四章
天才VS凡人
「早速始めるわ。隣乗って」
苑浦は有言実行の人だった。翌日の昼休み、俺は床橋スピードウェイで彼女直伝のドライビング講座を受けるハメになったのである。平日の昼ともあってか、他にコースを走っている車はいない。ってか、午後の授業までに帰れるのか、これ?
「私の走りがどう違うか、しっかり見ておくのよ」
いつになく真剣な面持ちで、ロードスターの運転席に座ると、彼女はギアを1速に入れ、素 早くピットからメインストレートに飛び出した。それとほぼ同時、灰色の空から水滴が落ちたと思うと、あっという間に雨あられがロードスターとコースを叩き始めた。ただでさえ狭くトリッキーな道は、その難易度をさらに上げたようだった。
「クソっ、マジかよ」
溜め息交じりに俺がぼやくが、ステアリングの主はそれを無視してアクセルを煽り、ロードスターは第一コーナーに突入した。時速にしておよそ百キロ。大きくアウト側からって、え?
「いい、よく見てて」
苑浦は九十度ほどステアリングを切ったところでその手を止めてしまった。当然車体はどんどん外側に流され、赤と白の縁石が眼前に迫る。
「おいどういうつも…」
と抗議しようとしたところであれれ、と気づく。一定距離を振られたところで車の動きが安定し、そのままあっさりとコーナーをパスしたのだ。
嘘だろ!?
ほぼヘアピンに近いをわずかなステアリング操作だけでクリア。
「次はあなたの走りを再現するわ」
次に現れるのはS字から続く、峠道入り口の複合コーナー、先ほどよりもより繊細さが求められるセクションである。シフトダウンから減速、彼女がステアリングを切り始めた所で俺は気づいた、
随分荒っぽい操作だな。
コーナー自体のRは先程よりも小さいのに、そんなことをしたら車はどうなる? 答えは簡単、制動を失ったロードスターはスピンした。
「っつ!」
予測していたものの、やはりこの動きは慣れない。手足で踏ん張って何とか気持ちを抑えていると、やけに澄ました顔の苑浦が覗き込んできた。
「どう、気づいたかしら? 」
「まぁ。おぼろげながら」
自分じゃわからなくても、他人に気づかされることというのもある。二種類の運転の中で決定的に違うところというのは、
「ステアリング操作か」
「そう。はっきり言って貴方のコーナリングは荒すぎ。ステアリングだけでなく、今みたいにペダルワークも大切なのよ」
「なるほど」
薄々だがそれは気づいていたことだった。交差点を曲がるときや、自転車を避ける時とかに、動きが不安定に感じることがあったからだ。
「ピットに着いたら今度は貴方が運転して」
スピンしたロードスターあっさり立て直すと、苑浦はスロー走行で残りの峠道を走り終え、俺にキーを寄越した。
「とりあえず最初のコーナーまではいつも通り、その後は私の指示に従って」
「あいよ」
席を入れ替わり再スタート。いつもより丁寧に走ることを意識しながら、第一コーナーをパスしたところで苑浦が声をあげた。
「他の車もいないしコース一杯使って走らせるわよ。さっきスピンしたあのコーナー、コツは『大きな一つのコーナー』として捉えるの」
「具体的にどうすりゃいいんだ? 」
「そうね。ヒントを与えるなら、車はステアリングだけじゃなくて、アクセルでも曲がるってことよ」
アドバイスはそれだけ、後は自分で考えろということらしい。
言われたとおりの情景を頭にイメージしながら減速し、意識してステアリングを敢えて控えめに切る。外側に振られ、さらにステアリングを切ろうとしたところで、
「大丈夫よ。そんなに切らなくても問題ないわ」
諭すような彼女の声。それに答えるように、ロードスターはアウト一杯に膨らみながらもコーナーをクリアした。
「次、峠道よ」
言われるがままにコースは元公道の峠道へと変わる。この前と同じく路面は荒れ、錆び付いたガードレールが姿を現した。
「こういう狭い道は、繊細さと大胆さがないと速く走れないわ」
「んなこと急に言われても困る」
あいにく俺は免許取立ての初心者なんでね。そう喚く間にも道は蛇行するので、仕方なく走り抜けるしかない。
「じゃあこう意識して:車の幅を最大限生かして走らせるの。さっきと逆の発想よ」
「なるほど」
それは的を射たアドバイスだった。小型軽量のロードスターは挙動が比較的安定していて扱いやすい。今まで意識したことはなかったが、その長所はこういう道で生かされるのだろう。そこに彼女のアドバイス通りの走りが加わる。決して完成されたものではなかったが、車はいつもよりも遥かに軽快な動きを見せた。
「思ったより上出来よ。ピット入らずにもう一周行きましょう」
そう言う彼女の顔も心なしか機嫌がよさそうだ。先ほどから的確な指示を出していて意識していなかったが、コイツは俺と同い年の女の子だっけか。
「次はもう少し踏んでも大丈夫か? 」
「ダメよ。今の走りを完全にモノにしてからじゃないと危ないわ」
「何だよその縛りプレイ」
ともあれ逆らうわけには行かない、アクセルを踏みたくなる衝動をこらえながら俺は手足に神経を集め始めた。
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