第30話

 ∇∇∇


 まだあの不気味な声の余韻が反響する中、私とキースはしばらく座り込んでいた。息はすでに弾む事はなく、静かに肺を行き来するだけになった。

 キースのも同じようになったのを見計らって、立ち上がった。先ほどから繋いでいる手も一緒に持ち上がる。それに釣られるようにキースの視線が上がる。

 問いかけるような黄に、軽く手を引っ張りながら声を抑えつつ答えた。


「行こう、キース。外に出れる道は必ずあるよ」


「でも、さっきの人がもう出口はないって……」


 瞳を揺らすキースに、わざと笑みを零す。不安に陥らないように、自信があるように大きく。


「あれは嘘だよ。私たちを動揺させようとしてるだけ。絶対に出口はあるよ」


 ……多分、と心の中だけで呟く。空気の通り道というのは必ずしも人間が通れる大きさとは限らない。しかしその考えは胸の中だけに止めておこう。

 これ以上キースを追い込んだらどうなるかわかったもんじゃない。それに時間を稼げば、探してくれているはずのアスウェント家やフィラローガ家に見つけてもらえるかもしれない。

 とにかく行こうとキースの手を引っ張ると、キースは大人しく立ち上がり私の後についてきてくれた。

 背中からは、あの不気味な声が追いかけて来る。


「ルフォス様? ウェストル様? お返事がないということは、痛い方をご所望ということですね? 分かりました。では、こちらも遠慮なく行きます。見つかった際には覚悟を決めておいてくださいね?」


 キースが足を止めそうになるのをとにかく引っ張る。今足を止めてしまったら、もう動けなくなるだろう。

 キースの手を力強く握る。キースの体温は相変わらず私と同じだった。……それはキースの体温が上がったのか、それとも逆の意味なのか、今では全く分からなかった。

 キースもまた私の体温を探るように握り返す。お互いの存在を確認し合いながらも、先に進む。後ろからは相変わらず、声が聞こえて来るがそれはあの穏やかな声の人ではない。


「お前らの足捻り潰してやる! クソガキどもおおお!」


 とにかく前へ、空気が導くままに進むとまた二股の道に出る。地面を見渡すと、幾分か湿っているかのように見えた。周りを見渡すと、いくつかの鍾乳石しょうにゅうせきが天井からぶら下がっていた。先ほどまでは無かったものの出現に目を見張りつつ嫌な予感が胸をよぎった。まだ若いもののようで、短い。もっと足を進めると、道も鍾乳石の大きさもどんどん大きくなって行く。それに、温度も下がったような……嫌な予感がどんどん大きくなっていく。

 道の脇の方には、地面から生えているようにも見える鍾乳石も見え始めた。鍾乳石は濡れていて光っている。キースも周りを見渡してやっと気がついたのか、息を飲む。


「この鍾乳石と湿り気……」


 その予感は的中している。というか、私もそう思っていたところだった。

 薄々予感が的中しているのを知りながらも奥へと進むと、微かな水音に気がつく。

 キースは私の手を離すと、先へと駆けるように進む。そして、大きくひらけた場所に出ると足を止めた。

 私も横へと並ぶ。


「そんな……」


「……」


 小さな声で呟いたキースに何も返さずに黙る。周りを見渡した。

 私たちの目の前にあるのは、大きな地底湖だった。

 周りの空間は丸く開けており、地底湖の端の方に行くにつれ天井は低く下がっていた。最後には湖の水と接触している。壁は水面下に続いているようだった。

 視線を上に向けると無数の鍾乳石がぶら下がり、濡れて光っている。随分と高い位置には小さな穴がポツリと空いていて、大きな満月がそこから丁度見えた。空気の出入りする音がそこから聞こえる。壁は登れそうにない。

 天井から差し込む満月の光が地底湖の湖面に射し込んでいて、神秘的な雰囲気を醸し出している。水の中で反射しているのか湖自身が発光しているようにも見えた。……勘違いじゃなければ……反射しているだけにしては、随分明るいようにも見える。

 透き通る水の底は位置の関係でよくは見えないが、奥へと続いているようだ。

 湖の中は緑ともあおともつかぬ美しい色合い。今でなければ、存分に景色を楽しみ是非とも絵に残したいところだ。


「レイラ……」


 視線を前に向けたまま、キースが震える声で私を呼んだ。


「うん」


「出口が、見えない……よ」


「そうだね」


 とりあえず答える。

 キースはパニックになりかけているようだ。パニックは伝染するものだ。できれば、落ち着いてほしい。


「そうだね……って。な、なんで、落ち着いていられるの……? 上には確かに外に通じてそうな穴があるけど、壁は登れそうにないし……。もう、い、行き止まりだよ……?」


 それに私は答えることもなく湖に近づいていった。そして湖の縁で足を止める。じっくりと湖を観察する。

 今日は晴天という事もあり、満月の光がより輝いている。透明な水の中がよく見えた。

 私の隣にキースが来た。


「レイラ?」


 疑問符を浮かべるキースに、私は湖を指差した。

 キースが湖に視線を向けると、驚いたように目を見開いた。そしてそれを指差す私にも同じような視線を向ける。


「レイラ……まさか、とは思うけど」


「そのまさか、だよ」


「はぁ!?」


 キースが驚くのも無理ない。

 私が指をさした先は、湖の中。水の透明度が高いせいで、ちゃんとした距離感は分からないが湖の中には穴があった。

 人が通るには十二分の大きな穴。十人ぐらい大人がまとめて入っても、埋まりそうにない穴だ。

 湖が発光しているように見えたのは、上から降り注ぐ満月の光のためだけじゃなかった。その穴の向こうからも光が反射しているからだった。

 ……よかった。勘違いじゃなくて。


「穴の向こうからも光が反射してる。絶対、外に繋がってるよ」


「いや……、そうかもしれないけど。どれくらいの長さか、わかんないんだよ? 息が持たなくて、溺れちゃったら……」


 顔を青ざめさせるキース。頭の中では嫌な想像が巡っているのだろう。

 穴をハッキリ見ようと、そのまま私はその場にしゃがみ込んだ。少しだけ波立つ水底の奥に目をこらすと、ほんの少しだけ『向こう側』が見えた。

 どうやらこの穴は長く続いているわけでもなく、曲がりくねっているわけでもないらしい。

 しかし、キースに安心感を与えるためにも一回潜って見るべきか……。

 おもむろに立ち上がると、自分の服に手をかけた。


「ちょ、レイラ!? なにしてるの!?」


 え、なにって。


「服を脱いでるんだよ。見てわかるでしょう?」


 驚愕したように、目をそらすキースを無視して服を脱ぎ捨てると靴も靴下も脱ぐ。下着だけになった。

 そのまま地を蹴ると、湖に飛び込んだ。大きな水音が辺りに反響する。水温は少し冷たい。体との温度差で鳥肌が立った。

 夏だから涼しく感じるが、真冬だったら凍死を覚悟するしかない水温だ。

 水面に浮かぶと、キースと目を合わせた。丸く見開いた目と、口が私を凝視していた。


「ちょっと穴を覗いてくる」


 そう言って壁の方に泳いで行こうとすると、ちょっと待って! と止められた。それに動きを止めて、またキースを見る。

 ジッと見ると、たじろいだ様に目線をウロウロさせた。顔に赤みも差している。……パニックはどこかへ消え去った様だ。落ち着いたとは違う様だが、よかった。


「なに?」


「え、いや、そう! なんで全部脱ぐの!? 僕も一応男なんだから、少しぐらい羞恥心を覚えてよ……」


 両手で急いで顔を覆ったキースが篭った声で溜息をついた。


「いや、全部じゃないじゃん。下着はつけてるよ」


「いや、それ……殆ど全裸と一緒だって……」


 もう一度キースは重い溜息をついた。

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