第3話「『何かの未練』が邪魔をしているみたいだね」
ふかふかのベッドに飛び込んだような感触に包まれ、地面との激突は免れた。
視線の先にはクロがちょこんとお座りをしており、少し間を空けた隣にシルキーがふわりと下り立つ。
クロは青年のすぐ傍まで歩み寄ると、見えない『何か』に乗ったままの青年を半目で見上げて言った。
『あれくらいで悲鳴上げるなよ』
「逆に、なんで二人は平然としてるのさ……」
「慣れよ、慣れ」
『グリムリーパーはこの世界に満ちてる力、「マナ」を操れる。落下する直前に下に集めて衝撃を吸収するんだよ』
マナというものを感じ取れない青年にはできそうにない芸当だ。
まだ落下の恐怖で手足が震えているが、なんとか上体を起こす。『見えない何か』は大きなクッションなのか、手の下で柔らかい感触がした。
どのくらいの範囲まであるのか分からないため、そこから無理に下りようとはせずにクロに訊ねる。
「じゃあ、俺が乗ってるのは、二人がしてくれたマナの集まりってやつ?」
「『
『「無色くん」だな』
「は?」
二人の声が重なり、答えのようで答えではないそれに首を傾げる。
シルキーとクロは互いに睨み合ったものの、口論には至らずにそれぞれがそっぽを向いた。
そこから先に説明してくれたのはシルキーだ。
「冥界で生きてる『何か』よ。至る所にいるみたいだけど、今回はたまたま着地点にいたようね。おかげで、治るとは言え、一瞬でもグロテスクな光景を見なくて済んだわ」
『ホントにな』
「うわぁ、超ラッキー。ありがとう」
痛みは感じると言っていたことを思い出し、心の底から無色くんなるものに感謝した。
すると、無色くんが反応するように少しだけ身じろいだ。無色くんも怪我をしていないようで少しだけ安心した。
『無色くんはその辺で跳ねてるらしいけど、基本的に無色透明だから俺達にも分からないし、近づいたら避けるみたいだからな』
「『基本的に』ってことは、透明じゃないときがあるんだ?」
目に見えないのなら、跳ねているかどうかも分からないはず。「基本的に」という言葉からも察するに、常に無色透明ではないようだ。
姿を見られたことについては、やや間抜けとも思える出来事があった。
「無色くん、前に一度、昼寝してて姿を見られたことがあるらしいの」
『長い耳が生えた丸い餅みたいな形なんだと』
「え。何それ見たい」
想像すると可愛らしい姿のような気がする。
だが、体の下で再びもぞりと動いた『無色くん』の反応からして、見ることは叶わないだろうが。
シルキーも小さく息を吐くと、青年の下に視線を向けて言う。
「無駄よ。無色くん、二度と見られないよう、細心の注意を払ってるから」
「なんで見られたくないんだ?」
「『冥界一の照れ屋』」
「うわっ!?」
また二人の声が重なる。
ほぼ同時に、もう我慢できない、と言わんばかりに青年の下で無色くんが大きく動いた。どうやら逃げ出したらしい。
バランスを崩した青年はそのまま後ろに倒れ込み、地面に背中を打ちつけた。
「いったたたた……」
『見たいとか言うからだぞ』
「恥ずかしがりすぎだろ……」
見えないものが気になるのは仕方がないと思いたい。
地面に仰向けになったままでいれば、クロが顔を覗き込んできた。
シルキーは無色くんが去った方角を見ている。姿形は見えずとも存在はしているので、跳ねた拍子に地面の草花が押し潰され、何となくの位置は分かるのだ。
「まぁ、光の関係とかで一瞬見えるときもあるみたいだし、気長に待つことね。転生するまで」
「分からず仕舞いな気がする」
『あり得るな』
あの調子では最後まで姿は見えないだろう。
しかし、シルキーは無色くんをあまり気にしていないのか、簡単に話を切り替えた。
「そんなことより、本題よ。アンダーテイカーに行くからさっさと立って」
「あ、そうだった」
まだ背中は痛いが、このままじっとしているわけにもいかない。
ゆっくりと上体を起こして立ち、体についた草や土を手で払って落とす。
目的のアンダーテイカーはすぐ目の前だ。
上から見ていたときも大きく見えたが、近くに立つと圧迫感も加わってより大きさを感じる。中央の城を囲う洋館は随分と古く、所々に蔦が蔓延っている。
先を歩き出したシルキーに続けば、クロが青年の隣に並んだ。
壁に沿って歩いて角を一つ右に曲がると、城の正面に当たる洋館の前に出た。足元が地面から灰色の石畳に変わったそこは、広場のようになっている。複数の人が歩いていたり立ち話をしているが、どの人もデザインこそ違うが黒い服を着ており、シルキーと同じグリムリーパーだと察しがつく。中にはクロと同じ猫や犬もいたが、数はずっと少ない。
広場に接した洋館の中央は大きくくり抜かれ、奥に入れるようになっている。
青年は好奇の視線を感じつつ、黙々と歩み続けるシルキーの後に続いた。
そして、洋館の門をくぐった先に見えたのは、上からも見下ろした洋風の城だ。
正面にドーム状の屋根を持つ円柱の建物があり、そこから左右に延びてそれぞれに塔が建つ。また、奥には最も高い塔が聳え立ち、一番上には大きな鐘がぶら下がっている。
「うわぁ、すごい。本物のお城だ」
「ほら、早く。迷子になって、『
「スレイヤー?」
初めて、というより、記憶にない立派な城を前に思わず足が止まる。
先を歩いていたシルキーは少し遅れて気づき、足を止めて振り返った。
彼女が出した言葉に首を傾げれば、クロが何かを探しているのか辺りを見ながら説明した。
『グリムリーパーの中でもグラッジを狩る専門の奴らだ。ちょっと……というか、かなり危険だから、オルクスに会うまでアイツか俺の傍から離れないほうがいいぜ』
「わ、分かった」
オルクスに会えば何かしらの対処はしてくれるのだろう。
クロもシルキーもスレイヤーにはあまり関わりたくないのか、話しながら嫌そうな顔をしている。
また歩き出したシルキーから離れないよう、青年は小走りで彼女との距離を縮めた。
クロは『疲れた』と言って青年の肩に飛び乗る。軽いので重さは感じず、さすがは猫といったところか、不安定さもないようだ。
開かれたままの大きな扉をくぐると、中は広いホールになっていた。一番上まで吹き抜けになっており、中程には光源となっている光る球が浮いている。球の表面では、時折、蛇のような炎が飛び出しては球に飛び込むを繰り返していた。
壁に沿って階段が設置されており、途中途中に出入り口が四角く開いている。
また、一階の左右の壁には外で見た塔に繋がる廊下があり、そちらも階段途中の穴と同じく扉などはついていない。
ほとんどのグリムリーパーは、左右や階段途中の出入り口に入っていた。
だが、シルキー達の目的地はそちらではないようだ。
真っ直ぐ歩いて行くシルキーに続けば、正面に玄関のものより少し小さい扉があることに気づいた。
扉の左右には燭台があり、大きな蝋燭が炎を揺らめかせている。
その扉の前に立ったシルキーは、扉を三回ノックしてから言った。
「シルキーとクロよ。オルクスのもとまで」
扉に話しかけるシルキーに怪訝な顔を向けてしまう。
しかし、扉からは応えるように鍵が外れる音がして、ひとりでに小さく開いた。少し見えた扉の奥は薄暗く、石煉瓦の螺旋階段になっている。光源となっているのは、壁に等間隔で設置された蝋燭のみだ。
ただ、それはあまりない光景のようで、シルキーは少し驚いたように目を見開く。
「あら、珍しい」
「扉が開いたことが?」
「違うわよ。この扉は奥の塔に繋がっているんだけど、各部屋に繋げてもらうのに、訪問者と目的地を告げないといけないの」
どうやら、扉が勝手に開くのは普通のことのようだ。
きょとんとする青年を見て、目で見たほうが理解は早いと思ったシルキーは一度扉を閉め、何も言わずに扉を開いた。
すると、そこにあったのは周囲と同じ壁だ。先ほどの仄暗さどころか、奥に続く気配もない。
また扉を閉じて「オルクスのもとまで」と言って開けば、薄暗い空間と螺旋階段が現れた。ちなみに、来訪者を言わなかったのは、つい先ほど告げていたからだ。
青年はこの世界では何でもありなのか、と思いつつ、それならば何故、シルキーが驚いたのかと首を傾げる。
「珍しいって言ったのは、オルクスのもとに繋げるときは、開くまでにもっと時間が掛かることが多いからよ」
『まぁ、仕方ないといえば仕方ないんだけどな。あいつの所は』
「忙しい人?」
「確かに、忙しい人ではあるけれど……まぁ、見たら分かるでしょうし、行くわよ」
オルクスはグリムリーパーの長であると言っていた。ならば、忙しくてもおかしくはないのだが、それ以外にも何かあるようだ。最も、説明が面倒になったのもあるだろうが。
シルキーが先に中に入り、青年も肩にクロを乗せたまま続く。
階段は上るにつれて細くなっていき、やがて人一人分程の狭さになると、先の方が明るくなってきた。目的地が近づいたようだ。
数段上がると見えてきたのは、赤茶色の木製の扉だった。扉の両脇には石の台座があり、その上ではホールで浮いていた光の球の小さい物が浮いている。
扉の前に立ったシルキーは、三回ノックをして呼び掛けた。
「シルキーとクロ、それと……問題児ね。入っていいかしら?」
「問題児……」
「どうぞー」
(いいんだ!?)
扉越しのせいでややくぐもってはいたが、優しげな男性の声で返事があった。
シルキーの問題児発言は語弊を招きかねないが、門をくぐれなかったのだからあながち間違いではない。
ただ、問題児と聞いても平然と受け入れていいのかと、オルクスにやや不安を抱いた。
扉を開けて中に入ったシルキーの後に続いて入れば、階段の薄暗さが嘘のように明るい八角形の、物に溢れた部屋だった。
正面と左右の壁には大きな窓があり、そこから光を室内に取り込んでいる。また、扉の両サイドと窓と窓の間には天井まである本棚が並び、多くの書物が隙間なく詰め込まれていた。本はどれも分厚く、色褪せている物が多い。
さらに、本棚だけでなく応対用らしきテーブルやソファーの上にも本や紙の束、木の板が積み重なっている。奥の執務机も同様だ。
辛うじて床に足の踏み場はあるものの、片づいているとは言えない状態に、青年はやや顔を顰めた。
(き、汚い……)
「珍しいわね。片付けたの?」
『すげぇ。床が見えてる』
「えっ」
どう見ても散らかっている状態だが、まだマシな段階らしい。本人もしくは誰かが片づけたりはしないのか。
すると、執務机の書類と本の山の向こうから、先ほど扉越しに聞こえた声がした。
「散らかっててごめんね、ストレイ君。漸く一部片付いてきたところなんだ」
「え? あ。は、はい」
「そう。なら、一旦、話を聞いてもらってもいいかしら?」
何故、顔も見えていないのに思ったことを読み取ったのかと驚いたが、シルキーやクロはごく普通にしている。
そして、彼、オルクスはシルキーに言われて「そうだね。じゃあ、一度これを置いて……」と作業を中断しようとした。書類の山で見えないが。
立ち上がろうとしたオルクスだったが、頭の一部らしき黒髪が見えた途端、何かにぶつかる音がして再び山の向こうに消えた。
「うわっ!?」
『おいおい、頼むぜオルクス』
「いたたた……。……うーん。ごめん、ちょっと手を貸してくれないかい?」
何処かの書類や本の山にぶつかったのだろう。ドサドサと音を立てて何かが崩れた。
青年の肩から、溜め息を吐いたクロが下りる。青い炎を纏って姿を青年のものへと変えると、呆れた様子でオルクスに歩み寄った。
そして、クロに手を引いてもらって立ったオルクスは、漸く青年の前に出てきた。
「初めまして、ストレイ君。僕はこのアンダーテイカーでグリムリーパーの長を務めるオルクスだよ」
「は、初めまして……」
姿を露わにしたのは、黒を基調とした露出の少ない服に身を包んだ、穏やかそうな男性だ。青年と同い年か、少し上くらいに見える。襟足の長い黒髪に紫紺の目をしており、中性的な顔立ちのせいで、声を聞いていなければ性別がどちらなのか判断に困っただろう。
黒い手袋を外してから差し出された手を握り、挨拶を返しつつ名乗る名がないことに改めて気づいた。
だが、それが当然であるせいか、オルクスは特に気にした様子もなく話を続ける。
「……なるほど。さっき、ケルベロスが悲しそうにしてたから何かと思ったけれど、そういうことか」
「何か知ってるんですか?」
まるで何かを見たかのような言い方だ。最も、青年についてストレイとは分かっても、何故ここにいるか話していないのにすんなりと受け入れているのもおかしいが。
シルキーが戸惑う青年を見かねて説明してくれた。
「オルクスは触れたものの記憶を視られるの。ストレイ相手でもね」
「グリムリーパーのランタンは、あくまでも記憶を消しやすいように薄めたり、魂を沈静化させるものだからね。元々薄かった記憶は消えてしまうけど、君の記憶は忘れているだけで、まだあるにはある。ずっと奥深くにね」
「でも、シルキーは記憶を消したように言ってましたけど……」
あのとき、シルキーは青年の「記憶を消したのか」という問いに対して「邪魔だから」と一蹴していた。その前には、年齢の割に消えた記憶が多いとも。
オルクスは苦笑しながらその理由を明かした。
「下手に思い出してしまって、未練まで出てきては転生に支障が出るからね。グリムリーパーの方便みたいなものだよ。ちなみに、門の前で解放したときに異常は?」
「特になかったから門をくぐらせようとしたの」
「そう。じゃあ、もう少し視ようか」
オルクスはそう言って、今度は青年の額に手を軽く当てた。
ひんやりとした手に目元まで覆い隠され、反射的に目を瞑った。思い浮かぶ生前の記憶は何もなく、ただただ真っ暗な世界が広がる。
やや間を置いてから手が離れていき、目を開けると難しい顔をしたオルクスがいた。
「……んー。どうも、君の記憶の奥深くに根付いてる『何かの未練』が邪魔をしているみたいだね」
「転生後に影響を及ぼすほどの未練が残ってるっていうこと? 私のリストには『問題なし』で記されていたのに?」
「単純に、手違いの可能性もある。『仕分け』だって同じグリムリーパーだからね。本来であれば、未練があれば回収の前に解消しなければならないけど、彼の場合は未練がないように見えた」
転生に影響を及ぼす未練があった場合、出来る限り解消できるよう動くのもグリムリーパーの役目だ。未練の内容によっては、スレイヤーが対処することもあるが。
ただ、青年のことについては特にそういった事も記されておらず、また、門の前での様子を見て問題はないと判断した。
それでも門に拒絶されたのは、見破れなくても当然といえば当然の理由があった。
「今回の場合は……恐らくだけど、死ぬ直前に何らかの影響で未練が消えていて、その状態で回収してしまったから、ランタンでも未練を薄められていない。むしろ、未練が消えたことを薄められている可能性もある」
「えっと……つまり?」
頭が混乱してきた。整理しようにも、転生に際しての仕組みがよく分からないので整理ができない。
渋面を作る青年を見て、オルクスは顎に片手を添えて良い例えはないかと思案する。
「うーん、そうだねぇ……。……あ。僕、よく何かをしようとして、それを忘れちゃうときがあるんだけど」
「大丈夫ですか、それ」
「一応はね」
長としてはとても不安になる発言だが、オルクスからすれば大した問題にはなっていないらしい。
だが、シルキーやクロの不満そうな顔を見れば、下についている者の苦労が窺い知れる。
「でも、それって『あー、今何かしようとしてたのに忘れちゃったー』っていう意識はあるし、ふとしたときに思い出せるんだよ」
「あなたの場合は手遅れになってることが大半だけどね」
「けど、君はそれさえも忘れているから、思い出そうにも思い出せないってこと」
シルキーの一言は軽く流された。
彼女の眉間に一瞬だけ皺が寄ったが、オルクスはそのまま話を続ける。
「このままだとグラッジになっちゃうけど、ここでグラッジになられるのは困るなぁ。マナを吸って、手がつけられなくなりそうだし」
「仲間にするのは?」
「俺もなれるの?」
てっきり、グリムリーパーとは突然生まれる存在なのかと思ったが、クロの言い方から察するにそうではないようだ。
オルクスは頷きながら、けれど、すぐに難しい顔になった。
「グリムリーパーは、元は君達と同じ人間や動物だったからね。でも、君は転生ができないのに未練がないことになっているからねぇ……。グリムリーパーとしての力が芽生えないと思うよ」
「グリムリーパーとしての力?」
「このランタンだよ」
そう言って、オルクスは胸元のペンダントを青年に見せた。
中に灯る青い炎はシルキーと同じだが、形が正十二面体と異なる。グリムリーパーによって形状が違ってくるようだ。
「グリムリーパーになれるストレイの前にはこれが現れる。ないということは、つまりはそういうことだね」
「グリムリーパーにもなれないか……ん? じゃあ、こいつはずっと転生できずにこのままか、グラッジになるってことか?」
「さっきからずっとそう言ってるじゃない」
「ああ?」
「クロ」
漸くクロが話の内容を理解すると、シルキーは今さら何を言っているのかと呆れを滲ませた。
喧嘩に発展しそうだったが、オルクスが名前を呼べば渋々引き下がった。
そして、オルクスは少し思案した後、シルキーと青年を見て「よし」と何かを決めた。
「グリムリーパーはいろんな魂に触れるでしょ? だから、仕事に同伴させていたら未練が分かるかもしれないし、シルキーが面倒を見てあげてよ」
直後、きょとんとしていたシルキーだったが、意味を理解したと同時にこの日一番の嫌そうな顔になった。
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