勉学

 最近、「勉強なんかしたくなーい」という学生が見受けられる。これは、私の周りの環境が環境であるため、実際は「勉強したーい」という人が集まっている学生もいるかもしれない。勉強したくない気持ちはわからんでもない。私自身、勉強を避けている時があった。だが、この日本という国には義務教育という制度が存在するため、少なくとも小学校六年、中学校三年、計九年は学校に通い続けなければならない。そこからは義務教育を終え、就職する者もいたり、高校へ進学する者もいる。だが、そのほとんどが勉学をすることの意味を知らないと私は思う。本当にそれでいいのだろうか。そもそも、何も知らない六歳の少年少女が、急に『こくご』、『さんすう』、『せいかつ』などの、わけのわからない単語を出されて果たして勉学を行う理由を理解できるだろうか。

 十中八九、不可能である。この時の何も知らない純粋な少年少女は教師、あるいは親という名の大人が正しいと判断しついていく。だが、小学校三年生ごろから、自我が芽生え始め、大人に反発してくる。この時に、勉学を嫌悪し始める者が出てくるのだ。今まで大人が押し付けてきた『勉学』という名の圧力は彼らにとって少しずつ苦痛、ストレスと化していくのだ。これは、自然なもので誰も避けては通れないものだ。大人はこれを否定できない。

『勉学』は、生きるために存在するものである。この荒波とも等しい社会で生き残っていくためには、『勉学』が必要なのだ。ただ、私の言う『勉学』は何も学校の教科のものだけではない。難しいことではない。『勉学』はあちこちに転がっているのだ。人と人との接し方、失敗した時の礼儀、年下とどう付き合うべきか、恋愛、友情、と、この世のほとんどが勉学で成り立っているものだ。現在の日本社会で必要なのは協調性、コミュニケーション力、そして学習能力の三つである。グローバル化が進むこの世界で生き残っていくためには、『勉学』が必要なのだ。現代の若者はどうも『勉学』の意味を理解していない者が多いと思う。

 私は、現代の若者に『勉学』の重要性を説くべきだと思う。それを受け継いで、我々若者はこれから先の未来を担っていくのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

偶帳 カガリ ナガマサ @Kagari_Nagamasa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る