第29話

 ∇∇∇


 時はまだレイラ達が眠りから目を覚ましていない頃まで遡る。

 ヒューバレルがレイラ達がいなくなった知らせを受けて、すでに二時間ほどが経っていた。


「ヒューバレル様。一緒に消えたと思われる司書の足取りが取れました」


 ヒューバレルはいつでも動けるように動きやすい服を着て、自分の執務室にある一人掛けのソファーに座り、目の前に跪いて報告する部下を見ていた。組んだ手はイラついたようにうごめいている。

 しかしそれでもなんとか冷静でいようと、報告に耳を傾けていた。

 動揺するのも分かるというもの。何せ自分の友人と学友が攫われているのだから、焦りもする。

 ヒューバレルは今までは『他人ひと』の家族や友人が攫われたのを知って、同情をしつつも正義感や目的を果たすためにやり遂げなければ、と思っていただけだった。

 もちろんヒューバレルは情のない男ではない。だが、どうしてもその被害者の家族や友人の気持ちを『想像』することしかできなかった。しかし家族や友人があの表情の中にどんなに焦りと、焦燥と、犯人への憎しみと、その他の激情がない交ぜになったものを隠していたのか、今だからこそヒューバレルは『実感』していた。


「どうだったんだ?」


 冷静に冷静に、と感情を押し込めた声でヒューバレルは部下に問うた。


「図書館を出たのが三時過ぎ。それは帰宅のためではなく廃棄図書を運ぶためのもので、ちゅうくらいの木箱を二つワゴンで運んだまま失踪。その姿が王都で見られたのは、荷馬車でどこかへ向かう姿が最後。馬車の御者と司書は知り合いのようで、何日か前に話し込んでいる姿を見たという人が何人かいました」


「それで終わりじゃないだろ? 話せ」


 先に先にと話をヒューバレルが進めようとする。それに深く動揺することなく部下が口を開いた。


「はい。スルヘイユの背骨ヴヴナに行く道の途中にある休憩場に一度止まって、休憩を挟んだようです。休憩場の人間が見たとの情報がありました」


 それを聞いた途端、ヒューバレルはすぐに椅子から腰を浮かす。


「そうか! じゃあ、今すぐ動くぞ!」


「お待ちください、ヒューバレル様! フィラローガ家と騎士団の協力を仰がなくては!」


 すでに扉に向かい足を進めるヒューバレルに部下が慌てたように声をかける。それにヒューバレルは一瞬足を止めるがすぐに動き出した。扉を開けて外へと出る。


「兄貴達と騎士団には後から追わせろ。俺たちは先に行く。山には車輪の後が必ずまだ残っているはずだ。それを見つけて追う。それに、一般市民より足取りが追いやすいキース達を攫うのは最後のはずだ。もうすでにどこかへと姿を消しているかもしれない。急いで見つけないと、手遅れになる。……それにキースがこんなに時間も立っているのに、自力で抜け出せないってことは気絶させられているか、何か他の手段で魔力が使えない状態になっているはずだ」


 ここから山までどんなに急いでも三時間半はかかるからな、とヒューバレルは部下に言いながら足早に屋敷の外へ出ると馬小屋へと駆けた。


「隊のやつらは俺に付いてこい」


 そうヒューバレルが言うと、どこからともなく馬に乗った十人ほどの集団が駆け寄る。その人達は布で顔を隠していたり、髪で隠していたりして顔がよく見えない。一人先頭にいる人は、もう一頭青毛の馬を引き連れていた。その一頭はヒューバレルの愛馬だ。それを予想していたかのようにヒューバレルは乗馬のための黒い革手袋をつけると、自分の愛馬に飛び乗った。

 それを見上げる報告をしていた部下にヒューバレルが目を合わせた。


「お前は残って、兄貴達の先導を頼む。できるだけ早くこい」


「はっ。かしこまりました」


 部下からの了承の言葉が耳に届くのを待つまでもなく、ヒューバレルはすぐに馬を走らせた。

 その横と後ろには慣れ親しんだ部下が並ぶ。その中でもおしゃべり好きな男がヒューバレルに声をかける。


「坊ちゃん、キース様とレイラ様大丈夫ですかね?」


「……分かんねぇ。命だけは無事だと思う……」


 自信なさげにヒューバレルが言うと、部下がからかい半分に口を笑みの形にする。


「命、ねぇ? 坊ちゃん、その他はどうなってるか分かんねぇってことですね? さて、キース様方が戻られるときに五体満足かどうか楽しみですねー」


「……」


 ヒューバレルもそれは危惧していたことだった。

 なにせ、犯人の全体像が全く見えない。何人かの人を無作為に攫い、何の要求もない。

 だからその人自身が目的なのは分かる。しかし、報復や何かの怨恨などで攫うならば、攫われた人たちに共通点は必ず何かあったはずだ。なのに何も出ない。

 それにレイラとキースも加わったのだ。ますます目的がわからなくなる。

 しかし、ヒューバレルには一つだけ可能性がある仮説があった。それは人を攫ってをさせる、またはするのが目的だということ。

 最善の仮説は、人身売買。これならば、商売道具であるキース達は無事であることは確かだった。

 最悪なのが、人を切り刻むのが目的の誘拐だということ。今の所、死体が発見されたわけではない。だが、もしそういう目的の誘拐だとして攫った奴らは狂人の類。命は保証できない。

 でもそうすると、なぜわざわざ足取りの辿りやすいキース達を攫ったのかさっぱりわからなくなる。

 顔を暗くするヒューバレルに気がついた隊の一人が、おしゃべり好きな男の頭をひっぱたく。


「何してんのよ、あんたは! 坊ちゃんを不安にさせないの!」


「いってぇな! 何すんだよ!」


 男の頭を叩いたのは若い女の声だ。叩かれた方は頭を抑えながら文句を言った。

 横でわぁわぁと騒ぐ二人を意識の隅の追いやりながら、ヒューバレルはキース達の無事を祈ってとにかく馬を走らせた。

 行く道を照らすのはいつもより明るい満月の光だった。

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