第19話

「お、来たか。早くそこ座れ」


 窓辺の席に座り、外を見ていたふくよかな体格の男が顔をヒューバレルに向け、にこやかに向かいの席を進める。

 柔らかい雰囲気に思わず騙されそうになるが、この男が国の秘密情報機関の長であり国一の商会の長でもある男だ。柔らかなシルエットと雰囲気だが、油断ならない、油断してはいけない男である。

 ヒューバレルも父親としてでは無い、アスウェント家の当主としてのジェームズに少しだけ身を固くする。場に緊張が走った。


「はい、失礼します」


 一言言うと向かいにあるソファーにヒューバレルは身を置いた。ギシリと革張りのソファーが鳴る。ヒューバレルのいつもの飄々さは、当主のジェームズを前にどこかへと吹き飛んでいる。


「まだ見つからないみたいだな、ヒューバレル」


 単刀直入に本題に入るジェームズ。ヒューバレルは喉を鳴らすと、口を開いた。


「ええ、まだ見つかっておりません。どんなに探し回っても尻尾も見つからない。愉快犯なのか知りませんが、足跡を消すのがとてつもなく上手です」


 ヒューバレルは頭に右手を当てると、顔を少しだけうつむかせた。


「ヒューバレル。お前にこの件を任せると言ったのは、いつまでだ?」


 ジェームズの表情は穏やかなものだが、声音には威圧が含まれている。


「一週間後まで、です」


 顔を歪ませたヒューバレルが、額に当てた右手を滑らせ髪に潜り込ませる。そのまま薄茶色の髪を握り潰した。


「ふむ、条件は?」


「犯人の特定と被害者の安全確保」


「その後は?」


「フィラローガ家への引き渡し」


「うん、よく覚えてるじゃ無いか」


 柔らかくそう言うと、ジェームズは一瞬にして表情を消した。冷たい風が窓も開いていないのに吹いた気がした。


「それを、忘れるなよ」


 低い声にヒューバレルの背に冷たい何かが走った。ヒューバレルの息が詰まる。

 しかし、ヒューバレルにも譲れない一線がある。

 ヒューバレルは髪に潜り込めせていた手を下ろし、ジェームズの感情のこもっていない深緑の瞳を見返した。乾いた下唇を湿った舌で舐める。


「親父も、俺の言ったこと忘れるなよ」


 ヒューバレルは今まで改まっていた口調を、強気に変える。思いの外低い声がヒューバレルからこぼれ落ちる。

 ジェームズはそんなヒューバレルを見て、また穏やかな表情を浮かべた。


「ああ、分かっているよ。情報の一段階、上の解除だろう? 最後の段階だね。ちゃんと覚えているさ」


 ニコニコと笑うジェームズの目は笑っているようで笑っていない。

 緊張感が場を満たし、微かな音さえも響きそうな空間。それに終止符を打ったのは他でもない、緊張感を生み出していた張本人のジェームズだ。

 ジェームズが、ふっ、と息を漏らすと今までの威圧と緊張感が跡形もなく消え去った。

 そこに立っているのは、長としてのジェームズ・R・アスウェントではなく、ただのヒューバレル達の父親としてのジェームズだった。

 先ほどの完璧に隙のない穏やかな笑顔ではなく、完全に気の抜けた、困ったような笑顔がその顔には浮かんでいる。


「ヒュー、焦るのはわかるけど最近根を詰めすぎてないかい? クマが出来てるよ」


 ジェームズが自身の目元を軽く叩く。

 ヒューバレルはそんなジェームズを見て、相変わらず場の空気を変えることが得意な人だ、と肩の力を抜いた。ついでのようにため息もつく。ヒューバレルの肺から冷たい空気が吐き出された。


「あぁ、知ってるよ。でも、悠長にしてられないからさー。今誘拐された人がどうなっているのかも分からないし」


「そうだけどね、お前が体調を崩せば隊の指揮は誰が取るんだ?」


 ヒューバレルには自分の指揮下にある、隠密部隊がある。その指揮は全てヒューバレルが行なっていた。

 その事をジェームズは指しているのだろう。

 諭され渋々ながらもヒューバレルが納得する。


「そう、だね。睡眠はきちんと取るようにする」


「うん、それでいい。ところで最近、母さんにはちゃんと会いに行っているかい? 心配をしていたよ」


 それにヒューバレルは、しまった、と顔を歪ませた。最近ヒューバレルは本邸の方では寝泊まりしていないため、母親とは顔を合わせていなかった。

 ヒューバレルの母親は、当主ジェームズの判断でアスウェント家の裏にはほとんど関わらせていないため、何をしているかは知らないだろうが感が鋭いところがある。ヒューバレルが無理をしているのを、嗅ぎつけたのだろう。

 怒ると怖い母親を脳裏に浮かべ、ヒューバレルはジェームズに苦笑いを返した。


∇∇∇


「じゃあ、親父。俺もう行くねー」


 穏やかに近状を話し合い、少しの休息をジェームズから得たヒューバレルは、話がひと段落ついて立ち上がった。

 ジェームズも、ヒューバレルを見送るために席を立つ。扉まで二人で歩いて、ヒューバレルが扉を開けた。一歩外へ出る。

 そのヒューバレルの背中にジェームズが声をかけた。それにヒューバレルが体を振り向かせる。


「ヒュー。父さんからお前に、ちょっとしたアドバイスだ」


「ん? なに?」


「物事を考えるときには、思考を一つに固めちゃダメだよ」


 分かるね? と言うジェームズの目には当主としての影がちらついていた。それを目にしたヒューバレルは真面目に言葉を受け止め、コクリと頷いた。



 その一時間ほど後に、ウェストル家とルフォス家の早馬がアスウェント家に駆け込み、レイラとキースが行方不明だと言う事がヒューバレルとジェームズに知れた。余計な混乱を招かないためにも情報はすぐに統制され、公爵家の二人が攫われたということは隠された。

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