必要だから、専用の部屋があるの。アンダーテイカーを囲う洋館がそう。大体は二人一部屋よ」
アンダーテイカーの建物はかなりの広さがあり、それを囲う洋館も必然的に長くなる。
まるで学校の寮だ、と微かに残る生前の情報で合致しそうなものが浮かんだ。同時に、シルキーが口にした言葉で疑問が出たが。
「ん? 二人一部屋……って、もしかして、シルキーと同じ部、屋っ!?」
「そんなわけないでしょ。冗談は転生してからにして」
先ほどの優しい笑顔はどこへやら。
苛立ちを滲ませたシルキーは、ゼロを浮島から突き落とした。
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