第23話

 ∇∇∇


 少し時間が経った。

 時計が無いので、正確なものはわからないが体感時間で三十分ほど。室内の蝋燭も先ほど見た時より随分短くなっているように見える。

 先程からキースは黙って俯いたままだ。……深い息が聞こえる気がする。……まさかとは思うが……寝ているわけでは無い、と思う。……思いたい。……心配になってきた……。


「……キース?」


「……」


 返事がない……。これは……まさか……。

 ロープを持っている左手で軽くキースの肩を突く。

 キースの肩に触れた途端にキースの体がビクリと反応した。


「んっ!? 来た!?」


 ハッと顔を上げたキース。緊張感がその体に漲るが、私はその様子に思わず呆気にとられた。

 そして、そのまま笑いが込み上げてくる。ふふ、と息を漏らす。おかげで先程から意外と緊張していた体の力が適度に抜けた。


「なんだー、まだ来てないじゃん。……レイラ? どうしたの?」


 司書さんがまだ来ていない事にキースがホッと息をつくと、笑っている私をキョトンとした目で見る。

 それにまた笑いが込み上げて、クスリと口から漏れてしまった。


「いやー、なんかキースのおかげで余計な力が取れた気がするよ。キースって見かけによらず精神が図太いね」


「んー? なにそれ? 僕、褒められてるの? これ」


 褒め言葉に聞こえない事を言う私に、キースも笑みを微かに浮かべる。


「なんか、ずっと緊張してたら眠くなってきて……」


 まぁ、ずっと緊張しているのは疲れるから気持ちは分かるが……


「この状況で寝れる人はなかなかいないと思うよ……」


 理由を口にするキースに、笑いながらも呆れと感心を混ぜた視線を向けておいた。


 コツリ。

 唐突に扉の向こうから、微かな足音が耳についた。まだ遠い。

 ハッとして、扉に視線を向ける。


「キースッ」


 小声で、キースに注意を促す。

 キースも気づいていたようだった。厳しい視線を扉に向けていた。


「キース、司書さんにあまり話しかけないようにね。怪しまれちゃうから」


「わかった」


 二人して口を閉じ、手を後ろに回して縛られたフリをする。

 ふぅーと意識して息を吐いた。そして静かに息を落とす。

 徐々に足音が大きくなり、近づいているのが分かる。そして、その足音が私たちの扉の前で止まった。

 そのまま、扉が叩かれる音が部屋に響く。返事なんてしないが、思わず首をひねる。

 わざと礼儀正しくして、皮肉のつもりだろうか?

 返事がないのは予想の範囲内だったのだろう、返事を待たずに扉が開いた。


「失礼しますね、レイラさん、ルフォス様」


 司書さんが姿を現す。

 予想通り、片手で盆を持って入ってくる。その上にはパンが二つと木のコップと水差しがある。大した重さではないようで、司書さんはもう片手は添えるだけに留めている。

 徐々に近づいてくる司書さんを、私は先ほどと同じ様に真っ直ぐ見据えた。キースは俯いて自分の膝を見つめている。

 司書さんは私たちの目の前に静かに来ると、その場に膝をつく。


「すみませんね、ここにテーブルなんてないものですから床に置きますね」


 そして、立ち上がろうとして司書さんが動きを止める。 突然動きを止めた司書さんに冷や汗が背を流れる。

 ……気づかれたか……?

 動揺を顔には出さないように感情を押し込める。キースも今動くかを迷っているようだが動かない。

 いつでも動けるように、縄を握る手に力を込める。

 徐に司書さんが顔を上げる。その顔には、自身に宛てたかのような苦笑いが浮かんでいた。


「そういえば、両手を使えないんでしたよね。私ってば、すっかり忘れてて……。縄を外すわけにはいきませんから、私がパンを千切って食べさせますね?」


 そう言った司書さんに心の中で安堵の息をついた。

 司書さんはパンを一つ手に取るとキースに差し出した。


「ルフォス様、噛まないでくださいね? はい、口を開けてください」


 キースが顔を上げる。

 キースの後ろ手がピクリと動くのが目の端に見えた。私は足の縄を、膝を支点に左右に開いて縄から足を抜く。後ろの縄を輪にした部分だけを持ち、あとは流した。体を微かに低くして、臨戦体勢になる。

 司書さんは口を開かないキースに焦れたのか、自身の手と顔をキースの口元に近づける。


「ほら、ルフォス様。頑なになるのはいいですが、食べなければ体調を崩しますよ? こちらとしても、それは困るのです。ほら、あー……ウグッ!?」


 話している途中の司書さんの開いた口に入り込んだのは、キースの首に掛かっていた猿轡の布。すぐに司書さんは避けようと後ろに身を引くがキースがそれを追いかけるように体を浮かせた。

 キースは拳ごと猿轡を司書さんの口に突っ込むとすぐに猿轡を残し手を引いた。

 キースが動くのと同時に私も腰を浮かせていた。

 キースが手を引いたのを目の端で確認し、司書さんの顎に一発手のひらを叩き込む。


「ウグムッ!?」


 猿轡を吐き出そうとしていた司書さんの顎が一直線に上を向く。舌を歯の間に挟んでいたら確実に切れていただろうな、なんて考えが頭の隅に浮かぶ。

 ちゅうを彷徨っている司書さんの左手を右手で引き寄せ、スルリと左手で持っていた縄の輪に通す。左手を滑らせるように下に移動させて輪から伸びている縄の部分を引っ張る。すぐに輪が閉まり、司書さんの左手が拘束される。

 それに気づいた司書さんが、咄嗟に体を離そうとするがもう遅い。すでに私は司書さんの背後にいる。

 足を払い体勢を崩させ、床にうつ伏せて倒れこませる。司書さんの左手は捻って背後に回し、左肩を私の手で抑え込む。


「フグッ」


 苦しげな声が下から聞こえた。

 右手を動かそうとする司書さんの手をすぐに捕らえ、左手と同じように背後に捻る。

 左手を動かされないように、私は自分の膝を司書さんの左手に乗せる。これで簡単には動けない。司書さんの右手は、縄の長い部分で左手の手の甲同士がくっつくように縛り付けた。そのまま私は司書さんの背中に片膝を乗せ、動かないようにする。

 司書さんはまだ猿轡を外そうとしているのか、口をモゴモゴさせている。すぐに私は自分の猿轡を外す。そしてキースの猿轡を抑えるように猿轡を回すと司書さんの頭の後ろに縛った。


「フグゥッ」


 息がしづらいのだろう、正に唸り声が司書さんの喉から絞り出される。

 私は緊張に詰めていた息を、外へと逃した。これで一応は大丈夫なはずだ。

 キースに目を向けると、邪魔になると思っていたのかナイフを構えながらも脇に避けていた。私が危なくなったら、助太刀に入るつもりだったのだろう。


「終わったよ、キース」


 そう声をかけると、キースが恐る恐るナイフを下に向けた。

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