第5話「今、何か浮かんで――」


「ちなみに、俺の名前、生きていた頃はなんて言うんだ?」


 何人かのストレイの回収を終え、リストを見ていたシルキーに問う。

 現世に来てから回収したストレイは、寿命を迎えた老人や病気で亡くなった中年の男性、事故で命を落とした女性と様々だ。

 もっとこうしたかった、あれをしたかった、伝えたい言葉がある人がいる、と未練はあったものの、どれもゼロの奥底にある未練には繋がらなかった。

 せめて、何か切っ掛けを……とシルキーに訊ねたのだが、返ってきた言葉はあっさりとしていた。


「さぁ? 私、日本語読めないから分かんないわ。そもそも、それも立派な生前の情報よ」

「えっ? でも、それって日本語――」

「勝手にリスト見るなって言ったでしょ! 変態! セクハラ!」

「ひどっ!?」


 二度目のリストでの攻撃は平面だった。

 シルキーからすれば、見るなと言っていたのに、それを忘れて横から見るゼロに制裁を加えるのは当然だ。

 腕で頭をガードしながらシルキーから距離を取れば、漸く振り上げていたリストを下ろしてくれた。


「まったく。次見たら容赦しないからね」

「はーい……」


 今までのは手加減していたのか、と口から出そうになった言葉を飲み込んだ。

 ゼロが見たリストのページは、残念ながら自分に関わるものではない。右上にあった写真が幼い少年だった。

 今の姿が死んだときと同じであることは、回収したストレイとその体を見ればシルキーに聞かなくても確認できた。生憎、現世の鏡やガラスに映らないため、自分の顔は見れていないのだが。

 リストの少年を思い浮かべたゼロは、やるせなさから小さく息を吐いた。


(……まぁ、そうだよな。子供だって生きてるんだから、何かあったら死んじゃうよな)


 まだ幼いのにどうして、と思ったものの、理由は簡単だ。

 生きている限り、いつか死は訪れる。それがいつくるのか、どうやって死んでしまうのかは分からない。


(俺、もっと生きたかったのかな……)


 先ほど回収した女性の姿が思い浮かぶ。

 自身の運転ミスとはいえ、本人からすれば突然の死に変わりない。

 もっと生きたかった。好きな人に好きとも伝えられなかった。

 嘆いていた彼女の声が耳に残っている。

 自分では何もしてやれないことが、とても歯痒かった。

 泣きじゃくる彼女にランタンを近づけたシルキーも、どことなく辛そうに見えた。


 ――私にしてあげられるのは、あなたの悲しみを和らげるくらい。伝えたい言葉があるなら、少しだけ時間をあげる。


 生きたかったという未練を解消しようにも彼女はもう死んでおり、伝えたかった言葉を伝えようにも相手には届かない。

 それでも、シルキーは最期の希望を彼女に与えた。

 すると、彼女は涙で濡らした顔を驚きに染め、真っ直ぐにシルキーを見つめる。少しの間を置いてから、彼女は何処かへと姿を消した。

 見失ったと思ったのも束の間。「少しだけ飛ぶわよ」と言ったシルキーがランタンのついた杖で地面を突けば、ランタンから炎が溢れ出してシルキーとゼロを包み込んだ。それがランタンに吸収されていくと、辺りの景色が一変した。

 事故でざわついていた道路から、多くの人が忙しそうに働くビルの中へと。

 そこには、想い人を見つめる彼女がいた。

 相手には見えない姿。届かない言葉。それでも、彼女ははっきりと彼へと想いを告げたのだ。

 勿論、答えなどないが、シルキーのもとに戻ってきた彼女はすっかり晴れた顔をしていた。


 ――ありがとう。もう大丈夫。


 笑顔で礼を言った彼女に、シルキーも小さく笑んだ。そして、「じゃあ、行くわよ」と言ってランタンをデスサイズへと変え、彼女の体を斬った。

 すると、女性の体が淡く輝いて薄れていき、光の粒子となってデスサイズの刃へと吸い込まれる。

 デスサイズがランタンに戻ると、中の青い炎が少しだけ膨らんでいた。

 一段落ついたところでシルキーに「飛ぶ」と言っていた意味を訊けば、ただ場所を移ったのではなく、時間も少しだけ未来に進んでいたようだ。

 その間、彼女は想い人に想いを告げる時間と気持ちを整理する時間があったのだろう。

 改めて思い返すと、シルキーの仕事の凄さに言葉が出てこない。


「……はぁぁぁぁ」

「何しょげてんの」

「……グリムリーパーって、凄いな」

「はぁ? 語彙力大丈夫?」


 ありふれた褒め言葉に、怪訝な顔でゼロを見る。

 しかし、今のゼロにはそれ以外に言葉が思い浮かばなかった。毎度毎度、亡くなった人に会って未練を聞かされて、時にはその解消も手伝って、よく精神を保っていられるなと思ったのだ。

 自分には到底真似できそうにない。

 そう伝えると、シルキーは少し思案するようにゼロを見つめた後、視線を落として呟いた。


「グリムリーパーは、転生ができないの」

「できないって……じゃあ、なおさら、ずっとこういうのを見るのって辛くないか?」

「だからこそよ」

「え?」


 人の死を見て、時にはその未練を聞いて、それが延々と続く。

 やがて辛くなるであろう仕事内容と、グリムリーパーが転生できない理由に繋がりが見つけられず、首を傾げる。

 すると、シルキーはゼロを用心深く観察するように真っ直ぐ見据えたまま問う。


「グリムリーパーになる人に多い亡くなり方、知りたい?」

「う、うん……」


 神妙な面持ちのシルキーに、思わず少したじろいでしまう。

 それでも聞きたいと思ったのは単なる好奇心なのか、それとも自分の死に何か関わるものがあると本能で感じたからなのかは分からない。

 シルキーはゼロから視線を外さずに言った。


「『自殺』よ」

「……!」

「どんな理由であれ、自ら命を絶った人は未練がかなり強いの。それこそ、次の生でも繰り返す可能性が高いほどに」

「…………」


 未練が強く残るのは、何となく当然だろうと思えた。

 自ら命を絶つことは生半可な気持ちでできることではない。生きることに絶望したからとはいえ、それに繋がる何かがあったはずだ。

 言葉を失ったゼロだったが、シルキーの雰囲気がやけに堅いのも分かった気がした。


「……シルキー、も?」

「…………」


 あくまでもグリムリーパーに『多い』、という話だ。グリムリーパー『全員』というわけではない。

 シルキーは少しの間を開けて答えた。


「私は違うわ。それに、自殺者を回収したことはあるけど、普通に門をくぐる人がほとんどよ。だから、一概にはそうとは言えないのだけれど」

「何か決まりがあるわけじゃないのか……。……あれ? じゃあ、なんでシルキーはグリムリーパーに?」

「黙って」

「ご、ごめん」


 シルキーがグリムリーパーになった理由が何なのか気になって訊ねると、地雷を踏んだのかシルキーから叱るような声音で返された。

 しかし、彼女は癪に障ったから怒ったわけではなかった。


「いえ、そうじゃな……いこともないけど、仕事よ」

「え、また?」


 一体、どれだけ回収していくのか、と今まで回収した数を思い返しながら言うも、シルキーは既にゼロを視界に入れていない。

 ゼロの背後……歩道を歩く母と幼い息子を見ていた。

 それを見た瞬間、ゼロの脳裏にフラッシュバックした光景があった。


 町中を歩く自分。隣には自分より頭一つ分ほど低い、少し歳上に見える女性が歩いている。

 自分が何かを話すのを、彼女は楽しげに聞いてくれていた。


「――こ、れは……」

「ゼロ?」

「今、何か浮かんで――」


 見えた光景は、一体何だったのか。

 訝るシルキーに伝えようとしたとき、前方から大きなブレーキ音と何かがぶつかる鈍い音がした。そして、周りにいた人々の悲鳴が。


「きゃあああぁぁぁぁ!!」

「人が轢かれたぞ!」

「救急車……!」


 穏やかな町の様子が一変。

 混乱に満ちた町中で、ゼロは愕然と反対車線側のガードレールにぶつかって停車したワゴン車と、横断歩道からワゴン車の下に伸びた血痕を見る。

 周りの人々は腰を抜かして座り込む者、何事かと見に来る者、助けられないか駆け寄る者と様々だ。

 車から降りてきた運転手は、自分の犯した事故に動揺しているのか、茫然と立ち尽くしている。

 その姿を見て、また何かの光景がフラッシュバックした。


(……あれ? なんか、これ……)


 喧噪が遠退いていく。

 周りの景色がぼやけていき、また鮮明になってくると、似ているようで異なる景色になっていた。

 先ほど一瞬だけ見た女性が、横断歩道を歩いてこちらに向かってくる。服装が違うため、日にちが異なっているのだろう。

 しかし、景色が切り替わると、そこにいたのは血の海に倒れる女性だ。


 ――あの車の下にいるのは……。


「ゼロ」

「っ、あ……」


 ワゴン車に近づこうとしたゼロの肩を掴んだのは、いつの間にかデスサイズを持ったシルキーだった。

 フラッシュバックしていたのは一瞬だったような気はしたが、思いの外時間は経過していたようだ。

 救急車とパトカーが到着しており、警察が運転手から話を聞いている。また、ワゴン車の傍らには青いビニールシートが張られ、中で数人の人が動いているのが下の隙間から見えた。

 シルキーはゼロの意識が戻ってきたのを見ると、小さく息を吐いてから横断歩道に向かって行く。

 そこには、先程母親と歩いていた一人の幼い少年がいた。

 不安げな表情で辺りを見回す少年は今にも泣き出しそうで、堪らず「お母さん!」と叫んで母親を探している。


(あの子って……)

「僕、お母さんのところに行きたい?」


 少年がリストにあった対象者であると気づいたのと、シルキーが少年の前にしゃがんで話しかけたのは同時だった。

 涙を目に溜めた少年はシルキーに驚いて固まっていたが、もう一度「お母さんに会いたい?」と問えば大きく頷いた。

 シルキーはデスサイズを持っていない方の手で少年の頭を撫でてやると、ゆっくりと立ち上がった。


「分かった。なら、あとでお母さんのところにも行くから、先に回収させてね」

「え……」


 デスサイズを構えたシルキーに、少年の表情がみるみる恐怖に染まっていく。

 だが、少年の感情の変化に気づいているのかいないのか、シルキーは構うことなくデスサイズを引いた。

 近くで見ていたゼロは、咄嗟にデスサイズの柄を握って止めた。


「待っ……いっ!」


 刃近くの柄を握った際に刃が手を掠めたのか、鋭い痛みが走る。それでも離すまいと歯を食いしばった。

 しかし、手から血が流れ出すこともなく、痛みもじんじんとした痺れるものになっている。

 シルキーは平然と握っているのに何故、と思っていると、シルキーの表情が驚きから怒りへと変わった。


「こ、の……馬鹿! 勝手に触らないで!」

「あたっ!?」


 デスサイズを掴む手を叩かれ、反射的に手を離す。

 少年は恐怖から泣き出しており、ひとまず落ちつかせようと思ったゼロは少年の傍らにしゃがんだ。


「うわああああぁぁぁぁん!! お母さぁぁん!!」

「よしよし。ごめんなー? あのお姉ちゃん、見かけによらず怖いよなー」

「ちょっと」


 頭を撫でてやりながら、宥めようと言葉を掛ける。

 シルキーは最初こそゼロの言い方に眉間に皺を寄せたが、泣きじゃくる子供を見てぐっと堪えた。代わりに深い溜め息を吐いてから、デスサイズをペンダントに戻してゼロの隣にしゃがんだ。

 その瞬間、少年が肩を大きく跳ねさせて泣くのをやめた。目には涙を溜めたままで、シルキーに怯えていると分かる。


「……ごめんなさい。悪気があったわけじゃないの」

「…………」

「ただ、あなたを早く連れて行かないと、大変なことになってしまうから……」

「ど、こに?」

「…………」


 しゃくりを交えながらか弱く聞こえた問いかけに、答えは出せなかった。

 幼い子供に死後の世界について話しても、理解されるかどうかは難しい。それは今までの経験からも学んだ。

 すると、ゼロは子供を安心させるためか、少年の頭を乱雑に撫でながら言った。


「お母さんとこ!」

「おか、さん……」

「そう。俺もこのお姉ちゃんも、君をお母さんのところに早く連れて行ってあげたいんだ」


 シルキーが「勝手なことを言わないで」と言いたげに視線を寄越しかけたが、すぐに少年に向き直るとゼロの言葉に賛同するように頷いた。


「本当よ。私は、あなたのお母さんがどこにいるか知ってるから」

「それはそれで、なんか誘拐犯みたいな言い方……」

「お黙り」


 少年をまた不安がらせるわけにはいかない。

 呟いたゼロにぴしゃりと言い放ってから、シルキーは立ち上がって、片手にリストを出現させた。ランタンから取り出したときと違って、小気味良い音を立てて。取り出し方はいくつかあるようだ。

 シルキーはリストを確認して頷いた。


「……うん。ね」

「何が?」

「この子の母親のところに行くわよ」

「それって、つまり……」


 少年の母親らしき姿は辺りにない。少年と歩いていたこと、ワゴン車の下に見えた手足から察するに、恐らく彼女も事故に巻き込まれている。

 だが、ここにいないということは、母親は事故直後はまだ生きていたのだろう。


(この子は、あの事故で……)


 考えただけで胸が痛み、顔が歪む。

 もしかすると、彼は自分が死んだことにも気づいていないのかもしれない。

 シルキーは少しだけ屈みながら少年に手を差し出した。


「僕、お母さんのところに行きましょう」

「…………」

「大丈夫。俺もいるから」

「……うん」


 先の恐怖心が残っているせいか、シルキーの手は取らず、代わりにゼロの足にしがみついた。

 シルキーから隠れるようにくっついてきた幼い少年に、胸が強く締めつけられる。

 にやけそうになる顔を片手で覆いながら、こみ上げる感情を押し殺した。


「やばい。超可愛い」

「可愛くない」



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