第10話「あなたの生前に、私も興味があるわ」


「つっかれたー……」


 ベッドに倒れ込めば、スプリングが軋んだ音を立てた。

 回収は時間が掛かったせいか一件だけで冥界に帰ることになり、女性が無事に転生の門をくぐったのを見届けてからアンダーテイカーに戻った。今回、浮島を下りるときにはシルキーが着地の衝撃を和らげてくれたため、無色くんの世話にならずに済んだ。

 そして、シルキーは「オルクスに用があるから」と言って彼のもとに向かい、クロもいつの間にかいなくなっていた。

 ゼロ一人で洋館に戻ると、案外、部屋が広いことに気づいて寂しさが込み上げる。


「……クロ、寂しくないのかな」


 ぽつりと呟いてみても、当然ながら答えはない。

 ベッドで仰向けになると、天井の木目が視界に入る。

 昨日は初めての場所で緊張していたことや、今朝もシルキーがいたせいで孤独感はあまりなかった。

 同室のグリムリーパーが消えたというクロは、ゼロが転生の門をくぐればまた一人になる。

 寂しい思いをさせるのかと思ったが、本人に言えば鼻で笑われそうだと結論づけた。

 深く息を吸って吐く。一人になると、今まで起こったことを振り返っていろいろと考えてしまう。そして、自分がやらなければならないことを。

 先ほどの回収では何も思い出せなかった。


「俺の未練って、なんだ……?」


 覆うように腕を目の上に乗せる。

 真っ暗になった視界の中で、思い出せた記憶を思い浮かべた。まるで夢を見るように、意識がその中に入り込む。

 自分より二回りほど上に見える女性。ゼロはその隣を歩いている。そして、場面が切り替わって、女性が倒れていくところ。

 だが、彼女が倒れる直前、『何か』が彼女の体を斬った。


「っ……!」


 血が噴き出したのは斬られたからか、それとも別の原因によるものか。

 息を飲んだゼロだったが、手を握りしめたとき、ぬるりとした感触がして手元に目を落とす。

 そこには、真っ赤な血に染まった自分の手があった。


「うわあぁぁぁぁっ!」

「きゃあ!?」

「……はっ、はぁっ、はぁ……。……あ、あれ? シルキー?」


 どうやら、本当に寝てしまっていたようだ。

 ベッドから勢いよく起きれば、傍らに立っていたのかシルキーが驚きに染まった顔でゼロを見下ろしていた。

 荒い息を整えると、我に返ったシルキーの表情が驚きから怒りへと変わった。


「……っ、びっくりさせるんじゃないわよ。ストレイのくせに」

「えっ。不可抗――」

「は?」

「ごめんなさい俺が悪かったですすみません」


 即座にデスサイズを出したシルキーにベッドの上で土下座した。

 斬られることはないだろうが、できるだけ彼女の怒りを買うことはしたくない。

 すると、溜め息を吐いてデスサイズを仕舞ったシルキーは、ペンダントになったランタンに手を翳して何かを取り出した。

 淡い光と共に出てきたのは、先ほども見た金平糖……マナだ。


「それ……おばあさんにあげたマナってやつだよな?」

「ええ。さっき、オルクスに確認したわ。あなたのグラッジ化を遅らせるには、マナを摂取するのも一つの手かもしれないって思ってね」


 通常、グリムリーパーが自身のエネルギー源として摂取するものだが、ストレイの場合は回収をすることがないため、摂らなくても大丈夫だとクロは言っていた。

 しかし、ゼロは転生するまで現在の状態を維持しなければならない。

 何か良い方法はないかと頭の片隅に置いていた矢先、女性にマナを使って閃いた。


「実体化については本人から採取したマナしかできないけど、マナから力を得ることで存在が安定するかもしれない。グラッジ化も抑えられるんじゃないかってね」

「……?」

「長く浮遊していた結果、グラッジになるものについては、ストレイの存在が不安定になったからともされるの」


 グリムリーパーが回収や現世での滞在で生命エネルギーを消費するように、ストレイは長く浮遊することがエネルギーの消費に繋がるのなら、補給してやればいいのではないのか?

 ストレイは死者だが、グリムリーパーも元々は死者だ。ならば、マナでエネルギーは補給できるのではないか?

 ただ、グリムリーパーはストレイとは違って特殊な力を持っていることや、ストレイがマナを摂取した前例はないため、オルクスに相談をしに行っていた。


「理論上ではいけそうってオルクスも言っていたわ。けど、どうなるかはやってみないと分からないともね」

「一か八かなんだな」

「ええ。でも、試す価値はあるから持ってきてあげたんだけど、まさか寝ているとは思わなかったわ」


 シルキーがマナを片手に持っているのは試すためだ。

 ゼロは自分が寝ていたと知り、深い安堵の息を吐いた。手を見れば、そこには普段と変わりない手がある。当然ながら、血には濡れていない。


「……良かった。あれ、夢か」

「夢?」

「あ、ううん。大丈夫。多分、いろいろと回収したから、変に記憶に残っているのかもしれないし」


 さ迷っていたストレイから人が死ぬ瞬間まで、一回の回収でもいろいろと見てしまった。

 さすがにインパクトが強すぎたのだろう。

 そう思って適当に流そうとしたが、思いの外、シルキーは真剣な表情で追究してきた。


「どんな夢だったの?」

「え」

「内容よ、内容」

「…………忘れた」

「はぁ?」


 咄嗟に出た言葉は、夢だと安堵した後では無理のある嘘だ。内容を覚えていなければ安堵も何もない。

 現に、嘘だと見破ったシルキーはふざけるなと言わんばかりに眉間に皺を寄せている。

 そんな彼女の怒りを抑えようと、反射的に両手を小さく挙げて言った。


「い、いや、変な夢だった気はするんだけど、よく思い出せなくって……。ほら、よくあるだろ。起きた直後は覚えてても、すぐに薄れちゃう夢。嫌な夢だったけど、どんな内容だっけーみたいな」

「…………なくはない、けど」

「だろ? それそれ」


 余計な心配を掛けたくない。その一心で苦笑を浮かべて言うも、シルキーは探るようにゼロを見るばかりだ。

 しかし、いくら夢とはいえ、あのやけにリアルな感触は生前に何かあったとしか思えない。


(もしかして、あの女の人を殺したの、俺……?)


 ゼロが傍観している目の前で女性は倒れたが、それは単に記憶が都合の良いように修正しているだけで、実際には違うかもしれない。

 自分が人を殺したことがあると知って、シルキーはどう思うだろうか?

 そう考えると、反応が怖くてとても口にはできなかった。


「…………」


 ゼロの顔色が悪くなっていくのを見たシルキーは、手にしているマナをじっと見つめてからゼロの口に押しつけた。


「むっ!?」

「食べた?」

「……っ、いや、食べたって言うか、突っ込まれたって言うか……」


 唇の隙間から入ってきたマナは、何の味もしなかった。また、反射的に咀嚼して飲み込もうとしても固形物は口の中に感じられず、かといって溶けた感覚もない。

 何処にいったのかと不思議に思っていると、シルキーが「マナは体に浸透するから、別に噛む必要はないわ」と言った。

 せめて一言言って欲しかったが、文句を口にすれば怒られそうなので黙っておいた。


「引きこもるからそんな暗い顔になるの。憂鬱な気分はグラッジの元よ」

「別に、引きこもってたわけじゃ……」


 他に行く場所もやることも思いつかず、ひとまず部屋に戻っただけだ。

 口ごもるゼロを見て、シルキーは何を思ったかゼロの腕を掴んで引っ張った。


「ほら、行くわよ」

「ど、何処に?」

「行く場所が思いつかないなら、あなたにもう少し冥界を案内してあげるわ」


 混乱しているゼロに対し、口元に笑みを浮かべたシルキーは悪戯を思いついた子供のようだ。

 手を引かれるままアンダーテイカーを出て、出入り口正面に生える木々を抜けて島の端まで歩く。

 島の端は転生の門があった浮島と同じく草が生えているだけで、周りを見渡すのにちょうどいい。

 その一カ所に、白い石で造られた丸い台座があった。台座の表面には薄らと光る青い陣があり、ゆっくりと時計回りに回っている。


「乗って」

「これに?」

「そう。行き先は……あの島よ」


 シルキーは徐に向かいに浮かぶ島を指した。

 今いるアンダーテイカーの浮島より少し下にあり、他の浮島と違って山も木々もない平坦な島だ。全体的に白っぽいが、鉱石でもあるのか、光を受けてきらきらと輝いている。青や赤い色がちらほら混じるのは、光の反射によるものか、それともそういう色なのかは見分けがつきにくい。

 美しい浮島に見惚れていると、ランタンを持ったシルキーが台座に乗った。

 石突きで台座を突いた瞬間、陣が一層輝きを増し、辺りが白く塗り潰されていく。

 ゼロは眩しさに目を瞑り、顔の前に腕を翳した。


「……?」

「さ、着いたわ」


 何かが起こった様子はないが、どうすればいいのかと固まっていると、シルキーに腕を軽く叩かれる。

 ゆっくりと腕を下ろして目を開けば、眼前には白く輝く花が咲き乱れる平原が広がっていた。

 ただ、花とは言っても、五枚の花弁は水晶のようなガラスでできている。白く発光する物が多いが、中には薄らと青みを帯びたものや、濃い青もあった。また、濃い青の花の中央には淡く輝くマナがある。


「すご……。これ、クロが言ってたイノセンスっていう花?」

「ええ。色は違うけど、全部そうよ。記憶が少ないからか、覚えは良いわね」

「人を子供みたいに言うなよ……」

「あら、違う? 似たようなものでしょう」


 揶揄するシルキーはいつもと変わりない様子だ。

 しかし、嫌な夢を見たせいか、美しい光景を見られたのは良い気晴らしになった。

 台座から下りて手近な青いイノセンスのそばでしゃがむ。壊さないようにそっと触れれば、中央で輝いていたマナが明滅を繰り返した。


「わわ。なんか点滅してるんだけど」

「問題ないわ。あなたの生命エネルギーとマナが反応しただけだから。それ、取れちゃうから取っちゃいなさい」

「いいの?」

「ええ。回収が少ないグリムリーパーやアンダーテイカーで回収以外の仕事をするグリムリーパーは、このイノセンスからマナを得るから」


 シルキーのように回収をするグリムリーパーと違って、アンダーテイカーで仕事をこなすグリムリーパーはマナを得る機会がない。確かに、イノセンスがあれば補給は問題なくできるだろう。

 恐る恐る中央のマナを指で突けば、マナがころんと転がり落ちた。同時に、イノセンスはガラスが砕ける音を立てて散る。

 地面に落ちてしまう前に慌ててマナをキャッチすれば、輝きを収めて手のひらの上で転がった。


「現世に行った後とか、疲れたって思ったら食べるといいわ」

「分かった。ありがとう」

「……なんで、イノセンスの色が違うか分かる?」

「え?」


 突然の問いに目を瞬かせる。最も、理由を問われても答えが思いつくはずもないのだが。

 それでも、今までの流れの中に答えがあるのかもしれない、とゼロは思考を巡らせる。


「うーん……。マナは生命エネルギーっていうし、この花もそれに近い何かの役割を果たしているってこと?」

「そうね」

「白、青……あ。あと、赤いのもあるよな」


 改めて花を見渡せば、色は白や青系以外にも、深紅に染まったものも僅かながらあることに気づいた。

 毒々しささえ感じるその花は一際異彩を放っており、中央にはマナもない。

 自然と眉間に皺が寄るのを感じながらシルキーを見れば、彼女はゼロから赤いイノセンスへと視線を移す。

 そして、シルキーは答えを明らかにした。


「イノセンスは現世で生きる人の命そのものよ。誕生すれば花が芽吹き、死亡して回収が済めば花は散るわ。白は生きている人、青く色づいてくると死期が近づいている証明。そして、一番濃い青……マナを生み出したイノセンスは、その人の命が終わったことを示す」

「え……」

「アンダーテイカーには、このイノセンスを管理しているグリムリーパーもいるの。生み出されたマナの回収をしたり、花の色を見て、回収するストレイの情報を担当のグリムリーパーのリストに転送するのよ」


 つまり、先ほどゼロが触れた青いイノセンスは、一つの命が亡くなったことを示していたということか。

 そう考えると、美しいと思っていたイノセンスにもの悲しさを感じてしまう。

 だが、青が死んだ人ならば赤は何を意味しているのか。嫌な雰囲気を放っているところから、答えは想定できた。


「もしかして、赤いのは……」

「グラッジね。あれはマナも割れてしまうの。まぁ、今頃、スレイヤーが殲滅に当たっているでしょう」


 そう言われて、スレイヤーであるカルマを思い出す。スレイヤーの中では最も強いと言われる彼ならば、一瞬で殲滅してしまうのだろう。

 花を見つめていれば、花弁に亀裂が入り、パリンと小気味良い音を立てて砕け散った。


「……噂をすれば、終わったわね」

「うん……」


 いつから花が赤く染まっていたのかは分からないが、話していた矢先に散るとは思わなかった。

 ゼロは、自分のイノセンスもここで散ったのだろうか、とまた花を見渡す。そうしている間にも新しいイノセンスが芽生え、既に生えていた白いイノセンスのいくつかは青く色づいてくる。

 命の終わりが近づいているのかと思うと、自分の死ぬときはどんなものだったのだろうかと記憶を探った。当然ながら、何も思い出せなかったが。

 青く色づいてきたイノセンスのそばでは、紫色に見えるイノセンスもある。青みが強いため、これも命が終わろうとしている一つなのだろう。


「……シルキーはさ、自分が死んだときのこと、覚えてる?」

「…………」


 何となくで訊ねたことだったが、流れた沈黙と優しく吹いた風を受けてはっと我に返った。

 慌てて振り向いてシルキーを見れば、彼女は憂いを帯びた顔でゼロを見つめていた。


「ご、ごめん……。死んだとき、ランタンで薄れるんだっけ……」


 初めに言われたはずだ。未練を生まないよう、記憶は薄れるのだと。

 ならば、自分が死んだときのことなど思い出せないはずだ。現に、ゼロも少しも思い出せないのだから。

 しかし、シルキーは少しの間を空けてから否定した。


「いいえ。覚えているわ。はっきりとね」

「え……?」


 予想外の答えに、ゼロの思考は停止した。

 シルキーはランタンで回収されなかったのだろうか? それとも、グリムリーパーになる死者は別の回収方法をされるのか?

 疑問が次々と生まれる中、シルキーはゼロから視線をイノセンスへと移して言った。


「オルクスのところでもそんな感じの話はしたでしょう? グリムリーパーになるストレイは、転生後にも影響を及ぼしかねない強い未練を抱えていることが多いの。そして、グリムリーパーとしての力を発現する」


 グリムリーパーは初めから転生ができないとされるストレイだった。

 ゼロの場合は未練を忘れているため、転生はできると見られたが実際にはまだ抱えたままだ。グリムリーパーとしての力も出なければ、未練が解消されていないので門をくぐることもできない。中途半端な存在になってしまっている。

 シルキーはゼロの隣に立つと、しゃがんだままのゼロを見下ろした。


「私もあなたと同じ。強い未練を抱えていたから、転生できなかった。まぁ、私の場合は、門の前でも未練が残っていたから、グリムリーパーの力が出たんだけど」

「…………」


 やはり、門をくぐってからの拒絶は前代未聞なのか。「同じ」と言われて少し期待した自分が恥ずかしい。

 ふと、シルキーの未練は何だったのかと気になった。

 ランタンでも薄れない強い未練。そして、死んだときの状況。

 訊いてもいいのか、と迷っていると、答えはシルキーのほうから明かされた。


「生きていた頃の記憶はほとんど薄れているわ。けど、これだけははっきりと覚えているの。私と私の家族は、ある男によって殺された。そして、回収が遅れた家族は、グラッジになって消滅したわ」


 シルキーは家族より後に殺されたこともあり、回収がギリギリで間に合った。けれど、家族については手遅れだったようで、門の前で解放されたときにグリムリーパーに問い詰めたところ、「消滅した」とだけ説明されたのだ。


「私を回収したのはオルクスよ。そして、グラッジになった家族を殲滅したスレイヤーはカルマだった」


 オルクスはランタンでも記憶が薄れていないシルキーを見て、グリムリーパーになることを勧めた。家族のように、回収が遅れたことでグラッジになってしまうストレイを救わないか、と。

 そして、勧誘を受け入れたシルキーも無事、グリムリーパーとしての力を発現できたため、待機していたカルマに狩られずに済んだ。


「ねぇ、ゼロ」

「え?」


 突然、真剣な表情になったシルキーに驚いた。

 まるで、ゼロの答えに何かの可能性を見出そうとしているかのように、シルキーは片膝をついてゼロに詰め寄った。


「『落ちる感覚』に、既視感はない?」

「な、んで、それを……?」

「それは、あなたが『落下して』死んだからよ」

「……マジですか」


 思い出せない死の瞬間。けれど、言われてみれば合点がいく。

 転生の門がある浮島から落ちたりしたが、確かに、何処かで経験したことのある感覚だった。


「あなたの生前に、私も興味があるわ」




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