暴発
三十分後。
それからさらに数周走り、ピットに戻った俺達は軽く休憩を取ることにした。俺も苑浦も体力・精神力共に使い切り、どこか呼吸が荒い。
「驚いた。思ったより上達したじゃない」
スポーツドリンクを飲みながら、感心したように苑浦が呟く。
「そうか? お前の言うとおりに走っただけだけどな」
対する俺はそう楽観的になれなかった。結構な距離を走ったが、いまいち手ごたえを掴めちゃいない。もっとも、たかが一日でそう変われるとは思っちゃいないが。
「けど見て、最初と最後でタイムが五秒も違う。これから先が楽しみだわ」
それなら、目の前のコーチくらい上手くなるには一体どれほどの年月がいるんだろうな。珍しく興奮気味の彼女を前に、意識しないほうが無理だった。
「たまたまだろ。そういや、お前こそ一体どこでそんな腕を得たんだ?」
「……何のことかしら」
“それ”は苑浦らしくなかった。必要以上に澄ました顔で背を向け、立ち去ろうとする姿は、あきらかに何かがおかしい。
「いい、放課後もまた走るからね」
「待てよ」
「ガソリンなら部費で落ちるから問題ないわ。あるいは用事でもあったりするの?」
「そうじゃねぇ」
どうしてかは知らないが、今日のコイツはまわりがあまり見えていない。それ故に高圧的な態度は、かなり癪に障った。わざわざ楓姉さんに頼んで休み貰ったんだぞ!と言いたいのもあるけど。行き場のない苛立ちを抱えてると、苑浦はちょっとした挑発を仕掛けてきた。
「それにあんまりサボってるとJMAエリートの名が泣くわよ」
「泣くわけねぇだろ。俺そんなんじゃねぇし」
彼女としては、やる気を奮い立たせるつもりで言ったのだろうけど、残念ながらそれは全くの見当違い。
「どういうことよ? 」
苑浦の顔つきが険しくなる。それが苛立ちを増幅させた一方で、俺は勘付いていた。多分、コイツは何か勘違いしている。
それもかなり性質の悪い。
「バッジ見てエリート会員だって思ったんだろ? けど、あれは違うんだ」
違う? と顔を曇らす彼女に俺はさらなる真実を告げる。
「そもそもロードスターだって俺の車じゃない」
「……嘘でしょう? 」
「嘘なわけあるかよ。まぁ名義は変えちまったから証明できないけどな。ついて何の得になるんだよ。腕だけなら多分、牧島先輩のほうがマシだぞ」 もう帰ろう、と踵を返して歩き出そうとした俺の動きが封じられる。伸ばされた手に、襟首を掴まれた。取り調べの刑事みたいに、苑浦が詰問する。
「それならあなたは何で走っているの?」
「知るか。大体、お前が巻き込んだも同然だろ。レースをやりたきゃ一人でやってろよ」
乾いた音と共に何かが顔を直撃し、目の前の景色が一瞬歪んだ。
「ひどい、無神経にも程があるわ!」
その場の物全てを凍てつかせてしまうような、苑浦の声色。刺さんばかりの鋭いまなざしに、高ぶった感情はかき消され、俺はすっかり萎縮してしまった。しまった、と我に返った頃にはもう遅い。
「もういいわ。結局、どんな場所にいても私は一人ぼっちじゃない」
独り言のように嘆く彼女の中には、確かな寂しさが宿っていた。その姿を前に、俺はとても醜い顔をしているのだろう。だが、俺たちの間にこれ以上の言葉はなく、ただ雨脚が強さを増すばかり。そして全てに嫌気がさした俺は、ロードスターの鍵を適当に放り投げると、サーキットを後にした。
今日はもう、運転なんかしなくねえ。
平手打ちの痛みを感じる隙は、一瞬もなかった。
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