第4話「ここが、俺が生きていた世界、か……」
「そうと決まれば善は急げだね。グラッジ化を防ぐ手段は探しておくから、それまで回収に行ってきて」
穏やかな笑顔での一言で、二人は部屋を出ざるを得なくなった。
クロは「日頃の行いのツケだな」とにやにやしていたが、「じゃあ、クロは残って部屋の片づけをしてね」と言われて笑顔が硬直していた。手伝って、と言わなかった辺り、オルクスはやらないようだ。
部屋を出た二人は、拒否権のない流れに揃って溜め息を吐いた。
扉の向こうは階段ではなく最初のホールになっており、辺りでは数人のグリムリーパーが行き交っている。中にはクロと同じく動物専門なのか、可愛らしい黒い柴犬がちょこちょこと歩いていた。
シルキーは青年に向き直ると、諦めたように言った。
「まぁ、決まったものはしょうがないわ。絶対にグラッジになんかさせないから」
「あ、ありがとう?」
「さっさと未練思い出してよね」
「善処します……」
青年も消されてしまうのはできれば避けたい。
さっそく「未練、未練……」と思い出そうとして呟く彼を見て、シルキーはランタンが小さくなったペンダントに手を翳す。
ペンダントが一層青く輝きを放ち、手のひらとの間で炎が揺らめいてシルキーの手を包み込んだ。
そして、ペンダントから手を引いたシルキーの手には一冊の黒いノートがあった。装丁がやや分厚いものの、中のページ数はそれと厚みが変わらないため、さほどページ数はないようだ。
シルキーはノートを開いて中を確認した。
「まだリストに名前はあるから、現世に行くわよ」
「そのノートがリスト?」
「ええ。名前は自動的に追加されるけど、追加されたら私達には感じ取れるの」
リストには名前以外にも、死因や生前どんな生き方をしていたかなど、様々な情報が書かれており、グリムリーパーはそれと実際の様子を照らし合わせて回収に当たる。
もし、回収の際に異常があればアンダーテイカーに報告し、相応の対処を行うのだ。
今回はそれが門の直前まで分からないという、非常に稀なケースだった。
「回収を終えたら、ページからは自動的に消去されて、相応の役割を担うグリムリーパーに送られているの」
回収や討伐をするだけでなく、事務仕事をするグリムリーパーもいるらしい。ただ、オルクスの部屋を思い出すと正常に回っているのか疑問だが。
リストを見るシルキーを見て、ふと、青年は自身の回収がまだ終わっていないことを思い出す。つまり、リストにはまだ残っているはずだ。
「ねぇ。それ、俺は見れ」
「ない」
「ですよねぇ……」
駄目元で聞いたのだが否定が早すぎる。
すると、シルキーはリストを閉じてジト目で青年を見た。
「そもそも、ここに書かれている内容で未練を思い出せそうな鍵はないわ」
「見てみないと分からないだろ」
「駄目」
「なんで」
未練を思い出すには生前について知るのが手っ取り早い。
それはシルキーも分かっているが、見せられない大きな理由があった。
「ここに書かれていることは、あなたの生前に触れるの。だから、新しい未練を作られても困るのよ。話せないのと一緒」
「じゃあ、どうやって思い出せばいいんだ?」
「オルクスが言ったように、回収を見て、あなたの奥底にある未練に近しいものがあればいいわね」
「マジか……」
本当に思い出せるのだろうかと、先行きに不安が生まれた。
最も、そう思ったのはシルキーも同じのようで、リストをペンダントに仕舞うと小さく息を吐く。
今回のような件はシルキーも初めてだ。今まで、回収前に未練の解消の手伝いをしたことはあっても回収後はなかった。
青年を回収したときを思い返しながら、シルキーは少しだけ反省した。
(ぼんやりしてたから大丈夫だと思ったけど、急ぎすぎたわね)
死のショックで、しばし茫然としているストレイは多い。
青年もそれと同じく、自身の遺体の横でぼんやりしていた。
シルキーが呼び掛けても反応はなく、仕方なく回収したのだ。
「とにかく、回収に行くわよ」
「グラッジになったりしないか?」
「荒れそうならまた回収してあげるわ。まぁ、それで落ち着くかはやってみないと分からないけど」
歩き出したシルキーの後に続きながら問えば、彼女からは安心できるようなできないような答えを返された。
しかし、このままじっとしていても何も変わらない。
青年は気持ちを落ち着かせるように息を吐き、左手にある廊下を進む彼女に訊ねる。
「ちなみに、現世ってどうやって行くんだ?」
「ここに入る前、右側に塔があったでしょ? その裏手に、『転送の泉』があるの」
突き当たりにある塔の入口をくぐると、中は円形の部屋になっていた。右の壁に沿って階段が設置されており、上には別の部屋があると分かる。また、左手側には飾り気のない木製の扉があった。
シルキーはその扉に歩み寄り、ドアノブに手を掛けて言う。
「この奥よ」
扉を開くと、部屋よりも明るい空間になっていた。
短い廊下は天井がガラス張りになっているおかげで、外の明るさがそのまま反映されている。左右には色とりどりの花や観葉植物らしき木が植えられており、とても冥界にいるようには思えなかった。
奥にあった銀色の扉をシルキーが開け、青年も続いてくぐる。
そこは塔と同じく円形に近い温室となっており、壁際には先ほどと同じく植物が植えられていた。
中央には透明度の高い泉があるが、覗いても底はどこまであるのか見えない。ただ、底の方で明かりが灯っているのは分かった。
泉を囲う、蔦や葉を模した銀色の縁まで寄って覗き込んでいた青年を見て、シルキーはぽつりと零した。
「落とすわよ」
「ひっ!」
泳げるかどうか分からない。分からないからこそ、底の知れない泉に落とされたときを想像して怖くなった。
悲鳴を上げて勢いよく泉から離れた青年を見て、シルキーは初めて楽しげな笑みを浮かべた。
「ふふっ。冗談よ」
(冗談に聞こえなかった……)
「まぁ、ここに入るんだけど」
「えっ」
確かに、シルキーは現世に行く方法を聞いたときに「転生の泉」を使うと言っていた。
だが、それが泉に入ることとは思わず体が硬直した。
そんな青年をよそに、シルキーはペンダントに触れると杖についたランタンへと変える。そして、杖を持っていない左手を青年へと差し出した。
「はい」
「はい?」
「手」
「手?」
シルキーの意図が分からず首を傾げる。
すると、彼女は恥ずかしさを押し殺すように苛立った声音で言った。
「迷子にならないよう、手を繋いでって言ってるの」
「シルキーが?」
「あなたに決まってるでしょ。はっ倒すわよ」
「ごめんなさい」
恥じらいはどこかへと消え去り、眉間に皺を寄せたシルキーの目は今度こそ本気だった。
差し出された手を取れば、自分よりも小さく滑りのいい手に胸が高鳴る。
(いやいや、どこの純朴少年だよ。落ち着け俺。相手はグリムリーパーなんだし)
雑念を消し飛ばすように頭を振り、離れないようにしっかりと握った。
シルキーは「じゃあ、行くわよ」と言うと、杖の石突きで泉の表面を軽く突く。
泉の表面はまるで薄氷でもあったかのように杖が沈むことはなく、触れた箇所から波紋が広がった。そして、小さな波が縁に触れたとき、泉の奥が一層眩しく輝いた。
美しく輝く光に目を奪われていると、繋いでいた手を引かれ、体が前に傾く。
気づいたときにはすぐそばに水面が迫っており、反射的に目を強く瞑った。
しかし、それとほぼ同時に顔に触れたのは水ではなく、吹きつける風のようなものだ。
恐る恐る目を開けば、下から上へと様々な光景が高速で流れていく。どれも四角く切り取られたものであり、窓から外を見ているようだ。
「……わ」
「手を離したら何処に飛んで行くか分からないから気をつけて」
「分かった」
流れていく景色は現世の風景なのだろう。何処かの町だったり、部屋の中であったりと様々だ。
目的の場所が近づいたのか、下の方が白く輝いている。
「さて、と。しっかり見ているのよ」とシルキーが繋いだ手に力を込めた。
少しだけ震えたように感じたのは気のせいだろうか。
しかし、未練を思い出すためには見るしかないため、追究はせずにしっかりと頷き返した。
辺りの景色が真っ白な光に包まれ、それが少しずつ和らいでいくと、代わりに滲み出てきたのは何処かの町中の歩道だった。
傍らには片側二車線の道路が走っており、反対には様々な店が並ぶ。道路の向こう側も同様だった。
行き交う人々は黙々と歩いていたり、友人や恋人同士で談笑したり、道の横に止まって電話をしていたりと様々だ。
冥界にもグリムリーパーが多くいたが、ここはそれよりも活気に満ちていた。
「ここが、俺が生きていた世界、か……」
ここにいたのが嘘のように遠く感じた。
雑踏の中で立ち尽くす青年を、シルキーは黙って見つめる。何かを探るように。
青年は生きているのに、この世界ではもう生きていない。周りの人の視界に入ることも、目の前まで迫った人が避けることもなく、自分をすり抜けていく。
不思議な感覚に、「自分」という存在を疑問に思ってしまう。
「俺は、なんで、ここに……」
「『ゼロ』」
「っ!?」
突然、黙っていたシルキーが口を開いた。
何かを呼んだようにも、カウントダウンをしたようにも取れる言葉に、愕然としながら彼女を見る。
シルキーは神妙な面持ちで青年を見ており、先ほどの言葉がカウントダウンではなく、青年を呼んだのだと分かった。
「い、まの……」
「呼ぼうにも名前がないと困るでしょ。記憶がないんだから、『ゼロ』って呼ぶわ」
「……あ、ああ。分かった」
一瞬、生前の名前かと思ったが違うようだ。
そもそも、生前のことを教えてくれないのに名前を呼ばれるはずがないのだが。
しかし、シルキーがつけてくれた名前は青年……ゼロの中に浸透していき、先ほどまであった違和感を薄れさせてくれた。
「それじゃ、対象を探さないとね」
「シルキー」
「んー?」
「ありがとう」
リストを取り出して開いたシルキーに礼を言えば、彼女は少し驚いたようにゼロを見た。
ゼロはそんな彼女に小さく笑んで、「さ、早く探そうか!」と周りを見渡しはじめる。
子供のように無邪気な横顔を見たシルキーは小さく息を吐き、つけた名前を呼ぶ直前のゼロを思い浮かべた。
何か思い詰めたような、仄暗い表情を。
(まったく。手の掛かるストレイね)
彼の心が読めたわけではないが、思い詰めた表情は他のストレイで何度か見たことがある。その者達はリストでは「要注意」とされており、早々に対処をしなければ一様にグラッジと化していた。
ゼロもあのまま放置していれば、間違いなくグラッジになっていただろう。
生者を見て、自分の存在がここにはないと実感して、どうして自分だけが存在していないのか。何故、自分はここにいるのか。
ストレイの場合、その自問自答は危険な方向に走りやすい。
シルキーはリストに視線を落とす。
(『井ノ
リストに記載されたゼロの生前の情報。
存在を疑問に思うなら、まずは存在を認識してやればいい。この場で唯一、彼を認識できる自分が。
名付けの理由は、「記憶がないから」だけではない。生前の名前から一文字取ったのもある。我ながら良い名前をつけたのではないか、と心の中で自画自賛した。
ゼロはきょろきょろと辺りを見回しては近くを駆け回っている。下手をすれば見失ってしまいそうだ。
シルキーはリストを閉じると、店先に繋がれた小さな犬に吠えられるゼロに歩み寄る。
あの犬はゼロが視えるのだろう。動物ではよくあることだ。
「え。なんでお前、俺のこと視えてるの? まさか、お前が……いたっ!?」
「動物は専門外よ。あと、その子は生きてるから」
「叩かなくてもいいんじゃ……」
一人慌てるゼロの脳天にリストを垂直に叩き落とした。思いの外良い音がして、少し力を入れすぎたかと反省。
冷静な声音で言えば、彼は涙目で蚊の鳴くような声で返した。
「あなたじゃ対象が見つからないでしょ」
「……ですよねー」
最もな言葉に、ゼロは頷くしかなかった。
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