第33話

∇∇∇


 キースの鼻をすする音が無くなっていく。そんなに時間は経っていない。

 そろそろ頃合いか。


「キース?」


 声をかけると、キースの肩がピクリと震えた。濡れた髪からのぞく耳が、わずかに赤くなったような気がした。


「……」


 返事が無い。首をひねる。


「キース?」


 もう一度呼びかけると、今度はハッキリと耳が赤くなったのが見えた。


「……めん」


 聞き取れないほどの小さな声でキースが何事かを呟いた。


「え?」


 もう一度言うように促す。


「……ご、めん」


 くぐもる声で一言謝ると、キースが顔を上げた。目は泣いたせいで、赤くなってしまっている。しかもなぜか顔まで赤く色付いている。


「レイラ、ごめんね。……僕、ずっと足引っ張ってる。……今も。本当に恥ずかしいよ……」


 聡いキースの事だ。自分が今どのような位置にいるのか、ちゃんと把握しているとは思っていた。


「いいんだよ。キースの反応が当たり前だから」


 否定はしない。

 キースは今の現実を自分の中で直視して、口に出していた。それを否定することは逆にキースに対する侮辱だ。


「キース。キースが今一番しなきゃいけないことってなんだと思う?」


 キースに問いかける。


「……レイラの足を引っ張らないこと」


 顔を赤くし、涙目で私の問いにキースが答えた。


「それは二番目かな。いい? キースが今一番しなくちゃいけない事は、前に進んで、捕まらない事」


 それだけだよ、とキースの黄の瞳を見つめながら言う。


「前に進んで、捕まらない事……」


 呟いたキースに、頷いてみせる。


「そう。あの人たちがなんて言ってたか、覚えてる?」


「……僕の力と頭が必要だって言ってた……」


 盗み聞いていた内容を思い出しながらキースが答える。


「そう。あの人たちが一番必要だったのは、キース自身だよ。だから、キースさえ捕まらなければ時間はもっと伸ばせる」


 私の言った言葉の答えにキースはすぐにたどり着いたようで目に強い光を灯した。


「そっか……。そうすれば、他の人たちもすぐには運び出せない……。そこに助けを呼べれば……」


 助けさえあの洞窟に送り込むことができれば、他の人もどうにかなる。

 今頃私たちを探しに、アスウェント家が出ているはず。この山まで辿れたかどうかはまだ分からない。だがとにかく人のいるところに行けば、アスウェント家の隊の者一人くらいは私たちを見つけることができるはずだ。見つけられなくても、手に入れることができればすぐに助けを呼べる。

 乗馬は意外と得意だ。


「あ」


 突然声をあげた私にキースが、どうしたの、と声をかける。

 私は『馬をなんとかして』という言葉に、ふといい考えが頭をよぎっていた。

 しかし、それには……。


「……キースって、乗馬できる?」


「え?」


 ∇∇∇


 月光が森の木々に遮られている中、私たちはその場所で足を止めて身を低くした。

 今、目には四頭の馬が映っている。馬車から解放して、休ませるためだろう。近くの木に手綱が括り付けられており、一頭ずつ藁と水桶が置いてある。鞍は付いていない。

 

「ねぇ、レイラ……。本当にやるの……?」

 

 キースの目線の先には、大きく口を開ける洞窟の入り口。


「うん、やる」


 そう、目の前にある洞窟の入り口は、先程私たちが閉じ込められていたところだ。馬との距離はそこそこある。

 私たちを運ぶのに必ず馬車を使っているはずと思いついてから、すぐにその馬を使うという考えに至ったのは当然のことだった。

 今のところ人の気配は無い。男二人はいまだに洞窟の中で私たちを探し回っているのだろう。気にするべきは、私が足にナイフを刺したあのガタイのいい男と、司書さんだろう。

 今頃司書さんは、起きている頃かもしれない。ガタイのいい男が発見して、縄を解けばすぐに動き出すだろう。


「キース、行くよ」


「……うん」


 不安そうに頷いたキースが、動き出した私の背中についてくる。

 馬に近づくと、すぐに警戒したように耳をバラバラに動かし鼻息を荒くしている。

 一度その場に止まり、キースにも止まるように合図する。馬に匂いを嗅がせて、危険はないと印象をつける。

 少しして、馬の鼻息が収まって行く。

 前に進むと難なく馬にたどり着いた。首筋を撫でる。まだ居心地悪そうだが、乗っても問題は無いようだ。

 キースの方を見ると、キースも問題はなさそうだ。一頭の首筋を撫でている。撫でられている馬の方も随分と懐いているようだ。

 鞍はないが、乗れるだろう。

 キースに聞くとやった事はないと言う。それもそうか、キースも公爵家の息子。馬は訓練されて、使用人達に世話をされている質の良い馬だろう。鞍も必ずつけて乗馬していただろう。

 私は訓練の一環で、鞍がなくても乗れるようにされたが。しがみつくだけなら、キースでもなんとかなるだろう。あとは私が先頭に立って引っ張ればいい。


「キース一人で背中に乗れる?」


「う……。ちょっと難しいかも……」


「わかった」


 馬の背まで鞍なしで乗るのは難しい。キースは普段から運動していなさそうだから尚更だ。

 キースのところまで行くと、手を組んで衝撃に耐えるような姿勢をとる。

 私の動きをただ不思議そうに見ているだけで、動こうとしない。


「キース、早く乗って」


「え?」


「私の手に足を乗せて馬の背中に登って」


 そう言うと、キースは驚いて目を見開く。


「ええ!? 女の子を踏み台なんかにできないよ!」


「でも、一人で乗れないんでしょう?」


 慌てるキースにそう返すと、う、と詰まる。


「そう、だけど……。でも……」


「わかった。じゃあ、戻れたらお詫びに画材を頂戴。それでこの事は手打ちにするから」


 交換条件を示すと、躊躇いながらもキースが納得してくれた。

 組んだ手を差し出すと、キースが恐る恐る片足をのせる。


「ごめんっ!」


 一言そう言うとキースの体重が手にかかった。すごく重いと言うほどではない。先程の司書さんの比べると軽いほどに感じる。

 キースが伸び上がると合わせる様に足を持ち上げる。フワリとキースの体が持ち上がり馬を跨ぐ。

 乗った衝撃に馬がバランスを取る様に何度か足踏みをする。


「乗れたっ」


 キースは自分が馬の上にいる事に驚いているのか目を丸くしている。

 私は手綱の結びを解くために木の後ろに回り込む。固く結ばれたそれを解こうと、力を入れて解いたところにキースの悲鳴が聞こえた。


「レイラッ!! 洞窟から司書さんが!!」

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