第12話

∇∇∇


 いつの間にか小さな精霊たちは、何処かへ行き。四人の騒がしくも楽しい自分の精霊と共に獣道を進んでいく。どんどん険しくなっていく道に思わず息が上がる。

 だが、もう少し……。この道を進んで、そこの茂みを超えればっ!

 気力でバッと茂みをかき分けると、そこには美しく儚げな景色が広がっている。月と星が照らす、透明な鏡の様な湖は神聖な雰囲気を纏っている。その岸辺には白い大理石でできた机と椅子がある。そこを夜の少し冷えた風が通り過ぎる。

 軽く吹き出る汗をカーディガンの袖で拭う。


「女王様ぁ! レイラが来たよぉ!」


 ノーラがくうに声をかけると、不意にズシリと空気が重くなった。ゾワリゾワリと鳥肌がたつ。あの『おヒト』が現れる時はいつもこうだ。

 登るまでの道のりもキツイが、この瞬間が一番キツイ気がする。心臓に倍の負担がかかっているとしか思えない。冷や汗が吹き出す。

 そして、あの『おヒト』がこの地に降り立った。夜空を纏ったかの様なドレスに、新月の時に見る夜空の様な髪と瞳。直視するのが難しいほど美しいかんばせは、見るもの全てに安心感と威圧感を同時に感じさせる美しさを持っていた。


「よく来たな。レイラよ」


 降り立つと同時に、威圧感が消える。いつもそうしてもらっているのだ。

 私はその場に片膝をつくと、頭を深く下げる。


「闇の女王、レーニゲン・ケイクレーテ様。レイラ・ヒューストス・ウェストル、ただいま参りました」


「おぉ、待っておったぞ。早く、お座り」


 女王様自身が大理石の椅子に座ると、私にも席を勧める。勧められるがまま、女王様の向かいの席に座る。ランタンを机の端に置き、机を照らす灯火とする。

 女王様が、ふ、と息を漏らす様に笑った。


「今日も来てくれたか。実に嬉しいぞ、レイラや」


「えぇ、もちろん来ますとも」


 女王様、と呼ぶと彼女は腕を組んで子供の様に頰を膨らませた。組んだ腕の間からは、寄せられた谷間が見えるが色気は一切見当たらない。彼女には胸よりも雰囲気にあてられるから、なんて自分では思っている。お爺様の若い頃はどうだったのだろうか……。


「レイラ、いつも言っておるだろう? レーニゲンと呼べ」


「申し訳ありません……。ですが、これもいつもの通過儀礼の様なものです。お爺様、またはその前の祖父母様たちに顔向けができなくなるので、どうか見逃していただきたく……レーニゲン様」


 名を呼ぶと彼女は美しい顔立ちを緩ませる。


「そうだ、それで良い。なにせウェストル家は此方こなた※3の孫の様なものだ。遠慮をするでない」


 のぉ? レイラよ、と益々目を細める彼女に私も思わず顔を緩ませた。

 闇の精霊たちは、この女王にとって子供だ。精霊たちに何度かレーニゲン樣も諭したらしいがどうしても呼んではくれないらしいので、諦めたとの事。ならばせめてと、その血を受け継ぐウェストル家の者達……すなわち孫に呼んでもらいたいのだろう。


「レイラよ、酒はどうした? はよ、お出し」


 持参した酒を手提げの中から出そうとすると、ふわりとトエイラとクィールが酒を運んでくれる。


「どうぞ、女王様」


「……どうぞ」


 コトリと酒が大理石の机に置かれた。


「おぉ、これよこれよ。礼を言うぞ、トエイラにクィールよ。」


 レーニゲン様はペロリと唇を舐めると、瓶の蓋を外す。花の様な香りがあたりを包む。

 トエイラとクィールは一礼すると、私の後ろへ下がった。


「……この地に私が住み着いたのは、ここの酒が美味いからに他ならないからな。ぬし達ウェストルに、わざわざ王都から遠く離れたこの地まで付いて来させたのも、この地の美しさと酒に惹かれたからだしな」


「知っておりますよ。私達ウェストルもこの地に来ることができて、感謝の念が絶えないくらいですよ。素晴らしい自然に、時間が緩やかに感じるくらいのどかな人々……、それに敬愛するレーニゲン様も共にいるとなれば尚更です。想像でしか言えませんが、先代達もきっとそう思っていたに違いありません」


 私は盃を二つ、持参した桐箱から取り出した。一つは金箔入りの赤い盃、一つは銀箔入りの藍の盃。レーニゲン樣には赤い方を、自分には藍の方を置く。二つの盃が月と星明かりの下で仄かに輝く。


「レーニゲン様、お注ぎいたします」


 私はレーニゲン様から酒を受け取ると、彼女は自身の盃を持ち上げこちらに寄せた。そこに酒が注がれる。光を反射する酒は銀とも金ともつかぬ光を纏い、赤の器へと収まった。ゆらりと水面が揺れた。

 レーニゲン様はその水面を愛しげに目を細めて見つめると、息を吸い込み一息で口の中へと滑り込ませる。しばらく目を閉じて、口の中で酒の芳香と口触りを楽しむと、喉へと流した。


「ほぉ……、今日も素晴らしい酒だな。……今日のはダンテの家の酒か……どうやら息災の様だな。昨年は子供が生まれたが、妻が体調を崩していた様だったが持ち直したか。ほんに、よかったなぁ」


 レーニゲン様は酒の作り手のことを次々と言っていく。レーニゲン様に献上される酒は週ごとに変わる。その者達の酒の味はもう骨身に染みるくらい飲み尽くしているから、味を見るだけで作り手がわかるらしい。

 優しげに目を細めるレーニゲン様を見つめながらも、自分の盃を満たすために彼女に話しかけた。


「レーニゲン様、湖の水をいただいても宜しいでしょうか?」


「もちろんだ」


 ニコニコと機嫌よく許可を出してくれたので、セイルに合図を出す。セイルはスッと側に来ると、私が差し出した藍の盃を受け取る。いつもの元気良さは鳴りを潜め、静かに行動している。レーニゲン様には格好をつけたいのだろう。そのまま慎重にレーニゲン様の背後にある湖に向かうと、盃に湖の澄んだ水を入れてこちらまで運んでくれた。コトリと盃が私の目の前に置かれる。水面がゆらりとゆれた。





 ※3 此方こなた→自分を指す、一人称

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