第18話

 ∇∇∇


 時は二時間ほど前に戻る。

 ヒューバレルはレイラ達と別れ、馬車で帰途についていた。


「最近、多発している王都の誘拐事件……犯人の尻尾が掴めそうなのになぁ……」


 くそっ、と焦りをにじませた口調でヒューバレルは掻き揚げた自分の髪を握り潰した。よくよく見るとその目元にはクマが出来ている。ヒューバレルは、誘拐された人たちの家族や友人が今どんなに心を削られているかを調査の過程で見て知っていた。それが焦りに拍車をかける。

 今、王都では連続誘拐事件が起こっていた。警備の目を掻い潜り、攫われる人達。最初は別々の事件かと思っていたが、どうやらそうではないらしいことは随分と前に分かったことだった。その解決のためにアスウェント家も全力で情報を探っている。

 誘拐事件が始まってから一ヶ月半、攫われた人は今の所三人。年齢、性別はバラバラ。共通点はこの国の国民で王都に住んでいる事、ただそれだけだ。攫われた場所もランダムで特に手掛かりはなかった。ある日突然、蒸発した様に姿が見えなくなったらしい。

 犯人からの要求も何もなく、狙いはさらわれた本人である事は分かっている。しかし、どうしても尻尾が掴めない。

 はぁっ、とヒューバレルがため息を付くと馬車がガタリと止まった。


「坊ちゃん、着きましたよ」


「はいはい」


 適当に返事をして、ヒューバレルは馬車を降りた。目の間に広がるのは人通りの多い大通り。様々な店や商会が立つその並びに埋もれない大きな商会が建っている。そこがヒューバレルの家が経営する商会だ。

 ちゃんとした家は他にあるが、仕事が忙しくなると商会の方に泊り込むことが多い。

 ヒューバレルは正面の玄関から中へ入ると、客でも店員でも気が付いた人たちが気安く彼に声をかけていく。


「おかえりー、ヒュー坊ちゃん!」


「おけーりー、ヒューバレル」


「坊ちゃん、お帰りなさい」


 その様子に、初めて来る人は訝しげな目を向けるが特に気にした様子は無い。ヒューバレルも、笑顔を浮かべながら軽く挨拶を返していく。


「ただいまー」


 ヒューバレルはそのまま奥へ奥へと進んでいく。販売スペースを抜け、店員しか入れない所も通り過ぎる。そのまま、大きな壁がある場所に出た。

 その壁には壁紙など無く、立体的な彫刻が施してあるだけだ。植物や人、そして精霊。その女王だと思われる女性の彫刻も施してあった。

 ヒューバレルはその壁の前に立つと、男にしては長め髪の右側だけを掻き揚げ耳にかけた。その右耳に見えるのは、銀色に光るイヤーカフ。耳に取り付ける部分と、下の方にぶら下がっている小さな銀板三つには精霊の文字が刻まれている。

 ヒューバレルはその一つに自身の魔力の息吹を吹き込んだ。すると銀板の一つが光を放つ。


「おう! ヒュー、呼んだか!」

 

 飛び出した光が元気よくヒューバレルに声をかける。

 小さな黄緑の光を放つそれは、ヒューバレルの契約精霊の一人、ルートル。性別は一応、女である。

 ルートルはベリーショートの自分の髪を、通り過ぎる風に無造作に遊ばせる。顔は満面の笑顔だ。


「ん、来てくれてありがとう。扉開けるの手伝ってくれる?」


 ヒューバレルも柔らかく笑みを浮かべると、ルートルは任せろ! と言って腕を捲るそぶりをした。


「よーし、それじゃあいくよー」


 適当そうに掛け声をあげると、ヒューバレルの周りに風が巻き起こった。ふわりとヒューバレルの髪が舞う。

 ルートルの方からも風が起こる。二つの風が徐々に混じり合い、一つのものになるとヒューバレルが壁に手をついた。ついた手を中心に壁に光の筋が広がる。それは一瞬で、すぐに光は消える。そして壁の中心にまっすぐ亀裂が入ると内側に開いていった。


「お、開いた開いた。ありがとう、ルートル」


 ヒューバレルが礼を言うと、ますますルートルの笑顔が深まる。


「全然、いいよ! 気にすんな! じゃ、私は行くよ!」


「ん、じゃあねー」


 ルートルは手を振ると、また銀板に吸い込まれる様に消えていった。

 ヒューバレルはそのまま扉の内側へと歩を進める。


「お帰りなさいませ、ヒューバレル様」


 壁の内側には、身綺麗な初老の執事が立っておりヒューバレルを出迎えた。ただいまとヒューバレルが言葉を返すと、執事が頭を下げた。


「本日は、旦那様からお話があると」


「そっか、分かった。今から行けばいい?」


「いえ、来られる前にこちらの資料をお読みになる様にとの仰せです」


 そう言う執事が差し出すのは、厚めの報告書。しかしそこには何も書かれていない様に見える。真っ白な紙だ。

 それはアスウェント家特有の情報を隠す方法だ。精霊との混じりのある魔力ではなく、自身の純粋な魔力だけを流すと文字が浮き出る様になっている。もちろん、魔力はアスウェント家だけのものでなければならないし、流し方を間違えれば直ぐに紙が燃え尽きる仕組みになっている。


「分かったー。歩きながら読むよ。直ぐに読み終わるから、このまま親父のところに行く」


「そうでございましたね。ヒューバレル様は速読が得意でした。私としたことが、耄碌もうろくしてしまいましたね」


 ほほほと笑う執事にヒューバレルは胡乱げな目を向ける。


「爺さん、最近書類が溜まってるからって嫌味言うなよ……。分かったって、ちゃんと仕事するよ」


「嫌味など……、ほほほ」


 のほほんと返す執事に苦笑いをしつつも、ヒューバレルと執事は当主ジェームズ・R・アスウェントの執務室へと歩を進める。

 ヒューバレルは手元の報告書に自分の魔力をある一定のリズムで吹き込む。すると、文字が浮かんで来た。

 それを物凄い速さでヒューバレルは読んで行く。一分もしないうちに報告書を読み終えると、重いため息をひとつ、ヒューバレルは付いた。


「犯人の疑いがある奴の足取りを追えど、証拠は見つからず……かー。結局今回のも犯人じゃなさそうだ」


「左様でしたか……」


 二人が足を止める。その前には扉がひとつ。

 執事がヒューバレルの前に立って扉を開けてくれた。ヒューバレルが入ると執事は入らずそのまま扉を閉めた。

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