第31話
まぁ、確かに。一人の男性を前に羞恥を見せないというのも、女らしくない。だけど、今は本当にそんな事を一々気にしている暇はない。というよりも、キースもどうせ同じことになる。
「服は泳ぐ時に邪魔になるだけだから。邪魔というより、重くなって溺死するよ?」
「そうかもしれないけどさー……」
「キースもどうせ脱ぐことになるから、気にしたら負けだよ」
は!? ……あ、そっか、という声を後に壁まで泳いでいく。大した距離ではなかった。精々、二十五マルトル※2といったところだろう。泳ぎが得意な者であれば一瞬で壁まで着いてしまう。
下を見ると、透き通る水の底と穴の入り口が見えた。光が上と下からきているためなのか、自分の影が無いように見える。
何度か深呼吸を繰り返すと、浅く息を吸い水の中へと潜った。
水の中はとても美しかった。
水のせいでぼやける視界の中、乱反射した月光が目を突き刺し幾重にも広がる。水上よりも光が眩しく、色が多彩に見えた。まるで光の精霊が水の精霊と絡み合いながらも駆け回っているようだ。
本当になぜ今、こんな美しいものを見つけるのか。もっと時間があって危険がない時にしてもらいたい。そしてもっと言えば、キャンバスかスケッチブックを持っている時にしてもらいたい。
悔しさに歯噛みしながらも、穴に向かって泳いで行く。穴にたどり着くと、目を薄めながら向こうを見通す。
やはり、考えた通り穴はきちんと向こう側へとつながっている。距離も長くはなく、すぐに水面に出ることができそうだ。
キースに知らせるために水を掻き、また湖の岸へと戻った。水面に頭を出すと、心配そうにこちらを見つめるキースと目があった。
いつの間にか、私が脱ぎ捨てていた服をまとめてくれていたらしい。靴まできちんと揃えられている。
「どう? 行けそうだった?」
水の所為で顔に被さる髪の毛を手で掻き上げながら口を開く。
「うん、全然大丈夫そう。息さえ持てば、外へ簡単に出れるよ」
「本当!? 良かった……」
「じゃあ、早く脱いで」
ホッと息を吐くキースに、時間があまりないと急かすように言う。サッサッとしてもらわなければ、あの男たちにいつ見つかるか分からない。できるだけ早くこの洞窟から出なければ。そうすれば、あの男たちはきっと私たちがまだ中にいると勘違いして探し続けるだろう。その間にアスウェントたちに知らせて、捕まえてもらわなければ……。ここから出た後に、すぐに人里か休憩所など人がいる所に出ることができればなんとかなる。山の中にある人が通る道を見つけて、それに沿って夜の間中歩けば必ず下山すればそこへ出るはず。
頭の中でこの後のことを考えていると、キースの声が耳に届いた。
「レ、レイラ……。あのさ、やらないといけないのは分かってるんだけど……。ちょっと向こう向いててもらっていい?」
流石にこうも見られていると……、とキースが言うので仕方なしにキースに背中を見せた。
すぐに躊躇いながらも、ゴソゴソと服を脱ぐ音が聞こえてザブンとキースが水に入る音が続いた。
「うわっ!? ちょっと冷たい……」
後ろを振り向くと、私と同じように下着だけになったキースが腕をさすっている。先程の私と同じように鳥肌が立ったのだろう。
よし、とりあえずキースが来た。あとは穴に向かって泳いでいくだけ。でも、その前に服を持っていかないと……。
「キース、服と靴取ってくれる?」
「あ、そうだね。忘れるところだった……」
キースが自分の分を抱え込み、私の分を渡してくれる。そのまま自分の分を受け取る。
服は泳いだら濡れてしまうが、水から出た後になんとか乾かすことができるだろう。山の中には水分を吸い取る葉がある。それを見つければ、乾かせる。できなくても、歩いて行くうちに乾いていくはずだ。
そのことを、首をひねっているキースに伝えると驚いたように目を見張った。
「へぇー、そんな葉があるんだね……。初めて知ったよ。僕山の事とか今まであんまり興味がなかったから、よく知らないんだー」
帰ったら色々調べてみるよ、と言うキースに私は頷き返す。先の事が考えられるようになっている。いい事だ。
表情はまだ固いままだが、具体的な出口が見つかった事で安堵しているのだろう。心に余裕ができたようだ。
キースと共に、壁まで泳ぐと向かい合わせになる。
「キース、いい? あまり深く息を吸い込んじゃダメだよ。胸いっぱいじゃなくて、少し浅めに吸ってね。それと水中で息が苦しくなったら、息を少しずつ吐く事。一気に全部出しちゃったらすぐに溺死しちゃうから」
胸いっぱいに吸い込んでしまうと、すぐに息を吐きたくなって酸素が失われてしまう。そうしないように、キースに注意を促す。少し大げさだったが、真面目な顔でキースが頷く。
行くよー、と声をかけると頷いたキースと共に浅く息を吸うと湖の中へ潜っていった。
湖の中は先ほどと同じく、美しいままだった。しかし、いまはそれに気を取られている余裕はなくとにかく穴へと片手を伸ばし水を掻いて行く。キースも同じくそう思っているのか、それとも気付いていないのか必死に穴へと向かっている。
穴の中に入ると、所々水以外が光を反射しているのが見えた。目を凝らすと、水晶のようなものが飛び出ているのが見える。とても美しい。
息がもう続かなくなり、少しづつ泡をこぼし始めると急に視界が広くなった。どうやら穴から出られたようだ。やっと、洞窟からも出る事ができた、と達成感と安堵感が体を走る。
隣に来たキースはそんなことを感じる余裕がないのか、とにかく上へと片手で掻いて足をばたつかせている。
私もその後に続いた。
水面に顔を出すと、肺に残った空気を吐き出してから息を大きく吸った。先に水面に出ていたキースが隣で咳き込んでいる。
「大丈夫?」
キースの顔を覗き込む。
「うん、大丈夫。ちょっと水を飲み込みそうになっちゃって……」
もう一度けほっと咳き込みつつ、キースが答えた。そっか、と返す。
周りの景色を見渡すと、そこは森の中だった。当たり前といえば当たり前だ。なにせここは、司書さんの言う事が正しければ背骨(ヴヴナ)の山中のはず。そう考えれば、周りの景色にも驚くことは無い。
私たちの正面には森の入り口。
湖のほとりと森には少しの間が空いている。そこには地面に咲く夏の赤い花が、月光に照らされながら色鮮やかに咲き誇っていた。特別な花では無い、ただの雑草だが夏の地面によく見かける。それが数多く、大きく花弁を広げている。
まるで絨毯のようだと、感嘆してしまう。
後ろを振り向くとそこには壁。土と岩が幾重もの木の根に支えられていて、崖のようになっている。その中にあの洞窟があると思うとなんだか不思議な心地がした。
とにかく、水から上がろう。
※2 1マルトル=1メートル
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