第34話 

 木の陰から覗くと確かに司書さんがこちらに無表情で迫っていた。まだ距離はある。急いで縄を解く。そしてその辺の石を四つほど手に持つと、他の馬の頭絡とうらく※5をいくらか乱暴に取る。他の馬は頭絡が取れると当惑したように足踏みをするが一頭の尻を叩いて逃すとすぐに他のもその馬について森の中に続く道に走って行った。

 それを見送ってすぐにキースに駆け寄る。


「キースッ! 手綱を持って!」


「う、うん!」


 キースに手綱を渡すと、馬の尻を叩いた。


「うわっ!? え!? レイラ!?」


 慌てるキースの声に、冷静に返す。


「キース! さっき言った事! 覚えてるよね!? 私ならすぐに追いつくから!!」


 遠ざかるキースは、聞こえてるのか聞こえてないのか私の名前を叫び続けている。あれはパニックになっているのだろうか?

 できれば少し冷静になって馬にしがみついて逃げてほしい、と心の中でため息を吐く。

 司書さんに目を戻すと、懐から何か紙のようなもの出して投げようとしていた。すぐにその正体に気がついて、司書さんが紙を投げるタイミングで手の中にある石を投げる。

 石と紙が空中で当たった途端、紙が爆発した。

 ドッッッッ、と地面が揺れるような音がそこから発生し土煙が舞う。耳鳴りがした。

 今ので中にいる二人は私たちが外に出た事に気がついただろう。すぐにでも森の中に身を隠したいが、司書さんがキースに追いついてしまえば元も子もない。少しでも時間を稼がなければ。

 土煙が晴れて行くと、目線の先に立つ無表情の司書さんがこちらを見つめていた。その無表情な仮面が口を動かす。


「今の魔法陣。よく火爆ひばくだと気がつきましたね」


「あー。そりゃあ、『山のウェストル』ですから。それくらいは分からないと」


 その昔。賢王がまだ王となる前。

 その前王のトルネイは隣国のバルスエルと不当な取引を結ぼうとしていた。その取引は国民の命を差し出すような取引だった。賢王アルベルトはもちろんその存在に気がつき、すぐに動き始めた。

 それを邪魔に感じたのは、愚王のトルネイだけではなく。隣国のバルスエルもだった。バルスエルはすぐさま当時は国賊とされていた賢王アルベルトとその仲間たちを討伐隊をこの国に差し向けた。

 賢王たちの本拠地はこの背骨ヴヴナ尾骨シュコックのあたりだったと言う。討伐隊は山に入り込み、幸か不幸か山岳戦へと持ち込んだ。

 その時にウェストルは活躍し、『山のウェストル』または『山の死神』と呼ばれるようになった。

 初代は戦略もさることながら、自身の戦闘力で敵を圧倒した。

 その時の敵が武器としていたのは、剣や弓だけでは無かった。数多くの犠牲を出したのが魔法陣が書かれているふだ。自身の魔力を流すと発動する。

 それに最前線で対抗したのもウェストルの初代とその部下たち。

 当時は撃ってくる札の魔法陣が判別ができなかったらしい。しかしそれでも勝利を手にしていた初代たちはやはり凄かったのだろう。

 その戦闘は代々ウェストルに語り継がれ、国の非常事態に役に立つことができるようにその対策も実戦で学ばされる。

 私も例外ではない。ニールとお爺様に指導を受けた。

 その指導の中に魔法が使えない場合についてもやっていて、当時はなぜやるのかと不思議に思っていたが今この瞬間あの時のことを感謝している。


 目の前の司書さんもその戦闘について知っていたのか、なるほどと呟いている。


「さすがウェストル、と言ったところでしょうか。しかし、あの戦闘とは違い今の貴方は丸腰。こちらの方が有利です。どうでしょう? ここで降参してくれればこちらとしてもありがたいのですが」


 そう提案をする司書さんに、返事の代わりに体を構える。


「……なるほど。わかりました」


 私の返事を受け取ると、司書さんすぐに札を投げる。

 今度は風爆ふうばくのようだ。あの札は爆風を生み出す。このまま食らっても、空中で爆破させても風を食らって体勢を崩してしまう。

 司書さんの狙いは私が体勢を崩したその後に、火爆か土爆どばくで攻撃を叩き込むことだろう。土爆は尖って固まっている土が飛んで来る。突き刺されば身体のどこかに穴は空くだろう。

 この場合の対処法は一つ。

 飛んでくる札に石を投げることなく、私自身が突っ込んで距離を近づける。


「なっ」


 驚いて声を上げる司書さんの声が聞こえた。

 すぐに札が目の前に来る。それに体を少し捻ることで躱すと、札は後ろへと飛んで行った。

 すぐに背後で爆発音と大量の風が来た。その追い風を背に、驚いて目を見開く司書さんの元まで躊躇わず走り寄る。

 目の前に迫る私の司書さんは慌てて、もう一枚札を取り出す。それはどうやら火爆、しかしそれをこの距離で使ってしまえば自身も巻き添えを食らってしまう。

 司書さんが躊躇っているうちに司書さんの元にたどり着く。手の中の石は、二つに減り片手ずつ手の中に握り込まれている。

 右手を司書さんの顔を狙い突き出すが、司書さんは咄嗟に顔を背けて避ける。しかし私の左手はすでに司書さんの腹に向かっていた。これは避けられない。拳に、腹のグネリとした感覚がしてめり込む。

 司書さんの口から苦しそうな声と空気が漏れ出る。


「がはっ」


 もう一度意識を沈めるくらいの勢いで顔に向かって、拳を振り下ろした。しかしその拳は、意図しない攻撃で止められることとなった。

 目の端に映ったのは、風爆の札。

 咄嗟に司書さんから身を離して後ろへ下り、身を低くして風に備える。すぐに風が体にぶつかった。息もできないくらいの突風が体を巻き込み、後ろへと体を引きずった。目を開けると、五マルトル※2くらい元の位置から下がっている。司書さんは構えることができなかったのか、後ろへと大きく吹っ飛ばされていた。

 すぐに札が飛ばされた方を見ると、先程追って来ていた二人がいた。


「このクソガキいいいい! やっと見つけたぞおお!」


 大声でこちらに威嚇するひょろ長い男。気味の悪い穏やかな声の人の姿は初めて見るが、どこにでもいるような平凡な顔立ちをしている。

 その穏やかな声の人が、立ち上がろうとする司書さんに向かって声をかけた。


「ルフォス様は、どうしたのですか?」


「すみません。逃げられました」


 司書さんは腹への打撃がまだ効いているのか、少しよろけるように立ち上がる。穏やかな声の人は、チラリと私の後ろに目線を向けると納得したように頷いた。


「なるほど、馬を奪われましたか……」


 穏やかな声の人が、その平凡な顔立ちに埋め込まれている目を細めた。


「しかし……ウェストル様? ルフォス様がいつまで鞍の無い馬に乗れるか、流石の貴女にも分かりませんよね? 今頃落馬しているかも……心配ですねー? さぁ、ウェストル様。我々には貴女も必要なのですよ? どうか大人しく降参しては、もらえませんか? 仕方がありませんから、そこまで痛いことはしませんよ」


 穏やかに言う男の声と顔は、その通りだったが目だけは違った。表面上は何も写していないかのようにも見えるが、目の奥の奥に怒りの炎がチラついているのが見えた。


「遠慮します」


 端的にそう答えを口に出すと、穏やかな人が一瞬虚を突かれたように目を瞬かせた。すぐにその顔が俯く。


「ふ……、ふふふ……」


 最初は小さく肩を震わせていた穏やかな声の人は、次第に大きく体を震わせる。

 ……やはり不気味だ。


「ウェストル家とはいえ、女の身でありながら、そうも勝気にこの話を断るとは……。ふははは! しかし! いくらウェストル家であっても貴女は、まだ年端も行かないガキ! いえ、お子様です。しかも、哀れな事に今は魔法が一切使えない! それで、私たちから逃(のが)れようと言うのですか? ははは! なんて面白い冗談なのでしょう!」


「ヨイン、さん……?」


 戸惑ったように、あのひょろ長い男が笑っている人の名を呼ぶ。どうやらこの不気味な人はヨインと言うらしい。

 流石に突然笑い出したヨインを気味悪く思ったのか、ひょろ長い人の顔が引きつっているように見える。司書さんの方は特に何も思っていないらしく、無表情を崩さない。……いつもの事なのだろうか……? だとしたら、なおさら気味が悪い……。目が遠くを見てしまいそうだ……。

 ヨインは笑い尽くすと、ふ、と唐突に無表情になった。それはあの穏やかな顔つきから一変、まるで面のようだった。

 なんの色も浮かべない瞳に、顔。夜闇の中で見たら、亡霊に間違えてしまいそうだ。


「では、もう抵抗ができないように、手足を消し飛ばしてしまいましょうか」


 そうポツリとヨインが呟くと、唐突に動き出した。




 ※5 頭絡とうらく=馬の頭につける馬具。手綱を取り付けて馬に指示などを出す。

 ※2 1マルトル=1メートル

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